木更津市富士見にある「護念山 證誠寺(しょうじょうじ)」。木更津市唯一の浄土真宗本願寺派(お西)の寺院です。
【江戸時代の初期(17世紀中ごろ)證誠寺は誕生しました。当時のこの付近は「鈴ヶ森」と言って、杉や松や桧が生い茂ってその周りを竹薮で囲まれた昼間でも暗く薄気味悪いところでした。初代住職(了念法師)の父親は、鎌倉で狩野派の絵師をしていたらしく、住職はその次男で、医者になった三男と共に陸路、江戸を経て鎌倉から木更津に渡ってきて住み着いたそうです。】證誠寺HPより
「證誠寺」と言えば、意外と広い世代に知られている「証城寺の狸ばやし」。 軽快なメロディで歌う【しょっしょ、しょしょじ、しょしょじの庭は~】・・と、つい口ずさんでしまう私😅
境内の「童謡記念碑」には懐かしい、【しょっしょ、しょしょじ♪~】の歌詞が刻まれています。
證誠寺の狸伝説がいつ生まれたのか定かではありませんが、かなり昔から伝えられていたようです。 群馬県の「分福茶釜」・愛媛県の「八百八狸物語」と並び、日本三大狸伝説の1つとされているとか。「三大狸伝説」なる言葉に思わず笑ってしまいましたが、でもどれもとても有名な話ですよね。
俳人『松本斗吟(とぎん)』は、明治38年(1905)に地元の文芸誌で、證誠寺の狸塚の伝承を紹介しています。 その斗吟の句碑ですが、狸とは全く無縁の内容・・・ 【朝蝉の 鳴いている也 爽やかに】
大正8年に木更津に訪れた『野口雨情』は、世話役からこの伝説を聞き、童謡「証城寺の狸ばやし」を発表。 ただし伝説は「秋の夜に和尚と何十匹もの狸が寺の庭で囃子合戦をした挙句、夜が明けたら腹鼓で調子を取っていた大狸が腹を破いて死んでいた」という、何とも悲惨な結末なのです。
境内の奥まった一角には「狸」と刻まれた「狸塚」があり、付近はきれいに掃除が行き届いています。 実際にここに狸が埋葬されているかどうかは分かりませんが、それでもやはり手を合わせてしまいます。
「筆子塚(ふでこづか)」は、寺子屋の師であった了因法師を偲んで建立。 寺子屋で学ぶ弟子たちは「筆子」と呼ばれており、その筆子によって文政年間に建立されました。
何代目かの上人が手植えされたと言う木もありましたが、どの木がそうなのかよく分かりません。 信心深いとはお世辞にも云いがたい私たち、取敢えず見たいと思っていたものは見る事ができました😓
もう一度木更津に来ることが出来たならと思って、願い通りに参拝できた「證誠寺」、意外とあっさり終了。
はてさて、親鸞聖人はこの狸伝説をどのようにご覧になったのか、興味あるところです😊
参拝日:2019年3月5日
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