赦しの樹
(トロイア戦争後、英雄テセウスの息子デモフォンは、トラキア王の娘であるフュリスと恋に落ちた。結婚の約束を交わした後、デモフォンはアッティカに帰った。
フュリスはデモフォンの帰還を待ち焦がれ、そのうち悲しみにくれて自殺してしまう。
神は彼女をアーモンドの木に変身させた。その死を嘆き悔いるデモフォンが木を抱き締めると、突然花が開き、フュリスが再び姿を現した)。
ああ、そうなんだ。美しいお話なんだ。
木の根っこ近くから出てきているものですから、てっきり大蛇か何かだと思いました。
ほら、イブをそそのかした、あの蛇ですよ。
いえね、男性の表情を見てくださいよ。
明らかに嫌がっているでしょ? 歓喜ではありませんて。
逃げ出そうとする男に巻き付いている、へび…おんな…。
あの、黄泉の世界から妻を助け出そうとした夫が、結局は妻から逃げ出してしまうという、日本の神話(古事記)を思い出しましたね。
ちょっと意地悪な見方でしたね。
画:嘆きの歌
何を嘆いているのか……?
真っ先に浮かんだのが、まさに「赦しを乞う」でした。
恋い慕う想い人でもありながら召使いの女性……。
召使いといえども○○家の召使いであって、青年の召使いではない。
さりとて、堂々と父親に紹介できる相手でもなし。
恋にもだえ苦しむ青年に対して「どうするの、どうしてくれるの」と傲然とした態度を見せる、召使い、否、想われ人。
「あたしを取るか、家を捨てることができるのか」
彼女にも不安な思いはあるだろうに……。
そんなことを考えながら観入っていました。
エドワード・バーン=ジョーンズ
忘れられない画家の一人になりました。
機会がありましたら、また観たい画家さんです。
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