車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

有明山(ありあけやま)神社~其の二 in 長野県安曇野市穂高

2022年06月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

神域と呼ぶにふさわしい空気の中、この場所に立てた事を感謝し尚且つ、素晴らしい匠の技を堪能できた事、まさに旅の醍醐味を満喫しています。御神体である有明山に見守られつつ、「有明山神社」のラストは~其の一で紹介しきれなかった境内のアレコレ😊

「裕明門」を潜った先、境内右手に立派な覆い屋根を持った土俵があります。例祭などで奉納相撲の神事が有るのかもしれません。何しろ御祭神の一柱は力自慢の『手力男命』ですから。

拝殿に向かう参道の右手に「開運・招福の石」なるものが。なんでもこの「口」の部分を潜り抜けると運が開けて福を授かるらしく、東面に「吾(われ)只(ただ)足(たる)知(しる)」「必要以上に欲張らず、今ある幸せをちゃんと見なさい」という意味と理解しています。京都の龍安寺にこの文字が彫られた「知足の蹲居(つくばい)」があり、実際に拝見させて頂いたことがあります。

西面には「吉(きち)呼(よんで)員(かず)和(わす)」。こちらは初見ですが「喜びを集めて和やかに」という意味のようです。

絵馬もあります。

『岡村阜一(ふいち)』像。「明治11年(1878)、有明山を御嶽山同様の信仰の山とすべく、3年間かけて巨額の私財を投じ有明神社里宮を復興。以後、約30年間にわたり、その付随施設整備のため一生を捧げました。明治13年には、御嶽教と同様に「有明講」を起こし、日夜伝導教化に務め、講数800、講員3,200、信仰者3万520余戸、信徒10万人となり、地方宗教界の一王侯の観がありました。」(安曇野市の先人たちより)

一間社流造りの境内社『有明講の社』

「有明山三十三度登山」記念の碑

神社由来の中で「大正昭和に至り多くの皇族方のご参拝を頂いた」とあるように、境内にはお手植えの木々が豊かに葉を茂らせています。「東久邇宮稔彦王殿下 御手植(大正十年八月八日)」。第二次大戦後、終戦処理内閣として内閣総理大臣を務め、後にGHQによる内政干渉に対し、抵抗の意志を示すため在任日数54日間で総辞職。並ぶ植樹は、その兄上に当たられる「朝香宮鳩彦王殿下 御手植(大正九年八月十五日)」。

秩父宮雍仁親王殿下 御手植(大正十二年七月二十四日)」。大正天皇の第二皇子で、昭和天皇の弟宮。

秩父宮勢津子妃殿下 御手植(昭和四十七年九月十二日)」。旧会津藩主・松平容保公の孫姫。「秩父宮雍仁親王」の御后。

山階宮武彦王殿下 御手植(大正十四年八月四日)」。昭和天皇の従兄弟に当たられる。皇族で初めて海軍航空隊に所属し、空の宮様と呼ばれた。

お手植えの木々の間に見つけたちょっと珍しい石灯籠。火袋の柱部分が輪っか状態に丸く刳り貫かれ、下部に波兎が彫り込まれています。波兎は縁起の良い題材として、留め蓋瓦や社殿彫刻などに見かける事はありますが、灯籠の柱というのは初見かもしれません。

石灯籠と言えば「妙見 里の瀧」に奉納された石灯籠の竿(柱)の部分も、なかなか興味深い形をしていましたが、あれは多分自然石を用いたのでしょう。

満開の桜の下、手を伸ばせばひらひらと舞い散る花吹雪が髪に・・肩に

有明のお山から下りて来たのか・・・・沢山の猿を見かけたけど、どの子も遠巻きに人の姿を見るだけで、若草の上に有る筈の何かをせっせと探している。どの子も・・本当に綺麗だった・・・。

そうそう、そう言えば一の鳥居の鳥居額は「有山神社」と書かれていたのだけど、あれには何か意味があったのかしら? 眀」読みは「べい・みょう」「みる」。とすれば何と読めば良いのだろう?。単なる間違いとは思えないし・・・二の鳥居は「有明山神社」だったから聞くのも憚られたけど・・やっぱり聞けばよかったな・・

