車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

賣布(めふ)神社~其の一 in 島根県松江市和多見町

2018年07月04日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

松江市和多見町に鎮座される「式内社:賣布(めふ)神社」。主祭神は『速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)』。相殿に『五十猛命(いそたけるのみこと)・大屋津姫命(おおやつひめのみこと)・抓津姫命(つまつひめのみこと)』を配祀。

由緒に【「出雲国風土記」に「賣布社(めふのやしろ)」、「延喜式」に「賣布神社(めふのかみやしろ)」として見える。元は意宇(おう)の入海(宍道湖)西岸に鎮座していたといわれ、潮流や地形変動に伴い東へ遷座を重ね、13世紀頃に現在地で祀られるようになった。白潟大明神・橋姫大明神と称した時期もある。】とあります。

鳥居のうち、玉垣内より神域を守護されるのは、神殿狛犬系の石造狛犬さん一対。 顔の両サイドから下がったものが耳なのか、それともお下げなのか(笑)判断に迷う。

境内は隅々まで綺麗に掃き清められており、関係者の方々の崇敬の篤さが感じられ、気持ちがピンと張り詰めてゆく感覚。 神社とはまさに神の社、その地に神が留まることを願って建立されたのだと、改めて思います。

参拝後に見上げた拝殿の「挙鼻(あげはな)」、そこに施された龍と麒麟の彫刻に思わず釘付け。 作者は、松江藩の菩提寺「月照寺」の意匠も手がけた『小林如泥(じょでい)』

木鼻に施された阿吽の龍の彫刻。作者は松江藩において稀代の名工と言われた『荒川亀斎』

木鼻の彫刻でもう一箇所、とても印象に残ったお気に入りの一組が「境内社:船霊神社」。御祭神は『住吉三神(表筒男命・中筒男命・底筒男命)』

木鼻に阿吽の獅子が彫刻されるのは決して珍しくなく、中には名工の獅子なども残されており注目すべき彫刻なのです。で、私が気に入った獅子の表情ですが、まるで人の顔のように見えて・・・獣人というとそうじゃない。人と獅子との間・・・聖なる獣の様相にしばらく目が離せませんでした。

境内には凝った細工の石灯籠や、驚くほど大きな石灯籠が奉納されています。それらを全部紹介するにはまだまだ他にも沢山の境内社やその神域を守護される狛犬さんがいるので多分無理(笑)

と言う事で、恒例の続きは明日(^^;)

参拝日:2011年5月18日

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御神名一口メモ

『速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)』、穢(けがれ)をはらう神。水戸(みなと)の神。

『五十猛命(いそたけるのみこと)・大屋津姫命(おおやつひめのみこと)・抓津姫命(つまつひめのみこと)』、建速須佐之男命と櫛名田比売命の御子。 木の神。樹木の種子をもって天くだり、国中に種子をまいて樹木を茂らせた兄妹神。

 

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許曾志(こそし)神社~其の二 in 島根県松江市

2018年07月03日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

「許曾志神社」参道石段。昨日の続きから・・目の前に、大注連縄が掛けられた入母屋造りの拝殿が見えてきました。

たま~~~にですが、どうしても無理だと判断したとき、鳥居の内とか石段の下から参拝をすることも有ります。その時の何となく後ろめたい居心地の悪さと違い、拝殿の前に立って参拝するのは気持ちがよいものです。

鈴を鳴らそうと見上げた拝殿額は「白髭神社」。御祭神である『猿田彦命』は導きの神であり、『白鬚明神』とも称されます。江戸時代までは社名も「白髭大明神」と称し、文政7年(1824)に「許曽志神社」と改称されました。

拝殿の近くの建物は「楽殿」と呼ばれるもの、祭礼の際などに神楽の奉納などがあるのかも知れません。

石段途中、狛鶏の先には『猿田彦命』の「神使」「親子狛猿」が奉納されています。愛おしそうに子猿を抱いているのは母猿? では徳利と盃を抱え込んでいるのは・・・もう、男って!!!(笑)

