明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1243)熊本地震災害はまだ途中。余震が次の地震や阿蘇山の変化につながる可能性も。警戒を!

2016年04月15日 23時00分00秒 | 明日に向けて(1201~1300)

守田です。(20160415 23:00)

昨日(14日)午後9時過ぎに熊本県益城町を中心とする大きな地震が起こりました。マグニチュードは6.5、震度は7であったとされています。
九州地方での震度7の地震の観測は、気象庁が本格的に統計を開始した1923年以来、初めてだそうです。

この地震ですでに9人の方が命を落とされました。慎んでご冥福をお祈りいたします。
負傷者も1000人を超すと報道されています。一刻も早い救済や治療が進むことを心の底から願ってやみません。また避難されている多くのみなさんのご無事をお祈りいたします。

その後もたくさんの余震がこの地域を襲っています。なぜこのように余震が多いのか。また今後、どのようなことが予想されるのか、NHKが詳しい解説を流していました。まずはそれを観ていきたいと思います。

 熊本地震 なぜ余震が多いのか
 NHK 4月15日20時00分
 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160415/k10010481771000.html

解説を行っているのは東京大学地震研究所の古村孝志教授です。
ポイントと言えることを箇条書きします。

○九州は南北に引っ張られる力が働いているために、今回、地震がおきた益城町付近などには断層帯が多い。
地震が起こったのはこの複数の断層が重なる断層帯の上。何枚もある。

○まずは布田川断層に沿って起こったと思ったものが、余震はその後、日奈久断層に沿って起きている。
今は地震の範囲は10数キロだが、今後これが北側や南側に伸びていかないか、強い心配が残る。

○地震の揺れの特徴が益城町のデータから分かった。
地震では1~2秒の周期のものが、一番木造住宅に影響が与えやすいが、今回はこれが強かったのが特徴。阪神淡路大震災に似ていた。

○ただし揺れ自身は強かったが、10秒から15秒ぐらいで長くは続かなかった。短い揺れでも木造家屋に影響を与える地震だったので被害が多かった。
今もこの地域の建物は、強い影響を受けている可能性があるので、今後の余震でさらに押し倒される可能性がある。注意が必要。

○国の予想では、この断層帯に沿ってマグニチュード7.5までの揺れを想定していた。
今回はそこまで行っていないが、今後、余震が南北に広がり、次の地震につながる可能性も心配しなくてはいけない。

○阿蘇山の火山活動への影響ははっきりいってよく分からない。
しかし同じ断層の延長線上に阿蘇山があり、地震の強い揺れを受けて火山の活動が変わるということは過去にあったので、今後の阿蘇山の火山活動の変化を合わせてみていくことが重要。

ポイントのまとめはここまでですが、端的に言えば、断層に沿って余震から新たな地震や火山活動の変化が起こることが予想されています。
このため、熊本県地方はもちろん、九州の多くの地域で、新たな地震の発生、ないしは大きな余震の発生に備えて厳重な警戒を行う必要があります。

おりしも気象庁から、前線を伴う低気圧の影響で、16日から17日にかけて西日本を中心とした広い範囲で暴風や大雨が予想されるとの警戒が呼び掛けられています。
このため地震による地盤の脆弱化と大雨の影響による土砂災害が発生する可能性も考えられます。
危険な地域におられる方は、ぜひとも早目の避難を行って欲しいと思います。
またハザードマップで危険性が確認されていない地域の方も、ハザードマップが人間による想定にすぎず、災害がそれを越えてしまう可能性があることを十分に考え、避難の態勢をとって欲しいと思います。

以下に九州の活断層の地域評価も記しておきます。

 九州地域の活断層の地域評価
 http://www.jishin.go.jp/evaluation/long_term_evaluation/regional_evaluation/kyushu-detail/

これらを参考にしつつ、今回の地震災害が、まだ終わっておらず、さらなる大きな地震の発生や、阿蘇山の活動の変化に連なることもありうることを考えて、暫くは緊張を解かずに危険性を向い合ってください。

こういうときに一番危険なのは「正常性バイアス」の罠にはまることです。
事態を重く見ることよりも、「そんなことはない。事態は正常化していく。大丈夫だ」と考えた方が楽なので、心が危険の認知を拒み、安全だと自分に言い聞かせてしまうことです。
ぜひそうした罠に陥らず、緊張を持ってお過ごしください。
お近くのみなさまの安全を心の底からお祈りしています!


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(1242)『原発と戦争を推し進める愚かな国、日本』(小出裕章著)を読んで

2016年04月13日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1201~1300)

守田です。(20160413 23:30)

すでにお知らせしたように、この週末、4月16日に京都桂川で尊敬する小出裕章さんとジョイント講演をさせていただきます。
小出さんが「福島原発事故から6年目 放射能から身を守る術」というタイトルで1時間半お話され、僕がそれを受けて、原発からの命の守り方について、とくに災害対策の具体的な面にしぼって、30分ほどお話します。

企画案内のFacebookページを再度示しておきます。
「近くの原発が動き始めた・・・私たちの防災教育」
https://www.facebook.com/events/108395789558470/


日本の反原発運動の歴史の中でも、福島原発事故後のこの5年間の中でも、小出さんの記されてきた足跡は本当に素晴らしく、ありがたいの一言に尽きます。
もっとも小出さん自身は、原発事故後の多くの講演会の場で「事故を止められずに申し訳ありません」と深々と頭を下げられました。
動画などを観ていて心の底からそう思われていることが伝わってきました。
あの時、僕にも似た思いがありましたが、しかし誰よりも原発の危険性を分かりやすく説き続け、同時に民衆の側に立って生きることを鮮明にしてこられた小出さんの「謝罪」であるがゆえに、心の中に染み入るほどに感動を覚えました。

その小出さんとご一緒にするにあたり、京都大学原子炉実験所を退職された後に書かれた最新の書である『原発と戦争を推し進める愚かな国、日本』(毎日新聞出版 2015年9月15日一刷)を読ませていただきました。
あらためて小出さんの、最も大切な原則と言うべきものをしっかりと通していくあり方に触れた思いがして、感動するとともに、みなさんにご紹介したくなりました。

小出さんは第一章に「原子力緊急事態はいまも続いている」というタイトルをつけて、本書を始められています。
これは私たちが今の日本社会を認識する上で、最も重要な点です。この国には福島原発事故直後から、憲法の人権条項の一部を停止した非常大権が発動され、それまでの法律の多くが無視されてしまっているのです。
もちろんそれが合法かというとそんなことはありません。「原子力緊急事態」は合法的な根拠などない違憲のものでしかありませんが、それが強引に通されてしまっているのが現状です。

しかしこの重大事態があまりに忘れ去られてしまっている。この状態にあることを継続的に批判し続けているマスコミもあまりありません。
そもそも、人権条項の一部を停止しなければならないような緊急事態、しかも原子力災害のただなかにある国で、世界から人々を集めてオリンピックを行うなどということがあって良いのでしょうか?
こんなことはこの国に住まう人々だけに対してだけでなく、世界に対する裏切りです。この「原子力緊急事態」についての小出さんの記述を少し長くなりますが引用します。

「日本は法治国家と言われます。法治国家であるならば、半径20~30キロ圏内の住民はもちろん、放射線管理区域ほどに汚染された土地にいる人たちも、強制避難させなければいけませんでした。
しかし日本の政府はそれをしなかった。事故をできるだけ小さく見せたいし、何より原子力緊急事態宣言下にあるのだから、そんな法律は守れないし、守らなくていいということにしました。
同じ理由で反故にした法律はこれだけではありません。普通の人々の被曝限度は「年間1ミリシーベルト」と定められています。しかし、今は緊急事態でそんな法律は到底守れないので守らなくていい。
子どもだろうと、赤ん坊だろうと、「年間20ミリシーベルト」までは大丈夫だから我慢しなさいということにしてしまいました。」(p30~31)

「私はこれまで機会があるごとに、どんなに少ない線量でも、被曝に安心、安全、大丈夫はないと言ってきました。『ここまでは安全』、『ここからは危険』などと線引きすることはできないのです。
『原爆被爆者の死亡率に関する研究』を行ってきた放射線影響研究所も、『(死亡リスクの)しきい値(安全性と危険性の境を示す値)は認められない。すなわちゼロ線量が最良のしきい値推定値であった』と明言しています。
・・・つまりこれが現在の学問の到達点なのです。ですから本当は平時の年間1ミリシーベルトという基準だって大丈夫とは言えません。」(p31)

小出さんはここでとても大事な原則を述べられています。まずは放射線被曝に「ここからは安全」というしきい値などないこと。それが学問の到達点であることです。
だから低線量はどれだけ危険か、安全かという以前に、どんな量でも危険な放射線を浴びさせられない権利が私たちにあるのです。
しかし現行の法律では、1ミリシーベルトまで政府が住民に浴びせてもいいことになってしまっている。それだって本来は間違っているのに、さらに緊急事態だから20ミリまで浴びせても良いとなっているけれども、そんなものは言語道断なのです。
小出さんは「原子力緊急事態」だから20ミリシーベルトまでは浴びせても良いという暴論に反対しつつ、そもそもその根拠となっている「緊急事態」が宣言されていることが忘れ去られていることへの警鐘を鳴らしているのです。

さらに小出さんの眼は、こんなにひどい政府の政策によって、最も苦しめられている人々に向かっていきます。そしてこのように述べられるのです。

「事故が起きてしまったばかりに、強制避難させられた人たちは、避難する本当の理由も知らされることなく、着の身着のまま、家も土地も財産も置いて、バスに乗せられました。
『逃げたければ勝手に逃げろ』と言われて自主避難した人たちは、苦渋の選択をして福島県外に移り住みました。
そして仮設住宅で暮らす大半の人々が、乳幼児や小さな子どもを抱えて暮らしています。
子どもを守りたい一心で家族が分かれて暮らす決断をした人々の中には、夫と妻が分かれて暮らす中で生じてしまった溝を埋められずに離婚してしまったケースが少なくありません。
そうした人たちの多くが生活に困窮し、そのような決断をしてしまった自分自身を責めながら、やっとの思いで生きているのです。」(p43)

小出さんはどこまでも福島原発事故によってもっとも大きな苦しみを背負ってしまった人々の立場に寄り添っていきます。寄り添って、悲しみと苦しみを共にし、その奥底から湧いてくる怒りをバネに論を続けられています。
そしてこの章を次のように結論されるのです。

「原子力緊急事態宣言というのは本来、原子力災害から国民の生命、身体及び財産を保護することを目的に出されているものです。
・・・にもかかわらず、そうした責務を課せられている人たちは、『国民の生命、身体及び財産を保護」しようなどということは、これっぽっちも考えてないのです。
今もそうですが、日本の政府は福島第一原子力発電所の事故が起きてからずっと、事故をできるだけ小さく見せかけようとしてきました。事故を起こした張本人である東電を庇い、原子力の安全神話を唱えて旗を振ってきた自分たちの誰もが処罰されないようにし、身体も一切傷つかないようにして、正面切ってものを言えない人たち、力の弱い人たちに、すべてのしわ寄せを押しつけ、我慢を強いてきました。保護してきたのは、被害に遭った国民の生命と身体と財産ではなくて、原子力を推進してきた人たちの利権と地位でした。」(p44~45)

小出さんはその末に、必死で避難した人々が再び汚染された土地に押し込められて切り捨てられようとしていること、そのもとで復興ムードが日本中に蔓延され、原発の世界への売り込みまでがなされようとしていることを厳しく批判しています。

今回紹介できたのは全体で6章で編まれている本書の冒頭のこの1章だけなのですが、しかしここまで見てきただけでも私たちは最も大事なポイントを学ぶことができると思います。
放射線被曝の問題は、本来、どこまでが危険でどこからが安全かという話ではないのです。まったく被曝などさせられる必要のない人々が被曝させられたのだということ。にもかかわらず被曝を強要した人々の責任が極めてあいまいにされ、免罪され続けているのだと言うこと。ここにこそ明確に加害者と被害者のいる最悪の公害としての原発事故の本質があるのだということです。
私たちは放射能公害という原点にこそ不断に立ち戻り、加害者の責任を追及し、被害者を守り抜いていかなくてはなりません。

これを忘れて「低線量被曝は思ったほど怖くはないから、被曝地に住んでも大丈夫だ」とか「低線量被曝の影響を気にし過ぎてはいけない」などというこは、重大な責任から逃れようとしている加害者を利するものにしかならないのです。
あくまでも「すべてのしわ寄せを押しつけ、我慢を強い」られてきた「正面切ってものを言えない人たち、力の弱い人たち」の立場から発想し行動していくことが私たちに問われている。小出さんはそれを身をもって体現しつつ訴えているのです。

そんな小出さんや、お話を聴きに来てくださるみなさんと、時と場を共有できる4月16日の企画は本当にありがたい場です。
僕自身、心を込めて、僕なりに編み上げてきた「原発からの命の守り方」について、一生懸命にお話したいと思います。

4月16日に京都桂川にぜひともお越しください!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(1241)原爆投下は明白な戦争犯罪!ケリー国務長官は広島・長崎市民に謝罪すべきだ!

2016年04月11日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1201~1300)

守田です。(20160411 23:30)

本日11日、アメリカのケリー国務長官が広島市の平和記念公園を訪問し、原爆犠牲者に献花しました。
マスコミ各社が、この訪問が広島を訪れたアメリカの最も高位の政治家の訪問であったことを報じるとともに、国務省高官による「米国務長官が謝罪のため広島に来たのかと尋ねられれば、答えはノーだ」という発言を紹介しています。
ケリー国務長官は献花はしたけれども謝罪は拒否したのです。

許しがたいです!まったくのあやまりです。ケリー国務長官とアメリカ合衆国は広島市民と長崎市民に、さらにはすべての被爆者とその遺族・友人・関係者に心の底から謝罪すべきです。
なぜって原爆投下は完全なる戦争犯罪だからです。兵士と無抵抗な市民を分けることなく行った一方的な大量虐殺だからです。大量破壊兵器を使った大犯罪だからです。

しかも原爆は放射線傷害によって戦争が終わってからも人を傷つけ、殺害し続けました。次世代への影響も計り知れない。
無抵抗な市民どころか、戦争が終わり、敵国民ですらなくなってからも、広島で、長崎で、あるいは他のどこかで、被爆者はアメリカに殺され続けたのです。
しかも徐々に身体を破壊され、がんなどの病に苦しみ続け、悶絶の後に殺されたのです。これはアメリカが行った類をみない人道的な犯罪です。

一方でケリー国務長官が謝罪しなかったことには、これまで一度も謝罪を要求してこなかった日本政府のあやまりも反映しています。
アメリカに物理的なばかりでなく心理的にも占領され、言いなりになってきてしまったことが表れています。
屈辱的と言わずしてなんと言うのでしょうか。自国民ないし住民に対する明白なる虐殺行為を、70年経ってもまともに批判できないのがこの国なのです。

なぜアメリカの大虐殺を批判してこれなかったのか。それは日本政府の指導者たちの多くが、アジア侵略戦争に手を染め、大量虐殺を行った責任者やその末裔だったからです。
南京大虐殺を初めとするアジア各地で行った戦争犯罪、軍隊「慰安婦」問題などに、直接的にも間接的にも責任を負っている人々が、自らの免責と引き換えに、アメリカの戦争犯罪を容認したのです。
アメリカもまた原爆投下と言う大犯罪を免責させるために、旧軍部をはじめとするアジア侵略の責任者の多くを免責したのでした。その点で戦後、日米の戦争遂行者は利害を等しくし、戦争犯罪を隠し続けてきたのです。

その結果、犠牲になってきたのは侵略戦争の犠牲者でした。日本の民衆もまた一方では加害責任を負っていましたが、他方では侵略戦争に駆り立てられ、あるいは背後で支えることを強制された被害者でした。
そればかりではなくアメリカによって原爆投下をはじめ、200都市への何次にもわたる空襲や、沖縄上陸戦という虐殺行為をも受けました。その大半が民間人でした。
いや犠牲はもっと広がっていきました。日米の戦争遂行者が第二次世界大戦の中でアジア・太平洋で行われた虐殺行為を免責したために、同じことがそれからも繰り返されたからです。

その第一が朝鮮戦争におけるアメリカによる空襲であり、第二がベトナム戦争による北爆でした。いやこれを第一、第二と言うことはできないでしょう。他にも無数の戦争をアメリカは仕掛け、その度に大量殺戮を繰り返してきました。
大事なのはそこで用いられた作戦、ないし発想が日本空襲と同根のものだったということです。そればかりかカーチス・ルメイというアメリカ戦略空軍の同じ将軍が1945年の東京大空襲から、朝鮮戦争、ベトナム戦争の空襲を指揮しさえしたのでした。
あろうことか日本政府はこのルメイに叙勲しています。航空自衛隊の育成に功績があったからというのです。戦中に「鬼畜ルメイ」と名指したこの将軍への勲章授与を昭和天皇は嫌がったそうですが、小泉元首相の父の小泉純也防衛庁長官が説得したのでした。

アメリカは同じ発想に基づく虐殺行為を、その後の湾岸戦争でも、2001年のアフガン戦争でも、2003年のイラク戦争でも繰り返し、今に至っています。虐殺行為が連綿と続けられているのです。
その根っこにあるのが、日米の第二次世界大戦での数々の虐殺作戦の遂行者による、相互免責、非人道的で何らの正義性もない無差別殺人の容認にあったことを私たちは明記すべきです。
さらにこの虐殺に連なる非人道的な戦争行為の歴史が、今も私たちを直接的にも襲っていることにこそ私たちは覚醒しなくてはなりません。

それこそが矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授が「隠された核戦争」と命名した、内部被曝隠しによる被曝の強制です。
始まりはどこか。まさに広島・長崎への原爆投下です。実はこれは明確なる人体実験でした。アメリカは投下に先立って広島に偵察機を何回も飛ばし、何時何分に最も多くの人が外にいるかを確認したのでした。それで8時15分に投下されたのでした。
原爆投下が実験だったことは、アメリカエネルギー省の公刊物に1990年代まで、広島・長崎への原爆投下が「実験」に分類されていたことからも明らかです。

そしてその後にアメリカが行った被爆者調査もまた明確な戦争行為の一環でした。そもそも加害者であるアメリカ軍が被害者である被爆者を調査するなど、あってはならない調査でしたが、アメリカはこの中で被害事実を大きく隠蔽しました。
それでなければ核戦略が維持できなかったからです。いや維持どころか、核戦略の発展・拡大のためにアメリカはその後1000回にも及ぶ核実験を行いました。その遂行のためにも被曝による被害を隠すことが戦略上の最重要課題だったのです。
ではどうやってアメリカは被曝影響を隠したのか。端的です。原爆による被曝被害を外部被曝に限定し、内部被曝の被害を認めなかったことです。

このことを如実に示す格好の図が厚労省のホームページ、「原子爆弾被爆者対策」の中の「被爆者援護施策に関するデータ」の中の「原爆放射線について」に載せられています。
いや正確に言うと「載せられていました」でした。今、確認してみたところ、あまりにまずいと考えられたのか、なんと図が差し替えられていました!それだけに大きな証拠だと言えますのでぜひ僕のFacebookページにアップした図をご覧下さい。

放射線の線量と影響について(広島の場合)
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10207463869253217&set=a.3300903639751.2140616.1182740570&type=3&theater

これには内部被曝隠しのテクニックが如実に表れています。被曝被害を爆心地からの距離で描くことです。
1キロまでは90%死亡となっていて、2キロの線のところに「100ミリシーベルト安全説」と書かれています。そして2.5キロまでが「被爆者」とされています。
これは被曝被害を外部被曝だけで測った図なのです。ここでは被爆者は爆心地から半径2.5キロ以内にいた人とされています。そしてその外が明確に「非被爆者」と書かれています。

ちなみにもともとアメリカが言い張ったのは放射線によってダメージを受けたのは爆心地から半径2キロ以内の人々に過ぎないということでした。
実はこれが「100ミリシーベルト安全説」なるものの根拠なのです。2キロまでは100ミリシーベルト以上の放射線を浴びて被曝によるダメージが出た。しかしその外は出なかった。だから100ミリシーベルト以下の被曝は問題ないという暴論です。
このラインはしかしその後に被爆者たちの被害を訴える懸命の声によってどんどん押され、2.5キロまで広げられたのでした。そしてここが被爆者と非被爆者の境界ラインとされたのでした。

そしてぜひ注目して欲しいのは、その2.5キロに近いライン、2.4キロのところになんと「福島帰還基準 年間20ミリシーベルト」というそら恐ろしい説明文が挿入されていることです。
2.5キロから先は広島でも被爆者などいないのだ。だから、それよりは少し狭いのだれど、福島の人々も広島の爆心地から2.4キロに相当する20ミリシーベルト以下の地域に帰りなさい。もう保障はしません!というのです。
実にこれもまたもともとはアメリカ軍が作った広島・長崎の被曝影響図から割り出されてきているのです。

しかしここには内部被曝被害が1つも入っていない!そもそも原爆投下によって発生したキノコ雲=原子雲は放射能の塊です。それが広がった地域の下には程度の差こそあれすべて放射性のチリが降っているのです。
何も知らされなかった人々は直接的にそれを身体に浴び、あるいは呼吸や飲食を通じて体内に取り入れてしまったのでした。それが内部被曝だったのです。
ところがアメリカは一切その影響を認めませんでした。いや過去形なのではありません。今なお認めていないのです。そのもとに内部被曝の影響をカウントしない放射線防護学を成立させ、被害を極端に低く描いたのです。

そしてこの図に明確に「福島帰還基準」という言葉が挿入されているように、この内部被曝被害を除外した被害想定が、私たちへの被曝強要の根拠として今もライブで使われているのです。
被害を受けたのは私たちだけではありません。南太平洋の島々での核実験にさらされた南洋の人々がそうでした。いや核実験はアメリカ大陸でも行われ、多くのアメリカ人やメキシコ人なども被曝しました。
さらに度重なる核兵器工場や原発の事故、あるいはウラン鉱の採掘などなどで、世界中の至る所で、繰り返し、人々が、内部被曝隠しのもとに被曝を強制され、塗炭の苦しみを味わってきたのです。
なおいつの間にか差し替えられた、現在のホームページ上の図のアドレスも示しておきます。重要な説明がすべて消えています。

原爆放射線について
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/genbaku09/15e.html

もうこんな歴史はたくさんです!
私たちは今こそ、日米の戦争犯罪者たちが行ってきた数々の人道的罪を暴かなくてはなりません。その被害者は○○国民という形ではあらわされません。
世界の多くの国々の庶民が常に犠牲者だったのです。僕はその中には今もアメリカ軍に殺され続けている人々ともに、アメリカ兵として戦地に派遣され、虐殺に手を染めさせられている若者たちも含まれると思っています。

その圧倒的多数派の私たちこそが、互いの痛みを知るところから、分断を越え、敵対させられている構造を乗り越えて平和のために合流していく必要があります。
そのためにこそ、私たちはアメリカの原爆投下の罪を告発し、同時に日本の戦争犯罪も暴いていくのでなければなりません。
そのことによってこそ、暴力が根っこから断たれ、戦争の当事者として殺し、殺される関係性に立つすべての人々の解放の道も切り開くことが可能となるのです。

そうです。もう戦争はたくさんだ。殺されるのもごめんだけれども、世界の誰かが戦争に動員され、殺させられることもごめんです。戦争のない世の中を作り出すためにこそ、戦争で儲かるごくごく一握りの人々の罪を暴くのでなければなりません。
だからこそ私たちはケリー国務長官に対して、アメリカに対して、アメリカが被曝させた全世界の人々への謝罪を求め続けましょう。
その中から、私たち自身、福島原発事故でのこれ以上の被曝の強要を跳ね除け、前に進んでいきましょう。その誓いをこそ、原爆犠牲者に捧げましょう! 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(1240)「原発からの命の守り方」について京都・滋賀でお話します!

2016年04月10日 23時30分00秒 | 講演予定一覧

守田です。(20160410 23:30)

関東ツアーから戻り、4月から5月にかけては京都・滋賀でお話します。

4月16日には桂川で。尊敬する小出裕章さんとのジョイント講演です。小出さんが1時間半話され、僕が30分お話します。
小出さんが福島原発事故から6年目の今をトータルに話していただけるので、僕は災害対策に特化してきゅっとお話するつもりです。

4月23日には京都市内で僕も参加している「京都被爆2世3世の会」の年次総会オープン企画で川口美砂さんと対談させていただきます。
川口さんは映画『放射線を浴びたX年後2』に主演されている方。といってもこの前の映画『放射線を浴びたX年後』を観るまでは被曝問題に関わったことはありませんでした。
この映画はビキニ環礁などでの水爆実験によって確認されているだけでも997隻のマグロ漁船が被曝していたことを告発した映画だったのですが、妹さんに誘われて何の予備知識もなしにこれを観た川口さん、お父さんの被曝に気付きました。
というのは、お父さんもマグロ漁師で、この頃、被曝地域で操業し、その後36歳の若さで亡くなられたからでした。そのことに川口さんは50代になって気がつかれました。

実は僕も少し似た立場にあります。僕の父は広島に原爆が投下されたおり、香川県善通寺の陸軍船舶隊にいました。マルレという特攻ボートの教官でした。
父の部隊は救助命令を受けてすぐに対岸の呉の海軍基地に入りました。これを受ける形で基地にいた海軍部隊が広島市内に向かい、入市被爆してしまいました。
父たちは呉から動かなかったので、父は被曝を免れたと思っていたし、家族も同様に思っていたのですが、福島原発事故後に名古屋大学名誉教授で原爆研究の第一人者の沢田昭二さんとお話した時にこう言われたのでした。
「呉にも確実に放射能雲が届いていましたよ。そこにお父さんがおられたのなら被曝しているはずです。だから守田さんは被爆2世ですよ」。

