明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(2004)福島原発事故10年への思い・・・イギリスと日本をつないで動画とミニレクチャーで振り返る集いにご参加を-3月21日(日) 

2021年03月14日 11時30分00秒 | 明日に向けて(2001~2200)

守田です(20210314 11:30)

311から10年の思いを避難者とともに

大震災と福島原発事故から10を経てたくさんの催しが行われていますが、3月21日にイギリスと日本をつないだ企画を再び行います。
原発事故で福島から英国に避難された方の経験や想いを元に在欧米日本人グループで作ったビデオのお披露目を兼ねた企画です。
まずは以下をご覧下さい。20分弱です。映像も素晴らしいですが、音源もオリジナルでこれまた圧巻です。胸が締め付けられる作品です。

”10 years since the Fukushima nuclear disaster – Insights from Fukushima evacuee”
(ある一人の避難者から見た福島第一事故の10年)
https://youtu.be/EkYEKViOUgg

英語バージョンが大元ですが、12もの言語の字幕がついていて、YouTubeの設定からご覧になれます。
ぜひお知り合いの各国・各地域の方にご紹介いただきたいです。

21日はこのビデオをみんなでみたあとに、避難者Sonodaさんより動画への想いを語っていただき、続いて僕が25分ほどミニレクチャーをさせていただきます。
 「10年前とこの10年間を振り返り、これからの10年を考える」というタイトルです。
そのあとにブレイクアウトルームに分かれて、感想など討論します。全部で100分ほどの企画です。
ぜひみなさんと素敵な時間をシェアしたいです。ご参加をお願いします!


制作チームからの案内を転載します。

以下、案内を貼り付けます。

*****

VIDEO(動画) 「10 years since the Fukushima nuclear disaster – Insights from Fukushima evacuee」(ある一人の避難者から見た福島第一事故の10年)
https://youtu.be/EkYEKViOUgg
ミニレクチャー  「10年前とこの10年間を振り返り、これからの10年を考える」 守田敏也


バナーは2枚とも守田が作成

3月11日を迎えるにあたり、多くのイベントが開催されておりますが、福島事故後、英国に避難された被災者の方のこれまでの経験や想いを元に、在欧米日本人グループで20分弱のビデオを作成しました。
ぜひ世界の人々に見てほしいと、日本語、フランス語など、12言語の字幕 輝く星を準備しました。オリジナルBGMも、子どもたちを含む福島出身者が演奏しています。

この動画のメッセージを多くの人にお伝えし、また拡散していただきたく、21日(日)の英国時間10:30(日本時間19:30)からオンラインイベントを開催します。
どうぞこの日時にお集まり下さいますよう、お願いいたします(下のリンクから事前登録してください)。
転送も歓迎です。どうぞふるってご参加ください。

開催時刻:2021年3月21日(日) 10:30 AM ロンドン/7:30 PM 日本

このミーティングに事前登録する:
https://us02web.zoom.us/meeting/register/tZAvf-GppjItG9zyOqT6x9Q6i9I8thaK8xy_
登録後、ミーティング参加に関する情報の確認メールが届きます。

----------
10年前のあの時、私たちは想像もしたことのないような危機の前にいた。
原発からたくさんの放射能が飛び出し、大地を汚染し、命を圧迫した。このビデオはそのただ中から紡ぎ出された。
そこにあるのは悲しみ、痛み、憤り。愛しいものが脅かされたことへの悔しさ。

でもさらに奥底にあるものを感じ取って欲しい。
それはあなたへの愛だ。
もう二度と誰にもこんな思いをして欲しくないという祈りだ。だから見て欲しい。
あなたのかけがえのないものを守るために・・・。

------
避難者Sonodaさんより:動画への想い

福島原発事故から10年、我が子は大学生になります。
しかし、原発事故による被害を自己責任とされてきた10年でもありました。
3月1日、子ども脱被ばく裁判の判決が福島地裁で言い渡されました。
子どもの命と健康を守るための要求は全て棄却・却下されました。司法は、国と経済を守るために子どもたちを見捨てました。
こんな国があっていいはずがなく、この動画を通してご自分のこととして考えていただけたらと願っています。

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講師紹介:守田敏也 (京都「被爆二世三世の会」世話人、丹波篠山市原子力災害対策検討委員、にょきにょきプロジェクトとして、「放射線副読本すっきり読み解きBOOK」を発行・各地で勉強会開催)
輝く星 ビデオの字幕言語は、日本語、英語、中国語(簡体字、繁体字)、フランス語、ドイツ語、スペイン語、カタロニア語、オランダ語、ポルトガル語、タミル語、韓国語です。

問い合わせ先:
londonjpdialog@gmail.com

#福島原発事故から10年 #原発事故避難 #ある一人の避難者から見た福島第一事故の10年 #原発ゼロを進めよう

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明日に向けて(2003)311から10年、これからいかなる未来を展望するのかー原爆から問い直し暴力の世紀ー資本主義の克服を目指そう 連載2000回を越えて2

