守田です(20170719 06:00 ドイツ時間)
ドイツ・デーベルンの反核サマーキャンプからです。
キャンプは今日で3日目を迎えます。昨日もたくさんのレクチャーを聴き、デーベルンの町中の見学もしてきました。
もの凄い情報量で、すでに発信したいことが山積み状態なのですが、今朝は6時45分から朝食が始まり、ミーティングがなされ、7時45分にバスにのってキャンプ地を離れます。WISMATミュージアムを訪問して一日見学するようなのですが、どういうところなのかいまいちよく分からない(笑)その分、ワクワクしていますが、ともあれこのため発信時間が限られています。それで今回は初日の17日に行った僕のプレゼンの内容をアップしておこうと思います。
すでにご紹介したように平賀緑さんの添削‥というより英語編集を経た文章をスライドをお見せしながら朗々と読み上げたのですが、あとで何人かの方からとても良かったと言ってもらえました!準備にかなり骨を折ったこともあり嬉しかったです。キャンプの参加者は各国でかなり活発に活動を繰り広げている方達なので、日本の民衆の奮闘の姿を伝えてもらえます。「こういう情報が欲しかった」との声もありました。
このためあとから原稿やスライドも供出してさらなる情報共有・拡散に協力するつもりです。ともあれ発言原稿を掲載しますのでお読みください。なお30分用なので長いですが、たくさんのことを載せたいので1回でまとめてアップしてしまいます。
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福島原発には何が起きているのか。日本の反核運動には何が起きているのか
2017年7月17日 ドイツ・デーベルン 反核サマーキャンプにて
初めにこの素敵なキャンプに呼んでいただいたことに感謝申し上げます。私は日本の京都市在住のジャーナリストです。
私の父は広島原爆のサバイバーの一人です。母は東京大空襲のサバイバーの一人です。そのため私は戦争と核兵器、核エネルギーが大嫌いです。そのため私は福島原発事故以降、人々を放射線から守るために奔走してきました。
私は今日、みなさんに福島原発に何が起こっているのか、日本の反原発運動に何が起こっているのかをみなさんにお話したいです。
福島原発はいまなお事故が収束していません。
日本政府は2011年末に「収束宣言」をしましたがまったくの嘘です。そもそも1~3号機は、放射線値が高すぎでいまだに人が近づけない状態です。ロボットもたちまち壊れるので、中がどうなっているのか、どこがどう壊れてしまったのか、十分に調べることができていません。
ここで福島原発事故がどのような事故だったのか、振り返ってみたいと思います。
福島原発には全部で6基の原子炉がありました。東日本大震災が原発を襲ったとき、1号機から3号機が運転中で、4号機から6号機が点検中で止まっていました。
地震とともに運転中の炉内にブレーキである制御棒が挿入され、核分裂反応は止まりました。しかし冷却機能が奪われてしまい、核燃料がメルトダウンしてしまいました。格納容器は深刻に壊れてしまい、大量の放射能が漏れてしまいました。
もう一つ、危機に陥ったのは4号機でした。4号機は運転していなかったので炉内に核燃料は入っていませんでした。燃料プールに入れてありました。ところが運転してなかったこの4号機でも爆発が起こりました。まだなぞに包まれています。これと同時に4号機のプールの水位が下がりだしました。
運転を終えた燃料はプールの中に沈められますが理由は非常に高い熱を持っているからです。この熱がやっかいで少なくとも数年はプールの中に入れておかなくてはなりません。
プールに張られている水は、同時に放射線をさえぎる役目も果たしています。このため水位が下がりだして燃料棒が水の上に出てしまうと、強い放射線が飛び交いだしてしまいます。さらに水がどんどん無くなると燃料が溶け出しますが、プールはただのコンクリート製ですから溶けた燃料がプールから落ちてしまいます。
そうなったらもう誰も近づけず、現場から撤退するしかなくなります。しかもこのとき4号機の中にはなんと1500本もの核燃料が入っていました。
日本政府はこのとき、事故が最悪化した場合にどうなるかを計算しました。すると原発から半径170キロ圏が強制移住、東京を含む250キロ圏が希望者を含む移住ゾーンになるという結果がでました。
しかし政府は真実を告げませんでした。
しかも肝心なことはこの危機が完全に去ってはいないことです。
4号機のプールに入っていた燃料棒は地上のプールに移されたので危険は減りました。
しかし大地震があった場合、福島のプラントが倒壊する可能性があります。しかしその危険地帯、放射線も高い地帯に今もたくさんの人が住まわされています。これが原発事故の実態です。
溶け落ちてしまった核燃料はまだその状態がどうなっているのかも把握されていません。
ただ熱があることだけは確実なので、冷やし続けなければならず、毎日、大量の水が投入されていますが、これが放射能汚染水の海への漏れだしにつながっています。
汚染水の量は1日100トンと推定されています。
私の胸は痛み続けています。汚染は世界中に及んでいます。とても申し訳ないことです。
このように福島原発事故はまだまったく収束していません。
人々の状況はどうでしょうか。
