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交流

「子育て」と言う解答の無い『問題集』

2003-09-28 22:23:00 | 徒然なるままに
9月23日(火)秋分の日

台風一過。久しぶりに秋らしい日差しが帰ってきた。
朝から洗濯物の山を片付けた。
そして、今日は、5月から不登校の娘の部屋も片付けた―――。

娘の不登校については、以前にも、Diaryで何度か触れてきた。
中学入学後、5月の連休明けから学校になかなか行けなくなり、6月には行ってからは全く行かなくなってしまった。
本人は夏休み前には「9月1日からは学校に戻りたい」と夏休み中に遅れた勉強を取り戻す気ではいたのだが・・・。
その9月1日にも行かず、10月を迎えようとしている。

不登校になるきっかけについてはここではあえて触れない。過去は変えられない。その時点に戻ることは出来ないから。
その原因についは、かなりいろんなことが複雑にからんでいて、カウンセリングを受ければ受けるほど、「これは長期化しますね」と言われた。

今まで、担任の先生や学校カウンセリングを始め、小児科や、各専門家の先生や、不登校児の親御さん、また、かつて自分も不登校児だったという「先生の卵」の人たちなど、いろいろな方に相談に乗ってもらい、アドバイスも受けてきた。
その関係の本もたくさん読んだ。

でも、正直言って、どう娘に対応すればいいのかすればいいのか、どんどんわからなくなってきたのと、逆に、100人不登校児がいれば、100通りの対処法があるのだということがわかった。
周りの意見は、あくまでも『参考書』。
答えの無い『問題集』である娘のことをしっかり見つめ、彼女が何を苦しみ、本当はどうしたい、どうなりたいのかを理解し、丸ごと受け止めて上げられるのは、親である私しかいないのだ。

何を言っても鸚鵡返しに返してくる彼女の言葉は、単なる反抗期の言葉ではない。
私に言われる程度のことはおそらく百も承知なのだ。
逆に、私は一般論や正論を言っているつもりで、実は自分の体面のことを考えているのではないか・・・。

「『普通』って、どういうことを『普通』というの?それが本当に『普通』なの?」

「彼女の気持ちしだい」
と言う言葉に依存して、親として考えるべきこと、やるべきことから逃げてはいないか・・・。

プレッシャーをかけると言うのではなく、進む道を何から何まで整備するのではなく、
ちょっと背中を押してあげる。一人では取り除けられない根っこの張った雑草を一緒に引き抜いてあげる・・・。

教師を目指し、勉強を始めたばかりの私にとっては、現場に立つ前に、『家庭』という現実の生活の場で、親と教師を目指すものという2つの立場で、理論と実践の同一化の難しさを毎日のように思い知らされている。

彼女の部屋は、彼女の心そのままを映すように荒れていた。
妹とベットで仕切ってあるその部屋は、入るたび、眩暈がし、私の人格を変えてしまうような有り様・・。
「片付けなさい!」その言葉が彼女をますます追い詰め、私がその部屋に入ることを強烈に拒む。片付けを手伝おうというと、猛烈な拒絶反応を示す。
カウンセラーの先生は、
「気持ちの整理がつくまでは無理でしょう」
といっていた。
先生によれば、彼女には今、エネルギーが不足していて、「片付けなくては」と思ってはいても、体がついていけないのだそうだ。
「そっとしておいて上げてください」
「うるさく言わないで上げてください」
そう言われ続けて、私は3ヶ月間、ずっと手をつけられないでいた。

でも、どんどん、荒れていく彼女の部屋を見るにつけ、「片付けなさい!」と怒る気持ちや、情けなく思う気持ちよりも、夜寝る前に、「明日は学校に行こうかな」と思っていても、朝、起きた時に、この部屋の状況を見ただけで行く気どころか、起きるきも失せ、そういう自分が嫌になって、また布団をかぶって、眠ってしまうことで「現実逃避」を繰り返してしまうのではないかと思った。
これは『充電』では無く、『液漏れ状態』ではないのか?