2021年03月13日 22時00分00秒 | 明日に向けて(2001~2200)

守田です (20210313 22:00)

あの3月11日から10年の日に、「明日に向けて」が連載2000回を越えました。これからいかなる未来を展望するのか、その前半を前号で書きました。
とくにこの10年間、脱原発運動は大きく進みましたが、まだまだ進めることが充分でないこととして、被曝影響のしっかりとしたつかみ取りがあることを前回の最後に述べました。
今回は具体的に何が必要なのか。何をとう越えていくのかを論じます。前号と合わせてお読み下さい。

大事なのは原爆に立ち戻り、核なき未来を目指すこと

被曝影響としっかりと向き合っていく上で大事なのは原爆に立ち戻って核のこと全体を見直していくことです。現代の放射線防護の指針を作り上げたのは、原爆で広島・長崎の人々を大量虐殺したアメリカだからです。
加害者が被害者を調査して被害を軽く見積もった。そうでなければその後の核実験はできなかった。いや核戦略の隠れ蓑として"Atoms for peace"の名の下に始められた原発もまた、被曝被害をひた隠しにすることで進めることができたのです。
この長きにわたる大嘘、命の危機を覆い隠すデマを民衆の英知で打ち破ることが大事です。そもそも核兵器だけでなく原発もまた世界に壊滅をもたらすだけの毒物をため込んでいます。ここから人類を、地球を、未来世代を、解放しなくては。



資本主義=暴力の世紀の超克を目指しましょう

そのためには1900年代がまさに資本主義の暴力が開花した「暴力の世紀」であったこと、資本主義的矛盾の最たるものとして兵器の悪魔的な「発達」があり、核兵器が作られ、使われ、副産物としての原発が生まれたことを捉え返しましょう。
まさにこれそのものが資本主義の矛盾なのです。20世紀において戦争も人類史上最も残酷なものに変えられましたが、それもまた資本主義的必然です。にもかかわらず旧来の資本主義批判ではこの点が圧倒的に弱かったのではないでしょうか。
そうなのです。私たちのいる資本主義社会は、お金儲けのために人々を抑圧し、命を軽んじ、時には躊躇なく奪っていく社会なのです。その頂点に核兵器体系があり、副産物として原発があるのです。この資本主義の矛盾とこそ決別しなくては。


いかに歩んでいくのか

ではどうやって歩んでいったら良いのでしょうか?一番大事なのは資本主義の暴力性と向き合うことです。もちろん核兵器や原発をなくす努力や、被曝から命を守っていく努力を具体的に重ね、かつ人権を守り、発展させていく活動をしながらです。
とくに暴力の肯定から自由になりましょう!私たちが越えなければならないのは「正義の暴力論」です。正義の名の下に原爆まで作られ、強烈な兵器で国を守ることが肯定され、たびたび使われているのが現代資本主義だからです。
そのために今一度、階級的なものの見方を強めなくてはいけない。実はごく少数の人々の利益のために兵器が生み出され続け、戦争に被支配階級=庶民が駆り出され続けているのです。この構造を越えて真の平和の道を切り開きましょう。


ハーバード大学のフィーザ―がスタンダード石油と開発したナパームを詰めた焼夷弾が日本空襲で使われ、朝鮮戦争で2倍使われ、ベトナム戦争で20倍使われ、その後世界中に使用が広がって人々が燃やされ続け、石油会社が儲け続けている。B29は守田が撮影


資本主義の矛盾を越えるための論稿を連発します!

僕はこの平和をめざす行動、暴力の克服の中にこそ、資本主義の矛盾を越える一番の道があると確信しています。原発、そして放射線被曝の危険性と10年間、まさに真正面から格闘し続ける中でこの回答を得ました。
連載2000回を越えて、今後、これまでの10年間で発酵させてきたものをもっと詳しく論じていきます。現代にいたる資本主義の歴史的捉え返しを進め、資本主義時代を特徴づける近代の思想的枠組みの再検討も進めます。
社会主義思想の捉え返しもそこに含まれます。その中で資本主義、とくに新自由主義の矛盾を越える大きな可能性を秘めた「社会的共通資本」の考え方、その現代への適用について発信していこうと思います。

 

ぜひ力をお貸し下さい

そのためのパワーアップをこの間、はかってきました。すでに論稿をかなりため込んでいます。大震災と福島原発事故から10年を経て、これからそれを次々と世に問うていきます!
ぜひお読み下さい。拡散してください。講演にもお呼びください。カンパでもお支え下さい。動画発信、本の出版なども矢継ぎ早に行います。ご期待ください。
そしてこれからの10年で一緒に世の中の流れを画期的に変えましょう。少なくともその大きな流れを作りだしましょう。必ずできます!そのための糧として「明日に向けて」を使っていただけたら幸いです。


これまで近代をリードしてきた哲学・思想をみなさんと越えていきたいです!

