旧簸川郡佐田町(さだちょう)は島根県の中部、神戸(かんど)川中流域に位置した町です。町域の大部分は山林で占められており、目田森林公園や飯の原農村公園など、豊かな自然を利用した施設があります。町域には、この地に来て最後の開拓をした『須佐之男命』が、「この国は小さい国だがよい国だ」と言って「須佐」と命名したといわれる地名も残されています。「町の木:赤松」「町の花:山百合」を制定。
明治22年(1889)、町村制の施行により飯石郡須佐村(第1次)、簸川郡窪田村が発足。
1896年、須佐村が分割し、 大字宮内・原田・朝原の区域をもって飯石郡東須佐村が発足。 大字大呂・反辺の区域をもって飯石郡西須佐村が発足。
1953年、東須佐村・西須佐村が合併、飯石郡須佐村(第2次)が発足。
1956年、簸川郡窪田村と飯石郡須佐村が合併して簸川郡佐田村が発足。
1969年、佐田村が町制を施行、簸川郡佐田町となる。
2005年、旧出雲市・平田市・簸川郡大社町・湖陵町・多伎町と合併、出雲市佐田町となりました。
マンホールには、「町の花:ヤマユリ」と「町の木:赤松」、下に町章がデザインされています。(須佐神社近くに設置)
佐田支所前を流れる「神戸川:佐田大橋」には、鮮やかな「町の花:ヤマユリ」のレリーフ。
昭和31年12月21日制定の町章は「「サ」を象徴したもので、佐田村章として制定、そのまま町章として継承された。」
昭和50年に町の青年団が中心となり、一時期途絶えていた出雲歌舞伎を復活、「出雲歌舞伎むらくも座」として活躍しています。
昭和57年(1982)に発足した「さだ須佐太鼓」。能面を付けて太鼓を打つ、独特の演出が人気です。
「須佐神社」参道にあった「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」十二支の方位版。
撮影日:2011年5月16日
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