安曇野市穂高に鎮座される「穂高(ほたか)神社」。式内社(名神大社)で信濃国三宮。御祭神は中殿に綿津見命の御子神である『穂高見命(別名を「宇都志日金拆命(うつしひかなさくのみこと)』。左殿に安曇氏の祖神とされる『綿津見命』右殿に『瓊々杵命』 「穂高岳」を御神体山とします。一の大鳥居、扁額には「安曇一郡之宗廟 穂高神社」の文字
「穂高見命は海神(わたつみ)族の祖神(おやがみ)であり、その後裔(こうえい)である安曇族は北九州方面に栄え主として海運を司り、早くより大陸方面と交流し文化の高い氏族であったようです。醍醐天皇の延長五年(西暦九二七年)に選定された延喜式神名帳には名神大社に列せられ古くより信濃における大社として朝廷の崇敬篤く、殖産興業の神と崇められ信濃の国の開発に大功を立てたと伝えられています。」公式HPより
「創建は不詳。当地は安曇郡の郡域にあり、定着した安曇犬養連氏によって当郡が建郡されたと見られ、その安曇犬養連氏によって祖神が祀られたのが創祀とされる。天安3年(859)2月11日に「宝宅神」に対して従五位下から従五位上への神階昇叙がなされたという記録が残る。松本市安曇の上高地に「奥宮」、奥穂高岳山頂に「嶺宮」があることから、「日本アルプスの総鎮守」と称される。」Wikipediaより
二の鳥居前左右より神域を守護されるのは、昭和15年建立の招魂社系狛犬さん一対。原型のデザインを『彫刻家:小川大系氏』(穂高駅前の「登頂」の作者)。『石工:野村保泉氏』。筋骨隆々と言う言葉がこんなに似合う狛犬さんも珍しいですね😊
表参道大鳥居から二の鳥居を潜った先、正面にまだ木の香も新しい神楽殿
神楽殿の後方に、同じくまだ新しい拝殿。その後方に形式の等しい右殿・中殿・左殿が並ぶ三殿方式の本殿が鎮座。中殿は穂高神社だけに伝わる独特の形式の「千木(ちぎ)」と「勝男木(かつおぎ)」が乗せられており「穂高造」と呼ばれています。勝男木は釣竿または船の帆柱を表していると言われていますが・・その姿を見る事はできません。
拝殿前に聳えるのは、樹齢500年以上の「御神木:孝養杉」。「昔、家族が重い病にかかり、一日でも早く元気な体に立ち返るようこの杉の木と穂高の神様に毎日お参りをしたところ、朝露が乾くがごとく、淡雪の解けるがごとく病を癒したと云われています。杉に手を当てて、明日の糧に健康とパワーをいただいて下さい。」
神楽殿の右手に『安曇連比羅夫命(あづみのむらじひらふのみこと)』を御祭神とする「若宮社」。また相殿には『信濃中将(御伽草子のものぐさ太郎)』が祀られています。
若宮社の前より神域を守護されるのは、台座に「献主東都深川井口郡有」 「明和六年四月十四日」と刻のある、信州尾付きの狛犬さん一対。全体がコロコロと丸く、顔は別として可愛らしさが強調されています。顔と言えば吽形さんはのっぺらぼう・・・市内最古の狛犬さん・・時の流れは正直です。
若宮社の狛犬は奉納者である『郡有』が江戸で作って運ばせたとみられ、運搬中に最も細い前足部分の破損を防ぐ為か、足の間の石が彫り抜かれずに板状に残されています。調べれば色々と面白い狛犬たちの物語。だから狛犬巡りは止められません。
若宮社から少し離れた位置に『阿曇連比羅夫(あづみのむらじひらふ)命』の像。命が持つ槍には十四弁葉菊紋。「天地天皇の命により水軍を率いて朝鮮に渡り、百済の王 豊璋(ほうしょう)を助け、663年8月24日 白村江(はくすきのえ)で戦死。穂高神社御船祭りの起りと伝えられている。」境内案内より
若宮社の右手、鳥居の内に「穂高霊社」
毎年4月20日斎行される本祭では「みたまなごめの舞」が奉納されます。これは御英霊に捧げられた香淳皇后の御歌【安らかに 眠れとぞ思ふ 君のため いのち棒げし ますらをの友】を舞にしたものです🙏🙏。
「穂高霊社」に向かい合うように「明治天皇御製碑」・【 世と共に かたりつたへよ国のため いのちをすてし 人のいさをは 】
穂高神社境内の一画、清らかな水を湛えて鎮まる「神池」
「嶺宮(みねみや)遥拝所」
嶺宮は白い石造りの小さな祠で、穂高見神が降臨したとされる奥穂高岳(3,190m)の頂上に鎮座されています。(遥拝所にある写真)。
奉納:穂高神社賛【安曇野に菊の御紋の宮居あり 穂高見命 海の祖神・・明神の碧連の池幽邃に 龍頭鷁首の御船は清雅に】
若宮社向かって左手に鎮座される境内社、左より「八坂社」「事比羅社」「子安社」「保食社」「四神社」
若宮社向かって右手に鎮座される境内社、左より「疫神社」「秋葉社」「八幡社」「鹿島社」。
駐車場手前「茅の輪くぐり」の向こうに鎮座される「境内社:八王子社:菅原社・歌神社」。
穂高神社の境内紹介、明日は安曇野とは切っても切れない「道祖神」を中心に紹介します。
参拝日:2016年4月19日
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