奈良市中院町に門を構える真言律宗寺院「元興寺(がんごうじ)」。南都七大寺の1つで西大寺の末寺。「智光曼荼羅」を本尊とし、昭和52年(1977)までは「元興寺極楽坊」と称していました。寺号である元興とは、日本で最初に仏法が興隆したという意です。
「1300年の歴史を持つ奈良の国宝・世界文化遺産である元興寺は、南都七大寺のひとつに数えられる寺院です。蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院である法興寺(飛鳥寺)が、平城遷都にともなって、蘇我氏寺から官大寺に性格を変え、新築移転されたのが元興寺(佛法元興の場、聖教最初の地)です。」HPより
極楽坊本堂(国宝)は寛元2年(1244)、旧僧房の東端部分を改造したもので、内陣周囲の太い角柱や天井板材には奈良時代の部材が再用され、屋根瓦の一部にも飛鳥〜奈良時代の古瓦が使用されています。阿弥陀堂建築の特色である東を正面とし、正面柱間は偶数の6間で中央に柱を置きます。一般的に仏教の堂塔は正面柱間を奇数とし中央柱は置かない為、非常に珍しい形式と言えます。
建物は内陣の周囲を念仏を唱えながら歩き回る「行道」に適した構造で、板敷の内陣の周囲を畳敷きの外陣がぐるりと囲んでいます。
本堂の西に軒を接して建つ「禅室(国宝)」。元は本堂も含んだ東西に長いひと続きの僧房であったものを鎌倉時代に改築したもので、正面の4箇所に板扉が設けられています。2000年の元興寺文化財研究所の発表によれば、禅室の部材に西暦582年伐採の樹木が使用されているとか。1440年以上も前にこれだけのものが建造された・・この事実にただひたすら感動を覚えます。
本堂・禅室の屋根には日本最古となる飛鳥時代の瓦を使用。上部が細くすぼまり、下部が幅広い独特の形で、この瓦を重ねる葺き方を行基葺(ぎょうきぶき)といいます。
ゆったりと流れてゆく時間。それでもこの建物が見て来た時間に比べれば、それはほんの瞬きの一瞬。
「元興寺」の境内は「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録されており、隅から隅まで見学すればそれだけで優に一日が費やされそう・・。ですが、実は今日の目的は境内南庭「浮図田(ふとでん)」に、整然と並べられた千五百余体の石塔・石仏群。
民の祈りが作り上げた御仏の世界を埋め尽くすように、淡く揺れる桔梗の群生。
静かに佇む石仏の隙間から顔を覗かせる薄紫の桔梗。その何ともいえない涼やかな美しさは、まさに別世界。石に刻まれた地蔵様のお顔の優しい事、そこにあるのは古より受け継がれた人々の切なる心。何かの為に、誰かの為に安らかなれと願いつつ供養されてきた、長い長い悠久の時間。
神には願えない個々の祈り・・願い・・。時に成す術の無い悲しみを癒す存在として、人は仏の世界に救いを求めてきたのかもしれない。
穏やかに・・・ひたすら優しく時が流れ、有るか無しかの微かな風が、紫の花を揺らせていきます。時折思い出したように激しく身もだえして鳴く蝉の声も、ここでは風景の中の一つ。
石仏の前に座ってそのお顔を見ていると何故か泣きだしたいような心持ちになり、慌ててご亭主殿の手を捜して立ち上がる。
あの時・・私は確かに、そこに亡き父の顔を見つけた・・
本堂近く、境内片隅に置かれている「元興寺講堂跡礎石」。出土場所や礎石の大きさから、元興寺講堂に使用されていた礎石と考えられています。礎石の大きさは、長さ1.1~1.5m、幅1.2~1.6m、厚さ0.7~1.2m、中央部に深さ90cmの柱座が造られています。創建当初の講堂には「丈六薬師如来坐像」を本尊とし、脇侍二体、等身十二神将が安置されていたと伝えられています。
境内の北側、本堂の裏手にひっそりと佇む「かえる」の形をした巨石「蛙石」。太閤秀吉が河内の川べりにあった石を気に入って大阪城に持ち込んだと伝えられています。大坂城落城の折にはこの蛙石の下に淀君の亡骸を埋めたと秘かに伝えられてきました。やがて時を経て大阪城の乾櫓の堀をはさんだ対岸に置かれるのですが、その頃から、石がある場所から大阪城の堀に身を投げる者が後を絶たない。あるいはこの石の上に履き物を置いて身を投げる者が多く出る。さらに大阪城の堀に身を投げて死んだ者は必ずこの石の側に流れ着く・・等々。「殺生石」とも呼ばれた石ですが・・見方によっては堀の水底で朽ちて無縁仏とならぬように尽力したとも言えるのでは。
境内の一隅、「十年戊寅(ぼいん)に元興寺の僧(ほふし)のみづから嘆ける歌一首『万葉集』巻六・1018)」
【 白玉は 人に知らえず 知らずともよし 知らずとも 我し知れらば 知らずともよし 】 読み返すほどに負けん気と悔しさが伝わってきます(^^;)。
奈良市芝新屋町の民家に囲まれた一画に『史跡 元興寺塔跡』の碑。華厳宗、東大寺の末寺「元興寺」。『十一面観音立像』を本尊としますが、この時は時間切れのため、山門を写したのみで参拝はしませんでした。
ブログを書く為に画像を追いかける事で鮮明になるご亭主殿との思い出。それは、何物にも変えがたい大切な宝物に姿を変え、私の中でキラキラと輝きを増していきます。
参拝日:2009年7月4日