少しだけ時間が流れたが、10月9日の朝日新聞の一面トップは、当然だが、袴田巌さんについて、「無罪確定、検察控訴せず」の記事だ。
そして、その横に「当日の報道、おわびします」のゼネラルエディター兼東京本社編集局長名の記事が掲載されていた。
署名記事は、「無実の人を死刑にしていたかもしれないことの重大性を改めて痛切に感じています。袴田さんが逮捕された1966年当時、朝日新聞は犯人視して報道していました」と書かれている。そして、22面で「本誌報道検証」も掲載している。私はこの姿勢は当然とはいえ、高く評価する。共同通信社も同じような謝罪記事を掲載している。
今でもこそ、警察の逮捕は「容疑者」だが、当時は逮捕則犯人だった。少しずつ報道の姿勢も変わってきた。しかし、今回検察は「捏造認定には『強い不満』」と反省すらしていない。いまでも、検察は平気で冤罪をでっち上げている。怒りすら、感じる。
怒りすら感じるといえば、政治の世界も同じだ。モリ・カケや桜を見る会、そして今回の裏金問題など、何一つ真実を解明もせず、なかったことにしようとしている。決して許してはならないことだと私は考える。