洗い物が山になった台所では、料理を作る前にまず片付けなければというところで、疲れていたり忙しい時は、やらなきゃと思ってはいるが、やる気が失せてしまうもの。そういう状態を見ただけで、エネルギーが激減してしまう。片付いた頃には、疲れて、適当でいいか・・・なんて手抜き料理になってしまうこともある。

これが、綺麗に片付いていれば、どんな料理を作ろうかと意欲もわけば、気持ちよく作業も出来る。

そこで、先日、彼女が留守の時、たまたま洗濯物を持っていったときに、タンスをすっかり整理してあげた。
怒るかな~と思っていたら、意外にも、
「ママ、タンス、整理してくれてありがとう」
と言ってくれた。
それ以来、たたんであげた洗濯物が、入り口におきっぱなしと言うことは無くなった。
そのことをカウンセラーの先生に言ったら、
「だいぶ落ち着いてきていますね。今度は機会を見て、部屋の片付けの方も手伝われてみてはいかがですか?」
と言われた。

そこで、今日、それをついに実行に移した。
これで怒って家出するくらいなら、それだけエネルギーがあるってことだ!と強行・・・と言うより、私は賭けに出たのだ。
10月の2学期の始業日(娘の中学は2期制)には学校に行かせたい一心で。
彼女は私が部屋を片付けていることを途中から妹に聞いて気付いていたかもしれないが、一度も部屋には入ってこなかった。

一日がかりで、すっかり別の部屋になった。
と言うより、出ていたものを定位置に戻し、文具、学校用品、雑誌、コスメティックなど、それぞれに分類、取り出しやすいように整理しただけなのだが・・・。
とりあえず、勉強できる机の上にし、いつでも気持ちよく着ていけるようにした制服をハンガーにかけてあげた。

夜、私と入れ替わるように風呂に入るための着替えを取りに部屋に行った娘から、携帯にメールが入った。
「ママ、部屋を片付けてくれたんだね。ありがとう。今朝はひどい態度とってごめんね。明日から勉強しようと思います。おやすみなさい」

部屋を片付けた時、何枚も「1-Cのみんなへ」と言う、日付の違う書きかけの手紙が出てきた。
この子はどんなに学校に行きたかったんだろうと思うと、片付けながら涙が止まらなかった。
私しかこの子を学校に行かせる人間はいないと思った。
学校に行って、またくじけて帰ってくるかもしれない。でも、
「私がついている!大丈夫!疲れたら帰ってきてもいいけど、また元気出していってみよう!ここでちゃんと見ていて上げるからね!」

彼女は、朝、起きるようになった。
朝ごはんも家族と一緒にとり、洗濯物も干してくれる。
起きている時間の多くは自分の部屋で過ごし、机に向かうようになった。
夜には、今日やった分の勉強を見せてくれる。
言葉の受け答えも明瞭になり、穏やかになった。
家に誰か来たり、妹の友達が部屋に入っても嫌がらず、優しく一緒に遊んでくれるようになった。

彼女はずっと、そうしたかったのだろう。
そうできない自分を責めて責めて、苦しいから、いろんなことやいろんな人に責任転嫁して、またそれを責めて苦しんでいたのだと思う。

『過去と他人は変えられない』
でも、状況(環境)と心持が変われば、人は変われるものだと思う。

三人の子ども達は、私が一人前の親と教師になるために必要な、解答集のない問題集。
それは同時に、子ども達自身にとっても、一人一人生きる力をつけていくためにも大切な問題集。
母子で一緒に、この問題集を一つ一つていねいに取り組んでいこうと思う。

北天魁の『魂の踊り』

2003-09-25 00:16:00 | 徒然なるままに
9月22日(月)

夜、7:00~北天魁の練習を見学してきた。
前日に池袋のふくろ祭で行われた東京よさこいソーランに、あの土砂降りの中、参加してきたと言うビデオ上映もあった。
東武デパート賞を受賞したと言う踊りは、、雨が肩や頭から湯気になって立ち上るのでは?と思うぐらい、気合いの入った踊りだった。
それでも、ビデオを見終わった後の反省は、結構厳しいもので、上位のチームに比べると練習が足りないとか、指先まで神経が通っていないとか、一瞬でも『素』に戻ってしまうとつまらない踊りになるとか、意識の高い、前向きな反省会だった。

