車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ふらり村岡城下町 in 兵庫県香美町村岡 

2023年09月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

「江戸時代に城下町として栄えた姿を今も残す村岡。山名氏が陣屋を構えた「御殿山公園」や、川筋の武家屋敷などに今も面影を残す古い街並み。」と・・心惹かれるフレーズに抗しきれず😅、早朝からの町歩き。

冒頭に山名陣屋の案内を紹介しましたが、時間的にあまり余裕のない町歩きなので(余裕があっても)、山登り系は負担が重くてパス😅。主目的は旧但馬國に現存する明治期の郡役所2棟の一つを見る事。

明治27年(1894)に竣工した旧七美郡役所(旧美方郡役所)。木造2階建て、切妻、平入、桟瓦葺、外壁は下見板張り。縦長の上げ下げ窓、バージボードにギリシャ神殿風の玄関ポーチ柱、蛇腹などに当時の洋風建築の要素が取り入れられており、旧出石郡役所と共に兵庫県に残る明治期の貴重な郡役所の一つ。昭和62年(1987)に現在地に移築復元され、現在は「村岡民俗資料館まほろば」として利用されています。

二階展示コーナーには、兵庫県指定文化財文堂古墳出土の「金銅装頭椎太刀」をはじめとする41点、及び町内で採集された縄文土器などが展示されているそうですが、目的はこの美しい疑洋風建築の建物だけなので😅。

慶長6年(1601)、関ヶ原合戦の功によって美方郡六千七百石を拝領した山名豊国。寛永19年(1642)、三代目:矩豊の代に黒野村の尾白山西方に陣屋を移して村岡村と改め、これを中心として城下町を形成。以後、七美郡の政治・経済の中核として繁栄してきました。商店街のアーチには山名氏の「二つ引両紋」がくっきり。

町並みに今も残る風情のある佇まい

 藩公山名氏の総菩提寺、天台宗寺院「東林山:法雲寺」『釈迦牟尼如来』を本尊とする但馬七花寺霊場の一つ。

山門から正面に見える、白壁に「二つ引両紋」の土蔵は山名氏史料館「山名蔵」。山門前には「高松宮殿下行啓之跡」の碑が建立されています

わずか20分足らずの町歩き・・😐 町歩きというのもおこがましい短時間ですが、それなりに記憶に残る景色に出会えました。

訪問日:2014年11月16日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧村岡町(香美町)

2023年09月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧美方郡村岡町(むらおかちょう)は兵庫県の北部、但馬地方に位置した町です。養父市、香住町、竹野町、日高町、浜坂町、美方町、温泉町に隣接。町域の一部が氷ノ山後山那岐山国定公園に含まれており、冬は豪雪地帯として知られ、南部の鉢伏山北麓はハチ北高原として、スキー場で有名です。「町の木:桂」「町の花:ツツジ」「町の鳥:シジュウカラ」を制定。画像は「道の駅:村岡ファームガーデン」入口に建立されていた「モダン但馬牛『安美土井』の像。

「名牛の碑」

1889年、町村制の施行により、七美(しつみ)郡一二分村(いちにぶそん)・兎塚村(うづかそん)・熊次村(くまつぎそん)が発足。

1891年、一二分村が町制を施行・改称して七美郡村岡町となる。

1896年、郡制の施行により、七美郡・二方郡の区域をもって美方郡が発足。兎塚村が熊次村大字大野を編入。

1955年、美方郡村岡町が兎塚村と合併、改めて村岡町が発足。

1961年、美方町大字長板・和田・入江・川合・丸味・原・長瀬・高津・長須・味取・山田・境・柤岡・熊波を編入。

2005年、美方郡美方町・城崎郡香住町と合併、香美町となりました。

マンホールには町章を中心に「但馬牛」「ハチ北高原でのスキー」「矢田川の鮎」「町の花:ツツジ」がデザインされています。

「谷田川:大平橋」親柱の「鮎」のレリーフ

昭和30年4月制定の町章は「村岡町の「ム」「ラ」を組み合わせを図案化し平和と団結、中央鋭角と右に伸びる翼で発展向上を表し、躍進村岡町の姿を象徴したものです。」合併協議会資料より