#明日に向けて #連載2000回を越えて #原爆から捉え返そう #暴力の世紀ー資本主義との対決を #正義の暴力論の克服を #核兵器は資本主義的矛盾そのもの #資本主義を越えてこそ核なき未来は訪れる

*****

連載2000回越えに際してカンパを訴えます。「よく2000回まで頑張った。さらに頑張れ」との思いでカンパして下さるとても嬉しいです。振込先など記しておきます。

振込先 ゆうちょ銀行 なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
他の金融機関からのお振り込みの場合は 
店名 四四八(ヨンヨンハチ) 店番 448 預金種目 普通預金 口座番号 2266615

Paypalからもカンパができます。自由に金額設定できます。
https://www.paypal.me/toshikyoto/1000

 

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明日に向けて(2002)大震災と福島原発事故から10年、これからいかなる未来を展望するのかー「明日に向けて」連載2000回を越えて

2021年03月12日 23時30分00秒 | 明日に向けて(2001~2200)

守田です(20210312 23:30)

連載2002回目を迎えました

みなさま。昨日3月11日の配信で「明日に向けて」が連載2000回を越えました。2011年3月11日から始めたメール記事「東北地方太平洋沖地震について」に始まり、その後に「明日に向けて」に改めたので総計では今日で2048本目になります。
たくさん書いたからといってそう大したことではないかもですが、それでもここまで続けてこられたのは、多くの方のお支えがあったからこそです。記事を読まれ、講演に招いて下さり、多額のカンパなどで強く支えられました。心から感謝を申し上げます。
これからも、たとえ小さくとも、暗き道を照らす松明の一つたらんと奮闘し続けることをお約束します。ぜひこれからもお支え下さい。この決意をより詳しく知っていただくため、これから先、いかなる未来を展望するのかを素描しておきます。


北アルプス奥穂高近くのジャンダルムを越えてゆく・・・ 守田撮影

10年前を振り返る

ここで簡単に私たちのこの10年間を振り返ってみたいと思います。311では大津波によってたくさんの方が命を落とされましたが、その中で原発事故が進展し、危機がどんどん深まっていきました。
メルトダウンした原発が爆発したら、あるいは4号機燃料プールが干上がってしまったら、膨大な放射性物質が飛び出し、誰もサイトに近寄れず、なすがままに任せることになる。故吉田福島第一原発所長はこの事態を「東日本壊滅」と語りました。
実際にはこの最悪の危機は、何とも言えない「偶然」の重なりで免れることができました。それでも深刻な量の放射性物質が飛び出してしまい、東北・関東・東海・中部・太平洋が広範に、かつまた激しく汚染されてしまいました。


4号機のプールが干上がれば半径250キロ圏まで避難ゾーンだった FNNの報道より

避難の進展と脱原発運動の成長

危機の中で多くの人々が脱出を開始。それを助けるための情報発信も始まりました。特筆すべきことはその動きのどの一つも組織だったものではなかったことでした。政党も、様々な組織も、マスメディアも「逃げよ」と言ってくれない中での行動でした。
それはやがて原発の危険性への覚醒へと大きくつながりました。首相官邸前に20万人が集い、各地で金曜行動が生まれ、原発ゼロへの動きが加速化しました。裁判の流れも大きく変わり、原発運転停止が度々命じられるようになりました。
それらの結果、福島原発事故後、21基の商業原発が廃炉になりました。残り33基のうちでも稼働できているのは9基のみ。核燃料リサイクル計画の要だった「もんじゅ」も廃炉になり、原発輸出計画も、全て失敗してしまいました。


日本の原発の現状 資源エネルギー庁作画 2021年2月22日時点

多くの出会い直しとあらたな結びつきが生まれた

脱原発運動の進展はこの中での多くの「出会い直し」をも進めました。この国の社会運動や平和運動は、福島原発事故前はさまざまに分裂していたのですが、脱原発の気運の中での多様な人々の新たな参画の中で大きく合流しだしました。
この動きが政府による安保法の強行可決への抵抗の中で、市民と野党の共闘に発展し選挙にも反映していきました。一方でオルタナティブなライフスタイルを求めた人々の集いも各地でも強まり、新たな可能性の輪が幾つも生まれました。
この10年でこんなことが実現されました。私たちはよく頑張りましたが、最もけん引して下さったのは原発事故に際し率先して逃げ出した避難者と、これに敏感に反応した各地の方たち、とくに多くの女性たちでした。感謝とリスペクトの拍手を送ります。


