気が付けば何度も行ったり来たりの玉川沿い、それでも見飽きないのが何ともすごい(笑)
心地よい水音を感じながら歩いていくと、何ともモダンな寺院に行き当たりました。これでもれっきとした浄土宗のお寺だそうで、豪商『淀屋清兵衛』歴代の墓もあるそうです。
「大蓮寺」の画像は寺紋に向かい合う一対の白蛇しか無いのですが(笑)、かわりに入口近くにあった「弁天堂」。目的は、池の中で陽気に尾びれを上げている石州瓦の鯱(しゃちほこ)さん。
多分何処かの屋根においでだったんでしょうが、どのような経緯で地上の池に降ろされたのか・・・でもその顔を見てると満更でもなさそう(笑)
そうそう、「弁天堂」の向かいのお宅の褄壁に素敵な鏝絵を発見!!。ルネッサンス風の美しいデザインは、明治大正時代の洋風建築に、たまに見かける事があります。
洋風建築と言えば、昭和六年に建てられた「旧日本産業貯蓄銀行倉吉支店」。倉吉初の鉄筋コンクリート造の建物は、草木染のお店「ぎゃらりぃ和」として活用されています。
破風中央の「星」のマークは銀行章? それを包み込むように蔦の束。
明るく開放的なこの一角は、2003年に火災で焼失した建物の跡地に作られた「くら用心」。現在は地域の防災センターとして機能しており、この庭を抜けると再び玉川に出る事ができます。
町歩きの締めくくりは「倉吉ふるさと工芸館」。
「絵をそのまま織り込んだ様な複雑な模様が美しい倉吉絣。約200年前『稲嶋大助』が花鳥山水の絵絣を織り、普及させたものです。明治時代、諸外国の万国博覧会で受賞するなど名声を博しました。現在、倉吉絣保存会が倉吉絣の伝統を受け継ぎ、倉吉ふるさと工芸館にて、自作の着尺、暖簾から鞄、財布、テーブルセンターまで展示販売しており、機織りの実演も見学できます。」公式サイトより
町歩きの時々に見かけた「打吹天女伝説」。湯梨浜の羽衣石でも羽衣伝説があり、そこでも最後に子供たちが鉦や太鼓を打ち鳴らした山として「打吹山」が出てきます。大方の設定は似たようなもので、ここでは羽衣を隠すのは倉吉に住む若い樵。近くの湧き水で水浴びをしていた天女の羽衣を見つけ、天女の頼みを無視して家に持ちります。仕方なくきこりの妻になった天女は、やがて二人の子供の母に。ある時、母親から、父親が何か隠していないかと聞かれた子供たちは、屋根裏から箱を見つけ出して母に渡します。母親は箱の中の羽衣をまとうと、もう子供たちの事もすっかり忘れて、井戸の傍の夕顔のつるを伝って空に舞い上がりました。
子供たちは泣きながら母の後を追いかけ、山の上で母の好きだった鼓を打ち、笛を吹き鳴らして母を呼び求めました。けれど優しかった筈の母は一度も振り返る事なく彼方に消え去ってしまいました。子供たちが打ち鳴らす音は何時までも鳴りやむことがなく、その時から人々はこの山を『打吹山』と呼ぶようになったと云います。
泣き叫ぶ我が子の存在も眼中に無く、一切の情愛を持たない天女。実は天女には親子という観念が無いのかもしれません。羽衣を無くした時点で天女は人間と同じになり、夫婦として、人の親として存在します。が、ひとたび天女に戻ってしまうと、人間界のすべては霧の如く消え去ってしまうのです。天女にとって人間界で過ごした時間は、おそらく瞬きの一瞬よりも短い時間だったのでしょう。三保の松原、峰山の天女、余呉の天女・・幾つかの伝説の地を巡って出てきた私なりの答えです。
訪問日:2012年4月19日
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