撮影日:2014年11月16日

浜坂カニ祭りを堪能した私たちは、香美町の旧自治体マンホールを撮影すべく、村岡町まで走り「道の駅:村岡ファームガーデン」で車泊をさせて頂きました。大好物の「美方大納言のきんつば」は私用に(笑)。御亭主殿には、ねぎらいも込めて😅但馬牛の「牛しぐれ煮」を。

車で旅をする私たちにとって、こうした道の駅は本当に有難く大切な場所です。改めてその節には有難うございました🙏🙏。

 

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大乗寺:山門彫刻 in 兵庫県香美町香住

2023年09月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

香美町香住区森にある高野山真言宗寺院「亀居山:大乗寺」『聖観音』を本尊とします。西国薬師四十九霊場第二十八番札所。 江戸中期の画家『円山応挙』やその一門の手による襖絵などを多く所有する事から「応挙寺」の名で親しまれています。

「寺伝によれば、天平17年(745)に行基が自刻の聖観音を本尊として創建したと伝えられる。その後、戦乱を受け寺勢は衰退するが、江戸時代後期・寛政年間に当時の住職、密蔵らにより再興された。」Wikipediaより

応挙寺とも称される「大乗寺」ですが、今回の参拝目的は、応挙の襖絵ではなく県指定文化財の山門。立ち寄り地の付近を検索して、やっと見つけた「中井権次一統」の彫刻😊。

2011年3月、出石の諸杉神社で初めて出会った丹波柏原藩の宮大工『中井権次一統(なかいごんじいっとう)』。かの地では八代目『中井権次橘正胤』でしたが、今回は七代目『中井権次:橘正次』の社殿彫刻。まずは手挟(たばさみ)から。

木の上で遊ぶ一対の猿。葉の感じ、実の尽き方から見ると、どうやら枇杷の木みたいで、こちらには子猿の姿も見えます。

向拝部分の唐獅子、何か細長くて平たい大きな生き物らしきモノを咥えていますが?? はっ!!もしかしてこれが「獅子身中の虫・・な訳が無い」!!😆

こちらは親子獅子でしょうか?親の背中にじゃれついて遊ぶ子獅子の姿の愛らしさは、霊獣も人も変わりません。

後ろ足で首の下を掻く仕草、ネコ科の生き物を飼った人には馴染みのある仕草ではないでしょうか。

寺社彫刻の定番中の定番は、何と言っても木鼻彫刻。こちらでは唐獅子が主役のようで、実に様々な表情の唐獅子たちが阿吽の呼吸で参拝者を迎えてくれます。からかうような笑顔でニュッと首を突き出し、下界を見下ろす獅子。

思い思いの表情を見せる獅子たち、普段は鋭い爪も、鋭い牙もこんな風にそっと隠しているのですが・・ここから筆者の妄想がさく裂😆

何があったのか、嚙み締めた口の端から牙を見せて突然威嚇しはじめた獅子。吊り上げた口元を抑える前足には鋭い爪が・・

なんて、嘘うそ、そんなにびびら無くとも、お前さんたちが何もしなければ、我らとて何もせんよ。

いやいや、すっかり怖がらせてしまったかな~。長い歳月をここで過ごしていると、つい揶揄いたくなってな。ほれ、我のとっときの宝玉を見せてやるから機嫌を直せ。

そうか、そうか。機嫌が直ったか。何?あの宝玉がもっと見たいというのか?、止めておけ、あんなものを長く見ているとお前も人の姿でなくなるぞ。

ひとしきり貫彫刻の獅子で遊んだ後は再び手挟にもどって、こちらは水と戯れる鴛鴦。木造建築の一番の敵は何と言っても火災。水に縁のある生き物を置く事で、火難除けの意味を持たせます。