原発賠償京都訴訟を担う率先避難者のみなさん 守田撮影

被曝の危険性ともっと向き合わねば

さて一方で十分に進んでないこともあります。政治や社会制度の変革がまだまだという点ももちろんですが、僕が特筆したいのは、放射線被曝の危険性に対する社会的認識がまだまだ弱いことです。
原発が過酷な事故を起こしうること、稼働を認めてはいけなことはずいぶんと理解が進みました。しかし大量の放射性物質がすでに日本列島の半分に、そして海に降り注いだこと、その影響が出ていることへの認知をもっと強める必要があります。
かつてあの深刻な事態に「逃げよ」と言わなかった政府や政党、マスメディアは、今また福島原発事故による被曝の影響に口を閉ざしています。この点を越えて被曝の危険性と能動的に向き合い、命を守る民衆の力を強めることが大切です。


篠山市原子力災害対策ハンドブックより マンガはたけしまさよさん作

続く

#明日に向けて #連載2000回を越えて #メルトダウン #東日本壊滅 #率先避難 #脱原発運動の成長 #女性こそが脱被曝をけん引してきた #被曝の危険性と能動的に向かい合おう

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連載2000回越えに際してカンパを訴えます。「よく2000回まで頑張った。さらに頑張れ」との思いでカンパして下さるとても嬉しいです。振込先など記しておきます。

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明日に向けて(2001)東日本大震災と福島原発事故から10年・・・お亡くなりになられた方に哀悼の意を捧げます!

2021年03月11日 14時46分18秒 | 明日に向けて(2001~2200)

守田です(20210311 14:46)

あの3月11日から10年経ちました

みなさま。本日2021年3月11日14時46分で、あの大震災と福島原発事故から10年が経ったことになります。
今日は多くの方の命日。大震災と原発事故でお亡くなりになられた全ての皆さまに、心からの哀悼の意を捧げます。
ご遺族やゆかりのみなさまにもお見舞い申し上げます。

一方で未だにたくさんの方が避難生活を余儀なくされています。
大津波の被害がいまも大きく残っているところがあります。福島原発から飛び出した放射性物質のために帰れないところもあります。
心身を傷めてきたすべてのみなさまに、心からお見舞い申し上げるとともに、、少しでも痛みをシェアし、和らげるための努力を続けることをお約束します。


災害対策を進めましょう

亡くなられた方への思いを胸に、私たちは大震災と福島原発事故から教訓を引き出していく必要があります。
問われているのは一つに災害対策全般の強化をはかっていくことです。地震・津波、そしてまた洪水・土砂災害、火山噴火への対策も重ねていく必要があります。
東南海トラフ地震や関東大震災、さらにひずみ集中帯地震も警戒しなければ。豪雨時の大きな河川の決壊や火山噴火にも備えなくては。

もう一つは二度と原子力災害を起こさせないことです。そのためには全原発を止めなくてはいけない。
にもかかわらず政府も電力会社も反省せず、責任もとらず、危険な稼働を続けています。許しがたいです。
脱原発運動を続け一つでも多く止めましょう。それと密接な関係にあるものとして原子力災害対策を重ねましょう。


篠山市(現丹波篠山市)の原子力災害対策ハンドブック たたき台を執筆しました・・・


原発を止めてこそ災害対策が進む

ここで強調しておきたいのは、実は原発の存在が、災害対策の促進をも阻んでいることです。
なぜなら世界で稀有ともいえる災害大国日本できちんと対策を進めれば、原発を動かしてはいけないことなど明々白々だからです。
政府はここから目をそらすために、地震や火山噴火の可能性をもきわめて過小に見積もり続けています。「原発が壊れる地震などこない!」と言う大嘘すらついています。

実はそれが、それぞれの災害対策をもおそろかにさせてしまっている。原発は災害対策上の最も悪質な障害でもあるのです。
だからこそ脱原発運動を強めることは、災害対策全般を進めることにつながります。原発を無くしてこそ、起こりうる災害ともっときちんと向かい合うことができるからです。
みなさん。災害対策と脱原発運動を一つのものとして進めましょう!そこにこそあの3月11日から引き出す教訓があるのです。

#東日本大震災 #福島原発事故 #311から10年 #災害対策の強化を #脱原発運動の強化を

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明日に向けて(2000)DON'T FORGET FUKUSHIMA 311メモリアルキャンドル in むかいじま に参加します。20日にお話します。

2021年03月08日 23時00分00秒 | 明日に向けて(1901~2100)

守田です(20210308 23:00)

あの日から10年~メモリアルキャンドルに参加します

みなさま。いよいよあと3日で3月11日、東日本大震災と福島第一原発事故から10年を迎えます。
ちょうどこの時に、あの日から書き始めた「明日に向けて」が2000回を越えることになりました。感慨深いです。この10年のたくさんのことを胸に刻んで次の10年、20年に向かいたいと思います。
そんな思いも込めながら、この3月11日、僕は京都市伏見区向島で行われるメモリアルキャンドルに参加します。18時半に点灯です。以下詳細をご紹介します。