『魂の踊り』・・・。見ている人の心を鷲掴みにして離さない、揺さぶられるような感動・・・。
北海道のよさこいソーラン祭で、そういう踊りをたくさん見た。
6月の北国の冷たい雨の中、あのエネルギーの爆発はどこから来るのだろう。
どうして私は、ここで見ている側なんだろうと始終興奮して見ていた。

来年も札幌の大通り公園で踊ると言う北天魁。
見学は2度目だが、練習内容の充実度と意識の高さは大いに見習うべきものがある。

今日は、小2の娘と、その友達母娘も一緒に参加した。
以前見学に来た時、あまりに元気で美しい踊りを踊る高校生のお姉さんが居たので、ビデオに撮り、そのビデオを元にして私たちは練習してきた。子ども達は、その憧れのお姉さん本人に会って、直接教えてもらって、大感激!

今日は近隣の小学校の先生方も見学に来ていて、みんなで、「よさこい島」を基本からじっくり教えてもらった。
今度は、夏から乗りに乗っている『男の子チーム』も引き連れて見学させていただこうと思う。やっぱり、こんなおばさん先生より、大学生の元気いっぱいの若々しくてカッコいい踊りを見せて、大いに刺激を受けて欲しいと思う!
でも、私も負けていないで、指先まで神経の通った、カッコいい踊りを目指さねば!

バルーンアート(千葉県立美術館ワークショップ)

2003-09-24 00:58:00 | 徒然なるままに
9月21日(日)

今日は、久々に「女子大生」としてのお・し・ご・と!しかも子連れ(小2の娘)で。

今日のワークショップのテーマは、「バルーン・アート」。カラフルなビニールをホットシーラーで接着し、ヘリウムガスを入れて思い思いの色や形のバルーンを、吹き抜けの大きな展示室いっぱいに浮かべて遊ぼう!というものだった。

折りしも、台風接近中の大雨の中、高倍率の抽選から選ばれた親子が集まり、みんな一生懸命バルーン作りに熱中!
サポーターの私たちは、あまりに凝って複雑な形を作ろうとしている人に、なるべく単純な形の方が、空気もれが少ないこととかのアドバイスをして回ったり、ホットシーらーの取り扱い方とか、ガスの入れすぎで、上に上がって行かないよう、錘を配ったりとか、結構めまぐるしかった。小2の娘は大張り切りの働き者だった!

ホットシーラーの圧着のさせ方はなかなか難しく、何度やり直しても、空気が漏れてなかなか上がらなかった子もいたり、逆に空気は上手く入ったのに、錘をつけている途中でいきなり上に上がって、天井に張り付いてバルーンが帰るときまで降りてこない子もいた。

一番可哀想だったのは、「ハート」の形のバルーンを作った子たち。中には上手く行って浮かんだ子もいたが、空気もれをなおそうと、何回もやり直しているうちに、真ん中のくぼみのところに圧がかかって、裂けてしまうバルーンがあった。まさにハートブレイク。
せっかく雨の中遠くから出かけてきてくれたのに、残念な思いをさせて返してしまったのは、本当に心残りだった。
そのことを帰りの反省会で話したところ、また来年、同じ企画で、もっと内容を濃くしてやってみよう!ということになった。
ワーックショップのねらいは、学校の図工や美術の時間では体験できない創作活動と遊びを通して、みんなに楽しんでもらい、笑顔で帰ってもらうことにある。
それが、「ハートブレイク」だなんて、やっぱり残念だもの!

次回の10月のテーマは、『モノレール千葉駅を秋色にコーディネートしちゃおう!』
芸術の秋。美術館から飛び出して、アートを楽しんじゃおう!

