人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

クリストファー・ノーラン監督「メメント」&「テネット」を観る 〜 二度観ないと理解できない難解な映画

2021年06月21日 07時16分34秒 | 日記

21日(月)。わが家に来てから今日で2354日目を迎え、オーストラリア政府は19日、同国産ワインに対して中国が導入した高率の関税(最大200%を超える関税の上乗せ)を不当として、世界貿易機関(WTO)に提訴すると発表したというニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     オーストラリアも老酒に関税を200%上乗せしないとシラフでやってられない?

 

         

 

昨日、早稲田松竹でクリストファー・ノーラン監督映画「メメント」と「テネット」の2本立てを観ました

9時50分上映開始なので40分前の9時10分頃に早稲田松竹に行ったのですが、すでに20人近くの人が並んでいました 日曜日で 人気のクリストファー・ノーラン2本立てということで、すぐに満席(市松模様配置)になってしまいました

「メメント」はクリストファー・ノーラン監督・脚本による2000年製作アメリカ映画(113分)です

レナード(ガイ・ピアーズ)は、強盗犯に襲われて妻を失い、頭部を損傷し、約10分間しか記憶を保てない前向性健忘という病気になってしまう 彼は出会った人物をポラロイド写真に収め、どういう人物かを裏にメモし、身体中にタトゥーを彫って記憶を繋ぎ止めながら犯人を追う

 

     

 

この映画は、前向性健忘というという実在する記憶障害を持つ男を主人公に描いたミステリーで、新鋭のクリストファー・ノーラン監督の第2作に当たります

あるシーンが映し出され、次のシーンではなぜそうなったかという過去の出来事が描かれ、なるほどそうだったのかと解る作りになっていて、そのパターンが繰り返されます つまり時間と空間が錯綜しているので流れが若干分かりにくくなっているのです この手法は既視感があります。映画ではなく小説で、ジェフリー・ディーヴァー「オクトーバー・リスト」です この小説は最終章から始まり第1章で終わるという奇想天外なストーリー展開の作品です 内容と感想は4月27日付toraブログに書きましたので、興味のある方はご覧ください

タイトルの「メメント」は「メメント・モリ」のことで、「自分が必ず死ぬことを忘れるな」という警句です 「今は良くても、いつかはどうなるか分からないから気を付けて生きろ」というような意味です。レナードは記憶が残らないので身体や写真に記して事実を”記録”しようとしたわけです

最後まで観終わって、全体を振り返らないと何が何だかよく理解できない、というのが正直な感想です 2度観れば理解できると思います

 

         

 

「テネット」はクリストファー・ノーラン監督・脚本による2020年製作アメリカ映画(150分)です

ウクライナのオペラハウスでテロ事件が勃発する 満席の観衆の大量殺戮を阻止するべく、CIAの特殊部隊が館内に突入する 部隊に参加している名もなき男(ジョン・デヴィッド・ワシントン)は、仲間を救うため身代わりになって捕らえられ、毒薬を飲まされてしまう しかし、それは何故か鎮痛剤にすり替えられていた。それはテストだった。昏睡状態から目覚めた男は、フェイとい名乗る男から「TENETというキーワードだけを頼りに、現在から未来へ進む”時間のルール”から脱出し、未来からやってきた敵と戦い、世界を第三次世界大戦から救い出す」というミッションを命じられる 未来では、”時間逆行装置”が開発され、人や物が過去へと移動できるようになっていた 時間逆行装置には、時間が順行する「赤の部屋」と、時間が逆行する「青の部屋」があり、それぞれの方向に時間が進み、または戻るようになっている 名もなき男は、それぞれの部屋を出入りすることにより、現在と過去を行き来し、地球の危機を救う

 

     

 

この映画も、「メメント」と同様、時間を遡るという手法が取られています ノーラン監督はこの手の手法が好きなようです TENET とは「信条、主義」という意味ですが、なぜこの映画のタイトルが TENET なのか、さっぱり分かりません 最後に主人公の「名もなき男」の正体が明かされますが、「メメント」におけるレナードの本当の正体が明かされるのと同様、意外性が待っています この映画も2度観れば解るようになるかもしれません 1度だけではクリストファー投手に ノーヒット・ノーランに抑え込まれそうです

 

     

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ヴァィグレ ✕ 反田恭平 ✕ 読売日響でシューマン「ピアノ協奏曲」、チャイコフスキー「交響曲第5番」、ワーグナー「タンホイザー」序曲を聴く / コンサート ⇒ 5千人以下は定員まで可

2021年06月20日 07時18分17秒 | 日記

20日(日)。昨日の日経朝刊に次のような記事が載っていました

「東京都は18日、クラシック音楽や演劇など観衆が静かに見ることが多い「大声なし」のイベントについて、開催条件を緩和すると発表した。施設の定員が5000人以下の場合は定員まで入場できるようになる 従来は定員の半分まで認めていた。定員5000人を超える施設で入場できる上限は5000人とした

サントリーホールの定員が2000人強なので、ほとんどのコンサートホールは上記の条件を満たしています 引っかかるのは東京国際フォーラムのホールAくらいでしょう これで各オーケストラは会場いっぱいの集客が出来るので めでたしめでたし ですが、オリンピック絡みで再度コロナ感染が拡大し、また緊急事態宣言が発出されたりすると元の木阿弥になってしまいます     政府にはデータに基づいてしっかりとかじ取りをしてほしいと思います

ということで、わが家に来てから今日で2353日目を迎え、中国国務院(政府)は18日の常務会議で、産児制限を定めた「人口・計画出産法」の改正案をまとめたが、2020年の出生数が過去最少に近い水準まで減少していることを背景に、1組の夫婦に3人目の出産を認める内容とみられる  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     中国政府は 3人目を産んでも育てる環境が整備されていると自信をもって言えるか

 

         

 

昨日、東京芸術劇場コンサートホールで読売日響「土曜マチネ―シリーズ」第237回公演を聴きました プログラムは①ワーグナー:歌劇「タンホイザー」序曲、②シューマン「ピアノ協奏曲イ短調作品54」、③チャイコフスキー「交響曲第5番ホ短調作品64」です 演奏は②のピアノ独奏=反田恭平、指揮=セバスティアン・ヴァィグレです

チケットは早々に完売になったそうです 反田恭平人気を反映しているのでしょう 入場制限って何?・・・と言いたくなるほど よく入りました

オケは左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスといういつもの読響の並び。コンマスは小森谷巧、その隣は長原幸太というダブルコンマス態勢で臨みます

ヴァィグレが登場すると大きな拍手が湧き起こりました コロナ禍の影響で外来指揮者の来日中止が相次ぎ、代演に次ぐ代演にうんざりしている聴衆にとって ヴァイグレは信頼感のある常任指揮者です 「コロナだろうが何だろうが、常任指揮者としての責任を果たす」という強い姿勢を貫くヴァィグレを見ると、とても頼もしく感じます