3.11 メモリアルキャンドル in むかいじま 2021 
場所:むかちゅうセンター(元向島中学校)1階交流ルーム(京都市伏見区向島二ノ丸町151-55) 向島駅より徒歩約7分
「慰霊と復興・平和への願いを込めて」 3月11日(木) 18:30~点灯 入場無料 (雨天は3月20日(土)に変更)

主催:笑顔つながろう会、3.11メモリアルキャンドルin向島実行委員会
連絡先 実行委員会事務局(担当:佐藤)
愛隣館 075-604-6159
https://ameblo.jp/kirakiramokeke311/


メモリアルキャンドルinむかいじま お話会にて講演します (20日土 午後2時から)

このメモリアルキャンドルでのお話会が20日(土)、同じ場所で行われます。14:00~16:00(13:00開場)
この場でお話します。主催者からの案内を貼り付けます。

東日本大震災福島第一原発事故から10年。-失ったもの得たもの・・・未来に語り継ぎたい言葉-
未曽有の大震災から丸10年。昨日のことのように蘇ります。これまでも震災を風化させてはいけないとの想いで走り続けました。
一緒に歩んでくださった皆様方と共に語り合える場を企画しました。ぜひご参加いただけますようにお願いします。 代表 高木久美子

20日(土) 14:00~16:00)
むかちゅうセンター(元向島中学校)1階交流ルーム
「原発と晩ごはん~災害と原発からの命の守り方~」 守田敏也さん

入場無料 定員50名(定員になった時点で締め切り)
同日、展示コーナーで写真家・飛田晋秀(ひだしんしゅう)さんの写真展 「福島の記憶 3.11で止まった町」も開催。13:00~16:00


失ったものと得たものと~未来に語り継ぐ言葉

高木さんが書いておられるこの言葉と、「原発と晩ごはん」のタイトルから講演内容を練り上げてお話します。
しかしなんとも難しい連立方程式。どう話を晩ごはんに落とすのか。うーん。頭をひねります。
なんというか原発のことをそれとして語るだけではなく、暮らしの中の問題として、私たちの生き方のこととして語ることが大事なのだと思います。

そうこの10年、私たちの暮らしには大きな変化があった。でも変わらないものもあった。
失ったものと得たもの、そして明日も続いていく暮らし。明日も訪れる晩ごはんのとき。
それらを語り合いながら、この10年の節目をみなさんと一緒に越えて未来に向かいたいです。

3月11日(木)のメモリアルキャンドル、20日(土)のお話会にご参加下さい。

#東日本大震災 #福島第一原発事故 #あの日から10年 #メモリアルキャンドル #むかいじま #笑顔つながろう会

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明日に向けて(1999)映画『サマショール~遺言 第六章~』をご覧下さい!京都・大阪・神戸・東京・名古屋で上映中、福岡も予定あり。本日6日大阪・神戸で豊田監督のトークもあります!

2021年03月06日 09時00分00秒 | 明日に向けて(1901~2100)

守田です(20210306 09:00) 

● 映画『サマーショール~遺言 第六章~』

この映画は福島原発事故で被曝し全村避難を余儀なくされた福島県飯舘村のその後を描いたものです。
当初より現地に入り込んで撮影してきた豊田直己さんと野田雅也さんが、飯舘村で酪農を営んでいた長谷川健一さんを中心に前作『遺言ー原発さえなければ』を引き継いでこの作品を編まれました。
昨日、京都市での上映会に参加して視聴してきました。舞台あいさつに来られた豊田直己さんとその後に懇談もしました。

映画は・・・色々な意味で感慨深かったです。
豊田さんたちは震災から6年経ち、避難指示が解除された飯舘に、これまでのように深く入っていきます。
仮設住宅から故郷に帰るのか否かの選択を問われる村民たち。結局戻ったのは2割、それも実際にはその半分ぐらいではないかと思われるそうです。

長谷川健一さんは最終的に飯舘に戻る選択をされましたが、その前にチェルノブイリに出かけられました。
そこで立ち入り禁止区域に暮らすサマショール(自主帰還者)に出会われました。このシーンが長谷川さんの撮影を元に映画に織り込まれています。
飯舘村で何度も集って討論する村民たち。豊田さんと野田さん、そして当初からずっと放射線計測で関わり続けている今中哲二さんがその場に寄りそっています。

以下から予告編が観れます。
https://www.youtube.com/watch?v=vVLNzpfL5Ms

ホームページです
https://www.yuigon-fukushima.com/?fbclid=IwAR1xAOa9IMAOwZzBeJFWBsDNa-M-MdT8w6-2s_7_sYy5-epK6HXxNq0DuaU


飯舘に戻って暮らす

もちろん豊田さんも長谷川健一さんも、危険地帯への帰還を奨励しているわけではありません。
故郷に戻って畑を耕してもそれを人に食べさせることができないことは百も承知。子どもたち、孫たちも戻らせることはできない。でもこのまま飯舘を、我が家を朽ち果てさせたくない・・・。
この複雑に交錯する思いの中に、原発事故のむごさ、故郷を失った悲しみ、飯舘の嘆きがあります。