同じく火難除けの波乗り兎。にこやかな笑みを浮かべて振り返る親ウサギ。目線の向こうには子ウサギが。

遅れまいと必死に追いかける子ウサギ。目元、口元の表情にいろんな思いがこめられています。

こちらは松に鷹で、いわゆる「松鷹図」と呼ばれるもの。常緑の「松」は生命力の象徴、「鷹」は力強さの象徴として表されます。

とは言え、この鷹・・・一体何を見つけたんでしょうね。羽を広げて下界を見下ろす目の鋭さがもうまるで別の世界の生き物みたいで・・😲

本堂の彫刻も捨てがたかったのですが・・客殿の拝観をしない身にはいささか居心地が悪く😅

式台の円山応拳像にご挨拶をし、「大乗寺」を後にしました。

参拝日:2014年11月15日

 

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余部橋りょうと「空の駅」 in 兵庫県香美町香住

2023年09月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

香美町香住区余部、JR西日本の山陰本線鎧駅~ 餘部駅間にある「余部橋梁(あまるべきょうりょう)」。展示された「山陰本線 余部橋りょう」は、かって余部鉄橋の中央部分の現物で、41mの上空にあったものです。

明治45年(1912)3月1日に開通した「初代:余部橋梁」。鋼製トレッスル橋は「余部鉄橋」の通称でも知られ、2010年7月16日夜に運用を終了するまでの98年間、現役で活躍していました。日本海を背景に、満開の桜の中をゆく赤い列車・・まさに絵のような光景です。

昭和34年4月に開設した「餘部駅」の詳細と、その様子を写した当時の白黒写真。右手には「開設記念」碑が建立されています。

クロスに架けられた日の丸をつけて誇らしげに停車する電車。ホーム一杯に、線路の脇に、餘部駅完成を祝い振られる幾十もの日の丸の小旗・・・

わけもなく胸にこみあげる熱い塊の正体が何なのか・・感動と呼ぶにはあまりにも薄っぺらい知識しかない私たちですが、やはり素直に感動としか表現できません。

二代目となる現橋梁は、エクストラドーズドPC橋と呼ばれるもので、2007年3月からの架け替え工事を経て、2010年8月12日に供用が始まりました。

その際、地元からの「餘部駅に余部鉄橋の記念になるものが欲しい」との要望に応えたJR西日本により、元橋脚の一部鋼材を使用したベンチが「余部鉄橋空の駅開設記念碑」と共に設置されています。

近代土木遺産としての価値が高い旧橋梁の橋脚保存については、様々な観点から検討された結果、兵庫県は2009年3月に餘部駅寄りの3本の橋脚・桁を残すパターンを採用。

また余部周辺の観光資源の整備の一環として、道の駅とともに「鉄橋展望台:空の駅」の整備を行い、2013年5月3日にオープンさせました。

高所恐怖症の私が!ありったけの根性を振り絞って!!必死でこの位置まで歩いて来ました(笑)

夕闇がそろそろあたりを包み始める時間帯に加えての生憎の雨ですが、見下ろす日本海の白波は、怖いくらい強烈な印象だったと、これはご亭主殿の感想。何しろ、下を流れる長谷川の河床からレール面までの高さは41.45 mもあるのです・・とても間近まで行くなんて、そんな恐ろしい事(^^;)(^^;)

そうこうしているうちに電車が近づく気配。夕闇が迫り始める時間。雨に濡れたホームに近づく電車の明かりは、わけもなくホッとする安堵感を与えてくれます。

激しさを増す雨に追い立てられるように下界に下りた二人。道の駅が開いているうちに今夜の食材をゲットしなければ。御亭主殿、「鉄橋グッズ」で余韻に浸っている場合じゃないですよ(笑)

明日はお天気だと予報では言ってたけれど、どうだろう? お天気になってくれないと明日の「カニ祭りが~~~~~!!」💦 あっ、また電車が来たみたい。こんなシチュエーションなんて、もう二度とないかも。

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私たちが余部鉄橋の存在を知ったのは昭和61年(1986)12月28日、強風にあおられた回送列車が高さ約40メートルの鉄橋からカニ加工場に転落。 従業員の主婦5人と列車の車掌1人が犠牲となり、6人が重傷を負ったという・・悲惨な事故のニュースからでした。

実際にその橋梁を目の前に・・否、見上げて、事故現場に建立された慰霊碑を見た時、胸が締め付けられるような痛みをおぼえました。私たちにはただ手を合わせ、失われた命に瞑目する事しかできません🙏🙏。

