「佐川醤油」さんにお邪魔した後は、すぐ近くにある「やない西蔵」へ。こちらで、あの幻の「伝統工芸品:柳井縞」の機織り現場を見せて頂けるとの事で楽しみにしていたのです。
「柳井縞」は木綿糸をつかった縦じま模様の織物で、江戸時代から高い品質で定評がありました。大正時代、国内の織物業が衰退したことで、柳井縞も途絶えてしまい、以後「幻の織物」と言われていました。1994年にその再復興をめざす「柳井縞の会」が発足し、以来、織の技術の習得や研究をすすめています。その現場を拝見できるなんて、着物好きには至福の一時。🙏
ちなみに明治時代に作詞された鉄道唱歌に「風に糸よる柳井津の、港にひびく産物は、甘露醤油に柳井縞、からき浮世の塩の味」と歌われた二つの名物。両方とも見せて頂き、心から感謝です😀。
さて、西蔵から少し戻ると、江戸時代にこの突き当たりにあった豪商「かけ屋」の名が付けられた「掛屋小路(かけやしょうじ)」があります。左の建物の横にある看板は「カニ横断注意」。
路地の裏通りは柳井川の水路に面している関係からか、カニが路上を横切ることが良くあるそうで、同じような看板を随所で目にしました。
路地を入って柳井川の岸辺に。川沿いには荷物の上げ下ろしに使用されていた「雁木(がんぎ)」と呼ばれる石段がいくつか設けられています。
干潟で遊ぶ白鷺たち・・実に長閑な風景です。
寛文3年(1663)に干拓された古開作と、柳井津側を結ぶ唯一の橋として架けられた「宝来橋」。かっては「古市橋」や「善元橋」とも呼ばれていましたが、明治15年(1882)に「商品は宝物で、その荷が来ることによって町が富む」という事から「宝来橋」と名付けられました。
橋のたもとには、船が入港する時に目印とした「沖見石灯篭」や、当時火災が頻発した柳井に、人々が火よけを祈願して建立した「愛宕地蔵(火伏地蔵)」が祀られ、今も静かに町並みを見守り続けています。
お地蔵様に出会えた幸せに手を合わせ、「きじや」さんの店先に祀られるお地蔵様に、旅の無事を願って手を合わせます🙏。
柳井と言えば「金魚ちょうちん」が真っ先に思い浮かぶほど、すでに景色の一つにもなった「金魚ちょうちん」。立ち並ぶ白壁土蔵のお店では、さまざまに形を変えた金魚提灯が販売されており、それを見て歩くだけでも一日がつぶせます😅
町の顔とも言える「金魚ちょうちんの誕生」はおよそ150年前。まだ白壁の町が現役だった頃、柳井の染色職人が青森のねぶたをヒントに作ったと言われています。先祖の迎え火として、親が作り与えた金魚ちょうちんを、子どもたちが片手に下げて白壁の町を練りあるく。そんな光景が夏の風物詩でした。
この伝統はいったん途絶えたものの戦後になって復活。その立役者が『河村信男』さん。と書きだすと長くなるので興味のある方は、二つのリンクを参照してください。
訪問日:2013年4月19日&2017年11月28日
おはよ!
カニの看板
面白いですね😃
カニさん注意
私たちが散策していた時にも
可愛いカニさんにお出迎えされました😀
蟹の看板おもしろいです。
金魚提灯かわいいですね。
本当に可愛いですよね~
一家に一つ!って主人にお願いしたら
「家のどこにぶら下げるの?」
と、速攻で却下されました😅
「先祖の迎え火として、親が作り与えた金魚ちょうちんを、子どもたちが片手に下げて白壁の町を練りあるく。そんな光景が夏の風物詩でした。」
そういうことだったのですね。また一つ賢くさせていただきました。tibineko先生に感謝です。
子供たちはきっとワクワクしながら
親の手元で形を成していく金魚提灯を見守る
・・・そんな光景をを想像すると
もう最近は特に涙腺が弱くなって、目の奥がツ~~ンとします。
すてきな風習が、町を代表する顔になる
これもご先祖様のお陰かもしれません