翌日にさっそくクリニックを受診しましたが、すぐに入院設備のある民間病院を紹介されました。
そこで入院となりもろもろの検査を受けました。
ふつか、いや三日後でしたか、狭心症と診断されて大学病院へうつりました。
そこでもまた検査けんさの日をおくり――まえの病院とおなじ検査のようですが、どうしてにど手間をかけるんでしょうかね。
お金がもったいないと思うんですよね。
結局のところほぼ2週間あまり後にステント手術ということになりました。
こんな大ごとになるとは想像もしていなかったので、ビックリです。
このころはと言えば離婚後でして、ひとり暮らしなんですよね。
世話をしてくれる人間がいないということで、少々気まずくてばつの悪い思いをしました。
6人の大部屋でして、患者さん全員につきそいの方がいました。
いろいろと世話をしてみえます。
けれどもわたしにはだれも付いていません。
日当を支払って世話をしてもらうおばさんが見えるようです。
ご存じでした? 民間の医療保険に加入しておられる方が利用されるようです。
が、そういった保険にいっさいはいっていない――すべて解約してしまいました――わたしでは、その費用を捻出することができないわけですわ。
でも手術前はまだそれでも良かったのです。
ひとりで出歩けますから、必要なものは売店に買いにいけるわけです。
ですが手術後はそうはいきません。
ベッドに縛られていますから――ホントに縛られているわけではありませんよ、比喩ですから――自由がききません。
といっても、なにをしたいというわけでもありませんから、不自由は感じませんでした。
ただ退屈なわけです。日がないちにちをぼんやりと過ごすわけです。
――・――・――
(十一)の2
声をかけてくれる相手といえば、せいぜいが看護婦さんだけですからね。
さいわいに窓際のベッドでしたので、空をただよう雲の形なんかに慰められたりしました。
幼児でもあるまいしと思うのですが、あれは象さんだ、あっちは飛行機だ、そしてこっちはイチゴだなどとです。
そうそう、怪鳥ラドンを見つけたこともありました。
そのときは、どういうわけかとつぜんに涙があふれましてね。
いえ理由はわかっていました。
子どもたちと観た映画です。
ラドンの映画ではなくゴジラの映画だったのですがね。
そのことが思いだされて。
数すくない子どもたちとの想い出なんですよ、かずすくないお出かけなんです。
子どもたちが観たいと言ったのか、わたしの意向だったのか。
つまは板東妻三郎しゅえんの怪談映画(夜叉ヶ池だったと思うのですが)をみたいと言いだしたことを覚えています。
わたしと子どもたちだけの数すくない共有時間をもたせてくれたのだと、いまは解釈していますが。
その後、マクドナルドで待ち合わせをしまして、ハンバーガーをそろってパクつきました。
息子はビッグマック、娘がフィッシュなんとか(母親とおなじ物です)。
そしてわたしは、テリヤキバーガーでした。
といっても最初のひと口だけで、息子と娘にとられてしまいました。
息子が大食いでしてね(これはわたし似というより、食べ盛りだからでしょう)、娘は人の物(特にわたしが食するもの)を欲しがるのですよ。
でも楽しい外食でした。
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