9月23日(火)秋分の日
台風一過。久しぶりに秋らしい日差しが帰ってきた。
朝から洗濯物の山を片付けた。
そして、今日は、5月から不登校の娘の部屋も片付けた―――。
娘の不登校については、以前にも、Diaryで何度か触れてきた。
中学入学後、5月の連休明けから学校になかなか行けなくなり、6月には行ってからは全く行かなくなってしまった。
本人は夏休み前には「9月1日からは学校に戻りたい」と夏休み中に遅れた勉強を取り戻す気ではいたのだが・・・。
その9月1日にも行かず、10月を迎えようとしている。
不登校になるきっかけについてはここではあえて触れない。過去は変えられない。その時点に戻ることは出来ないから。
その原因についは、かなりいろんなことが複雑にからんでいて、カウンセリングを受ければ受けるほど、「これは長期化しますね」と言われた。
今まで、担任の先生や学校カウンセリングを始め、小児科や、各専門家の先生や、不登校児の親御さん、また、かつて自分も不登校児だったという「先生の卵」の人たちなど、いろいろな方に相談に乗ってもらい、アドバイスも受けてきた。
その関係の本もたくさん読んだ。
でも、正直言って、どう娘に対応すればいいのかすればいいのか、どんどんわからなくなってきたのと、逆に、100人不登校児がいれば、100通りの対処法があるのだということがわかった。
周りの意見は、あくまでも『参考書』。
答えの無い『問題集』である娘のことをしっかり見つめ、彼女が何を苦しみ、本当はどうしたい、どうなりたいのかを理解し、丸ごと受け止めて上げられるのは、親である私しかいないのだ。
何を言っても鸚鵡返しに返してくる彼女の言葉は、単なる反抗期の言葉ではない。
私に言われる程度のことはおそらく百も承知なのだ。
逆に、私は一般論や正論を言っているつもりで、実は自分の体面のことを考えているのではないか・・・。
「『普通』って、どういうことを『普通』というの?それが本当に『普通』なの?」
「彼女の気持ちしだい」
と言う言葉に依存して、親として考えるべきこと、やるべきことから逃げてはいないか・・・。
プレッシャーをかけると言うのではなく、進む道を何から何まで整備するのではなく、
ちょっと背中を押してあげる。一人では取り除けられない根っこの張った雑草を一緒に引き抜いてあげる・・・。
教師を目指し、勉強を始めたばかりの私にとっては、現場に立つ前に、『家庭』という現実の生活の場で、親と教師を目指すものという2つの立場で、理論と実践の同一化の難しさを毎日のように思い知らされている。
彼女の部屋は、彼女の心そのままを映すように荒れていた。
妹とベットで仕切ってあるその部屋は、入るたび、眩暈がし、私の人格を変えてしまうような有り様・・。
「片付けなさい!」その言葉が彼女をますます追い詰め、私がその部屋に入ることを強烈に拒む。片付けを手伝おうというと、猛烈な拒絶反応を示す。
カウンセラーの先生は、
「気持ちの整理がつくまでは無理でしょう」
といっていた。
先生によれば、彼女には今、エネルギーが不足していて、「片付けなくては」と思ってはいても、体がついていけないのだそうだ。
「そっとしておいて上げてください」
「うるさく言わないで上げてください」
そう言われ続けて、私は3ヶ月間、ずっと手をつけられないでいた。
でも、どんどん、荒れていく彼女の部屋を見るにつけ、「片付けなさい!」と怒る気持ちや、情けなく思う気持ちよりも、夜寝る前に、「明日は学校に行こうかな」と思っていても、朝、起きた時に、この部屋の状況を見ただけで行く気どころか、起きるきも失せ、そういう自分が嫌になって、また布団をかぶって、眠ってしまうことで「現実逃避」を繰り返してしまうのではないかと思った。
これは『充電』では無く、『液漏れ状態』ではないのか?
