高梁市成羽町、標高550Mの山嶺にある小さな集落「吹屋」。吹屋とは、金属を精錬・鋳造する職業や職人、およびその細工場の呼称。成羽町の吹屋地区は、江戸時代から戦前にかけ日本三大銅山の町として、また江戸末期からは「ベンガラ(酸化第二鉄)」の日本唯一の産地として繁栄してきました。
旧街道沿いには、赤銅色の石州瓦に、朱のベンガラ漆喰壁の商家や町屋が立ち並び、1977年、岡山県下初の「国の重要伝統的建造物群保存地区」として選定。さらに2020年6月19日に「『ジャパンレッド』発祥の地~弁柄と銅の町・備中吹屋~」として日本遺産の認定を受けました。
高梁市観光ガイドに曰く「赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で統一された、見事な町並みが整然と続く吹屋の町並み。吹屋の特異な点は、個々の屋敷が豪華さを纏うのではなく、旦那衆が相談の上で石州から宮大工の棟梁たちを招いて、町全体が統一されたコンセプトの下に建てられたという当時としては驚くべき先進的な思想にあります。これこそが吹屋の長者達が後世に残した最大の文化遺産です。」
と言う事で、最初の建物は、二百年余りに渡って弁柄の製造・販売を手がけた老舗「旧片山家住宅」。家屋は弁柄屋としての店構えを残す主屋と、弁柄製造にかかわる付属屋が立ち並び、「近世弁柄商家の典型」と高く評価され、2006年12月、国重要文化財に指定されました。
立ち並ぶ付属屋の中でさらに目を引く三階建ての弁柄蔵。そこに施された菱形文様のナマコ壁は、当時の富の象徴であったとも言われています。
片山家の向かい、切妻型・妻入形式が一際目を引く建物は「長尾屋・総本家:長尾家」。吹屋でもっとも古い建物の一つで、18世紀末のものとされています。江戸期には鉄・油等の問屋で酒造業も営む「弁柄釜元」の一つで、現在の建物は幕末から明治・大正に増改築されたものです。
道路に面した長屋門の前に「吹屋ふるさと村:初代村長『長尾隆氏』歌碑。【さびれゆく 街も翁の願いにて 槌音高く 生きてかえりおり】
妻入、入母屋造に石州本焼瓦葺の建物は「吹屋ふるさと村郷土館」。ベンガラ窯元片山浅次郎家の総支配人『片山嘉吉(当時吹屋戸長)』が分家し、本家の材木倉より良材を運び、石州の宮大工『島田網吉』によって明治12年(1879)に完成。
珍しい鼠色の漆喰壁に虫籠窓のお屋敷は「叶屋:仲田家」。玄関前には「旧天領吹屋村:庄屋 中田要助 彦助邸」の石柱が立てられています。
創業文政9年(1826)という「長尾醤油店」。弁柄色の暖簾が掛かる店先で二人がもの珍し気に見ているのは「吹屋しょうゆ」の徳利が吊るされたオブジェ。
じっくりと寝かせて醸造した醤油はとてもコクがあり、お刺身はもちろん、冷奴にも最適。まさに日本の味。
明治に入って五軒あった弁柄屋の中の一軒「東長尾屋:東長尾家」明治中期ごろの建築で平入形式。店の間の表側に張り付けてある半蔀戸格子は、地区内ではここだけだそうです。
元々、こんな様式の建物だったのか、それとも新たに景観に配慮して建築されたのか、いずれにしてもしっくりと町並みに溶け込んだ郵便局。こうした努力が多くの観光客をひきつける要因なのだろうと思います。
弁柄釜元の一軒「中野屋:中山家」。1700年代末ごろの建築のようで切妻型の妻入り形式。入り口右側の塗込の物入れと戸袋は吹屋でただ一つ。破風の塗込も特徴ある塗り方となっています。
ここから吹屋小学校へと向かったのですが、それは明日のブログで紹介する事にして、次の建物は「高梁市消防団成羽 吹屋分団第一部消防器庫」。看板が無ければ絶対に普通の家だと思ってしまうほど、町並みに溶け込んでいます。
べんがら色の壁が美しい建物は「旧那須家(旧水野旅館)」江戸末期の建物で平入形式。屋号は松乃屋と称し三菱時代の吉岡鉱山に深く関わってたとか。先住は昭和初期から親子三代に渡って旅館を営み繫栄したと云います。
真夏の日差しの下で見る、石州とベンガラが織り成す朱の世界。歩いても歩いても見つくしたと思えない町並みの中に佇んでいると、自分の周りの世界がすべて朱に染まったような錯覚を覚えます。それはこの上なく妖しく幻想的な世界。
「吹屋銅山発祥の地」と言われる下谷地区。横溝正史原作の「八墓村」のロケ地となった「広兼邸」・・・見たい場所をいくつも残したまま、吹屋の旅は、終了しました。
訪問日:2012年8月8日
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