(四)主
「コーヒーとパン、ここに置いておきますので冷めないうちにお食べください。
食べ終わりましたら、ここに戻してください」
慇懃で固い声にふり向くと、ドアのすぐ横にある小さなテーブルの上に、白々と湯気立つコーヒーと黄色のマーガリンが薄くぬられたパンがあった。
視線を合わせることもなく、冷たく光るステンレスのトレーを置いていく職員のうしろすかだが見えた。
言葉とともにドアから流れ出た空気もいまでは落ち着きはらい、部屋はまえにもまして深閑としていた。
「はばあじゃねえのか。ごっちんこはなしか」。声だけがひびく。
部屋の中はキチンと整理されていた。
ベッド横の壁には、この別荘を建ててくれた愛すべき祖父のいかめしい姿の額がある。
まるでこの部屋のすべてを、空気でさえもを支配するかのごとくで、妙に大きく感じられる。
そのいかにも明治らしい――鹿鳴館時代にしばしば起きた、東洋と西洋の対立と調和とをまざまざと感じさせる、チョンマゲにタキシード姿。
まさに明治時代から今にいたる道、この部屋のすべてを支配した主、そう、あるじそのものだ。
反対側の壁には、埋め込み式のラジオがある。
シルバーメタリックのボディの中央に、ジャガード織りの布がかけられたスピーカーがある。
お気に入りの調度品だ、重厚なおもむきがいい。
ただいかんせん、お仕着せの音楽やらが流れていることが気にはさわる。
泉から水がわきでてくるように流れてくる現代の息吹きが、しばしば額の中の支配者の目をさらにいかめしくさせたように見える。
その横には、そのつややかな肌にふかくナイフの傷跡を残しつつ、それでもおだやかかな表情の能面があった。
しかし、穏やかに微笑んでいるその面に、どこか冷たさを見ては背筋に氷の入る思いをするのは、一度や二度ではなかった。
その面は、生きている人間の意志など無視しがちなある種の威厳を感じさせ、部屋全体に重くのしかかっていた。
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