観音寺市八幡町・琴弾山山頂に鎮座される「琴弾(ことひき)八幡宮」。御祭神は『応神天皇・神功皇后・玉依姫命』。
社伝に「大宝3年(703)3月、琴弾山で修行していた日証上人が八幡大菩薩の乗った船が近くに漂着したのを見つけ、里人とともに船を山頂に運び祀ったのに始まると伝えられる。その時、船の中から琴の音がしていたことから「琴弾」と社名が付けられ、後に第69番札所観音寺となる神宮寺を建立。大同2年(807)、四国を行脚中の空海が当社に参拝し、琴弾八幡の本地仏である阿弥陀如来の像を描いて本尊とし、琴弾山神恵院として第68番札所に定めた。」画像は〔琴弾八幡宮:神幸殿〕
二の鳥居、境内入り口にて神域を守護されるのは、明治18年(1885)3月建立の備前焼獅子狛犬の一対。
阿形さんの足元がセメンで固められているのは長い年月の中での破損の所為で、決して、夜な夜な琴弾公園を散策するからでは有りません😅
随身門を潜り、ここから378段の石段を登れば拝殿・本殿へと至ります。
随神門前より神域を守護されるのは、大きな玉に寄りかかるように手を置く、明治27年(1894)8月吉日建立の狛犬さん一対。「(吽) こらっ!しゃんとせんか!しゃんと!!」「(阿)・・はぁ~~~疲れたがね~」そんな会話が聞こえてきそう。
随身門を抜けて石段を見た瞬間に脱力感・・・・・足に問題を抱える私には長い石段参道は試練と言うより拷問に近い💧 時間的なものもあってご本殿への参拝はここで終了。
という事で、後は下の境内に奉られる神々を参拝させて頂くことにしました。
「境内社・庚申神社」の社殿前を守護されているのは、昭和50年(1975)10月建立の狛犬さん一対。まるで運動会の玉ころがしに興じる小学生のように大きな目を輝かせて、何とも微笑ましい顔立ち。
こちらは「境内社・山之神神社」の社殿前を守護される、昭和27年(1952)建立の狛犬さん。活発そうな阿形さんに比べると、吽形さんはとても大人しめで、玉の上の手も心持ち控えめ。
国の礎となり尊い命を捧げられた方々の御霊を祀る「忠魂碑」。玉垣には「忠勇」の文字と、「碇に星」の紋章。
慰霊塔は先の戦で亡くなられた方々の御霊をお慰めする為に建立されたものです。
「安永四年(1775)地元の俳人小西帯河が所蔵していた芭蕉真蹟短冊を二六庵竹阿の指導で創建その後破損していたものを天保十年(1839)半月庵五蕉の指導で再修された.」(看板より)
【早苗とる 手もとやむかし 志のぶ摺(もじずり) はせを 】
参拝の後、一方通行のドライブウエイを使えば車で頂上まで行けるという事で立ち寄った展望台。 東西122m南北90m周囲345mの巨大な砂絵は、琴弾山々頂から見るときれいな円形に見えるとか。この銭形を見れば健康で長生き、しかもお金に不自由しなくなるそうで、出来れば御利益に預かりたいものです😄
高橋藍川氏・現代漢詩【白帆鷺の如く滄溟に入る 水愈碧に松愈青し 通年千年客の拾うなく 砂浜歴々銭形を見る】
【ひうちなだ 浪路の末の雲はれて いよの高嶺に 雪ふれるみゆ 堀野林治】
参拝日:2011年6月15日
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