1曲目はワーグナー:歌劇「タンホイザー」序曲です 歌劇「タンホイザー」はリヒャルト・ワーグナー(1813‐1883)が1843年から45年にかけて作曲したオペラです 中世に実在したミンネゼンガーの歌合戦を題材とし、ウェヌス(ヴィーナス)の虜となったタンホイザーの罪が、領主の娘エリーザベトの純愛と死によって贖われるというストーリーです 「序曲」は、本編の主題やモチーフ(動機)を用いてオペラ全体を集約した内容となっています

ヴァィグレの指揮で演奏に入ります。冒頭、ホルンを中心に「巡礼の合唱」のテーマが奏でられますが、松坂隼を中心とするホルンセクションが素晴らしい ヴィオラによる「歓楽の動機」ではゾクゾクします 金管を中心に展開したクライマックスはドイツ的な重心の低い堂々たる演奏でした

ピアノがセンターに運ばれ、反田恭平を迎えます 1994年生まれといいますから まだ27歳ですが、その風貌と落ち着き振りは一周り上のように見えます モスクワ音楽院を経て、現在はショパン音楽大学で学んでいます

2階席後方からはちょっと見えにくいのですが、ピアノのボディに FAZIOLI の文字が見えます 1981年創業のイタリアのピアノメーカーの楽器です スタインウェイでも、ベーゼンドルファーでも、ヤマハでもない 振興メーカー FAZIOLI を使うところに彼のこだわりが見えます

演奏するのはシューマン「ピアノ協奏曲 イ短調 作品54」です この曲はロベルト・シューマン(1810‐1856)が1841年に第1楽章を、1845年に第2、3楽章を作曲、1846年1月1日にライプツィヒのゲヴァントハウスで初演されました 第1楽章「アレグロ・アフェットゥーソ」、第2楽章「インテルメッツォ:アンダンティーノ・グラツィオーソ」、第3楽章「アレグロ・ヴィヴァーチェ」の3楽章から成ります

ヴァィグレの合図で第1楽章が独奏ピアノの強打で開始されます 反田のピアノはどこまでも明快です 強打でも音は濁らず、弱音でもはっきり聴きとることができます 即興的な趣を生かした柔軟な演奏を展開します 第2楽章では抒情的でファンタジックな演奏を繰り広げ、第3楽章になだれ込みます 私はピアノ協奏曲の中ではこの曲が一番好きと言えるほど好き(特に第3楽章)なのですが、反田は、こう弾いて欲しいと思うように弾いてくれました 緩急自在ながら流れが自然で、思わず身を乗り出して聴きたくなってくる魅力的な演奏でした ヴァィグレ ✕ 読響がしっかり反田を支えました

反田はアンコールにシューマン(リスト編)「献呈」を 肩の力を抜いて いとも鮮やかに演奏、聴衆を再び興奮の坩堝に巻き込みました

 

     

 

プログラム後半はチャイコフスキー「交響曲第5番 ホ短調 作品64」です この曲はピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840‐1893)が1888年に作曲、同年11月17日にサンクトべテルブルクで初演されました 第1楽章「アンダンテ ~ アレグロ・コン・アニマ」、第2楽章「アンダンテ・カンタービレ・コン・アルク―ナ、リチェンツァ 〜 モデラート・コン・アニマ ~ アンダンテ・モッソ 〜 アレグロ・ノン・トロッポ」、第3楽章「ワルツ:アレグロ・モデラート」、第4楽章「フィナーレ:アンダンテ・マエストーソ ~ アレグロ・ヴィヴァーチェ ~ モルト・ヴィヴァーチェ ~ モデラート・アッサイ・エ・モルト・マエストーソ ~ プレスト」の4楽章から成ります

ヴァィグレの指揮で第1楽章に入ります     冒頭、クラリネットで奏でられる「運命の主題」が曲全体を支配します この楽章全体が暗く沈むような曲想です。第2楽章に入ると、独奏ホルンが傷心を慰めるかのように甘美なメロディーを奏でますが、松坂隼の独奏が素晴らしい 第3楽章はチャイコフスキー特有のワルツです。つくづくチャイコフスキーはメロディーメーカーだと感じます 第4楽章に入ると、第1楽章で暗く響いた「運命の動機」が明るく力強い堂々たる音楽として生まれ変わって登場します これがチャイコフスキー・マジックです 金管の咆哮、弦の渾身の演奏を中心にダイナミックな演奏が繰り広げられ、壮大なフィナーレを飾ります

満場の拍手がヴァィグレと読響の面々に送られました

終演後、コロナ感染拡大防止のための「時差退場」への協力依頼のアナウンスがありましたが、「そんなことはどこ吹く風」といった客が多く、「最初に1階席のお客様・・・」とアナウンスをしている最中に、そそくさと出口に向かう2階席の客が後を絶ちませんでした 他の在京オケのコンサートと比べ、読響の聴衆(あえて会員とは言わないが)はマイペースの人が多いのだろうか、と疑ってしまいました

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尾高忠明 ✕ 上原彩子 ✕ 東京フィルでラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」、同「交響曲第2番」を聴く ~ 東フィル第954回定期演奏会 / 読響「三大協奏曲」のチケットを取る

2021年06月19日 07時19分54秒 | 日記

19日(土)。わが家に来てから今日で2352日目を迎え、北朝鮮の金正恩総書記は17日、開会中の朝鮮労働党中央委員会総会で、バイデン米政権の新しい北朝鮮政策を踏まえた戦略について「平和的な環境と国家の安全を保証するには、対話にも対決にも全て準備しなければならない」と述べた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     バイデンはトランプと違って 独裁者じゃないから お友だちにはなれないと思うよ

 

         

 

昨日、夕食に「肉じゃが」「生野菜と海藻のサラダ」「豆腐とワカメの味噌汁」を作りました 「肉じゃが」は調味料の加減が難しいですね 醤油、味醂、砂糖、酒のちょっとの加減で しょっぱくなったり 甘くなったりします   残念ながら まだ安定した味を出すまでに至っていません 経験を積み重ねるしかないと思います

 

     

 

         

 

昨日は、毎夏恒例の読響「三大協奏曲」&「三大交響曲」の読響会員先行発売日だったので早速チケットを取りました

「三大協奏曲」公演は8月14日(土)14時から東京芸術劇場で開かれます プログラムと出演者は①メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲 ホ短調」(Vn:石上真由子)、②ドヴォルザーク「チェロ協奏曲 ロ短調」(Vc:北村陽)、③チャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調」(P:角野隼斗)。バックは小林資典 指揮 読売日本交響楽団です     ピアノ独奏の角野隼斗は、 Kiriokaさんが YouTube の動画で Cateen という名前で演奏して話題になっているピアニストだと教えてくれたので、Kirioka さんをお誘いすることにしました