当日はそんな川口さんを京都にお招きし、似た立場にある僕が話をお聴きする形でトークを行いたいと思っています。

4月27日は滋賀県高島市の朽木のママさんたちのお招きで話に行きます。
この朽木から地蔵峠を経て入ることができるのが芦生の原生林。正確には原生極相林です。
僕も何度も訪れてきた場です。この本当に美しい森も福井原発群で事故が起こったら永遠に入れなくなってしまうかもしれません。
当日は少し芦生の森の写真もお見せしつつ、原発からのあらゆる命の守り方についてお話したいと思います。

5月8日には京都府長岡京市でお話します。
ここでも「原発からの命の守り方」についてお話します。
関東ツアーの内容を盛り込み、群馬県の被曝状況など、福島原発から6年目の今についても詳しくお話しようと思います。
福島県から京都市に避難移住されている齋藤夕香さんもお話して下さいます。

ぜひお近くの会場にお越しください!

*****

4月16日 京都市桂川

近くの原発が動き始めた・・・ 私たちの防災教育https://www.facebook.com/events/108395789558470/

3月9日、今度は、大津地裁で高浜3、4号機運転禁止仮 処分が決定されました。仮処分決定のため、高浜3号機は 運転を停止しました。4号機は再稼働時にトラブルが起き 、先に停止しています。
嬉しい判決ですが、まだ川内原発 は動いており、政策として脱原発を実現することが必要で す。
また、仮処分によって停止していても、それが覆されれば 、簡単に運転へと進むのです。
4月16日、小出裕章さん、守田敏也さんのお二人の講演 会を桂川イオンのイオンホールで開催します。
長年、京大 原子炉実験所で研究、原発の問題を訴え続けてこられた小出さん、「原発からのいのちの守り方」という 本を書かれ 、原発事故だけでなく、危険に対してどう向き合えばいいのかを具体的に教えて下さる守田さんのお話は、ぜひ、皆さんに聴いていただきたいと思います。

日時:4月16日(土)13:00~15:00(開 場12:40)
会場:イオンモール京都桂川 3階イオンホール
講師:小出裕章(こいで ひろあき)さん
   守田敏也(もりた としや)さん

参加費:前売り/800円 当日/1000円(学生/ 800円・東日本大震災によって避難されている方/ 800円)
前売り券をご希望の方は、下記の(A)(B)どちらかの 方法で指定口座に[800円]をお振込み(4/ 12までのご入金)の上、控えを前売り券として当日ご持参 ください。

ゆうちょ銀行 口座名義 「生活協同組合コープ自然派京 都」
(A)ゆうちょ口座間の送金/ 記号009102 番号299196
(B)他銀行からのお振込/ 099支店 当座 番号299196
※お振込はお申込み名義でお願いします。また、振込手数 料はご負担をお願いいたします。
※お振込後のキャンセル等はお受け出来ませんのでご了承 ください。

イベントID:0616965
主催:ミンナソラノシタ・コープ自然派京都・まこと幼稚園

-------------------------- --------
お問い合わせ・お申し込み(組合員以外の方)
0120-808-900(コープ自然派京都事務局)受付時間/月~金 9時~19時
-------------------------- --------
お問い合わせ・お申し込み(組合員の方)
<24時間受付> FAX : 0742-93-4485 mail : shizenha_kyoto@shizenha.co .jp
<月~金8:30~20:00> フリーダイアル:01 20-408-300 (携帯・IPフォン:088-603-0080)

▼お申込み時①~⑦をお伝えください。
①イベントID 
②参加者氏名 
③組合員コード 
④参加人数 
⑤連絡先   
⑥託児(名前・年齢・性別)

*****

4月23日 京都市中京区

京都「被爆2世・3世の会」 2016年度総会オープン 企画

記念ト―ク「父の死が放射線のためだと知った時」川口美砂さん&守田敏也さんhttps://www.facebook.com/events/261061190896416/

川口さん・・・『放射線を浴びたX年後2』出演。太平洋 核実験で被爆した漁船員を尋ね聞き取りをしていく。
守田さん・・・フリーライター 京都「被爆2世・3世の 会 」会員
二人の共通項は父の死が放射線の影響だと50代にして気 が付いたこと!

4月23日(土)午後2時30分~4時30分
「ラボール京都」大会議室(中京区・四条通り御前)
参加費無料

■先日公開された映画『放射線を浴びたX年後2』をご覧 になりましたか?
12歳の時、マグロ漁船員だった父が36歳の若さで急逝。周囲から「酒の飲み過ぎだ」などと口を叩かれ、残された母、妹とともに悲しみをこらえて懸命に生きてきた川口美砂さん。
3年前の前作『放射線を浴びたX年後』を観て、「父の死 は半世紀前の太平洋核実験が関係していたのではないか」と衝撃を受け、高知県室戸の元漁師の人たちを尋ね歩いていくドキュメンタリーです。“放射線を浴びた”人々の真実を求めて。
その川口美砂さんをお招きして記念のトーク企画を行なうことにいたしました。
■アメリカの太平洋核実験は1946年から16年間、120回以上も繰り返されました。その被害は第五福竜丸だけに押し込められ、多くの漁船と乗組員の被ばく、世界中 ばら撒かれた放射性物質の被害はすべて闇の中に閉ざされてきました。
しかし今、気づき始めた人々の粘り強いとりくみによって 一歩々々真実の扉はこじ開けられようとしています。広島 ・長崎にも、福島にも通じる、隠され、歪められてきた放 射線被ばく問題の解決に向けて、一緒に学び、考え合っていきませんか。
オープン企画です。多数のみなさんのご来場をお待ちしています。
■尚、当日は午後1時30分から京都「被爆2世・3世の会」の年次総会を行ないます。参加自由です。お時間のある方はこちらにも是非ご参加下さい。

お問い合わせ
京都被爆2世3世の会 075‐811‐8203

*****

4月27日 滋賀県高島市朽木

教えて守田先生! 「原発からの命の守り方」

守田先生は福島の事故後、何度も被災地を訪ねられました。
放射線防護や市民生活についての講演活動を各地で行ったり、フリーライターとして執筆活動もされています。
兵庫県篠山市では全市民にヨウ素剤配布を始めました。
その経緯や命の守り方についてお話を伺います。

日時 2016年4月27日(水)
10:00~12:00 講演会 お楽しみ会
12:00~13:30 交流会

会場: 丸八百貨店3F和室(朽木市場)
参加費:1000円(講師料・軽食代)

託児はありませんがお子様連れOK おもちゃ(音の出ないもの)、飲み物持ち込みOK

申込・問合せ
加藤みゆき tel 38-2104 polepole800@hotmail.ne.jp

*****

5月8日 京都府長岡京市

「原発からの命の守り方」

https://www.facebook.com/events/534057556775068/

長岡京市は、高浜原発から70km圏内に位置しています。
万が一事故が起きた場合には、屋内退避が基本方針となるこの場所においても、放射能汚染や健康被害などの危険があるかもしれないということを、私たちは福島の事故から学ばねばなりません。
原発だけでなく、あらゆる災害に対しての具体的な備えはもちろん、避難の判断、非常事態時の心の作用についてなど、守田敏也さん(兵庫県篠山市原子力災害対策検討委員会委員で実際に避難計画に取り組まれているジャーナリスト)のお話を聞いて一緒に考えてみませんか。

==================
日時:2016年5月8日(日)14:00〜16:30
場所:長岡京産業文化会館1階大会議室
〒617-0826 京都府長岡京市開田3丁目10-16
(阪急長岡天神駅より徒歩5分・JR長岡京駅より徒歩7分 ・駐車場有り)
定員 :150名
参加費: 300円
キッズスペース:あり(会場内にスペースを設けます)
お問合せ: 090-6067-1053(トリハラ)
主催 :災害から子どもを守るプロジェクトin長岡京

==================
プログラム(予定)
13:30 開場
14:00 齋藤夕香さんスピーチ
14:15 守田敏也さん講演会
15:45 質疑&意見交換
16:15 閉会予定
閉会後、守田さんサイン会

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(1239)群馬県の被曝状況と向かい合って(「原発からの命の守り方」を携えてー2)

2016年04月08日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1201~1300)

守田です。(20160408 23:30)

埼玉、群馬、東京と『原発からの命の守り方』を携えて旅をしてきて4日夜に京都に戻りました。
さすがに疲れが溜まり、ご報告が続けられませんでしたが、元気になってきたので旅の報告の続きを書きます。今回は群馬編です。

群馬県には3月28日に到着し、4月1日午前中日まで群馬県玉村町のTama村Base=堀越啓仁さん、裕子さん宅にお世話になりました。
1日午後に前橋市に移動し「JAZZ RUG」というお店で2回ほど講演させていただき、2日に桐生市の「れんが蔵」で2回お話してきました。翌3日に東京に移りました。

28日にはTama村Baseでお話しました。ママさんたちなどいろいろな方が集まってくださいました。
僕の話は高浜原発運転差し止め仮処分決定から入り、再稼働の問題点、福島原発事故の振り返り、広がる健康被害、ウクライナの実態、被曝過小評価の根拠としての原爆被爆者調査と続き、後半に原発災害対策を展開する形で構成しています。

この健康被害のところで、群馬県における福島原発事故での被曝の問題もお話ししました。
群馬県は福島原発から飛び出して北西方向に流れ、福島市付近で大きく流れを南にかえて新幹線の軌道に沿うように南下し、那須高原など栃木県北部を激しく被曝させたプルームがそのまま流れ込んで雨を降らせたところです。
このため赤城山をはじめ、県北のさまざまな地域が激しく被曝しています。チェルノブイリ法の基準に照らして「避難権利区域」に相当するところがたくさんあります。
またこの流れが群馬県西部から南下していき、安中市や下仁田町なども被曝させてしまいました。

これらの話をする時に、僕は必ずこうお伝えするようにしています。
「群馬県を愛しているみなさんには大変、申し訳ないですが、チェルノブイリでの避難の基準などを見る限り、群馬県には避難した方が良いところがたくさんあります。」
「しかし避難するといっても権利が認められない中でかなりお金もかかるし、人間関係もリセットしなければならない面もあって、なかなか実効に移しにくいこともよく知っています。
その場合、どうやって身を守るのかもお話しますが、放射線被曝から身を守ることだけを考えれば、避難することが最も合理的であることをまずはお伝えさせてください。」

このお話をするのはもちろんいつだって辛いです。しかし聴かされる側の方が何百倍も辛い立場におられます。そのことを考えて、心を込めてお伝えするようにしています。
実は今は玉村町に住んでいる堀越さん一家も、もとは下仁田町に住んでおられたものの、二人の娘さんたちが激しく鼻血を出すなどしたことなどから避難を決意。
群馬県を去るわけにはいかない事情もある中、いろいろと悩み抜いた結果、県内でもっとも被曝量が少ないここ玉村町に転居されたのでした。1日に訪れた前橋市は高崎市とともにこの玉村町の北側を囲むように位置しています。伊勢崎市も東隣です。
これらの地域も北部に比べればまだ被曝量の少ないところですが、しかし北に行くにしだがってどんどん線量が高くなっていきます。2日に訪れた桐生市も北部は大変線量が高いところが多い。

その群馬県にそもそも僕が初めて訪れたのは昨年の4月のことでした。県内の30代の女性からかかってきた電話での依頼に応じさせていただいたのでした。
彼女の電話は衝撃的でした。「自分の周りで県内で二人、県外で一人、水頭症の赤ちゃんが生まれました。他に口蓋裂の赤ちゃんも生まれてのど元まで裂けていました。被曝影響が心配でたまりません」というものでした。
もちろんこうした事例の一つ一つが被曝の影響であることを示すデータは今はまだありません。しかしこうした事態はこれまでも耳にしてきたものでもあり、群馬県が線量が高いことを考えると、僕には十二分に被曝の影響があると思えました。

それでこう答えました。「そういうことが起こっていると心筋梗塞などの死があなたの身近で起こる可能性があると思われますので、周りの方に心臓を守るように呼びかけてください」。
すると少し間をおいて彼女が「実は30代中頃の男性の友人がすでに心筋梗塞で亡くなりました」と答えられました。
にもかかわらず福島原発から遠く離れた群馬では、被曝に対する危機意識が薄いので、意識喚起に来て欲しいとのことだったのです。
ちなみに群馬県玉村町から福島第一原発までは約211キロです。

それで昨年4月にうかがったのですが、その時の講演会には群馬で脱原発運動を担っている方たちもたくさん参加して下さり、さらなる情報ももたらされました。
印象的だったのは赤城山の麓に住まわれている方から、野生動物がボロボロだという報告を受けた事でした。タヌキやキツネやイノシシが毛皮が剥がれた状態で歩いているというのです。
後日ですが伊勢崎市にある市民放射能測定所の方より、タヌキの糞を拾い集めて測定したところ、1キログラムあたり3000ベクレルという高い放射線値が測定されたことを教えてもらいました。

また薪ストーブを使っている方から深刻な相談がありました。自分のストーブの灰を測ったところ17000ベクレルもの値が出たというのです。
僕は「大変ですが、薪ストーブはもう使わないでください」とお伝えしましたが、自分はそうしようと考えているものの、周りの人たちがあまりに無防備で、家庭菜園に灰を撒いたりしていることなども教えていただきました。

それで昨年は夏にも赴いて数カ所での講演をセットしていただき、さらに今回のツアーにいたったわけですが、その昨年夏の講演の前に、地元紙の上毛新聞に高崎工業高校野球部の生徒が白血病で亡くなったという記事が載りました。
クラブの仲間が遺影を抱えて、甲子園の予選大会の応援席に立っている写真が一緒に載っていました。
それでこの時の講演でこの記事を示し、こうした一つ一つの病と被曝との因果関係ははっきりしないものの、被曝影響の可能性も否定できない旨を話しました。

すると桐生市での講演の時に元群馬大学工学部教授で日立にいた折に福島原発4号機の設計にも関わられた五十嵐高工学博士が参加されていて、怒りを込めて「だから僕は2011年にせめて野球とサッカーだけは止めろと言ったんだ」と語られました。
五十嵐先生によると、福島の高校生たちの内部被曝調査でも、野球部、サッカー部に比べてバスケット部の子たちの方が被曝量が少ないデータがあるのだそうです。グラウンドと体育館の違いです。

今回もこのお話をしたのですが、ある場での参加者の一人に、お子さんたちの大好きな野球を続けたいという思い、固い意志をどうしても変えられず、今日まで来てしまったというお母さんがおられました。
子どもたちが心配な事もあって、チーム全体のサポートなどに関わられているそうなのですが、その方が言うには、子どもたちの体調の異変が如実に見られるのだそうです。
具体的にはほとんどの子が今回のインフルエンザA,B型双方に罹ってしまい、中にはA型に2回も罹った子がいるというのです。この場にはたまたま病院に勤務しておられた方もおられましたが「聞いたことがない」と首をふられていました。
また子どもたちが全体に疲れやすく、激しい練習についてこられない子どもが増えていると言います。

「それはもう止めた方が良いです」とは言いましたが、しかしその方のお子さんが止めても、たくさんの子どもたちが危険な場でのスポーツを続けている現実が残り続けます。
その総体を無くし、子どもたちを守らないといけない。そのためには注意喚起をさまざまな形で続けなければなりません。

続く

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする