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交流

生涯の友 1

2003-09-14 09:37:00 | 徒然なるままに
9月2日

今日、大学時代の友人に会ってきた。
私の結婚式に出席してくれたり、友人達の結婚式やグループ展などでは顔を合わせたりはしていたが、ここ何年かは、年賀状のやり取り程度の付き合いになっていた。

彼女は、先日、大学時代の友人宅で、みんなで集まろうという機会があったとき、私と入れ違いで帰ってしまい、その後、「会えなかったから、二人で改めて会おう」と電話をしてきてくれた。

駅で会ったとき、一目でお互いが分かった。
見た目は、お互いそれなりの時間の流れを感じさせるものはあっただろうが、印象は、昔のまま。懐かしさに、あっという間に、あの頃の自分に気持ちまで若返っていく。

でも、懐かしい昔話をしながら、お互いに、現在に至るまでの話や、今現在抱えている悩みや問題などを話し合っているうち、彼女がとても成長していることを感じうらやましく思い、一方で相変わらず現実離れした理想論ばかり言っている自分が情けなくなった。。

彼女は、子育てについても、主婦としても、今は辞めているが美術教師としても、社会人としても、学生時代以上にポリシーを持って、エネルギッシュに頑張っている。
学生時代の歯に衣着せない言い方も相変わらずで、鋭く核心を突きながら、妥協を許さない。他の人が言いにくい、聞きにくいことをズバッと切り出してくる。
いいかげんな綺麗事や、適当な相槌なんか通用しない。
とことん人の話を聞いた上で、問題の核心をついてくる。
それでいて、ものすごく情が深い。
「あんたはどうしたいの?あんたはどうなりたいの?あんたは何処にいるの?まず、もっと自分というものを持ちなさい。」
「遠くの理想ばかりみていてはだめ。足元の現実を見つめる勇気を持ちなさい。理想につながる一歩は、いつも、今立っている場所から始まるんだから。」
「私はあんたを蹴飛ばして、泣かせに来たのよ。泣いてもらわないと、わざわざ休みまでとって会いに来た意味がないじゃない」
「私しかあんたにこういうことを言える人間はいないんだから。私はあんたを甘やかす言葉も慰める言葉も言わない。でも、あんたには、私がついているんだからね」

ぺちゃんこにつぶれていた私に、思いっきり濃いヘリウムガスを吹き込んで、彼女は帰っていった。
「今度は、あんたの家に爆弾仕掛けに行くからね~」と言いながら。

大学時代の劇団では、油絵・彫刻・デザイン・教育など、それぞれ学部・専攻が違う仲間が、それぞれの分野でも「表現する」ってどういうこと?という命題に向かって真剣に取り組んでいた。
その強烈な個性の持ち主達が、ひとつの舞台劇を作り上げるということは、今振り返ってもものすごいエネルギーのぶつかり合いだった。
彼女はそのときの仲間で、劇団時代もズケズケ言う彼女は、最初、私が苦手なタイプだった。
親元を離れ、同じ寮の「釜の飯」を食べ、寮を出てからも、互いに助け合って、親兄弟並みの強い絆を私たちは作っていった。一緒に泣き、笑い、徹底的に議論し、何も言わなくても相手のことは言いたいことは分かる、見栄も建前も誤魔化しもいらない「戦友」だ。
仲間が大変な時、何をおいても駆けつける。
慰めが必要な時は慰めを、力が足りない時には協力を、迷いがあるときには喝を入れに。

私は、生まれてこの方、友達には恵まれてきたと思う。これは本当に感謝してやまない。
出会うべくして出会った友がたくさんいる。
彼女もその一人である。
何年会ってなくても、どんなに遠く離れて暮らしていたとしても、つい、一昨日別れたような気がするくらい、身近に感じることが出来る仲間。
お互いの幸せを願い合い、嬉しいことは我ことのように喜び合い、悲しい時、苦しい時は心の支えとなり、励みとなり合えるような仲間。

一期一会。

これからも、出会いを大切に、そのつながりを大切に生きていきたいと思う。

今度、彼女に会う時まで、
「これが私の今の顔よ」
と自信を持って微笑める私になる。

会いに来てくれてありがとう。