銀山の町として栄えた大森地区を歩いていると、思わず足を止めさせる佇まいを見つけ、ついつい先に進むことを忘れそうになります。まぁ、これは大森に限った事ではないのですが(-_-;)
「史跡:豊栄(とよさか)神社境内跡地」
跡地ですがちゃんと鳥居も建立され、『毛利元就公』が御祭神として祀られています。
元々は元就公によって開基された「曹洞宗寺院:長安寺」でしたが、明治初期に廃寺となり、「豊栄神社」となりました。
当然ですが、境内を守護される狛犬さんもおいでになります(*´꒳`*ノノ゙
参拝を終えて歩き始めた矢先、偶然見かけた「安養寺」の経蔵。何と!ここにも鏝絵の龍が(〃∇〃)。
彩色された龍は、手中の宝珠の感触が嬉しくて極上の笑顔・・って、龍って笑うの??
石見銀山に来て「龍源寺間歩」に行かないなんて、東京見物で東京タワーを見ないようなもの(例えが古っ!!)。でもそこまで行くにはかなりの距離だし、行ったとしても私の足では入坑は無理。折角ここまで来て、銀山・鉱山関連の遺跡を一つも見ないと言うのも如何なものか・・(笑)と言う事で駐車所への帰り道にある「清水谷精錬所跡」に寄ってみる事に。
「清水谷精錬所」が作られたのは明治19年。それから僅か10年後の明治29年に操業停止。 鉱石の品質が予想より悪かった事、また設備の銀の製錬能力が無かった事などが理由だったそうです。
夏草の生い茂るに任せた石組みの精錬所跡・・・沢山の観光客で賑わう大森の町並みも、ここに足を運ぶ人は少なく、在りし日に思いを馳せるには充分すぎる一時を過ごせました。
柔らかな日差しが差し込む林、かって「龍昌寺」があった道の傍らには「銀山大盛祈願道場碑」。碑は、銀山採掘の実が上がる1年になるように祈願した三つの寺社の一つがあった事を示すものです。
銀山川の歩道から石段を登った先にある「大安寺跡」。「史跡:石見銀山遺跡:大久保石見守墓」。
大安寺は、初代の石見銀山奉行であった大久保長安によって浄土宗の菩提寺として1605年に建てられたお寺です。昭和18年(1943)まで現存していましたが、大洪水や度重なる山崩れによって建物は破壊。今では長安の墓を含む墓地の一部だけが残されています。
大森の町歩きは、石見銀山公園駐車場のモニュメントで終了。この後一足伸ばして・・
「石見銀山世界遺産センター」では、石見銀山の歴史や、当時の暮らし、鉱山技術などを目で見て学ぶコーナーがあり、興味深く石見の歴史を知る場となっています。見学を終えたら、巨大な大判を手に記念写真!(^^)!
訪問日:2013年5月23日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます