明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1823)マーシャルや南洋の島々の人々への思いも寄せつつ、NNNドキュメント「クリスマスソング 放射線を浴びたX年後」を観たい・・・

2020年05月24日 16時30分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20200524 16:30)

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核実験とマーシャルの人々

今回は「明日に向けて(1821)」に続いて、テレビで放映予定の番組をご紹介します。
「NNNドキュメント「クリスマスソング 放射線を浴びたX年後」というタイトルで、本日24日日曜日24時55分(25日月曜日0時55分)から25時50分(同1時50分)まで放映されます。
http://www.ntv.co.jp/document/

すでにお知らせしたこの番組のことに再度、触れる理由は、ぜひあらかじめ知っておいていだきたいもう一つの重要な点があったからです。
前回もお知らせしたように、1954年にビキニ環礁で水爆がさく裂したとき、かの海域にいたのは、後に有名になった「第五福竜丸」だけではありませんでした。およそ1000隻以上の漁船がいたのでした。


GoogleMapに写る現在のビキニ環礁 中央のクレーターは水爆ブラボー(1954年3月1日)の炸裂の跡


なぜ日本の漁船がこの海域に多かったのか。マグロなどの良い漁場だったからですが、それを日本が知っていたのは、もともと「南洋諸島」は日本が植民地領有していた島々だったからでした。

太平洋戦争の後半、攻防の軸となったのは、日本軍が守備しているこれらの島々に、アメリカ軍が猛攻撃をかけ、奪取することでした。その際、南洋の島々の人々は、米軍の攻撃にも日本軍の反撃にも巻き込まれました。
やがて米軍が南洋諸島を完全に制覇しました。戦略的に重要だったのは、日本軍基地のあったサイパン島を攻略したこと。そののちに隣のテニアン島の元日本軍飛行場が大改修され、そこから連日B29が大挙して飛ばされて、本土大空襲がなされました。
全土にわたって焼夷弾を主体とする猛爆撃が行われた末に、8月にエノラゲイとボックスカーがテニアン島を離陸。広島、長崎に向かい、原子爆弾を投下したのでした。


日本の多くの都市がサイパンからのB29の飛行圏内に入った

日本が降伏し、戦争が終結するや、アメリカは南洋の島々を統治下におき、なんとそこで核実験を始めたのでした。
最初の核実験となったトリニティ・サイトでの実験(1945年7月16日)で、周辺住民に甚大な被曝を起こしたため、日本から奪ったばかりの南洋の島々に実験を移したのでしょう。
もちろん島々に人々が住んでいることも、周辺海域に、たくさんの漁船がいたことも知った上でのことでした。


マーシャルやサイパンの方たちと交流して

昨年、僕は2度にわたってアメリカを訪問しました。「核の終わりを探る旅」と位置付けましたが、その際、ワシントン州シアトルで、マーシャル諸島からの移民の方たちと出会うことができました。
マーシャル諸島に学生の時から20年も通い続け、マーシャルの方たちから深い信頼を得ている、研究者の竹峰誠一郎さんと同行させていただいたために可能になったことで、とても感慨深かったです。


マーシャルの方たちと。ワシントン州シアトルにて 2019年11月

戦争中にアメリカ軍が攻めてきたときも、マーシャルの人々は米日両軍によって酷い目にあいましたが、戦争が終わってから核実験で酷い目にあわされ続けた。そのことに私たちは日本から、どれだけの抗議ができたでしょうか。

いやそもそも私たちは、第五福竜丸以外の船のこともあまり知りませんでした。そしてその上で、私たちの先達の多くは、「原子力の平和利用」という詭弁に騙されて、原子力発電所が次々と建てられることを容認してしまいました。
そして長い時を経て、私たちは福島原発事故という惨事を体験したのでした。
どうしてそうなってしまったのか。米日両政府によって事件のもみ消しが図られたからでしたが、日本政府はその際、もみ消しの交換条件としてA級戦犯の釈放すらも持ちだしていたことが、歴史学者の高橋博子さんの研究で明らかになっています。

ビキニ核被災の「政治決着」政府、戦犯釈放で取引 補償は限定、公文書に明記
しんぶん赤旗 2019年6月12日
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-06-12/2019061201_02_1.html

僕自身、竹峰さんのように、先駆的な取り組みを続けている方がおられ、研究書なども幾つも出ていたのに、マーシャルや南洋の島々の方たちに十分に思いを馳せずにきてしまったことを、恥ずかしく思いました。
そんな僕のもとにサイパン島で育った男性が近づいてきてこう語られました。「私の父は日本統治地代に育って日本人と仲良くしていた。その日本人たちが、上陸してきた米兵に殺されるのを見た。父自身もアメリカの航空機の攻撃を見た」
「さらにテニアンが占領されてからは、父はいつもたくさんの爆撃機が日本を目指して飛び立っていくのを見て悲しんでいた。その中にエノラゲイやボックスカーもあっただろう・・・。」

涙が出そうになりました。そうやってサイパンに生まれたこの方のお父さまは、日本空襲に胸を痛め続けられたのです。戦後生まれの息子さんもその思いを強く共有しておられました。
今宵の「クリスマスソング 放射線を浴びたX年後」がどのように編集されたものなのか僕は知りません。「クリスマスソング」というタイトルから、実験に関わったイギリス兵の方たちのことが描かれるのかなとも思います。
多くの人々が大変な被曝を被りました。その被害に差異をつけることなどできないでしょう。ただそれでも太平洋戦争の主戦場となった島々の人々が、本当にたくさん被曝させられたことに、私たちは強い思いを馳せる必要があると思うのです。

それが原子力の正体です。それが現代科学がもたらしたものです。
そのこととしっかり向き合い、現代科学のあやまりを越えて、核なき未来、戦争、搾取、差別、抑圧、貧困のない世の中を目指したいです。

#放射線を浴びたX年後 #核実験 #マーシャル諸島 #サイパン #原水爆 #NNNドキュメント #ビキニ環礁

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