車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

関ヶ原古戦場跡 in 岐阜県関ヶ原町

2019年12月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

戦国時代を終焉させ、その後の300年近くに及ぶ徳川幕府の時代を決定づけた「関ヶ原の戦い」。日本史上最大級の激戦が繰り広げられた痕跡を伝えるものは、三成・家康の旗印に囲まれた「史跡:関ヶ原古戦場」の碑のみ。

史跡:関ヶ原古戦場の北西に位置する小さな山、そこが西軍:『石田三成』が陣を布いた笹尾山。その山頂には「石田三成陣跡」の石碑も置かれているそうですが、流石にこの頼りない足では無理そう😔。

笹尾山の麓には、敵からの攻撃を防ぐために設置された馬防柵が、幾重にも復元されていました。馬防柵の向こうに広がる関ヶ原の風景はおだやかで、そこが激戦地であったことが嘘のよう。まさに、兵(つわもの)どもの夢の跡

地の利を占め、一時は優勢であった三成率いる西軍が、決戦から数時間で大敗を喫した戦い。諸説ある中の一つかもしれませんが、その原因となったのが、『小早川秀秋』の裏切に呼応した『脇坂安治』ら四将の裏切りでした。
西軍に組しながら、西軍と東軍の最も重要な局面を迎えてからの『小早川秀秋』の裏切・・ファンの人にはあらかじめ「ごめんなさい」という事で、今でも心情的に彼の事が嫌いです😅

下の看板は関ヶ原駅の観光協会前にあった『石田三成』と『徳川家康』。他にも町中が「関ヶ原」一色といっても過言ではないほど、まぁ、町そのものが関ヶ原ですから😅

町役場の近くにある「関ヶ原町歴史民俗資料館」の周囲には、当時の武将たちの旗印が一杯!何しろ、町のあらゆる場所に、名だたる武将の陣跡が史跡として残っているのが関ヶ原町。 日本の戦国史上、これほど有名な戦いは無い・・となれば、観光資源にならない方が不思議。

戦国時代の覇権争いというと歴史マニア向きですが、お子様向けには有名な武将の顔出しもあります😃 ちなみにご亭主殿に顔出しを依頼したら、全く迷いなしで、『石田三成』に直行。

顔出しの後ろに『山口誓子』の句碑【 雪つみて  全白となる 関ヶ原】

「資料館」と道路を挟んだ芝生広場の一隅に、白い鳥居の「御霊神社」が鎮座。関ヶ原の戦いで亡くなった、幾万もの将兵の御霊を祀る為、昭和55年(1980)に建立されました。

訪問日:2018年10月19日


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