みやしたの気まぐれblog

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5/24-26 四国一周旅行 その7「宇和島の町と宇和島城」

2014-07-06 22:13:31 | 旅行その他
5/24-26の四国旅行シリーズ続きです。

5/25の昼過ぎくらいに宇和島へ到着し、次の乗り継ぎまでは約3時間。この時間を利用して宇和島の町を歩き、宇和島城へ向かいます。
まずはお昼過ぎですので腹ごしらえで、宇和島駅から港方向に歩いたところの商店街にある定食屋で、宇和島名物である「鯛飯」を食べました。
鯛の刺身を醤油だれにウズラの卵を入れた物にいれ、御飯に掛けて食べるという鯛飯です。
これが、御飯との相性が抜群で、食が進みました。実は前夜も鯛めしに近い物を食べていましたけど、宇和島の「鯛飯」はやっぱり宇和島で食べるべきですよね。
食後は、港の方へ歩いて行きました。


食事を取った店「とみや」

鯛飯定食。税別だったか税込みだったかは忘れましたが、1300円です。美味かった

港の方に歩いて行くと観光市場「きさいや広場」がありました

なんかステージでは演奏とかもやってました

きさいや広場の中にあった水槽には立派な鯛が泳いでました

きさいや広場のすぐ隣は港になっていました。このあたりは漁船ですね



宇和島新内港駅と言って、盛運汽船という会社が近くの島まで定期便を運行しています

宇和島城まで歩いて戻れる距離ではあったのですが、同行の父がバテてきていたので、タクシーで向かいました。こちらは、タクシー車内から撮影したきさいや広場

宇和島城は藤堂高虎が築城した城の1つで、後に四国の伊達家(伊達政宗の側室の子、伊達秀宗を藩祖とする伊達家)によって2代藩主・宗利の時に現在の天守が作られました。江戸期に新規で作られた天守は珍しいのですが、改修名目だったようです。お城でボランティアの解説をしていた方から聞いた話では、「平和な時代の城で、藩主が松平家の姫をもらうのに天守が無いのはよろしくないとして作った」とのことでしたが、実際に目に見える防戦設備はありません。ただし、目に見えないところにはあったようです。あと、松平家の姫(結城秀康のひ孫)が来る前にも、藤堂高虎の時代の天守があったらしいです。まあ、いずれにしろ宇和島城は江戸の寛永の頃から残る現存12天守の1つです。なお、この天守に上がるまでは、「登山」とも思えるかのような過酷な道でした・・・・いや、登る時は楽なルートは選んだんですけど、その前の大洲城でも疲れていたんで・・・・。60代の父にはかなりきつかったようです・・・・

登城口の1つ、桑折長屋門

城をぐるっと回るルートで登った

石垣。ちゃんと反ってますね

途中にあった城郭の図。現在は天守とその周りしか残っていませんが、江戸期はもっと広かったのだそうです

途中の城山郷土館。時間の関係でパス。というか体力の関係でパス

山を登って天守を目指す

天守近くの城壁

海が見えますね。だいぶ登りました

やっとこさ頂上です

これが宇和島城の天守。国の重要文化財です

お城の中に入りました。さすがに大洲城とは木材の色合いで古さの違いが分かります



1階の様子。宇和島城はなぜか壁に全国の城の写真が飾られていますがそれ以外はあまり展示品がありません


数少ない展示品は城の構造模型




天守から眺めた宇和島の町の風景。小高い岡の上にある城ですけど、周囲に山が多く、あまり景色にぐっとくる物は無かったですね。大洲城の方が景色は良い感じ

最上階の3階の中

天守を出まして、下から撮影

天守の裏側です

だいぶ疲れましたが、この後は歩いて宇和島駅へ戻りました。
帰り道はルート短縮のためきつい階段の道を通りました。

途中にあった井戸。ところで、宇和島城の城山は非常に植生が豊かで、400種の草木があるのだそうだ

降りてきた階段。これ登るのは嫌だなあ・・・



宇和島駅前にあるレプリカの蒸気機関車。初めて私が宇和島に来た、12年前にもありました。さすがに説明板の所には劣化が見られますね・・・

前に来た時はあったかな?闘牛の像。昨年は乗り換えだけで外に出なかったしな

宇和島駅でしばらく休憩し、この後は高知方面へ向かいます。
もちろん乗るのは・・・あの列車です。
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