『THE NEWSPAPER』とおはぎ作り

2003-09-24 00:21:00 | 徒然なるままに
9月20日(土)

今日は、子どもネット八千代(Links参照)の芸術鑑賞会で、トリック☆スター社『THE NEWSPAPER』を見た。

私たちは、当日のスタッフとして、看板制作・取り付けと小夜食を担当した。
看板は役職柄、私が担当。3日がかりでで英字新聞をモチーフに作ったものの、台風が近づいているため、ビニールでカバーをすることとなりこれまた大仕事だった。
小夜食は、子ども達もおはぎ作りに参加して、形は少々いびつでも、みんな心を込めて作ってくれた。公演終了後、みんなで楽屋に入れ物を取りに行った時に、役者さんとご対面。みんな緊張していたけど、
「美味しかったよ。ご馳走様、どうもありがとう」
と言ってもらって大満足!
今回は小学4年生以上が対象だったので、みんなは保育で、お芝居は見られなかったんだけど、「みんなが見られる学年になったらまた呼んでね~」
と言ってくれた。

お芝居は、時事問題や世界情勢をモチーフにした、かなり辛口のブラックユーモア・コント。
小学校4・5年生には内容的にちょっと難しかったかもしれないが、いろいろ素朴な疑問とかは、家に帰ってから家族で話題にするのもいいかも。
中3の息子達にはかなり面白かったらしく、帰りの車の中ではその話でもちきりだったそうだ。
本番中には、地元の話題もコント仕立てになっていて、その日仕入れたニュースをスピーディーなコントで大いに笑わせてくれた。
子ども達が文句なしに受けたのは、「千と千尋の神隠し」をテーマ曲が流れる3分間のうちに、全ストーリーをパントマイムを使って紹介するコント。おなじみのストーリーだけに、そのキャラクターやシーンをそれとわかるようにパントマイムで演じる見事さには、大爆笑しながらも、感嘆の声がしきりにあがっていた。

トリック☆スター社『THE NEWSPAPER』
http://www.dop.co.jp/

エゴグラム(こころの自画像)で自分発見!

2003-09-23 12:13:00 | 徒然なるままに
9月20日(土)

午前中、中学校と公民館主催の『家庭教育学級』に参加した。
今日のテーマは
『エゴグラムで自分発見!~子どもとのかかわり方を振り返るために~』
自分への『気付き』を人間関係や子育てに生かしていきましょう。というものだった。

講師は、児童相談所の心理判定員の方。

エゴグラムとは・・・

  人間の性格は、親から受け継いだものや、育った環境、その人の年齢、経験などさまざまな要素で作られるもの。
  このような複雑な性格も、5つの心の領域に分けることがでる。


  5つの私(心)とは・・・

  CP=価値付ける私。父親のように厳しい心。正義感が強く理想に燃える心。

  NP=思いやる私。母親のような情け深い心。優しく保護する心。

  A=考える私。大人の心。冷静に分析する理知的な心。合理的で、客観性のある心。

  FC=あるがままの私。自由な心。天真爛漫で無邪気な心。

  AC=合わせる私。順応する心。いい子を演じようとする心。従順で、協調性がある心。

 この性格分析は、アメリカの心理学者J.M.デュセイが作ったもので、基になっているのは、アメリカの精神分析学者エリックバーンの開発した交流分析法である。

講演会では、実際にエゴグラムを使って心理テストを行った。
とにかく質問には深く考えずに直感でチェックを入れていく。
それを各領域ごとに集計し、棒グラフに表すのだが、この棒グラフの形が『指紋』のように一人一人違うのだそうだ。
そして、点数が高い低いは関係なく、その人自身のその日の気分や仕事の役職などの影響で、いつも同じ形にならない場合もある。

そのグラフによって、今の自分の傾向性に気付き、その読み方を学ぶことで、行動処方がわかってくる。

交流分析の考え方に、
『過去と他人は変わらない。他人を変えることよりは、自分を変えることの方がはるかに生産的である』
『かつて学んだことは全て学習しなおすことが出来る。
 かつて決断したことは全て決断しなおすことが出来る。』
というのがあり、なるほど~!と感じ入ってしまった。