福島原発事故で放出された放射能量は膨大で、チェルノブイリにも匹敵します。しかもチェルノブイリ周辺よりも圧倒的に人口が多いところに放射能が降りました。これは放射能汚染地図です。
チェルノブイリの周りでは「避難権利区域」がたくさんあります。色のついているところはそれにあたります。しかし日本では避難地域は非常に限られた場所にしか設定されませんでした。日本という国は、ソ連よりももっとひどい国だったのです。
東京も激しく被曝しています。被曝は日本の焼却システムによっても促進されてしまいました。日本は世界のどの国よりも廃棄物の処理を焼却に頼っています。このため福島原発事故後に降った放射能の多くがごみとして集められ、焼却場で燃やされてしまいした。これらにより東日本でさまざまな病気の発生率が高くなっています。
もちろん日本の民衆もこうした状態を黙ってみているわけではありません。福島原発事故後に日本中でたくさんのデモが行われるようになりました。それまでデモに一度も参加したことがなく、政治に関心の薄かった層が大幅に参加し始めました。福島原発事故後、おそらく日本ではそれまでの歴史になかったほどのデモが行われ続けています。効果は絶大で日本の多くの原発の稼働をくいとめています。
日本には2011年3月まで55基の原発がありました。事故後、定期点検に入るなどして次々と止まりましたが、政府が再稼働させようとすることに対して、全国で大きな運動が起こりました。とくに2012年に始められた毎週の首相官邸前デモは、参加者がどんどん増えて、ピーク時には20万人になりました。
これが全国に飛び火し、各都市の主要ターミナルや電力会社前でも金曜行動が行われるようになり、現在でも100近いデモが継続されています。多くのデモが250回を数えるようになっています。この民衆の力によって、一時期、日本の原発はすべて止まりました。ところが経済大国と言われる日本で、原発がすべて止まっても、何も困りませんでした。電気は足りていたのです。
福島原発事故以降、日本ではいくつかの原発の廃炉も民衆の力で実現されました。福島の6つの原子炉の他に老朽化した6基の廃炉が決まり、高速増殖炉「もんじゅ」すら廃炉になりました。この結果、いま日本で稼働可能な原発は全部で42基ですが、稼働しているのはわずかに5基です。あとの37基の原発の稼働を私たちはなお阻んでいます。
いろいろなデモの写真をお見せします。特徴的なのは子どもをもったたくさんの女性たちが立ち上がったことです。こうしたデモが全国で無数に行われてきています。
さらにこうした行動は日本の民衆の政治的活性化にもつながりました。原発だけでなく、戦争に反対し、市民的権利をめぐる無数のデモが毎週のように行われています。その一つの中心は沖縄で行われている米軍基地建設反対運動です。
私は17歳のときにアクティビストになり、依頼、40年間、社会変革運動を行ってきたしたが、これほど日本民衆がさまざまなデモを繰り広げている時を知りません。
ただこの民衆の覚醒に対して、ついてこれていないものがあります。一つはマスメディアで、もう一つは野党です。このため残念ながら民衆の覚醒はまだ国会の議席に反映していません。このため世論調査をすると原発反対は7、8割を占めるのに、議席は原発再稼働強行派の政権党が7割を占めています。これをどう逆転させるのかが課題です。
それをどう実現していくのか。さまざまな方法がありますが、今日、私がみなさんにご紹介したいのは、原子力災害対策を進めることです。この中でこそ、原発の危険性をより広く知ってもらうことが大事だと思っています。
日本では福島原発事故が起こるまで、「チェルノブイリ原発事故のようなことは絶対に起こらない」と強調されてきました。このためどの町も原発事故に対する避難計画を持っていませんでした。福島原発事故が起こった時も、多くの行政が立ち往生しました。
さすがに福島原発の周りの自治体は、安定ヨウ素剤を持っていたのですが、ほとんど配られませんでした。配るためのシミュレーションがなかったためです。また福島県が「パニックを起こしてはならないから」と配布を禁じたためでもありました。そして「にわかに健康被害はない」ということだけが強調されました。
このことの反省から「再稼働をするなら避難計画を作るべきだ」という声が高まり、これにおされて政府は、原発から5キロ圏内を事故の兆候があったら逃げ出すゾーンに指定し、安定ヨウ素剤の事前配布を行いました。また30キロ圏内を放射線値が高くなったら避難するゾーンに指定し、各自治体に避難計画の策定を命じました。しかし各地で混乱が起こっています。人口密度の高い日本で住民を効率よく逃がす対策をたてるのは困難だからです。
にもかかわらず政府は、避難計画もまともにできていないまま、2015年に日本の一番端にある川内原発の再稼働を開始しましたが、これに対して各地で「せめて安定ヨウ素剤を配れ」という動きが強まりだしました。
そんな中で私は、兵庫県篠山市という人口43000人の小さな町にかかわってきました。現在動いている高浜原発から60キロ弱です。政府が事故対策を指示した30キロ圏内の外ですが、事故時に高濃度の放射能が飛んでくる可能性が十分にあります。
