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交流

『冬のソナタ』

2003-09-12 23:06:00 | 徒然なるままに
9月12日(金)

昨夜、NHKで「冬のソナタ」の特別番組を見た。
先週の最終回の余韻もあり、この春からすっかりはまってしまったドラマのいろいろなエピソードは、興味深いものがあった。

韓国ドラマと言うことで、所どころに、日本のドラマ作りとは違う価値観を感じていたが、やはり、儒教国というベースは随所に色濃く出ていたように思う。
典型的なのが、結婚に対する両親の反対に対する主人公達の葛藤で、それがドラマを盛り上げる最大の要素になっていた。
かつての日本にも同様なことがあった時代もあっただろうが、それはむしろ、家族の意向と言うより、「家」に縛られた結婚が主流だったように思う。
親を大切に思い、親の意向を無視できないと言う儒教的な考え方に私は共感を覚える。
もちろん、最終的には本人が決めることではあるが、親を説得し、納得してもらい、認めて応援してもらえるような努力って、やっぱり大切なことだと思う。

韓国ドラマの特徴は、ドラマの設定は「臨機応変」さで、視聴者の意見がストーリー展開に大きく反映するのだそうだ。
最初の設定では主人公が亡ってしまうという悲劇だったそうだが、何も死なせなくてもテーマが伝わるのであれば、必ずしも悲劇で終わらなくてもいいのでは?。ということになったのだそうだ。(日本の『寅さんシリーズ』もそうだった)

最終回は、やきもきさせられたが、私としては、「なるほど~、韓国はこう言うハッピーエンドなのか~」と妙に納得して感動した。

このドラマの重要な魅力のひとつに、音楽がある。RYUさんの歌は、透明感があり、ドラマの雰囲気にぴったりだった。
主人公達の一番の見せ場の回のときには、撮影現場で、出演者と話をしながら、スケッチをするようにドラマの収録と同時進行で曲を作ったのだそうだ。
番組では、日本の中学校の生徒が彼の曲に日本語の歌詞をつけ、合唱コンクールで歌うことになったと言うエピソードを紹介していた。
素敵な日韓交流だと思う。

脚本もなかなか泣かせる、心に残る名台詞がたくさんあった。
言葉に出したら、照れくさいような台詞や、キザな台詞もあったが、ドラマの中では役者の熱演もあって、違和感なく聞けたと思う。

12月に再放送があるとか。前半、見逃した週が多かったので、今度は気合いを入れて見よう!

来週からは同じヒロインが出演する「極上のメロドラマ」『美しき日々』が始まる。
またまた胸キュんの木曜日10時が今から楽しみだ。

あの悲劇から2年が過ぎた。

2003-09-12 23:05:00 | 徒然なるままに
9月11日(木)

あの悲劇から2年が過ぎた。

9月11日を前に、不安なニュースが飛び交っていた。

あの日、崩れ落ちていくビルの映像を、絶望と恐怖と悲しみの目で見ていた人たちがいる一方で、花火を打ち上げて喜んでいた民族がいたことを忘れてはいけないと思う。
悲劇を繰り返さないために、あの悲劇を「手始め」にさせないためには、たとえ、首謀者一人を殺しても意味はない。
なぜなら、あの悲劇の本当の原因を解決しなければ、第2第3の首謀者は無数に出てくるのだから。
あの飛行機を操縦し、突っ込んでいった青年たちは、生まれ故郷では英雄なのだ。彼らにも愛する家族はいたはずだ。

湾岸戦争も、同時多発テロ事件も、戦争を知らない私たち世代には、映画の一シーンのように、よその国の悲劇としかとらえていない人がほとんどだと思う。
唯一の被爆国として、これ以上の悲劇を繰り返さないために、今度は、日本がテロの標的にされているぐらいの覚悟と緊張感が必要なのではと思う。

