今治市(いまばりし)は愛媛県の北東部、瀬戸内海沿岸に位置する市です。2005年1月16日、今治市、菊間町、大西町、波方町、玉川町、朝倉村、宮窪町、伯方町、上浦町、大三島町、関前村が合併、新たに今治市となりました。この合併によって愛媛県から村が消滅。松山市、東温市、西条市、越智郡上島町に。さらに県を跨ぎ、西瀬戸自動車道・安芸灘諸島連絡架橋によって、広島県尾道市、呉市、竹原市、三原市、豊田郡大崎上島町に隣接。愛媛県北部の高縄半島の北東部を占める陸地部と、瀬戸内海特有の多島海が見られる島しょ部をも含めた多様な市域を有し、古くから瀬戸内海の海上交通の要所として発展してきました。「市の木:クスノキ」「市の花:ツツジ」を制定。
キャッチフレーズは「ゆとり彩りものづくり みんなで奏でる海響都市いまばり」
マンホールは旧玉川町のデザインで、今治市の市章を中心に「町の花:桜」がデザインされています。
旧上浦町のデザインマンホールで、「町の花:ツツジ」と「多々羅大橋」、右下に今治市の市章がデザインされています。
2005年1月16日制定の市章は「右下のグリーンが瀬戸内海の自然を、その横を流れるブルーが来島海峡とその上を走っているしまなみ海道を表し、包まれているオレンジ色の丸が今治市のイニシャル「i」の雰囲気と、自然の中で力強く光っているイメージを表しています。」公式HPより
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旧今治市(いまばりし)は愛媛県の北東部に位置した市です。西条市、越智郡吉海町・宮窪町・朝倉村・玉川町・波方町・大西町に隣接。慶長9年(1604)に、藤堂高虎によって築城された今治城の城下町として発展してきました。町村制の施行に際し、室屋町・米屋町・本町・北新町・風早町・新町・中浜町・片原町・今治村が合併し、今治町が誕生。明治27年(1894)には『阿部平助』によって。今治最初のタオル作りが4台の織機をもって開始。今日の今治タオルの基礎が築かれました。
明治22年(1889)、町村制の施行により、越智郡今治町・日吉村・近見村・立花村・桜井村・清水村・富田村・乃万村・日高村、野間郡波止浜(はとま)村が発足。
1897年、郡制の施行により、野間郡が越智郡に統合される。
1908年、波止浜(はとま)村が町制を施行、越智郡波止浜町となる。
1917年、桜井村が町制を施行、越智郡桜井町となる。
1920年、越智郡と合併、市制を施行し今治市が発足。
1933年、越智郡近見村を編入。
1940年、越智郡立花村を編入。
1955年、越智郡桜井町・波止浜町・清水村・富田村・乃万村・日高村を編入。境界変更により、吉海町から馬島を編入
1960年、境界変更により、波方町から大浦の一部を編入。
マンホールには、激しい潮流で知られる来島海峡を進む「村上水軍船」がデザインされています。帆には村上水軍「越智氏」の家紋「折敷に揺れ三文字」。
「折敷に揺れ三文字」の瓦
大正10年(1921)9月25日制定の市章は「今治の「今」と日吉村の「日」
を同時にかたちどっている。」
今治市のPRマスコットキャラクター『バリィさん』は、焼き鳥のまち今治生まれ今治育ちのトリ。来島海峡大橋の王冠をかぶり、お腹には今治タオルのハラマキ、手には特注の船の形の財布を持っています。ゆるキャラ界の王者決定戦「ゆるキャラグランプリ2012」で王者に輝いた実力の持ち主です。
撮影日:2011年6月11日
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マンホールカード・頂きました。
2019年8月7日、第10弾として全国61自治体で61種類(累計539自治体455種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「今治市」のマンホールカードは、「道の駅:よしうみいきいき館」でいただけます。
1998年に設置開始されたマンホールには「瀬戸内しまなみ海道」と「つつじ」と「急流」がデザインされています。
「市の花「ツツジ」と日本三大急流の一つである来島海峡の「急流」、サイクリングの聖地と言われる「瀬戸内しまなみ海道」をデザインしました。 この地には、急流が渦巻く地の利を活かして「日本最大の海賊」と称された村上海賊が活躍した来島があります。 また、しまなみ海道には自転車歩行者専用道路が整備され、美しい瀬戸内海の景色を見ながら、安心して解放感に満ちたサイクリングを堪能できます。 さらに、市制50周年を記念して開園した「市民の森・フラワーパーク」では、約3万本のツツジが咲き誇り来園者の目を楽しませてくれます。」
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