西尾市錦城町、歴史公園の外れに鎮座される「西尾神社」ここには『殉国の英霊六百四十余柱』が祀られています。
由緒「昭和二十年八月十五日終戦の詔勅降りて大東亜戦争も終結し、多くの勇士が戦地より帰還。漸く世の中は平和に期し人心にも平和が蘇りたり。然るにこの大戦に召されて勇躍従軍、各地に転戦武功を樹てられ西尾地区出身六百二十余勇士は祖国の御盾となり散華せられ護国の神と化し給う。~中略~全町民協力の下一致団結建設に東奔西走、昭和三十年三月現神社の創建を見たり。~後略~」
桧皮葺の屋根が美しい御本殿。緩やかな光が祖国を護るために殉じられた御霊を包み込んでいます。
護国の御霊となられた方々が鎮まられる神域を守護されるのは招魂社系の狛犬さん一対。どうぞしっかりと足を踏ん張り目を光らせて、この大切な場所を守り続けてください。
境内に建立されていた「陸軍大尉 中澤稔之碑」
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西尾神社のすぐ隣、西尾城本丸跡に鎮座される「御剱(みつるぎ)八幡宮」。御祭神は『八幡神』と思われますが特に記載はありません。
「古くは文徳天皇の皇子・八条院宮が渥美郡伊川津から当地へ移り住んだ際に松山(現在の山下町東八幡山あたり)へ遷座し、のち承久年中(1219~22)に三河国守護・足利義氏が西条城を築城する時に現地へ移し、源家相伝の宝剣・髭切丸と白旗一流を納めたと伝えられています。城内鎮護の神社として歴代城主の尊崇が篤く、社殿前には城主が寄進した石灯籠が立ち並んでいます。延宝6年(1678)に当時の西尾城主・土井利長が再建したもので、市の文化財に指定されています。」西尾市HPより
延宝6年(1678)に当時の西尾城主・土井利長が再建した一間社流造檜皮葺の拝殿と奥に本殿。いずれも市指定文化財。
拝殿前左右より西尾城鎮護の社を守護されるのは、備前の国からやってきた明治31年奉納の備前焼獅子一対。焼き物ゆえの損傷が随所に見られますが、丁寧に修復が施されており、大切にされている事が分ります。
備前焼はわが故郷の宝、特別に別角度から(⌒∇⌒)
西尾城本丸跡に設けられた「大庿(おおびょう)遥拝所(大庿は伊勢神宮の別称)」
拝殿前の塀に設けられた瓦には、八幡神の巴紋
参拝日:2011年9月22日
源氏門葉として鎌倉時代、足利家は北条に次ぐ勢力を誇りますがその中心の一つが三河。
当地には足利一門の吉良を軸にそこから派生した「二匹量」の家紋を頂く、今川、細川、斯波、桃井など三河足利家が割拠します。
一色もその一つで室町時代前期には「四職」の一つとして大いに繁栄しました。
愛知各地にある一色という地名の多くは一色家の領地や荘園があったことに由来します。
言われてみれば、他の県にも一色のつく地名がありましたが、そう言った理由であれば納得です。
歴史を雄弁に語る古来から残された地名、やっぱり大事にするべきですね。