玉川のスクーリングで、あの事故の時に、まさにマンハッタンにいて、たまたま、あのビルでの朝食会議を免れて、命拾いをしたという先生の講義を受けた。
その当時の話の中で、事故直後、マンハッタンの全ての教会の扉が開かれ、宗派や肌の色に関わらず、全ての人たちに水が配られたと言う。

危機管理とは、事前の対策や、その場の軍事的な対応だけでなく、被害が出たときの「困った時はおたがいさま」という救援・支援体制のほうも重視されなければならない。

天災も、人災も、突発事故も、同じような被害を出さないためにも、経験は次に生かされなければならない。直接経験はもちろん、それが遠い国での間接経験だったとしても。人間は学習する生き物なのだから。。

ここに、改めて、事故の犠牲になった方々のご冥福を心よりお祈りし、悲しみを新たにしていらっしゃるご遺族や関係者の方々にお悔やみを申し上げます。

身体は最高の楽器

2003-09-12 20:53:00 | 徒然なるままに
9月10日(水)

放課後、中学校のPTAコーラスの練習に参加。
コーラスの発声法って面白い。

演劇の発声法は、声を飛ばす、パトスを壁にぶつける、あそこに立っている相手役に話しているように台詞を言いながら、意識と声は観客に届くように・・という感じだった。

コーラスの場合は、身体のいろんな部分を使って、声を響かせるのだ。
身体って、つくづく最高の楽器だと思う。
高い音を出すときは、眉毛を2センチぐらい上げて・・・
額のこの辺から声を出す感じで・・
顔の皮がズルンと後ろに引っ張られて剥けるような感じで・・・
頭のてっぺんから抜けるような感じで・・・
言われるたびに目を白黒させながらイメージを膨らましていわれた通りに試みてみるのだが・・・。なかなかイメージ通りには行かない。

その上、私は、楽譜が読めないという致命傷がありながら、コーラスをやっている。とにかく耳で聞いて、ひたすら覚える。楽譜は♪の上がり下がりの確認程度。これは私の怠慢に他ならないのだが・・・。「ソシャープの音を出して」と言われても「ソ」の音すらパッとは出てこない。
だが、一度覚えたメロディーは、よっぽどつられない限り、ちゃんとハモれる様にはなった。

10月17日、中学校の合唱コンクールで発表する。
アルト、つられないように頑張るぞ!

自分に負けるな!頑張れ!受験生!

2003-09-12 20:49:00 | 徒然なるままに
9月9日(火)

中3の息子の修学旅行の班のコンピュ―ターを使った発表会というのに行って来た。
パワーポイントを駆使した、なかなかの力作ぞろいで、お母さん達はもちろんだが、先生方も驚いていた。
さすがは現代っ子。
現場に立つには、もっと意欲的に最先端のコンピューターの勉強をしなくては!と思った。

その後、学年懇談会があった。
夏休み明けの学力テストの惨憺たる成績と、夏休み中の学校説明会の情報交換という内容だったが・・・。
生徒達は、この結果をバネにするか、安心材料とするか、ここで投げ出してしまうか・・・。
私もいよいよ受験生の母になるわけだ。
当の本人は、自分ではいろいろ考えてはいるのだろうが、傍目で見ているとお気楽なものである。
「もうすぐ遊べなくなるだろう?だから今のうちに遊ぶんだ―」
とばかりに下校するなり、サーッと自転車でいなくなってしまう。
学校説明会は一校(第一志望校)だけ一緒に行ったが、バス電車を乗り継いで、なおかつ迷路のような住宅街の坂道を20分近く歩くのだ。
もし、せっかく合格しても、あの寝ぼすけ・遅刻魔が3年間通いきれるのだろうか?何より、試験に遅れずにいけるのだろうか?

夜、「ウォーターボーイズ」を見た。
高校時代、何か夢中になれるものと、一生の友達や、ステキな恋に出会えるかも?!。

3月には、仲間の全員が合格して、明るい春休みが送れるよう、中学時代を1日1日大切に過ごしながら、自分に負けるな!頑張れ!受験生!