とうとう、結婚式の前夜がやって参りました。
式の日が近づくにつれ平静さをとりもどしつつあったわたくしは、暖かく送りだしてやろうという気持ちになっていました。
が、いざ前夜になりますと、どうしてもフッ切れないのでございます。
いっそのこと、あの合宿時のいまわしい事件を相手につげて、破談にもちこもうかとも考えはじめました。
いえ、考えるだけでなく、受話器を手に持ちもしました。
ハハハ、勇気がございません。
娘の悲しむ顔が浮かんで、どうにもなりません。
そのまま、受話器を下ろしてしまいました。
妻は、ひとりで張り切っております。
ひとりっ子の娘でございます。
最初でさいごのことでございます。
一世一代の晴れ舞台にと、いそがしく動きまわっております。
わたくしはといえば、何をするでもなく、ただただ家の中をグルグルと歩きまわっては、妻にたしなめられました。
仕方なく、寝室にひとり閉じこもっておりました。
「トントン」とドアを叩く音がしました。
「誰だネ?」ときく間もなく、娘がはいって参りました。
ピンクのカーディガンを羽織っております。
二十歳の誕生祝いにと、わたくしが選んでやったものでございます。
娘はドアに鍵をかけると、わたくしの横にすわり
「お父さん!」と、声にならない涙声でちいさく呟きました。
わたくしは、あふれ出る涙をかくそうと、そろそろ雪解けのはじまった街路を見るべく窓際に立ちました。
夕陽も落ちて、うす暗くなりはじめていました。
「まだまだ、寒いなあ」そう呟くと、カーテンを引いて外界との交わりをたちました。
涙を見られたくなかったのでございます。
「お父さん……わたくしのかたわらに来て、娘がまたつぶやきます。
「うん、うん」と、娘のかたに手をおいて頷きました。
娘は、なんとか笑顔を見せようとするのですが、涙を止めることができずにいました。
わたくしはそのいぢらしさに、心底愛おしく思えました。
「お父さん!」。そのことばと同時にわたくし私の胸に飛びこんでまいりました。
「抱いて、だいて。彼を忘れさせるくらい、強くだいて」
そんな娘のことばに戸惑いを感じつつも、しっかりと抱きしめてやりました。
ふたりとも、涙、なみだ、でございました。
静かでした。遠くの方でパタパタというスリッパの音がひびきます。
そしてそれと共に、娘の鼓動が耳にひびきます
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