洗い物が山になった台所では、料理を作る前にまず片付けなければというところで、疲れていたり忙しい時は、やらなきゃと思ってはいるが、やる気が失せてしまうもの。そういう状態を見ただけで、エネルギーが激減してしまう。片付いた頃には、疲れて、適当でいいか・・・なんて手抜き料理になってしまうこともある。
これが、綺麗に片付いていれば、どんな料理を作ろうかと意欲もわけば、気持ちよく作業も出来る。
そこで、先日、彼女が留守の時、たまたま洗濯物を持っていったときに、タンスをすっかり整理してあげた。
怒るかな~と思っていたら、意外にも、
「ママ、タンス、整理してくれてありがとう」
と言ってくれた。
それ以来、たたんであげた洗濯物が、入り口におきっぱなしと言うことは無くなった。
そのことをカウンセラーの先生に言ったら、
「だいぶ落ち着いてきていますね。今度は機会を見て、部屋の片付けの方も手伝われてみてはいかがですか?」
と言われた。
そこで、今日、それをついに実行に移した。
これで怒って家出するくらいなら、それだけエネルギーがあるってことだ!と強行・・・と言うより、私は賭けに出たのだ。
10月の2学期の始業日(娘の中学は2期制)には学校に行かせたい一心で。
彼女は私が部屋を片付けていることを途中から妹に聞いて気付いていたかもしれないが、一度も部屋には入ってこなかった。
一日がかりで、すっかり別の部屋になった。
と言うより、出ていたものを定位置に戻し、文具、学校用品、雑誌、コスメティックなど、それぞれに分類、取り出しやすいように整理しただけなのだが・・・。
とりあえず、勉強できる机の上にし、いつでも気持ちよく着ていけるようにした制服をハンガーにかけてあげた。
夜、私と入れ替わるように風呂に入るための着替えを取りに部屋に行った娘から、携帯にメールが入った。
「ママ、部屋を片付けてくれたんだね。ありがとう。今朝はひどい態度とってごめんね。明日から勉強しようと思います。おやすみなさい」
部屋を片付けた時、何枚も「1-Cのみんなへ」と言う、日付の違う書きかけの手紙が出てきた。
この子はどんなに学校に行きたかったんだろうと思うと、片付けながら涙が止まらなかった。
私しかこの子を学校に行かせる人間はいないと思った。
学校に行って、またくじけて帰ってくるかもしれない。でも、
「私がついている!大丈夫!疲れたら帰ってきてもいいけど、また元気出していってみよう!ここでちゃんと見ていて上げるからね!」
彼女は、朝、起きるようになった。
朝ごはんも家族と一緒にとり、洗濯物も干してくれる。
起きている時間の多くは自分の部屋で過ごし、机に向かうようになった。
夜には、今日やった分の勉強を見せてくれる。
言葉の受け答えも明瞭になり、穏やかになった。
家に誰か来たり、妹の友達が部屋に入っても嫌がらず、優しく一緒に遊んでくれるようになった。
彼女はずっと、そうしたかったのだろう。
そうできない自分を責めて責めて、苦しいから、いろんなことやいろんな人に責任転嫁して、またそれを責めて苦しんでいたのだと思う。
『過去と他人は変えられない』
でも、状況(環境)と心持が変われば、人は変われるものだと思う。
三人の子ども達は、私が一人前の親と教師になるために必要な、解答集のない問題集。
それは同時に、子ども達自身にとっても、一人一人生きる力をつけていくためにも大切な問題集。
母子で一緒に、この問題集を一つ一つていねいに取り組んでいこうと思う。
台風一過。久しぶりに秋らしい日差しが帰ってきた。
朝から洗濯物の山を片付けた。
そして、今日は、5月から不登校の娘の部屋も片付けた―――。
娘の不登校については、以前にも、Diaryで何度か触れてきた。
中学入学後、5月の連休明けから学校になかなか行けなくなり、6月には行ってからは全く行かなくなってしまった。
本人は夏休み前には「9月1日からは学校に戻りたい」と夏休み中に遅れた勉強を取り戻す気ではいたのだが・・・。
その9月1日にも行かず、10月を迎えようとしている。
不登校になるきっかけについてはここではあえて触れない。過去は変えられない。その時点に戻ることは出来ないから。
その原因についは、かなりいろんなことが複雑にからんでいて、カウンセリングを受ければ受けるほど、「これは長期化しますね」と言われた。
今まで、担任の先生や学校カウンセリングを始め、小児科や、各専門家の先生や、不登校児の親御さん、また、かつて自分も不登校児だったという「先生の卵」の人たちなど、いろいろな方に相談に乗ってもらい、アドバイスも受けてきた。
その関係の本もたくさん読んだ。
でも、正直言って、どう娘に対応すればいいのかすればいいのか、どんどんわからなくなってきたのと、逆に、100人不登校児がいれば、100通りの対処法があるのだということがわかった。
周りの意見は、あくまでも『参考書』。
答えの無い『問題集』である娘のことをしっかり見つめ、彼女が何を苦しみ、本当はどうしたい、どうなりたいのかを理解し、丸ごと受け止めて上げられるのは、親である私しかいないのだ。
何を言っても鸚鵡返しに返してくる彼女の言葉は、単なる反抗期の言葉ではない。
私に言われる程度のことはおそらく百も承知なのだ。
逆に、私は一般論や正論を言っているつもりで、実は自分の体面のことを考えているのではないか・・・。
「『普通』って、どういうことを『普通』というの?それが本当に『普通』なの?」
「彼女の気持ちしだい」
と言う言葉に依存して、親として考えるべきこと、やるべきことから逃げてはいないか・・・。
プレッシャーをかけると言うのではなく、進む道を何から何まで整備するのではなく、
ちょっと背中を押してあげる。一人では取り除けられない根っこの張った雑草を一緒に引き抜いてあげる・・・。
教師を目指し、勉強を始めたばかりの私にとっては、現場に立つ前に、『家庭』という現実の生活の場で、親と教師を目指すものという2つの立場で、理論と実践の同一化の難しさを毎日のように思い知らされている。
彼女の部屋は、彼女の心そのままを映すように荒れていた。
妹とベットで仕切ってあるその部屋は、入るたび、眩暈がし、私の人格を変えてしまうような有り様・・。
「片付けなさい!」その言葉が彼女をますます追い詰め、私がその部屋に入ることを強烈に拒む。片付けを手伝おうというと、猛烈な拒絶反応を示す。
カウンセラーの先生は、
「気持ちの整理がつくまでは無理でしょう」
といっていた。
先生によれば、彼女には今、エネルギーが不足していて、「片付けなくては」と思ってはいても、体がついていけないのだそうだ。
「そっとしておいて上げてください」
「うるさく言わないで上げてください」
そう言われ続けて、私は3ヶ月間、ずっと手をつけられないでいた。
でも、どんどん、荒れていく彼女の部屋を見るにつけ、「片付けなさい!」と怒る気持ちや、情けなく思う気持ちよりも、夜寝る前に、「明日は学校に行こうかな」と思っていても、朝、起きた時に、この部屋の状況を見ただけで行く気どころか、起きるきも失せ、そういう自分が嫌になって、また布団をかぶって、眠ってしまうことで「現実逃避」を繰り返してしまうのではないかと思った。
これは『充電』では無く、『液漏れ状態』ではないのか?