撮影日:2014年11月14日

前後しましたが、この日は明日の「浜坂カニ祭り」に参加する為にこちらの「道の駅:あまるべ」にて車中泊をさせて頂きました。地元特産の美味しいお魚はご亭主殿の夕食のおかずに。おいしそうな柿は自分用とお土産用に😊

車で旅をする者にとってこうした施設は本当に有難く大切な場所です。改めて、その節は本当に有難うございました😊😊。

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧香住町(香美町)

2023年09月16日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧城崎郡香住町(かすみちょう)は兵庫県の北部、但馬地方に位置した町です。竹野町、村岡町、浜坂町に隣接。海と山に囲まれた町の中央部には矢田川が流れ、また日本海に面しているため漁業が大変盛んで、香住港などで水揚げされる松葉ガニ・香住ガニ(ベニズワイガニ)はブランドガニとして珍重されています。「町の木:椎の木」「町の花:サツキ・シャクナゲ」を制定。

1889年、町村制の施行により美含郡香住村・奥佐津村・口佐津村・長井村・余部村が発足。

1896年、郡制の施行により、城崎郡・美含郡・気多郡の区域をもって、改めて城崎郡が発足。

1912年、城崎郡長井村大字久斗山村が美方郡大庭村に編入。

1925年、香住村が町制を施行、城崎郡香住町となる。

1955年、香住町・ 奥佐津村・口佐津村・長井村・余部村が合併、改めて香住町が発足。

2005年、美方郡村岡町・美方町と合併、美方郡香美町となりました。

マンホールには、日本一高い場所にある「余部埼灯台」と「町の花: サツキ」。左上にカニをモチーフにした「香住町観光シンボルマーク」がデザインされています。

昭和34年10月1日制定の町章は「”カスミ”の「カ」の文字を図案化したもので、丸く表示することによって融和を、先端両側の羽は未来に向かって大きく躍進する町の姿を象徴するものである。」合併協議会資料より

撮影日:2014年11月15日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県香美町

2023年09月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

美方郡香美町(かみちょう)は兵庫県の北部に位置し、日本海に面する自然豊かな町です。2005年4月1日、城崎郡香住町、美方郡美方町・村岡町が合併して誕生しました。豊岡市、養父市、新温泉町と、さらに県を跨いで鳥取県若桜町に隣接。兵庫県の町としては一番広い面積を有し、町全域が山陰海岸ジオパークに属する他、町内に山陰海岸国立公園、氷ノ山後山那岐山国定公園の一部を有しています。(山陰海岸国立公園は、京都府の網野海岸から兵庫県但馬御火浦を経て鳥取県の鳥取砂丘までの日本海に面する75km。)

町名は「香住町」の「香」と「美方町」の「美」を合わせた合成地名。「町の木:ブナ・椎」「町の花:桜・ユウスゲ」を制定。

キャッチフレーズは「美しい山・川・海 人が躍動する 交流と共生のまち」

余部地区に設置されていた「旧香住&旧村岡町の花:ツツジ」「旧美方町の鳥:鶯」「旧美方&旧香住の花:シャクナゲ」がデザインされた仕切弁。

2005年7月5日制定の町章は「香美町の「カ」「ミ」を図案化し、自然豊か な山々と町内を南北に流れる矢田川が日本海へ 注ぎ込む風景をデザインしている。 下部の穏やかに曲がった3本の線で住民がい きいきと躍動し、交流、共生する姿をイメージ しており、香美町の掲げる「美しい山・川・海 人が躍動する 交流と共生のまち」を象徴的な 姿で表現している。」公式HPより

合併した新自治体のマンホールは、どうしても新たに設置されるまでに時間がかかります。まれに見つけられても、殆どが上水道関連の蓋です。

香美町マスコットキャラクター『ジオンくん』。ジオパークの見どころ、食べどころをPRするために生まれました。チャームポイントはサイのツノ。町内の楽しい情報、おいしい情報をアンテナ代わりにキャッチします。

2011年3月に香住漁港で水揚げされた『かすみちゃん』『松葉君』。香住はカニの町で9月から翌年5月末までカニ漁があり、香住のカニをPRするため日々がんばっています。

