朝日村西洗馬にある高野山真言宗寺院「青壺山(せいこざん):光輪寺」。『不動明王』を本尊とします。
伝承によると「起源は奈良時代に行基が開いた古薬師まで遡り、中興は木曽義仲とされる。古薬師は現在の光輪寺薬師堂裏手にある入村集落の上にあったといわれるが、明治期の寺社明細帳には当寺の由緒は不詳とある。鎌倉時代以降は、洗馬荘地頭の三村氏の祈願寺となった。」Wikipediaより
薬師堂前山門
山門内より境内全域を守護される仁王像、何気にお茶目な顔立ちですが守備範囲は広大です。
「この薬師堂の建物は桁行五間、梁間四間、向拝一間、茅葺入母屋造の大規模な堂で、前方二間通りを周囲を吹き放の外陣とし、その奥に三間、五間の内陣と左右の脇の間が有る。装飾はかなり多く、出組の組み物の支輪に波の彫刻をつけ、中備えは天邪鬼の彫刻とし、内外陣境の欄間は五面あり、梅、牡丹、菊等の植物彫刻を入れている。棟札によれば宝暦十年(1760)の建立で、大工棟梁は、木曽宮越住人中村伝衛門藤原季利である。」山門前案内より
山門横の碑は「中興開基七百五十年記念碑 旭将軍〇信之霊地」
薬師堂の北側にある十王堂の横には、中興・木曽義仲が植えたとされる桜が花の重さに耐えかねるがごとく枝をしならせ、参拝者を迎えてくれます。
朝日将軍 木曽義仲公手植えの桜 「治承四年、以仁王より平家追討の命を受けた義仲は平家追討の旗挙げをし鳥居峠を越え西洗馬に達した。この時弘法大師が草案に祀った古薬師を移し、新たに堂宇を建立して平家追討の祈願を凝らしたのがここ薬師堂であり、その際、桜の若木をこの場にお手植えされたと伝えられている。桜は明治三十四年(1901)に枯死し、その時に植え替えられた二代目の桜であり、隣に建立された歌碑は往時を偲んだものである。」現地案内より
【 佐くらはな くちはてにける後の世も その名は高く 匂ひぬるかな 】
どの位置から見ても美しく、胸に染みいるこの景色・・・立ち去る事が惜しくてたまらない・・いつの日か再びと願うも、もう一度この場所に立ちたいという願いが叶わないことを、今は悲しいくらいわかっている。
光輪寺薬師堂におわす石仏群は、西国・坂東・秩父の百体観音や、四国八十八カ所、七観音、十三仏、弘法大師像など200体を超え、どの像も大半は元禄時代の作と云われています。私たちが目にしたのは、手軽に歩ける場所に置かれたほんの数基の石仏のみ。
明日は薬師堂内の彫刻の数々を紹介します。
参拝日:2016年4月23日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます