車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

八剱(やつるぎ)八幡神社 in 千葉県木更津市

2019年04月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

木更津市富士見に鎮座される「八剱(やつるぎ)八幡神社」。木更津の総鎮守とされます。 こちらのお社、実は五年前にも参拝しており、今回が二度目。

御祭神は『誉田別命・息長足姫命・足仲彦命(日本武尊の第2子)』、相殿に『素盞鳴命・日本武尊』

社伝に【往昔このあたり一帯の地を八剱の里と呼び、この里の神を八剱の神と称え、この神に仕えるはふりを八剱と申した。『源頼朝』鎌倉幕府開幕に当たり、神領を寄進して社殿を造営する。】

明るい日差しの中でみる社殿は、五年前の初夏の下で見たものとは全く別物の趣。 訪れる人たちの表情も陽気で明るく、神社参拝を心から楽しんでいるように見えました。

拝殿前より神域を守護されるのは、文政8年(1825)6月吉日建立の柔和な顔立ちの狛犬さん一対。『石工:安田金兵衛・石渡源右ェ門』と連名なのは、共同制作?台座担当?・・

阿吽共に口を開いていますが、アップで見ると阿形さんの方が大きめに開いているのが分かります。

社殿の向かって右隣に立つのは、嘉永三年(1850)創建の大神輿(150t)が安置される神輿殿。 一応、扉はガラス張りなので中を垣間見る事はできますが、限られた空間から見えるのはごく一部。

試しにデジカメを押し当ててみましたが、見たことの無い人には何が写っているのか???かも😅  でもってこちらの御神輿は、関東三大神輿(深川・富岡八幡宮、浅草・鳥越神社)の一つに数えられているそうです。

神輿殿と社殿の近くには、『源頼朝』手植えと伝わる「大蘇鉄(そてつ)」。 大正十五年(1926)に、当時の木更津銀行頭取 露崎銀平が、森家から譲り受け奉納されたものと説明にありました。 頼朝は、森家で兵馬の疲れを癒し、北上する際に御礼として蘇鉄を植えたといわれています。

裏参道近くには大正十四年(1925)に、日露戦争の戦病没者を祀るために建立された「表忠碑」。 元帥陸軍大将『川村景明』の筆によるもので、手前には「阿夫利大神・水神」の碑。

「水神宮」が祀られる「神池」は大蘇鉄の近くにあり、すぐ側に神水を頂ける場所もありました。 5年前の参拝時、手持ちのペットボトルにお水を頂いて帰りましたが・・懐かしいですね。

こちらの絵馬は、明治初期に奉納された指定文化財の「五大力船絵馬」を模したもの。 「五大力船」は江戸~木更津間を往復した「木更津船」の別称で、通称「ごぜき」と呼ばれていました。
実際の絵馬を見ることはできませんが、荒波に神の加護を受けて進む姿が印象的です。

>絵馬と言えば、実はもう一種類、かなり毛色の変わった絵馬があるのですが、それはまた明日の記事のラストで紹介します。

参拝日:2014年5月26日&2019年3月5日

 

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