人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

タル・ベーラ監督「ニーチェの馬」を観る ~ 暴風が吹き荒れる映像が印象に残る モノクロ 2時間34分 / 読響アンサンブル・シリーズの年間会員券を取る

2020年02月10日 07時18分11秒 | 日記

10日(月)。ここ数日、朝 開店前の薬局に行列ができるようになりました 新型コロナウイルス対策用のマスクを求めて並んでいることは明らかです そんなに神経質になる必要はないと思うんですが、どうなんでしょう? 外から戻ったら手洗いとうがいを欠かさないことを徹底すれば予防になると思うのですが 私などは、インフルエンザの予防注射はここ20年近く接種したことはないけれど一度も罹患したことはありません。多分、菌に嫌われているのだと思います 新型コロナウイルスについても同じ対応で良いと思っています

ということで、わが家に来てから今日で1959日目を迎え、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、芸能界で予防のために観客とのハイタッチや握手の演出を控えたり、イベントを延期にしたりする動きが広がっている  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      ぼくは芸能人でも何でもないけど やれることは何でもやるよ  はい立っち!

 

         

 

2020年度「読響アンサンブル・シリーズ」年間会員券を取りました 今回も通路側席は取れませんでしたが、通路から2つめのかなり前方の席が取れました 全4公演のうち、2月19日は「バッハ・コレギウム・ジャパン」の定期演奏会(ヨハネ受難曲)とダブっているので、いずれ何とか手を打たねばなりません

 

     

 

         

 

昨日、早稲田松竹でタル・ベーラ監督による2011年製作 ハンガリー・フランス・スイス・ドイツ合作映画「ニーチェの馬」(モノクロ・2時間34分)を観ました

この映画は「1889年1月3日、イタリアのトリノの広場で、ムチに打たれ疲弊した馬車馬を目にした哲学者ニーチェが駆け寄り、その首をかき抱いて涙したが、彼は精神が崩壊し、最後の10年間を家族に看取られて穏やかに過ごした」というエピソードの馬のその後を、馬の持ち主である農夫とその娘の6日間の日常生活とともに描いた作品です

父親(デルジ・ヤーノシュ)と娘(ポーク・エリカ)は二人で人里離れた家で暮らしているが、彼らの日常生活はパターン化している 娘は右手が不自由な父親の服を着替えさせ、二人で茹でたジャガイモを1個ずつ食べる。娘は暴風吹き荒れる中、近くの井戸に水を汲みに出る。そして夜にはベッドに就く。そんな毎日が繰り返される 1日目は馬車で家に戻る。2日目には出かけようと馬に鞭打つが馬は動かないので父親は諦める 男がパ―リンカ(酒)を分けてくれとやってきたので分けてやる 3日目には馬車に乗った流れ者集団が井戸の水を求めてやってくる。しかしそれ以外の人との接触はない 馬はなぜか飼い葉を食べようとしない 4日目には井戸の水が干上がっていた 馬は相変わらず食べない。父親はもはやここには住めないとし家を引き払い馬を連れて丘を越えようとするが、彼らは戻ってくる 5日目には二人ともジャガイモをほとんど残してしまい、夜にはランプの火が点かなくなる そして6日目には、二人はジャガイモを前に沈黙する

 

     

 

「サタンタンゴ」では上映時間のかなりの部分で雨の降るシーンが続きましたが、この「ニーチェの馬」ではかなりの部分で暴風が吹いています まるで、人間は苛酷な自然に抗いながら生きて行かなければならないと訴えているかのようです この映画では「サタンタンゴ」同様、ロングショット(長いワンカット)が多用されていますが、7時間18分の「サタンタンゴ」で慣らされたせいか、それほど長いとは感じませんでした

タル・ベーラ監督はインタビューで本作について訊かれ、「人は人生を生きる中で、朝起きて、食事をとり、仕事に行く。いわばルーティーンというような日常を歩むのですが、それは毎日同じではないのです 人生の中で、我々は力を失くしていき、日々が短くなっていきます。これについて、人生はどう終わるのかについて触れる映画を作りたかったのです。メッセージはありません。これはただの映画であり、もしそれが観客の心に触れて動かすようなことができれば、我々はパーフェクトな仕事をしたと思います で、結果が出なければ我々は間違っていたのだと思います。私は預言者ではありませんし、友人とともにわれわれの見る、感じる世界を描いています 黙示録はテレビや映画では業火が出てきたりしますが、本当の終末というのはもっと静かなものであると思います。死に近い沈黙、孤独をもって終わっていくことを伝えたかったのです」と答えています

タル・ベーラ監督の「人生を生きる中で、朝起きて、食事をとり、仕事に行く。いわばルーティーンというような日常を歩むが、それは毎日同じではない。人生の中で、我々は力を失くしていき、日々が短くなっていく」という発言は、特に人生の折り返し点をUターンした人間にとっては身につまされる言葉です 毎日の生活を積み重ねるということは、それだけ歳を取っていくということですから

ところで、娘を演じたポーク・エリカは「サタンタンゴ」(1994年)で少女エシュティケを演じた女性ですが、たしかに、あの少女の面影があります 猫に洗剤入りの牛乳を飲ませ死なせるロングショットが忘れられません 彼女はタル・ベーラ監督の映画にしか出演しないそうですが、プロの俳優ではないそうです。観ていて演技を感じさせません

この映画では、同じフレーズが執拗に繰り返される「ミニマル・ミュージック」のような音楽が、オルガンのような重低音でモノクロ映像のバックに流れます まるで親娘の運命の行方を暗示する通奏低音のように聴こえます

 

     

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