おっとりした性格で、人なつっこい『活イカくん』。イカの活きつくりや、新鮮で美味しい活イカ料理をPRするため活動しています。

顔出しですが・・香美町のローカルヒーロー『香美超戦隊オジレンジャーGEO』『スッポンイエロー&ギュウレッド&チョウザメブルー』、いずれも出身地の香美町小代の特産品に因んでいます。

香美町は、人口に対するゆるキャラ率が高いことから「ゆるキャラ日本一のまち」と呼ばれ、他にも「但馬牛子」「但馬牛太郎」「漁師小僧」などが存在しているようです。これだけマンホール画像が無いと「ご当地マンホール」ではなく「ご当地キャラクター in ・・」が正解かも😅

撮影日:2014年11月15日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧日高町(豊岡市)

2023年09月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧城崎郡日高町(ひだかちょう)は兵庫県の北東部に位置した町です。豊岡市、養父市、竹野町、出石町、村岡町に隣接。奈良、平安時代には、但馬の役所である国府庁や聖武天皇の詔勅による国分寺、国分尼寺が建立され、但馬の中心地として栄えていました。町の東部を円山川が北流し、西部には国民体育大会冬季スキー競技会が開催された神鍋高原があり、西日本屈指のスキー場として知られるようになりました。「町の木:モミジ」「町の花:しゃくなげ・ツツジ」を制定。

豊岡市日高町伊府には、国民栄誉賞を受賞した「植村直己記念館」があり、彼の冒険を支えた装備品などが展示・収蔵されています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、気多郡日高村・国府村・八代村・三方村・西気村が発足。

1894年、西気村大字名色村・十戸村・頃垣村・石井村・山宮村・栃本村・神崎村が分立して気多郡清滝村が発足。

1896年、郡制の施行のため、城崎郡・美含郡・気多郡の区域をもって、城崎郡が発足。

1925年、日高村が町制を施行し城崎郡日高町となる。

1955年、養父郡宿南村大字赤崎・浅倉を編入。

1955年、城崎郡日高村・国府村・八代村・三方村・西気村・清滝村が合併、改めて日高町が発足。

1958年、日高町大字上佐野が豊岡市に編入される。

2005年、豊岡市・城崎郡城崎町・竹野町・出石郡出石町・但東町と合併、豊岡市日高町となりました。

マンホールには神鍋高原を元気に走る「ウサギ」と、雪の結晶が描かれています。

国府地区のマンホールには、但馬国府寺跡で発掘された軒丸瓦と軒平瓦の模様が描かれています。

「歴史博物館但馬国府・国分寺館」の幟

清滝地区のマンホールには、神鍋溶岩流渓谷にある「八反滝」と「桜」が描かれています。

三方地区のマンホールには、清流を泳ぐ「鮎」と、周囲に「町の木:モミジ」が描かれています。

昭和31年5月3日制定の町章は「日高町の平仮名の頭文字「ひ」を図案化したものです」

私たちがこの地区を訪問したのは3月末でしたが、「道の駅・神鍋」付近はまだ一面の雪景色。普段、雪を目にする機会の無い私にとって、この季節に雪を見るなんて滅多にない経験。ついつい嬉しがって、綺麗に降り積もった雪の中に足を突っ込んだりと大はしゃぎ(^^♪

撮影日:2011年3月30日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧但東町(豊岡市)

2023年09月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧出石郡但東町(たんとうちょう)は兵庫県の北東部、但馬地域に位置した町です。町の西が出石町、和田山町に、東・南・北で峠を挟んで京都府福知山市、京丹後市、夜久野町、加悦町、野田川町と隣接。町域に占める山林・原野の割合は総面積の87.6%で、典型的な山間農業地域となっています。京都府に突出しているという地理的条件から京都文化の影響が非常に強く、特に特産である絹織物は京都西陣と深い関係があり、古くから地場産業として発展してきました。そこで織られた「但馬ちりめん」を京都へ搬出した事から、 街道は人・経済・文化の交流する「絹の道」となりました。「町の木:ケヤキ」「町の花:三つ葉つつじ」を制定。登尾トンネルの壁画は、但東町中山地区にある「日本・モンゴル民族博物館」