初めて聴く若い人ばかりなので、楽しみです

 

     

 

「三大交響曲」公演は8月18日(水)18時30分から東京芸術劇場で開かれます プログラムと出演者は①シューベルト「交響曲第7番ロ短調”未完成”」、②ベートーヴェン「交響曲第5番ハ短調”運命”」、③ドヴォルザーク「交響曲第9番ホ短調”新世界から”」で、演奏はドイツの歌劇場で活躍する小林資典 指揮 読売日本交響楽団です

 

     

 

         

 

昨夜、サントリーホールで東京フィル「第954回定期演奏会」を聴きました プログラムは①ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲 作品43」、「交響曲第2番 ホ短調 作品27」です

 

     

 

オケは12型で、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスといういつもの東京フィルの並び 舞台中央にグランドピアノがスタンバイしています。コンマスは近藤薫です

1曲目はラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲 作品43」です この曲はセルゲイ・ラフマニノフ(1873‐1943)が、パガニーニ「24の奇想曲」の第24曲(イ短調)をテーマとして1934年に作曲、同年11月7日にレオポルド・ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団により初演された ピアノとオーケストラのための作品です 「狂詩曲」となっていますが、実際には序奏、主題と24の変奏から成る「変奏曲」です

一柳登美子さんのプログラムノートに、「第7変奏で現れた『ディエス・イレ』が力強く主張する第10変奏曲までが『急』の第1部、第11変奏から甘美な抒情が頂点に達する有名な第18変奏までが『緩』の第2部、第19変奏で唐突に『急』の第3部へ移り、最後の第24変奏のコーダで『ディエス・イレ』の全奏が高らかに謳われた後、曲はあっけなく終わる」と解説されています   この曲が全体的に急ー緩ー急の3部構成で成り立っていることを初めて知りました    プログラムノートはこういうことを書いて欲しいと思います

上原彩子が上が黒、下が白と黒の横ストライプのエレガントな衣装で登場、尾高の指揮で演奏に入ります    上原はいとも鮮やかにそれぞれの変奏を色彩感豊かに表現していきますが、この曲を聴きながらいつも思うのは、第17変奏までは第18変奏「アンダンテ・カンタービレ」までの前奏曲に過ぎないと感じることです    それほど第18変奏はロマンティシズムの極致とでも言うべき音楽だということです    この辺は指揮の尾高も心得ていて、ピアノを立てつつオケを煽り立てます 第19変奏で曲想がガラリと変わりますが、確かなテクニックに裏づけられた上原の演奏は完璧です

満場の拍手に上原は、ラフマニノフ「10の前奏曲作品23」から第4曲(ニ長調)をしみじみと演奏、聴衆のクールダウンを図りました

 

     

 

プログラム後半はラフマニノフ「交響曲第2番 ホ短調 作品27」です この曲は1907年に作曲、翌1908年1月26日にペテルブルクのマリインスキー劇場で作曲者自身の指揮により初演されました 第1楽章「ラルゴ ~ アレグロ・モデラート」、第2楽章「アレグロ・モルト」、第3楽章「アダージョ」、第4楽章「アレグロ・ヴィヴァーチェ」の4楽章から成ります

尾高の指揮で第1楽章が低弦の演奏で開始されますが、このメロディーはこの曲全体を支配します 中間部でのイングリッシュホルン(コーラングレ)の抒情的な演奏が印象に残りました 第2楽章のスケルツォでは、何と言っても高橋臣宣率いるホルン・セクションの演奏が素晴らしい 第3楽章「アダージョ」はこの曲のハイライトです 冒頭の独奏クラリネットの演奏が素晴らしい そしてイングリッシュホルンの抒情的な演奏が冴えています さらに弦楽セクションの渾身の演奏が華を添えます 第4楽章は一転、夢から目を覚ましたような色彩感豊かな演奏が繰り広げられます 尾高は速めのテンポで演奏を進め、高揚感の中でクライマックスを迎えます

満場の拍手が尾高と東京フィルに送られ、カーテンコールが繰り返されました

ところで、この曲には忘れられない思い出があります 何年か前の「ラ・フォル・ジュルネ音楽祭」でドミトリー・リス指揮ウラル・フィルにより、初めて生演奏でこの曲を聴いた時、この作品の本当の素晴らしさが分かりました とてつもなくスケールの大きな演奏で、やっぱり広大な土地を持つロシアの音楽はスケール感が大事だな、と思ったものです

 

     

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都響「定期演奏会」 ⇒ 今年度は1回券のみ販売へ / ヤン・コマサ監督「聖なる犯罪者」を観る 〜 一度過ちを犯した者は二度と救われないのか?:ギンレイホール

2021年06月18日 07時14分45秒 | 日記

18日(金)。東京都交響楽団から「2021年度会員券についてご案内」が届きました それによると、「2021年度は4月から7月までの定期会員券は1回券のみ販売とし、9月以降の公演は状況を見ながら会員券の発売を検討していたが、新型コロナウイルス感染症の影響により、通常通り開催できる状況には至っていない 2021年度は会員券の発売は行わず、9月から2022年3月の定期演奏会も1回券のみ販売することとする 発売日・金額は決まり次第、都響WEBサイト等で通知する」としています

他の在京オーケストラが定期会員券(年間会員)制度を取っている中で、都響だけが慎重な対応を図るのは、新型コロナの変異株(インド型など)の感染拡大状況を踏まえてのものと推測します 定期会員券をまとめて販売した後で、コロナ拡大の影響により公演中止となるリスクを考えると、もう二度と払い戻し作業はやりたくない、という意識が強く働いていると思います

都響の考え方はある程度理解できますが、毎回その都度申し込まなければならないのは、やはり煩瑣であるし、申し込む気力がなくなります 「案内」には7月度公演の発売情報(ハーディング指揮によるシューベルト「交響曲第3番」、R.シュトラウス「アルプス交響曲」)も同封されていましたが、残念ですが申し込みはしません

ということで、わが家に来てから今日で2351日目を迎え、香港警察は17日、中国に批判的な香港紙「リンゴ日報」の経営幹部5人を、外国勢力と結託して国の安全に危害を加えたとして香港国家安全維持法違反の疑いで逮捕したが、警察は、何が外国勢力との結託に当たるのかは明らかにしていない  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     要するに中国の習近平政権の気に入らない対象者は 法律違反になるということだな

 

         

 

昨日、夕食に「鶏の唐揚げ」を作りました 2週間に1度のローテなので、2週間前から「うまみ醤油」を冷蔵庫で寝かしておきました 味が沁み込んで美味しかったです

 

     

 

         

 

