昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

春先の、あちこち美術館巡り ~堺市:Musha展 (十)

2020-05-31 08:00:36 | 美術展・博物館
第10章:グリュンワルトの戦闘の後 — 北スラヴ人の団結



ドイツ騎士団は急速に勢力を拡大しており、これに対抗するためポーランド王国とリトアニア大公国は同盟を組み、グリュンワルトの戦闘でドイツ騎士団を破った。
連合軍にはポーランド人、リトアニア人だけでなく、ボヘミア(チェコ)、モラヴィア、ロシア、タタール、オランダ、ルテニアなどの援軍が参加していました。

この戦いでグルンヴァルトはポーランド領になりましたが、1525年にプロシアに奪われ、1945年のナチス・ドイツ崩壊後ふたたびポーランドに返還されて現在に至っています。
作品では戦闘場面ではなく戦闘の翌朝を描いている。
戦闘で死んだ多数の人馬が描かれており、画面中央上部には勝利の代償に愕然とする、ポーランド国王ヴワディスワフ2世が描かれている。

暗い画面で、重苦しい雰囲気が漂っていました。
大地に横たわる、おびただしい馬と人々たち。なんとも、痛ましい光景です。
あちこち探してみましたが、今作品では、こちらをじっと見つめる人物は見つかりませんでした。
あの目には、観る者を射すくめる目力がありますからねえ。
くらくらと、よろめくこともあるのですが……。


第十一章:ヴィトーコフの戦闘の後 — 神は権力でなく真理を伝える



ヴァーツラフ4世がこの世を去ると、跡を継いだのは弟のジギスムントであった。
ヤン・フスの処刑は彼の責任であると見られており、民衆は彼の王位継承に反対した。
ジギスムントはカトリック教会から支援を受けて、十字軍を組織しプラハに侵攻するが、ヴィトーコフの丘での戦闘で奇襲を受け敗退する。
この作品も戦闘場面ではなく、戦闘後に執り行われた荘厳ミサを描いている。
中央右にはフス派の指揮官ヤン・ジシュカが描かれており、足元には戦利品が散らばり、陽光がスポットライトのように彼を照らしている。
左手には聖体顕示台を持つ司祭と、ひれ伏して祈りを捧げる司祭たちが描かれている。
また左下の隅には戦争によって被災したと思われる乳児を連れた女性が描かれている。
この作品が制作された1916年は第一次世界大戦でヨーロッパが戦火に包まれており、ミュシャの戦争への嫌悪感がこの作品に現れている。
左下の女性、なんとも……。どう言葉をかければ良いのか、まったくもって……。
恨みの炎を感じたり、諦めとも思える下げられた視線、そしてだらりと下がった両手。
そしてそして、腕に抱かれた、乳児らしき手が、じつに痛ましい。
司祭の元で、台地にひれ伏す僧侶(? いや、この方たちもまた司祭とのこと)たち、己の無力さを投げているのですか? 
どうしてもどうしても、戦い――富の奪い合いは絶えないのでしょうか。
自国民、民族を生きながらえさせるためというならば、それなりに分かち合うということは、できないのでしようか。

第十二章:ヴォドナャニのペトル・ヘルチッキー — 悪に悪をもって応えるな



ペトル・ヘルチツキーは宗教改革に影響を与えた思想家の一人であったが、戦争や軍事的行為には反対する平和主義者であり、フス派とは一線を画していた。
この作品に描かれているのは、フス派によって襲撃されたヴォドナャニの町と、家を焼かれた住民たち、そして犠牲となった人々である。
何の罪もない人々が犠牲となったというフス戦争の暗い一面を描いている。
フス戦争の時代、ヴォドニャヌイは熾烈な戦いの場となった。
怒りに満ち、悲しみにくれる住民たちは、司祭にして偉大な哲学者であるヘルチツキーに救いを求めた。
司祭は聖書を手に、復讐しないよう彼らを諭した。
画面中央で聖書を抱えた姿で描かれたヘルチツキーは、戦争の犠牲者たちを慰め、また心を復讐に向かわせないよう諭している。

悲嘆に暮れる人々やら、亡骸に手を置いて嘆き悲しむ人、親の腰にすがり泣きじゃくる子、一点をじっと見つめて「違う違う」と思う人、そしてそして「ならぬならぬ、死んではならぬ」と、念仏代わりに祈る人。
居ました! 中央に位置する司祭にして偉大な哲学者であるヘルチツキーの傍らで、幼児を抱きながらこちらをじっと見つめる女性一人。
いつの世にも、弱き人々が犠牲になるものです。とても、残念です。
この作品にも、Musha の良心を感じました。


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