自己変革のポイントは、5つの要素の行動を増やすことである。
ただ、正確や行動というのは、いわば表裏一体のもので、長所であると同時に短所でもありうるわけだ。
だから『活性化する言葉や態度』を実行しながら、『やめたい言葉ややめたい態度、妨げになる言葉』も発生してくるわけだ。

この5つの心が自分なりなバランスが取れていれば、人間関係もスムーズに行くのだが、どこかで、バランスを崩していると自分の中で、人間関係が黄マスクなるばかりでなく、人格の分裂が起きたり、人との関わりをもつことが怖くなってしまう。

『己を知る』とは武道家のような厳しい言葉だが、豊かな人生を生きる力として、本当に必要なことなのかもしれない。

テストの結果は、けっこう、「やっぱりね~」というものばかりでなく、「え~?私ってこう言うところがあるの?」という意外な結果も出た。
そこで、同じ傾向性が高い人同士が集まって、
『こういう性格で今まで得したことと反対に損してきたな~と思うこと』
について話し合った。
なかなか面白い報告が発表された(長くなるので割愛する)が、その中で、
『自己評価と、他人の目から見た自分は違っているのではないか』
という疑問が出た。
そこで、エゴグラムのもうひとつの活用法。
『他人のエゴグラムを付け合う。』
それももうひとつの自己発見。特に夫婦で付け合うと、面白い結果が出るのだとか。それを元にして夫婦の問題を解決する糸口にも活用されるのだそうだ。

思春期、いろいろな自我が目覚めてきて自分の中で混乱している子ども達。
親の影響が子どもの人格形成にこれほど影響するのだということを思い知らされるとともに、自分を成長させるのはやはり自分の心がけだということがよく分かった講演会だった。


三色のガムテープ

2003-09-23 00:39:00 | 徒然なるままに
9月19日(金)

午前中、ソーランスタッフ会議。
この秋のイベントの日程確認と、段取りを決めた。
すごく贅沢な話なのだが、せっかくのお声がかりがありながら、日程が重なってしまい、お断りしなくてはならないところがいくつかあり、申し訳ない限りだ。
優先事項としては、
1、依頼順
2、地元優先
3、去年も踊らせて頂いたところ
ということなのだが、そこの調整がなかなか難しい。
更に、出演メンバーのスケジュール調整と、人数調整がまた難しい。

人数が多くなればなるほど、まだ口コミ程度だが、名前が知られれば知られるほど、課題・問題も増えてくる。
でも、「継続こそ力なり」で、場数を踏み、踊れるようになってきた人たちや、子ども達がスタッフや、指導の方で、たくさん力を発揮してくれるようになった。

夕方からの練習の時に、踊れる習熟度別に、名前を書くガムテープの色を変えてみた。
・赤…全くの初心者
・黄…一通り踊れるが、隊形移動や時間差が出来ない
・青…インストラクター。どんな振り付けもこなせる。3曲完璧に踊れる。

もちろん、大人も子どもも条件は同じ。
「青」の人は、たとえ子どもでも、スタッフとしての役割があり、「赤」の人に教える時の助手をやってもらう。

そうしたら!子ども達の顔つき、目の色が変わった!
「赤」の子は、「黄色」を目指し、「黄色」の子は、よくわからなくて流していた部分を何度も練習したり、出来る子に聞く!
「青」の子は・・・!とにかく、よく働く。動作がきびきびしている!

これが「プライド」というものなのだろうか。
私は、これはある種の「差別」として受け取られたり、抵抗を感じる人が現れるのではないかと内心心配していたが、取り越し苦労だった。
『目標』があるということ、自分を認めてもらうということで、人は、こんなにもやる気が出て、前向きに変われるんだということを、まざまざと見せてもらった練習だった。

この秋、たくさんの本番で、いろんなソーラン隊の刺激を受け、大きな拍手を浴びながら、更にカッコいいソーラン隊を目指すぞ!

今、ソーラン隊のHPを立ち上げることと、来年の夏にはそろいの衣装で踊れるように、衣装のデザインを思案中。

そのとき、生死を分けたもの

2003-09-18 14:03:00 | 徒然なるままに
9月16日(火)

『奇跡の生還者達』と言うTV番組を見た。
実話の再現フィルムと、本人の現在のコメントで構成されていたが、臨場感たっぷりの役者達の熱演と、その危機を実際に乗り越えた人たちの奇跡に、釘付けの1時間半だった。

彼らの生死を分けたのは何だったのだろう。
いくつかのエピソードに共通していることは、『幸運』という偶然が重なった『奇跡』なのであろうが、私はそれ+αとして、『最後まであきらめない』という意志の強さと、人を助けたいと言う『愛』の力だと思う。
 そういう人たちだからこそ助かったことに対して、人生観が180度変わってしまうほどに周囲の人や物事に対して感謝の日々を送っているし、今度は自分が人の役に立ちたいと思っている。今ある自分のために出会うようになっていた出来事だったかもしれない。あの出来事がなかったらわからなかったことや、出会えなかった人たちがいると、辛い体験を振り返られるまでになっている。まさに、マイナスをプラスに転換した生き方をしている。

 最後のエピソードに、9月11日の同時多発テロ事件当時、妊娠7ヶ月の身重で、貿易センタービルの南塔77階で勤務中に事故に遭遇しながら、奇跡的に助かった女性の話が紹介された。
彼女はその後、無事女の子を出産し、幸せに暮らしている。
確かにいくつもの幸運が重なっての奇跡ではあるが、彼女の赤ちゃんを守りたい、母親になるんだと言う意志の強さ、その彼女を励まし、非常階段を一緒に下りてきた人たちの力、妊婦の健康を第一に搬送してくれた周りの理解と協力は、本当に素晴らしいものだと思う。
あの、地獄絵図のパニック状態で、冷静な判断、落ち着いた行動、自分のことよりも、自分より弱い立場の人を支え、助けようとする精神には本当に頭が下がる。そして、自分の身の危険を顧みず、勇敢に災害に立ち向かう消防士たちの勇気と責任感に敬意を表します。
ここに改めて、あの事故の犠牲になった方、殉職された方々のご冥福をお祈りします。 



コーラスで気持ちよくハモれる極意

2003-09-17 23:19:00 | 徒然なるままに
9月17日(水)

コーラスを始めて、1年半になる。
地声が大きい上に、演劇仕込みの前に出す発声法で、やたら目立って聞こえる私の声。下手をすると、ハーモニーをぶち壊しにしてしまうぐらいでかい声だ。
今日はそんな私の声でも何とかみんなの声と気持ちよくハモれる極意を得た。

1、息を吸うように声を出す。
  「特に『り』の発音は潰れて汚く聞こえるので、息を吸いながら歌って。」といわれ、まともにその通りやってみたら声が出ない(当たり前!)
  [声を前に出さないで、引っ込めるようにして喉の奥をあけて出してみて」
  「?????」
  「『米良(美一)さん』でやってみて」
  「♪はりつめた~ゆみの~・・・」
  「そう!それそれ、その『リ』よ~!」

2、20人で歌う時は、自分はその20分の1の声量で、周りの声を聞きながら歌う。
  自分の声だけ突出しないように気をつける。
  
私は今まで、アルトの人数が足りないので、ソプラノが8人いて、アルトが3人しかいなかったら、人数が足りない分、自分の声量でカバーしようと思っていたところがあり、ちょっと頑張りすぎていたのかも。(反省)

3、フレーズで歌う。
  詩や文章を読むように、言葉のまとまりとして歌い、意味や情景が伝わるように歌う。

  初めての歌だと、歌詞と音符を同時に見ながら歌っているうちに、どこを歌っているんだか、何を歌っているんだか分からなくなったり、歌詞を間違える時がある。
  歌詞の意味を分からないで歌っているようでは、気持ちの込めようがない。
  いつまでも音符や記号に気をとられていないで、歌のメッセージを聞き手に届ける気持ちで歌わなくては・・・!