ああ、原発事故とはこういうことなのだ、故郷を失うとはこういうことなのだ・・・そうあらためて強く感じました。
このことをきちんと記憶にとどめたい。原発反対!と声を上げる一方で、この悲しみをけして埋もれさせず、多くの人とシェアし続けたい。
そう思ったときに、原発事故に翻弄され続ける自らの赤裸々な姿を私たちに見せてくれた長谷川健一さんや飯舘のみなさん、貴重な映像を撮ってくれた豊田さんと野田さんに深い感謝の念を感じました。

みなさんにも福島原発事故から10年を迎えるこの時にぜひ観ていただきたいです。


上映後に豊田さんと

上映スケジュールをご紹介します

京都市では5日から11日まで京都シネマで連日11時25分から上映中
大阪市では第七芸術劇場で本日6日から12日まで連日10時から上映中、初回の今日は上映後に豊田さんの挨拶があります。
神戸市では5日から9日まで神戸映画資料館で連日13時30分から上映中。本日6日にの上映後にここでも豊田さんの挨拶があります。

この他、東京、名古屋でも上映中。福岡でも上映予定があります。期間中のトークショーの案内もあります。以下からご覧下さい。
https://www.yuigon-fukushima.com/blank-1

なおそれぞれの会館で視聴者の数が多い場合は上映延長もあるのだとか。
その点も含めて、ぜひお誘いあわせの上、映画館に足をお運びください。

#サマショール #飯舘村 #長谷川健一 #豊田直己 #遺言 #福島原発事故10年

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明日に向けて(1998)福島原発事故から10年、各地の脱原発集会にご参加を! 本日3月6日は「バイバイ原発きょうと集会」が開かれます!

2021年03月06日 07時00分00秒 | 明日に向けて(1901~2100)

守田です(20210306 07:00)

本日6日13時から京都市円山公園にて

本日は3月6日、あと5日で東日本大震災と福島原発事故から10年の日を迎えます。
この週末から来週にかけて、各地で原発ゼロを求めた集会・企画が行われます。ぜひそれぞれの場にご参加ください。
僕は今日は「バイバイ原発きょうと集会」に呼びかけ人の一人として参加します。

以下、集会案内を掲載します。
http://nonukeskyoto.com/index.html

京都市の円山公園音楽堂で13時30分から (開場13時) 15時にデモ出発。円山公園~四条河原町~京都市役所のコースです。
講演 「福島原発事故の責任を誰がとるのか」 武藤類子さん(福島原発告訴団団長)
報告 「原発事故から10年ー日本の全原発再稼働を中止し、避難の権利を獲得!避難者の生活と健康を守る保障を!」 原発賠償京都訴訟原告団
「老朽原発動かすな!」 橋田秀美さん(若狭の原発を考える会)
「原発事故から住民を守る対策の相次ぐ後退」 市川章人さん(日本科学者会議京都支部)
「脱炭素社会に向けたエネルギー政策」 延藤裕之さん(気候ネットワーク)

主催 バイバイ原発きょうと実行委員会


7日は「さよなら原発・舞鶴集会」に 守田が記念講演をさせていただきます!

明日、3月7日(日)は舞鶴市で行われる「さよなら原発・舞鶴集会」に参加します。14時から舞鶴市西公民館4階ホールにて
記念講演で話させていただきます。タイトルは「原発ゼロの日本をめざして、今できること」です。若狭の原発群、とくに高浜原発についてのお話から始めます。



また少し前に関西電力から高浜1,2号機の「安全性」をアピールするチラシが出たので、それの批判的読み解きも行います!

この講演の後、意見交流が行われ、アピール採択の提案が行われます。

新型コロナ感染症対策として会場参加者を50名に限定するとともに、ZOOMによるオンライン開催併設とされたとのこと。
全国全世界から参加可能です。すでにイギリス在住の方たちからご参加の連絡を受けています。
zoomのお申し込みは kssbkeep-shikeep@yahoo.co.jp にメールするか、チラシにあるQRコードから。


関西電力が配布している折込紙の一部 全体として突っ込みどころ満載

集会後は明倫緑地集合でスタンディングアピールが行わます。もちろん僕も参加します。(午後3時35分~4時まで)

主催 「原発ゼロ・舞鶴の会」 連絡先 舞鶴地方労働組合協議会内(電話76-8304)

#バイバイ原発きょうと集会 #さよなら原発舞鶴集会 #福島原発事故10年 #若狭の原発 #老朽原発動かすな

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明日に向けて(1997)ビキニ核実験による民衆の覚醒まで被爆者には光が当たらなかった。国は救済の義務をいつも果たしてこなかった-被爆国論の再考5

2021年03月04日 17時00分00秒 | 明日に向けて(1901~2100)

