車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

金山:功山寺(こうざんじ) in 山口県下関市長府川端

2024年03月11日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

下関市長府川端に門を構える曹洞宗寺院「金山(きんざん):功山寺(こうざんじ)」『千手観音菩薩』を本尊とします。中国三十三観音霊場第十九番札所、山陽花の寺二十四ヶ寺第九番。

縁起「嘉暦二年(1327)の創建。当初は臨済宗で金山長福寺と称し、足利氏、厚東氏、大内氏など武門の尊敬あつく隆盛を誇ったが、弘治三年(1557)、大内義長がここに自刃、この戦乱によって一時堂宇の荒廃をみた。慶長七年(1602)、長府藩祖毛利秀元が修営、旧観に復し、曹洞宗に転宗。二代藩主光広が、秀元公の霊位をこの寺に安置して以来、長府毛利家の菩提寺となり、秀元の法号、智門寺殿功山玄誉大居士にちなんで功山寺と改称。文久三年(1863)、七卿落ちで京を逃れた7名の公卿のうち5名が滞在。『高杉晋作』はこの寺で挙兵。」公式HPより

総門を潜り石段を登った先に堂々とそびえる、二重櫓造りの山門(市指定文化財)。安永二年(1773)、長府藩主十代:毛利匡芳の命により建立・再建。

山門より真っ直ぐに国宝指定の「仏殿」。鎌倉時代末期の唐様(禅宗様)建築様式は、鎌倉の「円覚寺舎利殿」と共に仏殿建築の代表と云われています。

「二重屋根入母屋造りの桧皮葺、一重裳階(もこし)付き。方三間の身舎の周囲に裳階をめぐらし、扇垂木に花頭窓。柱は上下部を細めた粽型で礎石と柱との間に礎盤を入れ、内陣の天井は鏡天井で石南花を描き、外陣は化粧屋根裏、床は四半瓦敷で建物は一切彩色せず。柱の墨書により元応二年(1320)の建立と判明。建立年代の明らかなものとして貴重である。」公式HPより

仏殿の前に立つと、訳もなく涙ぐみたくなってしまうのは何故だろう・・逝ってしまった二親は浄土の彼方で穏やかにいるだろうか・・そうして私は慣れない「南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)」を唱え、手を合わす。

一切経を納めた土蔵造りの「輪蔵(市文化財)」は、長府藩第十一代藩主毛利元義公が藩祖秀元公百五十回忌の供養として寛政十一年(1799)に建立。入口の向拝は軒下位置に切妻照り破風。屋根は宝型造りで桟瓦葺き。

この輪蔵のすぐ横に「高杉晋作:回天義挙像」。当初はみもすそ川の旅館に建てられていたが、昭和47年に移設。維新に活躍した群像の中では一番好きな人物。何故と問われても「好きなんです」としか言えません。多分・・会津藩に対する非人道的行為に関わらずに死したからかもしれません

【一鞭回天 明治維新 宇内に輝く 嗚呼鬼神 東光先生】

長府藩15代:毛利元雄(もとかつ)による「七卿遺蹤(いしょう)の碑」

「七卿潜居由来」

国登録有形文化財:旧長門尊攘堂(そんじょうどう)」。鉄筋コンクリート造平屋建、瓦葺。昭和8年(1933)10月20日、長府の隠士、桂弥一が吉田松陰・品川弥二郎の遺志を受け継ぎ、維新の志士の顕彰を目的に長門尊攘堂として設立。戦後は財団法人長府博物館となり、昭和55年に下関市に移管。2016年まで、下関市立長府博物館本館として使用されてきました。

この門を潜った先が功山寺墓地。ここに(伝)大内義長主従の墓とされる三基の宝篋印塔があると知ったのは帰宅後の事。

「鐘楼」

句碑【花にまた 萩に慈眼の観世音 (松本)圭二】

吉岡禅寺洞:句碑【功山寺にて 新樹の冷えに いますが如く障子しまる

晩秋の赤の日差しの下に見る境内

石段の下に僅かに見える国登録有形文化財の総門。

燃えるようなモミジの赤と、馬上の高杉晋作に見送られて功山寺を後にします。

参拝日:2017年12月3日

 


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6 コメント

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Unknown (necydalis_major)
2024-03-11 09:03:15
だんちょう

おはようございます!
今日からまた一週間が始まる
月曜の朝。
色んな建物があって、一つづつ見てるだけでも
時間があっという間に過ぎていきそうですね🤩🤩
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だんちょうさん (tibineko)
2024-03-11 10:52:26
コメントありがとうございます。

一週間があっという間に終わって
また新しい一週間の始まり。
北海道に比べると「なんだ」と笑われそうですが
早春の文字が切なくなる程、寒いです!
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こんにちは (佐貫卓球ルーム2)
2024-03-11 20:17:06
多くのリアクション~~ありがとうございます

此方は地震が多発してます
妻は出勤前私に「津波警報が出たら体一つで逃げるのよ」
そして避難場所の確認をしてから出勤してます

今日は東日本の震災の日です
妻の実家は福島で津波に流されました
身内の犠牲者は出ませんでしたが避難生活はたいへんだったようです
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佐貫卓球ルーム様 (tibineko)
2024-03-11 21:55:16
もう13年なのか
まだ13年なのか・・・

1995年1月
関西を襲った大震災で
私もまた大切なものを喪いました
あれから29年・・
もう29年・・
それでも大切な人と共に生きていられる今に感謝しています。
佐貫さんの奥様の言葉
「体一つで逃げるのよ」
に切ないほどの愛情を感じさせられます

これからもよろしくお願いします
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長府 (まっち)
2024-03-12 03:01:50
文字通り奈良時代以降の長門国の国衙が置かれていた地。
今の山口の場合周防の国衙は防府、長門の国衙は長府とともに国名+府が今の地名になっているのが面白い。
全国で見れば知名度ナンバーワンはやはり甲府。
静岡の別名駿府も時代劇等でおなじみ。
それ以外だと府中や国府という地名が付いているところが多いですね。
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地名が語る歴史 (tibineko)
2024-03-12 08:45:12
各地に訪ねて面白いと思うものに
地名が有ります。
何故この地名?
なんでこんな地名を?
それは災害多発を教える為であったり
禍々しい歴史を語り伝える為であったり

それとは真逆に
かって何かで栄えた地である事
国の中枢であった事を自負する意味もあったり
旅先の小さな自治体名などを見るのも
旅の楽しさの一つでした。
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