昨日、ギンレイホールでヤン・コマサ監督による2019年製作ポーランド・フランス合作映画「聖なる犯罪者」(115分)を観ました

少年院に服役中のダニエル(バルトシュ・ビィエレニア)は、前科者は聖職に就けないと知りながらも神父になることを夢見ていた   仮釈放され田舎の製材所で働き始めることになった彼は、ふと立ち寄った教会で新任の神父と勘違いされ、病気がちな司祭の代わりを命じられ、トマシュと名乗ることにする 村人たちは司祭らしくないトマシュに戸惑うが、徐々に彼を信頼するようになっていく 数年前にこの土地で起きた凄惨な事故を知ったダニエルは、村人たちの心の傷を癒そうと模索する しかし、ダニエルの過去を知る男の出現により、事態は思わぬ方向へ転がっていく

 

     

 

この作品は、ポーランドで実際にあった事件をもとに、過去を偽り聖職者として生きようとする男の運命を描き、第92回アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされた人間ドラマです

この映画を強烈に印象付けるのは、主演のダニエルを演じたバルトシュ・ビィエレニアの顔の表情です 犯罪者ダニエルとしての不気味で恐ろしい顔、聖職者に成りきったトマシュとしての自信に溢れた顔、まるで二重人格者のように正反対の顔を見せています

人殺しの過去を持つダニエルは、キリスト教の精神からは聖職者には成れないのは理解できますが、司祭として村人たちのために尽くそうと努力する彼の姿を見ていると、何ともやりきれない気持ちになります 彼は別に村人たちからお金を騙し取るわけでもなく、何とか村人たちの力になりたいと思っているのです しかし、現実には弁護士資格がないのに報酬を得て弁護したり、教員資格がないのに学校で教えたりすることが出来ないのと同じように、勝手に司祭になることは出来ないのでしょう   再び少年院に舞い戻り、決闘のうえ身体中をズタズタにされて目が彷徨うダニエルが哀れです

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高関健 ✕ 東京シティ・フィルでブルックナー「交響曲第5番変ロ長調(原典版)」を聴く ~ 冷静な指揮 ✕ 集中力に満ちた熱演:第342回定期演奏会

2021年06月17日 07時15分56秒 | 日記

17日(木)。わが家に来てから今日で2350日目を迎え、北朝鮮は15日、朝鮮労働党の中央委員会総会を開き、金正恩総書記が昨年の台風の影響で「食糧事情が厳しい」と苦境に陥っていることを認めた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     自国の窮状を公にするということは 米国との取引を期待するメッセージだろうか?

 

         

 

昨日、夕食に「豚のしょうが焼き」と「生野菜と海藻のサラダ」を作りました 豚肉は片栗粉をまぶしてから焼くとマイルドになりますね

 

     

 

         

 

昨夜、東京オペラシティコンサートホールで、東京シティ・フィル「第342回定期演奏会」を聴きました 2021~2022シーズン第1回目のプログラムはブルックナー「交響曲第5番変ロ長調」(原典版)です 私がシティ・フィルの定期会員になるのは、ほぼ10年ぶりくらいだと思います。当時の事務局長Yさんが知り合いだった関係で数年間、定期会員になっていました その後は、毎年2~3月の「都民芸術フェスティバル」や 7~8月の「フェスタサマーミューザ」に出演した時に聴く程度でした 定期会員として毎月のように聴くようになれば、これまでと違った景色が見えてくるかもしれません。楽しみです

プログラム冊子を見て気が付いたのですが、高関健氏が東京シティ・フィルの音楽監督になって早くも7年目を迎えるそうです この間、楽団員も次々と入れ替わり若返ったようで、年々評価を高めているようです 新シーズン第1回目のプログラムにブルックナー「第5番」を選んだのは満を持してのことでしょう 高関氏は、「これほど楽譜の研究に熱心な指揮者が他にいるだろうか」と思うほど、勉強家です しかもその成果を必ず実践に生かします 今回の第5番も 楽譜研究の成果を事前にツイッターに投稿するなど聴衆へのサービスも怠りません

 

     

 

「交響曲第5番」は、アントン・ブルックナー(1824‐1896)が1875年から翌76年にかけて作曲、その後、1877年から翌78年にかけて改訂した作品です 「原典版」というのは、この1878年に完成した作品のことを指し、その後ブルックナーは一切改訂していないので、原典版こそ他の者の手が加えられていない純粋なブルックナーの作品とのことです なお、高関氏のプレトークによると、1876年に一旦完成した後、77年から改訂にかかったのは、その間に彼はワーグナーの作品に直接触れる機会があり、その影響を受けたからだ、とのことです

第1楽章「イントロダクション:アダージョ ~ アレグロ」、第2楽章「アダージョ:非常にゆっくりと」、第3楽章「スケルツォ:モルト・ヴィヴァーチェ」、第4楽章「フィナーレ:アダージョ ~ アレグロ・モデラート」の4楽章から成ります

オケは左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置=高関シフトをとります コンマスは戸澤哲夫です

高関の指揮で第1楽章が開始されます 低弦のピッツィカートから付点リズムのファンファーレが金管を中心に炸裂した時、これはただ事ではない、と感じました 「名演の予感」と言っても良いかもしれません その後も、竹山愛のフルートをはじめとする木管群の素晴らしい演奏が続き、弦の渾身の演奏が重なります 第2楽章は冒頭のオーボエ・ソロが素晴らしい 第3楽章ではホルンの演奏が冴えわたります 第4楽章では第1、第2楽章の主要主題が回想されますが、柴田克彦氏のプログラムノートによると、これはベートーヴェンの「第九」に由来すると見られているそうです。なるほどと思いました この楽章は金管楽器群の強烈なコラール、弦楽器群の渾身の演奏を中心として音の大伽藍が築き上げられました

高関健は終始 冷静な指揮に徹し、東京シティ・フィルから 弛緩することのない集中力に満ちたスケールの大きな演奏を引き出し、聴衆を熱狂の渦に巻き込みました

この日の公演は「大入り袋」が出たそうですが、なるほど3階席まで埋まっていました 今シーズンから定期会員になって良かった、と心から思えるコンサートでした

     

     

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ジェーン・カンピオン監督「ピアノ・レッスン」(HDリマスター版)を観る 〜 マイケル・ナイマンの音楽が印象的に響く

2021年06月16日 07時07分30秒 | 日記

16日(水)。昨日、ミューザ川崎から「友の会年会費」の請求書が届いたので、コンビニ経由で3000円を振り込みました 実は、ミューザの会報に「会員継続する場合は手続きをするように」と書かれていたので、1年前に入会した時に会費を振り込んだミューザ川崎の郵便振替口座に5月31日に振り込んだのですが、後日、当該口座は閉鎖されているので返金するという通知が郵便局から届いたので、払い戻しを受けていたのです この件についてミューザ川崎に電話したら、口座は閉鎖したので、6月入会会員については6月中旬に請求書を送るのでそれに基づいて払い込んでほしいとの答えだったのです もっと早く請求書を送ってくれたら こういう二重手間は避けられたのに、と思います

話は変わりますが、昨日午前、豊島健康検査センターのホームぺージから、豊島区の肺がん検診(レントゲン)と胃がん検診(バリウム)の予約を取りました 胃がん検診が7月6日(火)10時、肺がん検診が7月13日(火)16時です 2週間前にアクセスしたときは早い時間に受付終了になってしまい予約できませんでしたが、今回はスムーズに取れました

ということで、わが家に来てから今日で2349日目を迎え、労組日本プロ野球選手会は14日、今期の日本人選手の年俸調査結果を発表したが、球団別平均年俸ではソフトバンク(60人)が6932万円で2年連続トップ、2位は巨人(56人)の6587万円だった一方、11位の阪神(61人)は2886万円、最下位のオリックス(61人)は2640万円だった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     15日現在 セリーグは阪神が首位で 巨人が7ゲーム差で2位です 阪神半疑ですか?