4、声を作らない。

  例えば今歌っている『キス ユア ドリームス』もと歌は、薬師丸ひろ子が歌っている。
  私はどこかで『ママさんコーラス』っぽい歌い方に抵抗があって、若者向けの歌は(自分では)若い声で歌うようにしていた。
  でも、それはやはり専門家の耳には『作っている声』に聞こえるのだ。
  そこで、歌の内容を考え、『母の気持ちで』歌ってみた。
  多分、今の私の気持ちと、年相応の自然な声が出たのだろう。やっとOKが出た。
  実際、歌っていて素直な気持ちで、気持ちよく歌えた。

5、歌の組み立てを考えて歌う。
  どこがクライマックスかを考え、最初から見せ場(聞かせ場?)を作らない。
   
  いわゆるサビの部分と言うか、押さえ気味なところがあって、山場が生きるわけで、楽譜上は同じf(フォルテ)でも、クライマックスのそれとは変えて歌う。

 発表会まで後ちょうど1か月。
 何とか不安材料を克服して、本番には気持ちよく歌声を響かせたいと思う。

敬老会で、パワー全開、ソーラン踊ってきたよ~!!

2003-09-15 21:47:00 | 徒然なるままに
9月15日(月)敬老の日

自治会主催の敬老会に行って、ソーランを踊ってきた。
会場の都合上、今日は3歳~6年生の子ども達15人で踊ってきた。

紹介され、入場したとたん、会場から拍手が沸き、子ども達はちょっと緊張気味。
でも、打ち合わせどおり挨拶も立派にできた。
リーダーの掛け声でイントロが始まると、本番直前にぐずっていた3歳の女の子も、気合いたっぷり、その気になってリズムに乗っていた。
いつもは前で踊る私のフリを見ながら踊る幼児達が、今日は最前列。目の前にいるのは食い入るように見つめる知らないおじいちゃん、おばあちゃん達。頼りの大きい子達は自分達の後ろで踊っている。みんなちょっと不安そうにそばでマイクを持って控えている私を見る。
でも、大きな声で、「どっこいしょー、どっこいしょー」「ソーラン、ソーラン」と掛け声をかけてあげ、いちいちニコニコ大きくうなづいてあげると、私を見ながらも、元気いっぱい最後のキメのポーズまで踊りきってくれた!

会場からは拍手喝采とともに、「かわいー!」「素晴らしい!」と声をかけてもらい、子ども達はほっぺを真っ赤にしながらも大満足の顔をしていた。
 
我隊のトレードマークのお父さんのYシャツをリフォームして作った手作り長半天の紹介のときも、そのカラフルで個性的な中に、自分の思い思いの好きな言葉を大きく背中に書いた文字に歓声があがった。

2曲目は、この夏休みから練習し始めた「よさこい島」。今までの本番も、いつも踊れる人が前で踊っていただけに、子供たちだけでどうなるだろうと思っていたら、なんと、幼児達まで、ちゃ~んと踊れるではないか?!
もう、その元気さと一生懸命さと、かわいらしさ、男の子達のかっこよさは、思わずこちらもウルウルっと来てしまった。

最後の挨拶の後、子ども達がおじいちゃん、ばあちゃん達一人一人に一輪ずつお花をプレゼントした。

控えのロビーに戻ってきた時、2年生の男の子が、
「おじいちゃん、おばあちゃんたち、泣いていた人いたよね」
と言ったので、
「おばちゃんも、みんな上手で元気いっぱいで、嬉しくって涙が出ちゃったよ」
と言ったら、みんな最高の笑顔を返してくれた。
付き添いのお母さん達や、ビデオ担当のお父さん達も、大満足のようでした。

お土産をもらって解散。今度はそれぞれのお家の敬老のお祝いに・・・。
私は、役員で残る方のお子さんを預かり、我が家へ。
久しぶりに絵本の読み聞かせをやったり、公園で一緒にブランコやシーソーをやったり、子守りと言うよりは、童心に帰って、子ども達に一緒に遊んでもらったと言う感じ。

お迎えに来たお母さんから、あの後、おじいちゃんおばあちゃんはもちろん、自治会の役員さんたちにも大好評でした~!との報告がありました。

見るほうも、踊るほうもみんな元気になるソーラン。今日の子ども達の元気パワーをいっぱいもらって、おじいちゃん、おばあちゃん、いっぱい長生きしてくださいね~!