洗い物が山になった台所では、料理を作る前にまず片付けなければというところで、疲れていたり忙しい時は、やらなきゃと思ってはいるが、やる気が失せてしまうもの。そういう状態を見ただけで、エネルギーが激減してしまう。片付いた頃には、疲れて、適当でいいか・・・なんて手抜き料理になってしまうこともある。
これが、綺麗に片付いていれば、どんな料理を作ろうかと意欲もわけば、気持ちよく作業も出来る。
そこで、先日、彼女が留守の時、たまたま洗濯物を持っていったときに、タンスをすっかり整理してあげた。
怒るかな~と思っていたら、意外にも、
「ママ、タンス、整理してくれてありがとう」
と言ってくれた。
それ以来、たたんであげた洗濯物が、入り口におきっぱなしと言うことは無くなった。
そのことをカウンセラーの先生に言ったら、
「だいぶ落ち着いてきていますね。今度は機会を見て、部屋の片付けの方も手伝われてみてはいかがですか?」
と言われた。
そこで、今日、それをついに実行に移した。
これで怒って家出するくらいなら、それだけエネルギーがあるってことだ!と強行・・・と言うより、私は賭けに出たのだ。
10月の2学期の始業日(娘の中学は2期制)には学校に行かせたい一心で。
彼女は私が部屋を片付けていることを途中から妹に聞いて気付いていたかもしれないが、一度も部屋には入ってこなかった。
一日がかりで、すっかり別の部屋になった。
と言うより、出ていたものを定位置に戻し、文具、学校用品、雑誌、コスメティックなど、それぞれに分類、取り出しやすいように整理しただけなのだが・・・。
とりあえず、勉強できる机の上にし、いつでも気持ちよく着ていけるようにした制服をハンガーにかけてあげた。
夜、私と入れ替わるように風呂に入るための着替えを取りに部屋に行った娘から、携帯にメールが入った。
「ママ、部屋を片付けてくれたんだね。ありがとう。今朝はひどい態度とってごめんね。明日から勉強しようと思います。おやすみなさい」
部屋を片付けた時、何枚も「1-Cのみんなへ」と言う、日付の違う書きかけの手紙が出てきた。
この子はどんなに学校に行きたかったんだろうと思うと、片付けながら涙が止まらなかった。
私しかこの子を学校に行かせる人間はいないと思った。
学校に行って、またくじけて帰ってくるかもしれない。でも、
「私がついている!大丈夫!疲れたら帰ってきてもいいけど、また元気出していってみよう!ここでちゃんと見ていて上げるからね!」
彼女は、朝、起きるようになった。
朝ごはんも家族と一緒にとり、洗濯物も干してくれる。
起きている時間の多くは自分の部屋で過ごし、机に向かうようになった。
夜には、今日やった分の勉強を見せてくれる。
言葉の受け答えも明瞭になり、穏やかになった。
家に誰か来たり、妹の友達が部屋に入っても嫌がらず、優しく一緒に遊んでくれるようになった。
彼女はずっと、そうしたかったのだろう。
そうできない自分を責めて責めて、苦しいから、いろんなことやいろんな人に責任転嫁して、またそれを責めて苦しんでいたのだと思う。
『過去と他人は変えられない』
でも、状況(環境)と心持が変われば、人は変われるものだと思う。
三人の子ども達は、私が一人前の親と教師になるために必要な、解答集のない問題集。
それは同時に、子ども達自身にとっても、一人一人生きる力をつけていくためにも大切な問題集。
母子で一緒に、この問題集を一つ一つていねいに取り組んでいこうと思う。