守田です(20210304 17:00)

【ご注目】 3月7日午後2時から舞鶴市でお話しますがzoomからもご参加できます。お申し込みはこのアドレスまで  kssbkeep-shikeep@yahoo.co.jp 詳しくは「明日に向けて(1995)」をご参照ください

政府は被爆者をまったく救おうとしなかった

前回、ビキニ環礁における水爆実験と第五福竜丸などの被爆を契機に、日本の中で女性たちを中心とした大きな運動が巻き起こり、1955年の第一回原水爆禁止国際大会が開かれたことなどを紹介しました。
誇るべき歴史ですが、しかし僕は強い胸の痛みも感じました。1954年を境にした運動の高揚は、それまで広島・長崎の惨劇、被爆影響のもとでの苦しみが国内にほとんど知られず、被爆者に光が当たっていなかったことをも突き出しているからです。
強い憤りとあまりの悲しさを感じます。あれほどの惨劇にあわされ、その後も悲劇の連鎖が続いてた人々が、9年間も放置されていたのです。その間にどれだけの方が悶絶死していったことでしょう。


NHK「その時歴史は動いた」から 右は長崎で被爆し東京に移り住んだ田中熙巳(てるみ)さん

このひどい仕打ちが続いた理由は、1952年まで日本占領を続けた核攻撃の加害者であるアメリカーGHQが、原爆に関する一切の報道を、「占領目的阻害行為処罰令」という法律の下に禁止したためでした。
同時に戦後に全面的にアメリカに追従し、様々なアメリカの戦争政策に協力することの中で自己保身を図った日本の支配層もまた、何らの救済も試みませんでした。被爆者は長く見捨てられ続けていたのです。
それだけではありません。前回、ご紹介したNHKの番組では、原水爆禁止署名運動の盛り上がりに対して、「日米両政府が沈静化を画策した」ことが指摘されています。

具体的には1955年1月4日に第五福竜丸の被爆に対する補償問題での日米両政府の合意がなされたことでした。法的責任を問わない見舞金として200万ドル(約7億円)をアメリカが支払い、日本が一切の請求権を放棄するというものでした。
実はアメリカ政府にとってこんなに都合の良い条件が出されたのは、日本が水面下で戦犯に対する免責を要求したからでした。詳しくは高橋博子さんの報告をお読み下さい。 http://hikaku-kyoto.la.coocan.jp/takahasi0915.pdf
日本政府は、ようやく始まった原水爆に対する民衆の怒りをすら、自分たちの免責のために利用したのでした。


国と民衆を分けて考えなければ真実が見えない

ただただ深い憤りと悲しみを感じますが、この史実を前にしたとき、よりいっそう「被爆国」という限界の多い言い方をいまこそ越えていこうと提案したいです。
戦中の日本政府は、無謀な戦争に国民・住民を弾きこんだ挙句、アメリカ軍から空襲などの大量虐殺攻撃を受けたのにいたずらに戦争を長引かせ、沖縄上陸や原爆攻撃など、さらなる惨劇に民衆をさらし続けました。その責任を問わねば。
さらに戦後の日本政府もまた、自らの責任のもとに被爆し、大変な苦しみを背負った被爆者をなんら助けようとせずにきました。そこにもとても重い責任があります。

ところが「被爆国」などというと、あたかも被爆者が十分な援助や補償・保障・保証が受けられているかのような誤解を招いてしまいます。
事実僕は幼少期の頃から、この国の中で被爆者がとても大切にされ、充分な手当てなどを受けているのだとばかり思って来ました。そういう誤解は多いのではないでしょうか?事実は逆です。政府は被爆者を打ち捨ててきたのです。
状況を少しずつ変えてきたのは、被爆者自らとこれに共感した民衆の努力によってでした。かくして1957年、戦後12年経ってようやく「原爆医療法」ができ、被爆者手帳が作られるようになりましたが、それとて余りに不十分なものでしかなかった。

そもそも未だに日本政府は被爆者に対しての謝罪と補償を行っていません。いや都市空襲にしてもそうです。沖縄戦にしてもそうです。それどころか政府はいまだに米軍に基地の提供を続けている。沖縄をはじめ多くの人に大きな負担を強いてです。
それほどにひどい政府がアメリカを後ろ盾にしてまだ存在していることを明らかにするためにも、「被爆国」という正しくない言い方を越えていきましょう。
繰り返し言います。日本政府はあの戦争の被害者ではなくて加害者なのです。さらに戦後も加害者アメリカと共に、被爆者を苦しめ続けてきたのが日本政府なのです。

その日本政府に真っ当な怒りをもって向き合わなくてはいけない。
民衆への加害責任に対する謝罪と補償を求めましょう。その中で核兵器禁止条約に参加すべき義務をつきつけましょう!


