21日(金)。わが家に来てから今日で1540日目を迎え、日産自動車元会長のカルロス・ゴーン容疑者の報酬過少記載事件で、東京地裁は20日 ゴーン元会長と元代表取締役グレッグ・ケリー容疑者の拘留延長を認めない決定をした というニュースを見て感想を述べるモコタロです
拘留が認められたら 拘置所で除夜の鐘を聞くことになったかも 鐘の音は ゴ~ン ♪
昨日、夕食に「ハッシュドビーフ」と「生野菜サラダ」を作りました この組み合わせは久しぶりですが、ワインを飲みながら食べるとお代わりしてしまいます
昨日、池袋の新文芸坐で「はじめてのおもてなし」と「希望のかなた」の2本立てを観ました
「はじめてのおもてなし」はサイモン・バーホーべン監督による2016年ドイツ映画(116分)です
大病院の医長を務める夫のリヒャルトと、教師を定年退職し暇を持て余す妻のアンゲリカのハートマン夫妻はミュンヘンの閑静な住宅街で暮らしている 子どもたちが顔を見せ、久しぶりに家族全員が揃ったディナーの席でアンゲリカが「難民を一人受け入れる」と唐突に宣言する 娘ゾフィーは賛成するが夫や長男フィリップは猛反対する。結局アンゲリカに押し切られる形でハートマン家にナイジェリアから来た亡命申請中の青年ディアロが住むことになる それが原因でストレスを抱えたリヒャルトは部下に当たり散らし職場で孤立してしまう 一方、アンゲリカはディアロにドイツ語を教え、一緒に庭仕事をするなど、かつての輝きを取り戻していく そんな中、歓迎パーティーでディアロをもてなすはずが、アンゲリカの友だちのせいで警察沙汰の大騒動に発展してしまう
この映画は、難民ウェルカム政策をとるメルケル政権下のドイツで、一般市民レヴェルでどのような難民受け入れが行われ、どのような問題が起こるのかが描かれていて興味深いものがあります 難民と言えば、真っ先に「イスラム原理主義者が紛れ込んでいるのではないか」と疑いの目で見るのは無理のないことだと思います。それでも、一緒に暮らしていく中で、同じ人間なのだということを理解するようになっていきます この映画の良いところは、難民問題という ともすれば深刻になりがちなテーマを ユーモアをまぶして提示しているところです いつまでも若く見せようと頬にヒアルロン酸を注射をしたり、フェイスブックで友達申請したりするリヒャルトは可笑しいし、いつまで経っても学校通いで結婚相手が見つからないゾフィーは憎めないし、仕事中毒フィリップの一人息子は小学生とは思えないマセた子どもで問題ばかり起こすし、といった具合に登場人物が皆 魅力に溢れています
アンゲリカがディアロとリビングで会話するシーンで、いきなりシューマンの「交響曲第3番変ホ長調”ライン”」の第1楽章「いきいきと」が大音響で鳴り響いた時は、さすがはドイツと感嘆しました この曲はドイツ生まれのロベルト・シューマン(1810-1856)が1850年11~12月の短期間に作曲し、1851年2月9日にデュッセルドルフでシューマンの指揮で初演されました。シューマン自身がはじめ「ライン河の生活の一片」と呼んだことから、この曲は「ライン」という愛称で呼ばれています ちなみに、女子テニス界の人気者・大坂なおみのサーブは「ラインぎりぎり」と言われています・・・・・書かなかった方が良かったですね。反省してます
「希望のかなた」はアキ・カウリスマキ監督・製作・脚本による2017年フィンランド映画(98分)です
シリア人のカリードは内戦が激化する故郷を追われ、生き別れた妹を探すうちにヘルシンキに流れ着く 内戦ですべてを失ったカリードにとって、妹を探し出すことだけが唯一の望みだった。ヨーロッパ全体を悩ませる難民危機の影響か、無情にも難民申請を却下され、いわれのない差別や暴力にさらされるカリードだったが、レストランを営むビクストロムに助けられ、彼の店で働くことになる ビクストロムもまた、行き詰った過去を捨てて人生をやり直そうとしていたのだった
この映画も、シリアスな中にもそこはかとないユーモアを感じさせる作品です ヴィクストロムの雇ったレストランの従業員はそれぞれ癖がありますが、難民であるカーリドを仕事仲間に受け入れるだけでなく、捨てられた犬まで匿う優しい人たちです ヴィクストロムは「レストランが繁盛しないのは料理の内容に魅力がないからだ」と言って、寿司を出すことを思いつき、日本語で「いらっしゃいませ~」とお客さまを迎え、BGMに昭和歌謡風の歌を流し(曲名不明)、とっくりで日本酒を用意し、ヴィクストロム自身が握った”寿司らしきもの”を提供するのですが、食材の鮮魚が足りなくなったり、ワサビを寿司の上に山盛りにして提供したりするので、反って客離れを起こしてしまいます 客が黙ってぞろぞろと店を出ていくシーンはシュールで、映画館のあちこちから大笑いが聞こえました
ただ、この映画はカリードが妹と再会できるものの、ハッピーエンドではないので「おやっ?」と思いました 難民の多くは、実際にはハッピーエンドで終わるような生き方はしていないのだ ということを暗示しているようにも思えました
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