旧郡上郡大和町(やまとちょう)は岐阜県の北部、福井県との県境に位置した町です。郡上郡白鳥町、明宝村、八幡町、武儀郡板取村に。さらに県を跨いで福井県大野郡和泉村に隣接。町を南北に長良川が流れ、東海北陸自動車道:ぎふ大和インターチェンジを、さらに長良川鉄道・越美南線の五つの駅を擁し、国道165号線が町域を走り交通に便利な町です。
十一代・320年余りにわたってこの地を治めた東氏。特に初代・胤行は鎌倉幕府の御家人で和歌に優れ、藤原定家の子・為家から歌道を学ぶと共にその娘を妻とし、中央歌壇にも広くその名を知られました。代々歌道に優れていた東氏は、以後も高名な歌人を輩出。その一人『東常縁』は「古今集」の研究の第一人者として知られ、都より訪ねてきた連歌師・宗祇にその奥儀を伝授したことでもよく知られ、「古今伝授」の祖といわれています。「町の木:ヒノキ」「町の花:ヤマツツジ」を制定。
旧キャッチフレーズは「古今伝授の里 大和町」
明治22年(1889)、町村制の施行により郡上郡名皿部(なさらべ)村・有坂村・島村・落部(おちべ)村・小間見村・剣村・大間見村・万場村・徳永村・河辺村・神路村・牧村・古道村・栗巣村が発足。
1897年、名皿部村、有坂村、島村、落部村が合併、郡上郡西川村となる。
小間見村、剣村、大間見村、万場村が合併、郡上郡弥富村となる。
徳永村、河辺村、神路村、牧村、古道村、栗巣村が合併、郡上郡山田村となる。
1955年、西川村、弥富村、山田村が合併、郡上郡大和村が発足。
1956年、大間見稗洞地区が白鳥町に編入。
1960年、大間見地区の一部が白鳥町に編入。
1985年、大和村が町制を施行、郡上郡大和町となる。
2004年、八幡町、白鳥町、高鷲村、美並村、明宝村、和良村と合併、郡上市大和町となりました。
マンホールには町章を中心に、「町の花:ヤマツツジ」「古今伝授の里」の文字がデザインされています。(大和町中央浄化センターにて撮影)
昭和40年()4月1日制定の町章は「大和町の大の字を図案化したもので、「がん」と組んで安定し、発展する大和町を象徴するものです。」合併協議会資料より
撮影日:2018年10月12日
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マンホールカード、頂きました。
2019年8月7日、第10弾として全国61自治体で61種類(累計455自治体539種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「郡上市B」のマンホールカードは、「古今伝授の里やまと」でいただけます。
1993年に設置開始されたマンホールには「町の花:ヤマツツジ」と「古今伝授の里」がデザインされています。
「色鮮やかな「やまつつじ」の中に、「古今伝授の里」の文字を合わせたデザイン蓋です。 「古今伝授」とは、古今和歌集の解釈などを秘伝として師から弟子へ伝授することで、 室町時代に東常縁が連歌師宗祇(カードの漢字は(ネ))に伝えたのが始まりとされています。 郡上大和は、その東氏が320年間にわたり拠点として栄えた地域で、その名残を随所に留めています。 こうした縁を背景に、郡上大和は「古今伝授の里」として、日本人が培ってきた自然観や美意識、人々の営みの美しさを大切にしながら歩んでいます。 豊かな自然、歌の心、和歌の歴史と文化を未来永劫に語り伝えようとマンホール蓋に想いを込めました。」
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