「麻賀多神社」の鳥居をくぐると直ぐ右手に「香取秀真おいたちの地」の案内があります。 学問としての金工史を確立し、研究者とし、また鋳金家として知られる『香取秀真(ほつま)』。秀真は明治11年(1878)に、宮司『郡司秀綱』の養子となり、この地で少年期を過ごしました。
正岡子規門下の根岸短歌会:アララギ派の歌人としても活躍し、境内には秀真の歌碑が建立されています。
【たけ高き ますらおふりの ちゝのみの ちゝをし思ほゆ ふるさとは遠し】
ここ「麻賀多神社」は、佐倉七福神の『恵比寿』『福禄寿』の札所としても有名。「末社・疱瘡神社」は、医薬医術の祖神である『少彦名命』を祀り、病気平癒の御神徳が在ります。 また撫で恵比寿としてお姿を現され、御神像を直に撫でることにより、そのお力を戴けるそうです。
お近くのまだ新しい『福禄寿』さんは、延命長寿・招財招福のお力が戴けるそうです。
「摂社:三峯神社」は『伊弉諾尊・伊弉冉尊』をお祀りし、火防・盗賊除けの御神徳があります。
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「摂社・稲荷神社」は、麻賀多さまの御子神である『豊受姫命(別名・倉稲霊命)』を祀ります。 神名の「受(ウケ)」とは食物のことを現しており、食物・穀物を司ることから、後に稲荷神と同一視されるようになりました。
境内には沢山の碑が建立されていますが、その中で説明が添えられていた碑から。中央の一番大きな碑は明治三十九年(1906)十月建立の「忠勇之碑」。解説板には、「旧佐倉藩士民の日露戦争出征者慰霊顕彰の碑」とあります。
「義烈(ぎれつ)之碑」には、戊辰戦争~日清戦争でお亡くなりになった方々の名が刻まれています。
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「両士(りょうし)記念之碑」。戊申戦争時の佐倉藩の関係者二名の名が刻まれています。戊辰の役で幕府方に参戦されたお二方の為だけの碑です。
ちょっと気になったのは、大東亜戦争で散華された方々の忠魂碑がどこにも無かった事・・何故なんでしょう。日本国の命運をかけた戦で散華された幾万もの命・・私達の今は、その方たちの命の購いに寄って営まれているのに・・何故ですか???。
最後に、「麻賀多神社」には本殿横の大銀杏以外にも御神木があり、これは二の大銀杏とよばれ、摂社「三峰神社」の入り口近くに聳えていました。
参拝日:2019年3月18日
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