 

         

 

昨日、夕食に「メカジキのソテー」「トマトとアボカドとキュウリのサラダ」「大根の味噌汁」を作り、「鯵と鰹のタタキ」と一緒にいただきました サラダは前回、レモン汁を絞るのを忘れて失敗したので今回は気を付けました やっぱりレモンが入ると全然違います

 

     

 

         

 

昨日、早稲田松竹でジェーン・カンピオン監督による1993年製作オーストラリア映画「ピアノ・レッスン」(121分・HDリマスター版)を観ました

時は19世紀半ば。エイダ(ホリー・ハンター)はニュージーランド入植者のスチュアート(サム・二―ル)に嫁ぐため、娘フローラ(アンナ・パキン)と1台のピアノとともにスコットランドからやって来る 過去の不幸な事故のショックで口のきけない彼女にとって自分の感情を表現できるピアノは大切なものだった しかし、スチュアートは重いピアノを浜辺に置き去りにし、粗野な地主ベインズ(ハーベイ・カイテル)の土地と交換してしまう エイダに興味を抱いたベインズは、自分に黒鍵の数だけレッスンしてくれるならピアノを返すと彼女に提案する 仕方なく受け入れるエイダだったが、レッスンを重ねていくうちにベインズに惹かれていく それを知ったスチュアートは怒りの余りエイダの右手人差し指を斧で切り落とす しかし、エイダの心がベインズに移ってしまったことを悟ったスチュアートは彼女を諦め、ベインズとフローラとともに土地を離れるエイダを見送るのだった

 

     

 

この映画は、ニュージーランド出身の女性監督ジェーン・カンピオンが、1台のピアノを中心に展開する三角関係を官能的に描いた恋愛ドラマで、第46回カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝きました

この映画を観るのは初めてで、「ピアノ・レッスン」というタイトルから、ピアノを教えるシーンが中心になると思っていたら、生徒であるベインズは先生のエイダの弾くピアノを聴くだけなのです 原題は「The  Piano」なので、主人公である1台のピアノを巡る3人の人間関係がテーマだと言えると思います

エイダを演じたホリー・ハンターの演技力(特に目力)が凄い ピアノを海に置き去りにされた時の怒りと悲しみの表情、そのピアノが部屋に入れられ、お気に入りのパッセージを弾く時の歓びに溢れた表情、一切 台詞なしで手話により意思疎通を図る時の演技、全てが印象に残ります また、彼女に勝るとも劣らない演技力を見せたのが娘フローラを演じたアンナ・パキンです 5000人の中からオーディションで選ばれたそうですが、よく分かります この作品は第66回アカデミー賞の脚本賞、主演女優賞、助演女優賞を受賞しましたが、助演女優賞を受賞したアンナ・パキンの11歳での受賞は、テータム・オニール(当時10歳)に次ぐ2番目の若さです

この映画はマイケル・ナイマンによるピアノ音楽と切っても切り離せません この映画のサウンドトラックは世界で300万枚売れたそうですが、メインテーマの「悲しみを希う心」は一度聴いたら忘れられない印象的な曲です

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香港の自由を取り戻せ! スー・ウィリアムズ監督「デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング」を観る:香港で自由と民主主義を訴えるポップスターのドキュメンタリー

2021年06月15日 07時14分15秒 | 日記

15日(火)。わが家に来てから今日で2348日目を迎え、米アマゾン創業者のジェフ・ベゾス氏が手掛ける宇宙企業ブルーオリジンがオークションにかけた宇宙旅行(地上100キロメートル超の高さで無重力を体験して、打ち上げから11分後に降りてくる)の座席1つが12日、2800万ドル(約30億円)で落札された  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     11分間で30億円って世界一高額な旅行だな 世界的な金余り現象の象徴じゃね? 

     

         

 

昨夕、娘が「どうしても天ぷらと蕎麦が食べたい」と言うし、コロナ禍で飲食店も大変だから たまには外食でも、と思ったので、夕食作りはお休みにして 初めて行く蕎麦屋に出かけました 2人とも 天せいろう をいただきましたが、蕎麦も天ぷらも とても美味しく、値段だけのことはあるなぁと思いました BGMにショパンが流れていて、蕎麦屋にしてはセンスがいい と気分を良くしましたが、接客の女性がダメでした ぶすっとしていて、お茶のお代わりをお願いしても、黙って取りに行って黙って置いていく、蕎麦湯を持ってきても黙って置いていくという状態で、娘の言葉を借りれば「接客がなってない。うちの店だったらアウトだね」という感じでした。コロナの感染防止のため会話を出来るだけ控えているというのなら理解できますが、愛想の良し悪しはマスクをしていても態度で分かるものです 笑顔で「お待ちください」「蕎麦湯でございます」くらいは言うべきでしょう。客商売で愛想が悪いのは致命的です 飲食業の方には、いくら作り手の腕が良くても接客がダメなら、応援しようという気持ちをなくし、「二度と来るものか」と客離れを起こすことを自覚してほしいと思います

 

     

 

         

 

昨日、渋谷のシアター・イメージフォーラムで、スー・ウィリアムズ監督による2020年製作アメリカ映画「デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング」(83分)を観ました

2014年、警官隊の催涙弾に対抗し、雨傘を持った若者たちが街を占拠したことから「雨傘運動」と呼ばれる香港の民主化デモに、香港を代表するポップスター、デニス・ホーの姿があった 2012年に同性愛を公表した彼女は、この雨傘運動でキャリアの岐路に立たされていた 彼女は中心街を占拠した学生たちを支持し、座り込みをしたことにより逮捕され、中国のブラックリストに入れられてしまう そのため、レコード会社との契約やスポンサー契約を打ち切られ、収入の9割を失い公演を開催することができなくなってしまう 彼女は、自らのキャリアを再構築するため、第2の故郷(少女時代に住んでいた)カナダ・モントリオールへと向かい、故郷やアメリカで自らの手でコンサートを企画し歌うこととした そして、2019年6月、香港で「逃亡犯条例」改正に反対するデモが起き、数百万のデモ参加者が街頭に繰り出すなか、彼女は香港に戻り、催涙ガスと放水砲が飛び交うデモの最前線に立ち、警察隊に「まず、話し合いませんか」と呼びかける。そして、国連人権理事会や米議会公聴会に出席し、香港の現状を訴えるのだった 現実は厳しいものがあるが、彼女は歌を武器に闘い続ける

