ナディーン・ラパキー監督「存在のない子供たち」、アリーチェ・ロルヴァケル監督「幸福なラザロ」を観る ~ ベッリーニ「ノルマ」から「清らかな女神よ」、バッハ「平均律クラヴィーア曲集第1巻第8番」も流れる
19日(水)。わが家に来てから今日で1968日目を迎え、米フロリダ大や北京大などのチームは、新型コロナウィルスによる肺炎は 喫煙者が重症になりやすい可能性にあり、中国で死亡した感染者の割合は男性で特に多く、喫煙率が高いこととの関係があるという論文を発表した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
もともと喫煙は肺炎になり易い これを機会に喫煙者はタバコやめた方がよくね?
昨日の夕食は「すき焼き」にしました 娘と一緒に食事をとることは滅多にないので、たまにはいいかもね でも、牛肉1人前300グラムは多すぎて少し残しました
昨日、ギンレイホールで「存在のない子供たち」と「幸福なラザロ」の2本立てを観ました
「存在のない子供たち」はレバノンの女性監督ナディーン・ラパキーによる2018年レバノン・フランス合作映画(125分)です
中東の貧民窟に生まれた12歳のゼインは、貧しい両親が出生届を出さなかったために、自分の誕生日も知らないし、法的には社会に存在すらしていない 学校へ通うこともなく、兄妹たちと路上で物を売るなど、朝から晩まで両親に働かされていた 唯一の心の支えだった大切な妹が11歳で強制結婚させられたことに対する怒りと悲しみからゼインは家を飛び出す 何とか職にありつこうとするゼインだったが、IDを持っていないためそれが出来ない 沿岸部のある町でエチオピア移民の女性と知り合い、彼女の赤ん坊を世話しながら一緒に暮らすことになる しかし、女性が違法滞在の罪で捕まってしまい、ゼインは一人で赤ん坊の世話をしなければならなくなる 国外に出ようとブローカーのところに行くと、出生証明書を持ってこいと言われる。それが家にあると思って自宅に戻ると、嫁いだ妹が夫のせいで死んだことを知らされる 彼は逆上しその男を刺す ゼインは裁判にかけられるが、法廷で両親を告訴する。裁判長から「何の罪で?」と聞かれた彼は、まっすぐ前を見つめて「僕を生んだ罪で」と答える
ナディーン・ラパキー監督は、この映画を撮るために、リサーチに3年をかけ、自身が目撃し経験したことを盛り込んでフィクションに仕上げたといいます 主人公ゼイン(ゼイン・アル=ラフィーア)をはじめ出演者のほとんどは、演じる役柄によく似た境遇にある素人を集めたそうです それが、リアリティーに満ちたストーリー展開を可能にしています
この映画は、中東における貧困の実態と、IDを持たない移民の置かれた苛酷な環境をドキュメンタリータッチで描いており、心を揺さぶります 現実の世界でもこれに近いことが起こっているのだろうな、と思わされます 最後の裁判シーンで、裁判官に「何か言う事はあるか?」と聞かれたゼインは「育てられないなら、子どもを産むな」と吐き捨てるように言います。この言葉は重いです
貧しさゆえに親からまともな愛情を受けることができずに生きる悲しそうなゼインの顔が忘れられない映画ですが、ID用の写真を撮るラストシーンで「死亡証明書の写真じゃないんだから、笑いなさい」と言われて、これ以上ない笑顔を見せるゼインの顔が、また忘れられません
「幸福なラザロ」はイタリアの女性監督アリーチェ・ロルヴァケルによる2018年イタリア映画(127分)です
時は20世紀後半。社会と隔絶したイタリア中部の小さな村で、素朴な青年ラザロと村人たちは領主の侯爵夫人から小作制度の廃止も知らされず、昔のままタダ働きをさせられていた ことろが、夫人の息子タンクレディが起こした狂言誘拐騒ぎを発端に、夫人の搾取の実態が村人たちに知られることになる これをきっかけに村人たちは外の世界へと出て行くのだが、ラザロだけは村に留まる。ラザロは領主の家から調度品を勝手に持ち出す2人組の男に出会うが、素朴な彼は彼らを信じて 彼らと行動を共にすることになる トラックで彼らの根城に行くと、村で一緒だったアント二アがいた。彼女も泥棒の一味だった その後、ひょんなことからタンクレディと再会するが、彼は落ちぶれてみじめな暮らしをしていた 彼がラザロに「銀行が融資してくれないのが悪い」と言うと、素朴な彼は信じてしまい、銀行に行って話をつけようとするが、銀行強盗と間違われて他の客に囲まれ袋叩きにあう
この映画は、死から蘇ったとされる聖人ラザロと同じ名を持ち、何も望まず、目立たず、単純に生きる、純粋な魂の持ち主の青年の姿を描いたドラマです
村人たちが外へ出た後、ラザロは崖から滑り落ちて気を失ってしまうのですが、気が付いた時は もう何年も経っているという設定になっています 後に再会するアント二アも、タンクレディも歳を取っているのに、ラザロだけが若いままです。聖人だからでしょう
この映画では、伯爵夫人の邸宅のシーンで、最初にピアノで、次にオルゴールで、ベッリーニのオペラ「ノルマ」のカヴァティーナ「清らかな女神」が流れます 小作人を搾取する伯爵夫人に「ノルマ」はあまり相応しくないと思うのですが、アリーチェ・ロルヴァケル監督はお気に入りなのでしょうか
また、アント二アとラザロたち一行が教会に入ってパイプオルガンを聴こうとすると「一般の人はだめ」と追い出されるシーンがあります。彼らが教会から外へ出ると、いくら演奏しても音は出なくなり、そのメロディーはラザロたちを追いかけるように流れていきます その時流れていたのはバッハの「平均律クラヴィーア曲集 第1巻 第8番 変ホ短調 BWV853 」の「プレリュード」でした ラザロにバッハはカレーライスに福神漬けだと思います