一期一会 娘とのプチ旅行先で。

2003-09-15 02:18:00 | 徒然なるままに
9月4日

今日は午後から、昨日の約束どおり、娘と出かけた。
第一目的の芝居は、立ち見も満席状態で、残念ながら見ることは出来なかった。
ただ、私が通った劇団の養成所を見、その頃の話をしながら、次の目的地に行った。
第2の目的地を目指しながら、私の学生時代の話をした。
小学校時代の夢、中学時代の部活動の話、高校時代の恋の話、初めて上京し、大学受験のため、予備校で夏期講習を受けた時のこと、大学時代の青春グラフティー、アニメの仕事をしながら、劇団の養成所に通っていた時のこと、パパとの出会い・・・・。
娘はどんな風に思って聞いていてくれたのだろう。

目的地に着いたとたん、本当に驚いてしまった。なんと、かつての塾講師時代の先輩がその学校の先生になっていたのだ!
彼は、私を見るなり、
「あの頃はピチピチ若かったのに~!何、出産で辞めたその時の子が中3だって~?お互い年取ったんだなあ~!!」
そして、現在の同僚の方達に、
「前の職場の、イベントの女王です。」
なんて紹介してくださった。

確かに、イベントに燃えていたなあ・・・。
それは今も変わっていないわけだ。

今、小学校教員免許取得の勉強のために「女子大生」をやっていると言ったら、とても喜んでくれた。

かつて、「子ども達に最高の教育を」と、お互いに理想と現実のハザマで、励ましあい、刺激しあって、がんばっていた「戦友」だ。
当時の仲間の消息に話が弾み、みんな、それぞれの道や職場で頑張っている情報交換をした。

今回は娘のことは話さなかったが、2年後、娘の気持ちが変わらなかったら、今度は一緒にたずねてみようと思う。

第3の目的地は、美術館だ。
閉館間際に滑り込み、大学の先輩の絵を見た。
私のHPの常連さんを通じて知り合った方なのだが、ほぼ、同じ時期を共にキャンバスで過ごしていたらしいのに、面識はまだない。
反戦をテーマにした絵が2点。他の絵が、イメージをどういう画面や手法で表現し、展開できるかと言うことに重点がおかれている作品が多い中で、明確なメッセージを静かに、しかし、熱く訴えかけてくるような絵だった。

美術館を出てから、ここでもまた奇跡的な出会いがあった。
グレゴとの再会である。今日はマージャはお供していなかったが、彼も私のことを覚えていてくれて、この夏の飯田市で行われた世界人形劇フェスティバルのことや、韓国の人形劇祭にも参加したことなど話してくれた。
グレゴを招いての公演実現は、実現までにいろいろと乗り越えなくてはならないハードルがある上に、半年がかりでの準備期間中に、言い出しっぺの私の身の振り方(就職)が確定していないと言う現状で、保留状態になっていることを詫びた。
でも、何処の会場でも良いから、「彼の音楽と人形をみんなに見せてあげたい!」という気持ちは今も変わらない。
グレゴ、待っててね。ここで再会できたのも、やはりそれだけの縁があってのことだと思うし、私自身も、彼の公演をぜひとも見たいし、実現させたいので、それに向かって、もう一度トライしてみようと思う。

帰りの電車の中で、娘と学校案内を見ながらいろいろ話をした。

いろんな所に行き、いろんな出会いのあった1日だったけど、2人にとっては、実りの秋に向けての、小さな一歩を踏み出せたと思う。ま、♪3歩進んで2歩下がる♪と言う感じだろうけど。とにかく、少しずつでも、前に進んでいこうと思う。