拝殿前より神域を守護されるのは、先の神猿より古そうな来待石の阿吽の狛猿さん一対。片手に葡萄の房を持ち、片手に子猿を握る阿形さん。肩に小猿をのせて片手に柿の実を持つ吽形さん。仲良く育児分担されています(笑)

すでに守護の役目を終わられた神猿さんたち。ところで、何故「猿」が『猿田彦命』の神使いなのかですが、『猿田彦命』は道祖神であり、いわゆる庚申信仰における『庚申様』とされる場合があります。庚申と言えば三猿(見猿・言わ猿・聞か猿)の彫刻が施された庚申塚などが、なじみの深いもの。とりあえずは(笑)、そうした古事により「猿」は『猿田彦命』の「神使」として認知されたようです。

「境内社:火除神社」「境内社:飯生(いいなり)神社」祀られる御祭神は不明。

 

「境内社:熊野神社」

鎮守の杜にすっくと立つ「招魂(おがたま)の木」は、昭和天皇即位60年を記念して植樹されました。天岩戸の前で、招魂木を杖に見立てて舞う『天鈿女命』。その姿は佐陀神社の「佐陀神能」「きりめ」の項に出てくるそうです。

深い緑に包まれた境内はとても静かで穏やか、深く吸い込んだ息が肺を満たしていくのがわかります。石段の片隅にいた先代の狛犬さんたちに見送られて・・・

参拝日:2011年5月19日

 

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許曾志(こそし)神社~其の一 in 島根県松江市

2018年07月02日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

松江市古曽志町松尾に鎮座される「許曾志(こそし)神社」。御祭神は『猿田彦命・天宇受賣命』

【創祀年代は不詳ですが出雲國風土記及び延喜式に記された古社で、祭神は当地方開発の祖神であると共に、農耕、延命長寿、結婚、安産 交通安全の守護神として尊崇されている。往古は現鎮座地の南、元宮の記念碑建立地周辺が社地であったが、貞享元年(1684)に現地へ奉遷した。】

長い参道の途中より神域を守護されるのは、大きな目が特徴の出雲丹後の狛犬さん一対。  

写真の悪戯(笑)。阿形さんの顔は絶対に何か悪戯をたくらんでます(笑) それを見ている吽形さん、悪戯の内容を知ってる癖に、さも興味ありげな顔をしてみせます。

 

狛犬さんに激励される気分で、目の前にそびえる石段の参道を一歩、一歩・・・・ 昔の人は色んな願いを胸に収めてこの石段を登ったのだろうけど、体の不自由な人はどうだったんだろう。

たまに健脚者でもありえない様な急峻な石段参道とか見ると、真剣に疑問に思ってしまうのです。 足が痛み出すと思考はどんどんマイナスの方向に傾いていくのですが、これも不信心ゆえ(^^;) 反省と共に、凝った自然石の手水鉢に改めて奉納者の崇敬を心に刻み込みます。

手水舎後方より神域を守護されるのは、少し小さめの出雲狛犬さん一対。体は小さめですが、阿形さんの顔つきはかなり強面(^^;) いきなり出くわしたら叫ぶかもしれません。

石段は更に境内に向かって上に伸び、その先に随身門。左右には神獣らしき姿も見えます。

神獣は「神使(つかわしめ)」とも呼び、鶏は御祭神である『天宇受賣命』の「神使」とされます。『天照大神』を岩戸から出す為、一計を案じた神々は沢山の「常世(とこよ)の長鳴鳥」を集めてきました。そうして『天宇受賣』の踊りが始まる合図として、集めた鳥たちを一斉に鳴かせたたのです。 以来「常世の長鳴鳥」は『天宇受賣』の「神使」となりました。

随身門を潜った先に境内へと続く石段、その先に拝殿が見えてきました。あと一頑張り (^^;)