 

     

 

この映画は、香港ポップス界のスーパースター、デニス・ホー(1977年生まれ)が、アーティストから民主活動家へと変貌していく姿を長期密着取材で追ったドキュメンタリーです

正直に告白すると、私はこの映画を観るまで香港にデニス・ホーという、ポップスターであり民主活動家でもある女性がいることをまったく知りませんでした 香港の民主活動家と言えば、日本語も流暢に話せる周庭(アグネス・チョウ)さんが象徴的な存在で、日本の報道機関も彼女を中心に追ってきたように思います

映画にも出てきますが、そもそも「雨傘運動」の大規模デモが起こった根本的な原因は、社会主義の中国に資本主義を併存させる「一国二制度」の約束を中国が一方的に破ったことにあります 中国は1997年7月1日に英国から返還された香港に「一国二制度」を適用し「特別行政区」と位置づけました 憲法に当たる「香港基本法」は、返還後も50年間、資本主義を維持し、外交・防衛を除いて「高度の自治」を認めると規定しており、言論や集会の自由を約束しています 中国が約束を守れば香港は2047年まで、自由で民主的な社会が維持されていたはずです ところが中国は香港傀儡政権を通して「逃亡犯条例」を改正しました 周庭さんは「逃亡犯条例改正案」に反対する未許可デモを組織するなどした罪で禁固10か月の実刑判決を受けました 今月12日に刑期を終えて出所しましたが、昨年6月に施行された「香港国家安全維持法」の下では、体制批判をすれば刑事訴追される恐れがあるので、周さんは沈黙するしかありません。これが香港の現状です

この映画では、デニス・ホーの歌うシーンが数多く出てきますが、「激しい雨でも、僕らの志は消えない。傘の花を咲かせよう」「立ち上がり、夢を実現しよう」と力強く歌う彼女は、まさに香港の自由を守る闘士のようです デニス・ホーは一人ですが、その背後には大勢の香港市民がついています

上映終了後、朝日新聞編集委員・市川速水氏と配給会社・太秦(うずまさ)の小林氏によるトークショーがありました

市川氏は10年ほど前に朝日の在中国特派員だったそうですが、「当時、周近平氏はどんな印象でしたか? 今のようになると想像できましたか?」という問いに、「真面目一方で、面白みのない人物という印象でした 良い意味でも悪い意味でも、まさか現在のような強い指導者になるとは思ってもみませんでした」と答えていました。小林氏は、「この映画は、肝心の香港や中国では上映されていません 日本でも東京ではここイメージフォーラムだけです。もっと、香港の現状を知るため、日本を含めたアジア各国で観てほしいと思います」と語っていました。市川氏は「デニス・ホーさんは香港政府や中国に言いたいことがあるでしょうから、インタビューしようと思えば、応えてくれると思いますが、それによって彼女が『香港国家安全維持法』を根拠に逮捕される可能性があることを考えると、その申し出も出来ないのが実情です 何しろ、どういう行為が違法になるのか、まだ適用の実例がないので誰も分からないのです」と話されました

現在の香港はこの映画で描かれている”揺れ動く”香港の延長線上にあります 地理的にすぐ隣にある香港で自由が失われていく現状に対して、日本人であるわれわれは何が出来るのか 

「香港のために何かをしたい」という人には「まず、この映画を観てください」と言います。それが私にできるせめてもの行動です 一人でも多くの人に観てほしいと思います

デニス・ホーは今、香港にいます。香港の自由を取り戻す戦いはまだ終わっていません そうした中、中国は次のターゲットを虎視眈々と狙っています。言うまでもなく、台湾です いま香港で起こっていることが、数年後に台湾で再現されるようなことを世界は許してはなりません 「中国が世界の中心である」という思想を信じて疑わず、畳の部屋に土足で上がってきて 人権を蹂躙して”当然”という顔をしているような独裁主義・覇権主義国家の野望を阻止しないと、日本だって危ない

 

     

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東響第691回定期演奏会の指揮者:ベルトラン・ビリー ⇒ 飯守泰次郎へ / みうらじゅん ✕ リリー・フランキー対談「どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか」を読む

2021年06月14日 07時18分00秒 | 日記

14日(月)。わが家に来てから今日で2347日目を迎え、香港で逃亡犯条例改正案に反対する未許可デモを組織するなどした罪で禁固10か月の実刑判決を受けた民主活動家周庭(アグネス・チョウ)氏が12日、刑期を終え出所したが、表情は硬く無言のままだった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     体制批判すれば刑事訴追される恐れがあるので発言できない  言論の自由はどこに

 

         

 

東京交響楽団から「第691回定期演奏会(6/26)出演者変更のお知らせ」が届きました それによると、指揮者のベルトラン・ビリーとハープのグザヴィエ・エ・ドゥ・メストレは、新型コロナに係る入国制限により出演できなくなったため、代わりに飯守泰次郎(指揮)、吉野直子(ハープ)が出演することになった、としています なお、プログラムは①ライネッケ「ハープ協奏曲ホ短調」、②ブルックナー「交響曲第7番ホ長調」で変更ないが、ブルックナーはノヴァーク版(2003年改訂新版)からノヴァーク版(1954年版)に変更になるとしています ブルックナー・ヲタクにとっては大きな問題かもしれませんが、私は単なるブルックナー好きに過ぎないので気にしません 第一、どこがどう変わっているかなど分かろうはずがありません

 

     

 

東京シティ・フィルから「定期会員特典グッズ」としてエコバッグが届きました

 

     

     

 

現在、ミューザ川崎からもらったエコバッグを使っていますが、大きさはほぼ同じです 使わなければ意味がないので、両方を使い分けたいと思います

 

         

 

みうらじゅん ✕ リリー・フランキー「どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか」(新潮文庫)を読み終わりました みうらじゅん は1958年京都市生まれ。イラストレーター他。武蔵野美術大学在学中に漫画家デビュー。1997年に造語「マイブーム」が新語・流行語大賞に選定される リリー・フランキーは1963年福岡県生まれ。武蔵野美術大学卒。イラストレーター、文筆家、俳優、作詞・作曲家他。「東京タワー ーオカンとボクと、時々、オトンー」で2006年本屋大賞を受賞

 

     

 

