車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 愛媛県旧東予市・旧丹原町・旧小松町(西条市)

2020年12月26日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛媛県

旧東予市(とうよし)は愛媛県の東部、東予地方に位置した市です。西条市、今治市、越智郡玉川町・朝倉村、周桑郡小松町・丹原町に隣接。燧灘と石鎚山系に挟まれ、瀬戸内海に面している事から海運・造船業が、さらに昭和期に埋立造成された海浜工業団地を中心に製造業が発達。市域の多賀地区には日露戦争において、日本軍として戦った「喜左衛門狸」の伝説が残されています。また、東予郷土館では絶滅危惧種の「カブトガニ」が飼育されており、可愛い関連商品も販売されています。「市の木:クスノキ」「市の花:ツツジ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、桑村郡三芳村・楠河村・庄内村・吉岡村・国安村・壬生川村が発足。周敷(すふ)郡多賀村・吉井村・周布村

1897年、郡制の施行により、周敷郡・桑村郡の区域をもって周桑(しゅうそう)郡が発足。

1901年、壬生川村が町制を施行、周桑郡壬生川町(第一次)が発足。

1940年、周桑郡壬壬生川町が多賀村を編入。

1955年、壬生川町、吉井村、周布村、国安村、吉岡村が合併、周桑郡壬生川町(第二次)が発足。

1955年、三芳村、楠河村、庄内村が合併、周桑郡三芳町が発足。

1971年、壬生川町と三芳町が合併、周桑郡東予町が発足。

1972年、周桑郡東予町が市制を施行、東予市が発足。

2004年、西条市、周桑郡丹原町、小松町と合併、(新)西条市となりました。

マンホールのデザインは丹原町と同じで、自治体章のみが東予市です。これは東予市と丹原町が共同下水の為で、デザインも「東予市の花:ツツジ」と「丹原の花:桜」が描かれています。

昭和47年9月22日制定の市章は「カタカナの「トーヨ」を円形に図案化したものです。」

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旧周桑郡丹原町(たんばらちょう)は愛媛県の東予地方に位置した町です。東予市、周桑郡小松町、上浮穴郡面河村、温泉郡重信町・川内町、越智郡玉川町に隣接。「丹原」の名は、江戸時代に整備された土地が、赤く砂礫の原野であった事に由来。道前平野の中央よりやや南西にあり、西に平野がゆるやかに傾斜して山麓に達する高縄半島、南に四国山地の一角を占めており、東部、北部は田園地帯と山麓の傾斜地は、農業地帯として知られています。「町の木:柿」「町の花:サクラ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、周敷(すふ)郡福岡村・田野村・中川村、桑村郡徳田村が発足。

1897年、郡制の施行により、周敷郡・桑村郡の区域をもって周桑(しゅうそう)郡が発足。

1913年、福岡村が町制を施行・改称し周桑郡丹原町が発足。

1955年、丹原町、徳田村が合併、周桑郡丹原町が発足。

1956年、丹原町、田野村、中川村が合併、周桑郡丹原町が発足。

2004年、西条市、東予市、周桑郡小松町と合併、(新)西条市となりました。

マンホールのデザインは東予市と同じもので、自治体章のみが丹原町です。これは丹原町と東予市が共同下水の為で、デザインも「丹原の花:桜」と、「東予市の花:ツツジ」が描かれています。

昭和49年4月1日制定の町章は「丹原の「た」を、特産の「あたご柿」と重ねて図案化したものです。」

「伊予の青の洞門」安永9年(1780)、時の来見村の庄屋、越智喜三左衛門が私財を投じ、自身ものみを振るい岩を削り、9ヶ年の歳月をかけ寛政元年(1789)に完成させたと伝えられる「劈厳透水(へきがんとうすい)」。長さ12間(21.6m)の井堰と20間(36m)の隧道及び98間(172.8m)の岩石掘割水路を後世に伝えるべく建立された「劈巌透水之碑」。丹原町来見にある二基の碑、訪ねたかった。

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旧周桑郡小松町(こまつちょう)は愛媛県の東予地方、道前平野(周桑平野)の南東部に位置した町です。西条市、東予市、周桑郡丹原町、上浮穴郡久万高原町に隣接。町域は中山川右岸一帯と石鎚山麓からなり、大半は石鎚山系の山々で平地は北部、小規模河川による扇状地や緩傾斜地の中山川右岸に限られます。町の名は、古く「塚村」と称しましたが、小松藩成立時に陣屋をおいた地を「小松」と改め、小松原を開墾したことに由来します。小松町新屋敷乙にある「石鎚山サービスエリア」は、石鎚山脈の山々が連なる風景を望めるスポットとして知られています。「町の木:松」「町の花:ツバキ」を制定。

【山石鎚 海瀬戸内や 秋晴るゝ】渡部抱朴子

明治22年(1889)、町村制の施行により、周敷郡小松村・千足山村が発足。

1897年、郡制の施行により、周敷郡・桑村郡の区域をもって周桑(しゅうそう)郡が発足。

1898年、小松村が町制を施行、周桑郡小松町が発足。

1951年、千足山村が改称、周桑郡石鎚村となる。

1955年、小松町、石根村、石鎚村と合併、周桑郡小松町が発足。

2004年、西条市、東予市、周桑郡丹原町と合併、(新)西条市となりました。

旧小松町のデザインマンホールは発見できず、上水道関連の蓋が幾つかありました。

昭和33年(1958)6月14日制定の町章は「全体の形で「小」の一字とし、三町村の合併を三角と弧によって表し、中央の三角は、国定公園四国最高峰の石鎚山を象徴させています。」合併協議会資料より

役ノ行者の開山とされる石鎚山の天狗岳。この山には「石鎚山法起坊」という天狗が住んでいると言い伝えられているそうですよ。

撮影日:2011年6月14日


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