神社を後にして走る事数分、有明山通りと山麓線との交差点で見かけた「めぐり愛の岩」。傍らの碑には「神が住まう山と崇められ「あずみ野高天ヶ原伝説」の中心となった、有明山の参道に位置する一対の大岩は古くから「夫婦岩」と呼ばれて当地の人々の間で大切に祭られてきました。当地が夫婦岩とよばれる所以ともなっています。神々の住まう山とされる有明山にあった大小二つの岩は中房川の流れにその仲を割かれ、別々にいく年を経てようやく寄り添うことの出来た“めぐり愛の岩”です。「月がこの岩の上空に掛かる時、岩の前で二人の愛を誓うと、その愛は神々によって永久に守られる」「中房川の小石に二人の名前を書き、奉納すると、遠く離れていてもいつか必ずめぐり合うことが出来る」という、ロマンチックな言い伝えも生まれています。」

参拝日:2016年4月18日


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4 コメント

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長崎だと思ったら長野? (まっち)
2023-07-08 21:47:06
愛野町つながりで長崎の投稿を拝見しようとクリックしたらなぜか有明神社。
カテゴリー間違えてますよ~
高さは北アルプス主峰軍群に劣るものの市街から遠望すると一目でそれとわかる特徴的な風貌。
古くから信仰の対象となり修験道の山、そして200名山でもありますが、登山ルートが厳しい上に回りに有名な山が立ち並ぶせいか登るものも少なく静かな山。
私も登山の帰りに有明神社に立ち寄りましたが、修験道盛んな往時の面影はなく、近隣の穂高神社との差に驚くばかり。
明治新政府の神道国家政策により、程よく調和されていた神仏混交が強制的に引きはがされ、結果として廃れた修験道も多いと聞きます。
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(((((^_^;) (tibineko)
2023-07-08 22:20:35
長野と長崎・・・なんで間違えたんだろう。
しかも其の二だし、其の一はちゃんと社寺・名所・観光・長野県に入れているのに。

何気に登山の帰りにと書かれていますが、有明山に登られたんですか?!
私なんぞは見てるだけで充分と言う根性無しなので、真剣にアルピニストとか登山者には尊敬の念しかありません。
まぁ・・根性が有っても山登り何で絶対に無理なんですけどね。
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登山 (まっち)
2023-07-08 22:41:48
もともと吉野の山岳信仰を中心に歴史の教鞭をとっていた祖父のフィールドワークについて小学生のころから大峯奥駈道を歩いていました。
さらに大学のゼミに体育会山岳部に所属するバリバリの登山家の先輩がいたこと、新田次郎の「孤高の人」を読んで触発されたこともあり、20代~30代にかけては趣味は「登山」で、300名山のうち250くらい登っています。
ただ椎間板ヘルニアが慢性化したため、激しい登山はドクターストップ、その後は灯台巡りからダム巡りに至った次第です。
有明山は出だしから最後までそれこそ「岩と木の根にしがみついてよじ登る」ような道が続き、これぞ修験の山といった風です。
山頂からは間近に燕岳が望めるほか安曇野が一望できる好ロケーション。
にもかかわらずハイシーズンでも誰も人がいないの一番の魅力の山でした。
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修験道の山 (tibineko)
2023-07-08 23:52:33
有明山と言えば修験僧の宥快の開山でしたね。
道なき道を行くと聞いた事があります。

それにしても小学生で大峯奥駈道って、「尊敬の眼差し」・・届いてますか?

さらに300名山のうち250を踏破、もう完璧に別世界の方です。
山では無いですが、もしかして、鳥取の三徳山の投入堂も行かれました?
鎖を伝ってよじ登るって書かれていて、一体どんな人が参拝するのだろうかと半ば恐怖を覚えながら、想像したものです。

それにしても、辛い病気を発症されたんですね。
聞いてしまったら「くれぐれも無理のないダム巡り」をなさって下さいね!!
可愛らしい奥様に心配かけないように(^-^)
長~~~く楽しめるように自重も大事です。
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