私はここで原子力災害対策検討委員会のメンバーになり、事故対策を重ねてきました。篠山市の方針は、事故がおきたらとにかく全市をあげて逃げ出すことです。そのために事故がおきたらなぜすぐに逃げなくてはいけないのかの教育を徹底し、事故時にそれぞれがどこにどうやって逃げるのか、あらかじめ決めておくことを訴えています。
同時に安定ヨウ素剤の事前配布を実現しました。原発5キロ圏内以外の日本の都市の中で初めての試みでした。篠山市は住民に、「安定ヨウ素剤は放射性ヨウ素にしか対応できないものだ。他の放射能からは身体を守れない。だからこれを飲むときは逃げ出す時だ」と教えています。市民学習会を何度も繰り返しながら実現してきました。このためいま、篠山市の3歳から13歳までの子どもの7割に安定ヨウ素剤がいきわたっています。
さらに篠山市は事故対策のハンドブックを作成しました。この21日に市民向けに発送されます。原稿を私が書き、友人が漫画を描きました。ちょっとお見せします。
いま、この動きが日本中に広まりつつあります。多くの原発の近くの行政体が対策を行いたいと考えだしていて、政府が5キロ圏内に押しとどめているヨウ素剤事前配布を広げたいと考えだし、私へのコンタクトが増えています。篠山市で行ったことを真似たいというのです。すでに原発30キロより外の幾つかの町で実際に事前配布に向けた動きが活発化しています。
「ヨウ素剤配布を進めることは再稼働を支持することだ」という意見もありました。しかし私はそうは思いません。すでに日本では5基の原発が動いていて、明日、大事故を起こすかもしれません。また原発はとまっていても、プールに核燃料がある限り、地震などで何が起こるか分からず危険です。その点からも原子力災害対策は行わなければならないのです。
同時に私が取り組んできて思うことは、原発反対運動とは違い、原発災害対策は、とりあえず原発賛成・反対を横において進めることができます。このため保守の方たち、原発賛成派とも十分に話ができるのです。
そして災害のリアリティを一緒になって考えていくと、ほとんど誰もが「原発はそんなに危ないものだったのか」と目覚めてくれます。その点で原子力災害対策を充実させればさせるだけ、人々は原発や放射能の危険性にめざめます。
実はだからこそ、日本政府は福島原発事故までなんの災害対策をとらず、事故後も安定ヨウ素剤配布を5キロ圏内にとどめているのです。安定ヨウ素剤配布が、原発の危険性への覚醒につながるからです。
このため私はいま、全国にヨウ素剤の事前配布を広めるべく努力しています。それを通じて住民の意識啓発を進めるのです。原発反対のデモも頑張る必要がありますが、しかしデモには来ない人、原発にまだ賛成している人を含めて、一緒に原発のことを考えるムーブメントを広げれば、日本民衆の覚醒はさらに強まります。そのための努力を続けます。
最後にこの間、日本の中で起こっている大きなことをお伝えします。日本の原発メーカーである東芝がほとんど倒産しかかっていることです。理由はアメリカへの原発輸出での大失敗です。
日本にあるメーカーは三つです。東芝と三菱と日立です。このうちの東芝がアメリカのウェスチングハウス社を買収し、原子力産業の世界のリーディングカンパニーになろうとしました。2006年のことです。そしてアメリカで次々と原発を作り始めました。ところがその後に福島原発事故が起こり、東芝の信用が失墜しました。なぜか。福島原発の多くが東芝製だったからです。
それでも東芝はあきらめずに原子力部門への投資を強めましたが、その前に立ちはだかったのが、原発の規制基準の強化でした。これは世界中の政府当局が行わなければならなくなったことです。そうしたら途端に各地で採算われが生じたのです。この挙句の果てに東芝は巨額の損失を出してしまい、すでに原発輸出からの全面撤退を表明しました。
同じことがフランスのアレバ社でも起こりました。いや世界中の原発メーカーがこの事態に直面しています。
この事態を前にアジアでは、日本がもっとも期待する原発輸出先であったベトナムが計画を白紙撤回してしまいました。さらに台湾でも日本から輸出されて完成間近だった第4原発を動かさないことが決まり、政権がかわって脱原発が宣言されました。
さらに日本のお隣の国の韓国でも新しい大統領のもとで脱原発が宣言されました。
これらのことにより、日本の安倍政権の原発輸出を柱とした経済成長路線が完全に破たんしてしまいました。そんな中で、日本ではいま、安倍首相が汚職問題が明らかになって大きな危機の中にありますが、この背景にあるのは東芝が崩壊し、原発輸出がどんどん難しくなっていることにあると僕はみています。
では誰がこの事態を作りだしたのか。私たちです。今日ここに集まっているみなさんです。みなさんが原発反対を掲げ、無数のデモをしてきたからこそ、各国の政府が規制を強化せざるをえなくなったのです。そしれもうそれだけでメーカーには痛手で、原発が経済的にもちっとも儲けにすらならないことが見えてきたのです。このため保守の側、財界の側からも、原発にはもう展望がないのではないかという声が高まっています。私たち民衆の力が原発から展望を奪い、核のない日を近づけているのです。
だからみなさん。さらに連帯して頑張りましょう。このたたかいは勝つことができます。
最後にみなさんにこの言葉を送ります。
Power to the people!
ありがとうございました!
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