昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第三部~ (四百四十九)

2024-11-12 08:00:17 | 物語り

「幸いですねえ。徳子の機転で銀行への連絡がはやかったんで、小切手の現金化はまぬがれました。
といって喜ぶようなことじゃないんです!」
 さらに怒気の入った五平の声が、社長室にひびいた。
1階の事務室にまでとどく有様だった。
「専務。すこし声を抑えてください。階下(した)にまできこえます」

 あわてて竹田が五平を落ち着かせようとすると、徳子が社長室のドアを閉めた。
ここ日本橋に移ってから、いや富士商会が起ち上がってはじめてのことだった。
いつも開けっぴろげだった武蔵の部屋がとじられた。
そのことで、いかに五平の怒りが大きいことかと全社員が知ることになった。

金額の多寡ではなく、社長が詐欺まがいの与太話にひっかかってしまった、そのことがどれほどに大きな問題点であるかを、当の小夜子はもちろん全社員にもかくにんさせておきたかったのだ。
ややもすれば、「小さな金額じゃないの」、「とられなかったんだしさ」と、安堵する空気がただよつていることが、五平には恐ろしかったのだ。

この事実が外部にもれたら、とりわけ銀行に知られてしまえば、「社長失格だ、交代だ」と騒ぐだすにきまっている。
また取引先からの嘲笑の声がきこえてくる。
とくに仕入れ関係からの取引条件変更問題がぶりかえさないかと、心配になってくる。
竹田にしても徳子にしても、今回ばかりはかばうことができなかった。

 全社員に箝口令が敷かれることになり、社内でのうわさ話は絶対厳禁となった。
素人経営の危うさが浮き彫りになった、小さくはあったが大きな事柄だった。
そしてこの対策として、以降については、小夜子はもちろん、五平に服部、山田に竹田に至る幹部においても、少額な決済についても、徳子の承認を得ることとなった。

 忸怩たる思いにとらわれる小夜子だった。
「New management by new women」
 意気揚々と船出をしたはずの、営業とそして配達員たちとともにまわった販売先において、竹田とまわった仕入れ先において、非難めいたことばはひとこともでずに歓待を受けた小夜子だった。

 武蔵のいちぶ恫喝じみた言動について謝罪をしてまわり、「これからは対等なパートナーとして取引しましょう」と宣言してきた。
嫌がるはずもない。すべての会社で賞賛された。
しかしそのうらで、与しやしと思われたのも事実だった。
個人商店や小規模の供給先が、「ありがたいことです」と、手を合わせんばかりの態度をとった。

 それがこの始末だ。海千山千相手の取引先と、これから丁々発止の取引が展開できるのか、ますます「姫をささえなければ」と社員たちが思いを新たにした。
「先代社長だって間違えることはあったんだ」。
「これから少しずつ覚えていってもらおう」。
これらが、社員たちの合い言葉になった。

 



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