高橋さんの論稿から 全文はPDFでご覧下さい。

続く

#被爆国 #占領目的違反 #戦犯免責 #原爆医療法 #核兵器禁止条約

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明日に向けて(1996)ビキニデーに思う 核実験被害にまったをかけたのは女性たちだった -被爆国論の再考4

2021年03月03日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1901~2100)

守田です(20210303 23:30)

【ご注目】 3月7日午後2時から舞鶴市でお話しますがzoomからもご参加できます。お申し込みはこのアドレスまで  kssbkeep-shikeep@yahoo.co.jp 詳しくは「明日に向けて(1995)」をご参照ください。


ビキニデーとは・・・・原水爆に対して女性たちが起ちあがり、世界に波及していった

一昨日3月1日はビキニデ―でした。1954年3月1日、アメリカがマーシャル諸島のビキニ環礁で水爆実験(ブラボー)を行ったことにちなむ日です。
ブラボー水爆は広島原爆の1000倍の破壊力を持っていました。莫大な量の放射線物質も飛散させ、マーシャル諸島の多くの人々や日本のマグロ漁漁船、第五福竜丸などを被爆させ、同船の乗組員23人全員が急性放射能症にかかりました。
この事件をきっかけに日本の中で原水爆に反対する大きな運動が巻き起こりました。とくに東京都杉並区の鮮魚商菅原トミ子さんなどの呼びかけて始まった女性たちによる原水爆禁止を求める署名が、瞬く間に広がっていきました。

この過程のことを描いたNHKの番組を見つけたのでご紹介します。貴重な映像が使われています。ぜひご覧下さい。
「その時、歴史が動いた 3000万の署名 大国を揺るがす」 (世界の原水爆禁止運動のきっかけ-母親たちの反核運動のタイトルでYouTubeにアップされています)
https://www.youtube.com/watch?v=zZkNX9GvXao

動きだしたのは子育て世代を中心とする女性たちでした。食卓に魚を乗せられない。そればかりか日本に降る雨からも放射性物質が検出され、パニックすら起こる中、女性たちが新聞への投稿を始め、声をかけあい、起ちあがっていきました。
とくに杉並で始まった署名は世界にも波及し、やがて1955年8月6日の第一回原水爆禁止国際大会の実現に結びつきました。この場で署名が国内で3000万人を超え、世界で6億人を超えたことが報告されました。
番組では紹介されませんでしたが、女性たちの起ちあがりは、平塚らいちょうさんなどを中心とした母親運動をも作りだし、1955年6月に全国母親大会、7月スイス・ローザンヌでの世界母親大会も開かれました。


女性たちの奮闘で核実験がとまった!

この運動は核保有国に大きなプレッシャーを与え、やがて1963年にアメリカ・旧ソ連・イギリスによる「大気圏内、宇宙空間及び水中における核兵器実験を禁止する条約」の締結を生み出すことに結果しました。
世界中の女性たちの運動が、大気中核実験を禁止に追い込んだのでした。それが日本の女性たちの動きを発火点としていたことをしっかりと記憶にとどめたいです。
ビキニデーはこのようにして世界に波及した原水爆禁止運動を記憶にとどめ、継承していくべく日として、毎年、さまざまな企画が行われています。

これらを考えるときに、あらためて女性たちへの感謝の念を強く感じます。1959年に僕を産んでくれた母もその一人でした。母は積極的に運動を担ったわけではありませんが、僕が幼少のころ、雨に当たってはいけないと度々さとしてくれました。
母が第一子である兄を出産したのは1952年6月のこと。第五福竜丸が話題になったとき、彼女は1歳9か月の幼児を抱えていました。その後、僕が生まれるまでに母は妊娠中絶を経験しました。兄と僕の間に生まれなかった子がいたのでした。
その間、米ソは核実験を続け、放射性物質をばら撒き続けていました。母の妊娠中絶との関係は分かりませんが、それでも母が再度妊娠し、ようやく出産に漕ぎ着けた息子の僕を、放射能から守ろうとさまざまに心を砕いただろうことは想像できます。


昨年他界した兄、和也と。兄と僕の間に一人の生まれなかった兄弟姉妹がいた・・・

もちろん僕の母だけではありません。僕と同年代のほとんどの方が、母親から「雨にあたってはいけない」と言われた経験をお持ちです。母の世代の女性たちが、私たちの世代を守るために奮闘してくれたのです。
その意味でビキニデーは、命を守ろうとしてくれた多くの女性たち、それを支えた諸先輩方への感謝をささげる日でもあると思います。
大事なことは日本政府は加害者アメリカにひれ伏して、そんなことは一言も発しなかったということ。女性たち、庶民の声が核の被害を部分的に押しとどめたのです。だから国と民衆を分けて考えなくてはいけない。被爆国論の見直しを訴る由縁です。

続く

#ビキニデ― #ビキニ環礁 #核実験 #第五福竜丸 #原水爆禁止運動 #原水爆禁止署名 #菅原トミ子

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