本書の「序文」に次のように書かれています

2010年春。当時、四谷にあったみうらじゅんの自宅に遊びに来ていたリリー・フランキー。夕陽を眺めながら縁側でタバコをくゆらせる二人

みうら「・・・あのさ、最近、気づいたんだけど、どうやら人間っていつか死ぬってね」

リリー「どうやらね、死ぬっつーじゃないですか?」

みうら「うん、どうやら死ぬっつーね」

そのまま深夜まで、人生にまつわるさまざまなことについて、とめどなく語り合った・・・この対談集は、その日の気持ちの昂ぶりを記録しておきたいという二人の強い要望から始まった 都内の居酒屋から箱根の旅館まで、幾度もの対談に臨んだ 対談を終え、原稿化作業の最中に東日本大震災が発生。多くの日本人がそれまでの自分たちの価値観に疑いや不安を抱いた しかし、彼らの価値観はブレず、その言葉は、さらに10年後の今、新型コロナウイルスという、かつてない危機に直面してもなお色あせない 理由は、二人が「どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか?」と、その人生を「逆算」して捉えているから

二人の結論が上記の言葉に集約されているように思います

さて、本書は次の4章から構成されています

第1章「人生」にまつわること・・・「不安とは?」「満足とは?」「知識とは?」「それで結局、人生とは?」など。

第2章「人間関係」にまつわること・・・「結婚・離婚・浮気とは?」「親子とは?」「友情とは?」「それで結局、人間とは?」など。

第3章「仕事」にまつわること・・・「やりがいとは?」「自己表現とは?」「嫉妬とは?」「それで結局、仕事とは?」など。

第4章「生と死」にまつわること・・・「病気・健康・自殺とは?」「生きざま・死にざまとは?」「若さと老いとは?」など。

本書は人生の達人による格言の宝庫です 以下に思い付いたままご紹介します

①「お金とは?」

みうら:お金を稼ぐ才能があっても、使う才能がないと。「いかにうまく使うか」が一番大事

リリー:義理と金は誰かのためにうまく使ってこそ意味がある

②「知識とは?」

みうら:悩みを解消するための道具なのだから、応用できないと意味がない

リリー:知識が自分たちの可能性を邪魔することもあると、知っておいた方がいい

③「噂と嘘とは?」

みうら:男はその場しのぎの嘘が多いけど、女の嘘は用意周到だったりする

リリー:噂話が好きな人ほど、自分のことを言われると、怒る

④「それで結局、人間とは?」

みうら:「人間とは?」を考えることは、暇つぶしのひとつでしかない

リリー:生活に不満のない貴族が考えることで、今みたいな時代には考えるだけで危険

⑤「生きざま・死にざまとは?」

みうら:人は生まれた瞬間に余生が始まる。「死ぬために生きる」のではなく、「死ぬまで生きる」だけ

リリー:死んだら全部チャラなんだとしたら、もう怖いものはない

⑥「若さと老いとは?」

みうら:スゴいヤツは、年齢を気にさせない。つまり、若さと老いとは無意味な感覚

リリー:年をとるのも嫌だが、若返るのはもっと嫌なこと。20代のときの思考を思い出すと、頭をかきむしりたくなる

⑦「命とは?」

みうら:人間だけが、いつか死ぬことを自覚している。その状態は、まさに「苦行」

リリー:死への恐怖より、生きていられる時間の足りなさへの恐怖の方が大きい

流石に人生の達人の言葉の数々です 私も本書を読んで、今までの考え方を改めようと思った「格言」がいくつかありました 一番考えさせられたのは、「いつか死ぬ」人生を「死ぬまで生きる」のに、どれくらいの時間が残されているのか、ということです 遺伝から考えた場合、両親が何歳で亡くなったかが、あと何年くらい生きられるかの一つの目安になると思います 問題は、残された「その間」に何をやるかです 人はそれぞれの人生の過程において、その時々でやるべきことがあり、住宅取得、子どもの教育など その都度 最良と思われる選択をした上で投資をしてきたはずです 住宅ローンの返済も終え、子供たちも大学・大学院を卒業・修了し就職している現在、私は自分自身に投資をしています 毎日のようにコンサートに通い、映画を観て、本を読んでいるのはすべて自分自身への投資です それだけでは時間を消費しているに過ぎないので、少しでも他の人の参考になればとブログに感想を書いて発信しているのです 2人の達人の「お金の使い方」に関する考え方は非常に参考になりました 「死ぬまで生きる」時間がどのくらい残されているかは”神のみぞ知る”ですが、これからも気力と体力が続く限り、賢いお金の使い方も視野に入れながら、コンサートを聴いて、映画を観て、本を読んで、ブログにアップしていこうと思います

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カラヤン ✕ ウィーン・フィル ✕ シュヴァルツコップ ✕ ユリナッチ ✕ エーデルマン ✕ ローテンベルガーで オペラ映画 R.シュトラウス「ばらの騎士」(1960年:185分)を観る

2021年06月13日 07時21分30秒 | 日記

13日(日)。わが家に来てから今日で2346日目を迎え、米ピュー・リサ―チ・センターがフランス、日本など16カ国・地域の1万6254人を対象に実施した調査によると、米国に「好意的」との回答はトランプ前政権時の34%からバイデン政権の発足後に62%に上昇した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      トランプ政権がいかに酷く 世界から嫌われていたかが あらためて数値で証明された

 

         

 

昨日、銀座ブロッサムホールでオペラ映画、リヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」を観ました 出演は元帥夫人マリー・テレーズ=エリーザベト・シュヴァルツコップ、オクタヴィアン/マリアンデル=セーナ・ユリナッチ、ゾフィー=アンネリーゼ・ローテンベルガー、オックス男爵=オットー・エーデルマン、ファー二ナル=エーリッヒ・クンツ、管弦楽=ウィーン・フィル、合唱=ウィーン国立歌劇場合唱団、指揮=ヘルベルト・フォン・カラヤン、演出=ルドルフ・ハルトマンです 1960年のザルツブルク祝祭大劇場での公演を収録した映像(カラー・3時間6分)です

 

     

 

オペラの舞台は18世紀末のウィーン 元帥夫人マリー・テレーズと貴族の青年オクタヴィアンは、道ならぬ恋に落ちて逢瀬を重ねている 元帥夫人の従兄で俗物のオックス男爵は、資産家の娘ゾフィーに婚約の印として銀のバラを届ける役目をオクタヴィアンに頼むが、ゾフィーは粗野なオックスを嫌い、オクタヴィアンと恋に落ちてしまう オクタヴィアンはゾフィーを守るためオックスに決闘を挑み腕に怪我を負わせ大騒動になる オクタヴィアンはオックスの正体を白日の下に晒すため、女装しマリアンデルとして彼を夜のレストランに誘い出し、仲間と共に懲らしめる 恋に盲目となったオクタヴィアンとゾフィーを残して、元帥夫人は寄る年波と孤独を感じながら独り寂しく去っていく

 

     

 