隋神門の先、拝殿下の石段左右より神域を守護される親子狛鶏さん一対。

こうしてみると、鶏さんの場合は阿吽の別が無いんですね。左右どちらも立派なトサカをお持ちです。

拝殿が見えて来た所で・・続きは明日

参拝日:2011年5月19日

 

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須衛都久(すえつぐ)神社 in 島根県松江市西茶町

2018年07月01日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

松江市西茶町に鎮座される「須衛都久(すえつぐ)神社」。御祭神は『伊弉冉尊・素戔嗚尊』 。国道沿いの大手町通りに面した一段下に鎮座地があり、車での参拝は、慣れない我々にはかなりの難行。

【創建は不詳だが、出雲風土記所載にはこの辺りを権現灘といい「須衛都久神社」は「権現さん」と称えられていた。古くは築城の際、船や筏で運んだ石材を陸揚げしたと伝え、また水上からの参拝や郊外からの野菜等の行商の人達の船着き場として賑わったところでもある。現在は埋め立てられ、同神社境内の灯台のような高石燈籠や、宍道湖に向かった大鳥居が往時をしのばせている。】( 境内案内より )

鳥居の前左右より神域を守護されるのは、昭和11年(1936)5月吉祥日建立の出雲構えの狛犬さん一対。 狛犬さんに向かい合う背中の辺りを車が次々と行きかうので、大丈夫と思いながらも脇の下には冷や汗が(^^;)

拝殿

迫力満点の拝殿彫刻は龍虎

本殿の左後方に鎮座される「境内社:住吉神社」。御祭神は『筒男之尊・神功皇后・武内宿祢命』。拝殿同様、社殿の後ろには深い鎮守の森・・・ではなく、高層のビルが立ち並んでいます。

「住吉神社」の神域を守護されるのは、黒目がちの瞳が特徴の、出雲丹後の狛犬さん一対。親狛の腹にしっかりと手をかけて、生意気そうに振り向く子狛も親譲りの大きな目。

真ん丸に見開いた眼が見るのはどんな景色だろうね。

同じく「住吉神社」の神域を守護される出雲丹後の狛犬さん一対。阿形さんの顔は剥離し、子狛も同様に顔の剥離が酷く表情は不明。なのに添えられた手ははっきりと見えます。

『事代主』を御祭神とする「恵美須神社」「番匠祖神社」の御祭神は不明。番匠とはいわゆる大工の事を指すので、その祖とされる神様が祀られているのかもしれません。

二つのお社の神域を守護されるのは、出雲丹後の狛犬さん一対。やはりここでも無傷と言うわけには行かないようです。

「紺姫神社」の紺姫が、単に何かの符号なのか、それとも文字通り姫君の名前なのか不明。まぁ日本の国には八百万;の神様がおいでなので、どのようなお名前があっても不思議ではありません。

神域を守護されるのは、一の鳥居にいた狛犬さんと同じ、昭和11年建立の出雲丹後の狛犬さん一対。 ここでも阿形さんは子狛を胸前に抱き、子狛はしっかりと親の体に手を置いて振り返ります。

鳥居がなければ、この奥に境内社があるなんておそらく気がつかずに通り過ぎてしまいそうな・・ 『素盞嗚命』を御祭神とする「素盞嗚神社」。神社と言うより祠と言ったほうが似合いそうです。

鳥居の両脇から神域を守護されるのは出雲構え型の狛犬さんですが、ここでは吽形さんのみにしました。 阿形さんももちろんいたのですが、あまりにも崩落が酷く、見ている側が心苦しくなったので・・。
もう一方の出雲丹後型の狛犬さんは、ひっそりと隠れるように鳥居の近くに置かれていました。どの狛犬さんも素晴らしい出来なのですが、時の流れは本当に容赦なく、元の土塊へと導き続けています。

境内に立つ「青柳楼の高石灯篭」

参拝日:2011年5月18日

 

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