明治22年(1889)、町村制の施行により、出石郡合橋村・資母(しも)村・高橋村が発足。

1956年、出石郡合橋村・資母村・高橋村が合併、出石郡但東町が発足。

2005年、豊岡市・出石郡出石町・城崎郡城崎町・竹野町・日高町と合併し豊岡市但東町となりました。

マンホールには、日本列島と但東町の経度・緯度、「町の花:ミツバツツジ」が描かれています。

但東町栗尾にある子午線通過の標識、動物と標語は、その年毎の干支に変えられているそうです。

昭和35年9月30日制定の町章は「但東町の平仮名の頭文字「た」を図案化したものです。」

卵かけご飯専門店「但熊(たんくま)」。知る人ぞ知る「とっても美味な卵かけご飯」が食べられるお店なんだそうです。御亭主殿、かなり心動かされたようですが、生卵が苦手な私が一緒なので諦めたんだと・・何度も愚痴られました(笑)

撮影日:2011年3月31日&2014年11月14日


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小守(こもり)神社 in 兵庫県豊岡市竹野町

2023年09月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

豊岡市竹野町松本に鎮座される「小守(こもり)神社」。御祭神は『底筒男命(そこつつのおのみこと)』

木漏れ日が不思議なまだら模様を描き出す境内。県道9号線沿いにありながら聞こえてくるのはハラハラと木の葉の落ちる音。苔の参道をそっと進む私たちのかすかな足音。

「創立年月不詳。延宝5年(1677)本殿を再建す。明治6年(1873)10月村社に列せらる。」兵庫神社庁HPより

覆屋の社殿前より神域を守護されるのは、出雲丹後構えの狛犬さん一対。どれほどの時をここで過ごされたのか、豊かな毛並みはすっかり磨耗し、すでにその表情さえも判別できません。

構え狛犬さんの手前で神域を守護されるのは、同じく出雲丹後系の狛犬さん一対。風化による摩耗はさらに激しく、手を触れるのが怖くなるほど。もしも次にここに来られたとしても・・・今、ここで出会えたことに感謝です。

境内社

境内入り口に建立されていた、松本地区の出身『仲田光成(なかた こうせい)』の書碑。近代仮名書道の第一人者である『尾上柴舟』の高弟で、若くして古典を究め、鋭い線条による空間構成で独自の大字仮名を確立した人物です。リンク先の「豊岡市バーチャル美術館」に彼の書が展示されています。


【 むかし我が 泳ぎし川に来て見れば 流れは今も澄みぬれど あたりに人の 影さへもなし 】

参拝日:2010年11月4日

 

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阿故谷神社 in 兵庫県豊岡市竹野町

2023年09月11日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

豊岡市竹野町阿金谷に鎮座される「阿故谷神社」。御祭神は『五百筒磐石命(いおずついわいしのみこと)』江戸時代には「妙見大権現」と称されていたとか。

と・・定番通りに進めたい所ですが、実はこの神社を見つけたのは城崎温泉を後にして小森神社に向かう途中で、全くの偶然。車内からこんな光景が見えて、慌てて車を停めたのです。

社号標のある石段参道・・・途中まで行きましたが石段の先はこんな感じ。城崎温泉のそぞろ歩きで少々お疲れのご亭主殿、これを登る根性は無く、目についた狛犬さんだけを画像におさめる事に(^^;)

でも改めて見ると、このはるか下にも鳥居が有るのですが・・・神社の位置関係が???? でもやっぱり回り道をして確かめに行く根性が無く、ご亭主殿の目的は、とりあえず狛犬さんだけ(笑)

とてもとても中途半端な場所から神域を守護されている出雲丹後構えの狛犬さん一対。傷みもなくとても良い表情で唐突な来訪者を迎えてくれました。

帰宅して地図で確認したところ、眼下に見えていたのは「石原神社」と判明。で、こちらの「阿故谷神社」の別名が「石原神社」だったらしい・・。石段を上がらなかったのは仕方ないけど・・下の神社は平地だったよね(-_-;)

 参拝日:2010年11月4日

 

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