今からン十年前の独身時代、この映画を銀座のヤマハホールで何度観たことでしょう 奇跡の映画と言っても過言ではないほど素晴らしい歌手陣、演出です その後、レーザーディスクも購入しましたが、プレーヤーが壊れてしまい、ディスクも売り払ってしまいました したがって、この映像を観るのはン十年ぶりです

最初に、若き日のカラヤンがオーケストラピットに入り、序曲の演奏に入ります 晩年のカラヤンはタクトなしで目を瞑って指揮をしましたが、この当時はタクトを持ち 目を開けて指揮する姿が確認できます カラヤンは相当速いテンポで序曲を進め、オケを煽り立てます

元帥夫人マリー・テレーズ(マルシャリン)を歌ったエリーザベト・シュヴァルツコップは1915年ポーランド生まれのソプラノです 1943年にウィーン国立歌劇場と契約しています 「高貴で優美、しかも理知的」な素質をすべて満たしている点で、理想的な元帥夫人と言えます 今は自分を慕う17歳のオクタヴィアンだが、いつか若い女性が目の前に現れ、自分の元から去っていくことを予感しながら、孤独な心を隠して生きる元帥夫人を、歌で、顔の表情で、後ろ姿で、見事に演じています 第3幕ラストで、オクタヴィアンとゾフィーの二人を残して 一人去っていく彼女の後姿を見て涙を流さない人はいないでしょう なぜなら、それはこの映画を観ている観衆一人一人の姿でもあるからです。時は流れ、人は歳をとっていく。それは運命です

オックス男爵を歌ったオットー・エーデルマンは1917年生まれのバス・バリトンです 1947年にウィーン国立歌劇場にデビューしています この「ばらの騎士」は元々「オックス」というタイトルだったものを、リヒャルト・シュトラウスが、妻の意見に従って変更したというエピソードがあるくらいオックス男爵は重要な役割を担っています その点、エーデルマンは粗野であけっぴろげ、女性に対する欲望を抑えることが出来ない好色家のオックスを、見事に演じています これ以上のオックスは考えられない、というくらいピッタリの役柄です この人は相当の実力者で、フルトヴェングラーが指揮した「第九」や、モーツアルトの「ドン・ジョヴァン二」のレポレロなども歌っています

オクタヴィアン/マリアンデルを歌ったセーナ・ユリナッチは1921年 旧・ユーゴスラビア生まれのメゾ・ソプラノです 23歳の時にカール・ベームの招きでウィーン国立歌劇場と契約し、モーツアルト、リヒャルト・シュトラウスのオペラを中心に活躍しました 私はこの映画で初めてユリナッチを観た時、何てカッコイイんだろうと思いました とくに第2幕冒頭で銀の薔薇を手に持って登場するユリナッチの姿を見た時、背中に電流が走ったように感動しました この時のカラヤン ✕ ウィーン・フィルによる音楽がとてつもなく感動的で、以後のオペラ公演でこのシーンを観るたびに背筋が寒くなりました 歌では、第3幕の終盤における元帥夫人、ゾフィーとの三重唱、その後のゾフィーとの二重唱が 息がピタリと合って美しいハーモニーを醸し出していて、とても感動的です     また、女装して(ユリナッチは女性ですが)マリアンデルになった時のユリナッチがとても可愛くて魅力的なのです

この映画を観てユリナッチにすっかり嵌ってしまった私は、彼女がオクタヴィアンを歌う「ばらの騎士」のCDを片っぱしから集め始めました 録音順に次の通りです

下の写真の上はカラヤン指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団による1952年1月26日収録のライブ録音 下はエーリヒ・クライバー指揮ウィーン・フィルによる1954年録音CDです

 

     

 

次の写真の上はハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団による1955年11月16日録音CD。下はその海賊版です

 

     

 

次の写真の上はヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルによる1960年7月11日のザルツブルク音楽祭のライブ録音です この録音が映画のユリナッチに一番近い状態を反映しています 元帥夫人をリサ・デラ・カーサ、ゾフィーをヒルデ・ギューデンが歌っています 下は1960年7月26日のザルツブルク音楽祭のライブ録音です 指揮者や歌手陣は上のCDと同じです

 

     

 

次の写真の上はヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルによる1960年8月1日のザルツブルク音楽祭のライブ録音です 元帥夫人をシュワルツコップ、ゾフィーをローテンベルガーが歌っているので映画の歌手陣に一番近い出演者によるCDです

下の写真はウィーン国立歌劇場でリヒャルト・シュトラウスを歌ったプリマドンナを特集したCDです 1972年6月21日の録音で、ユリナッチは珍しく「ばらの騎士」の元帥夫人を歌っています 共演のオクタヴィアンはクリスタ・ルートヴィヒです

 

     

 

次に集めたのはモーツアルトを歌うユリナッチのCDです

下の写真の上はカラヤン ✕ ウィーン・フィルによる「フィガロの結婚」(1950年録音)です    ユリナッチはケルビーノを歌っています。下のCDはカール・ベーム指揮ウィーン交響楽団による「フィガロの結婚」(1956年録音)です。ユリナッチは伯爵夫人を歌っています

 

     

 

下の写真の上はカール・ベーム指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団による「ドン・ジョヴァンニ」(1955年11月6日録音)です ユリナッチはドンナ・エルヴィーラを歌っています。下の写真はルドルフ・モラルト指揮ウィーン交響楽団により「ドン・ジョバンニ」(1955年5月録音)です ユリナッチはドンナ・エルヴィーラを歌っています

 

     

 

下の写真の上はカルロ・マリア・ジュリー二指揮トリノ歌劇場管弦楽団による「ドン・ジョバンニ」(1965年2月録音)です ユリナッチはドンナ・エルヴィーラを歌っています。下の写真はカルロ・マリア・ジュリー二指揮RAIローマ歌劇場管弦楽団による「ドン・ジョバンニ」(1970年5月録音)です ユリナッチはドンナ・エルヴィーラを歌っています

 

     

 

下の写真の上はヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルによる「魔笛」(1950年録音)です ユリナッチは「3人の侍女」の第1侍女を歌っています 下の写真はジョン・プリッチャード指揮グラインドボーン祝祭管弦楽団による「イドメネオ」(1956年6月録音)です ユリナッチはイリアを歌っています

 

     

 

以上のほか、ベートーヴェン「フィデリオ」でも歌っていますが、きりがないので省略します

さて、この日、会場で配布された主催者「樂画会」のリーフレットに、ユリナッチは「1982年に『ばらの騎士』の元帥夫人で現役を引退、2011年に逝去」と書かれていました 私はまったく知りませんでした というか、本当は知っていたのに、その事実を認めたくなくて、知らないことにしていたのかもしれません 私がソプラノよりもメゾ・ソプラノに惹かれるのは、ユリナッチに由縁があります

ところで、同リーフレットに次のように書かれています

「ザルツブルクに建設される祝祭大劇場のこけら落とし公演が『ばらの騎士』に決まり、さらに映画化される計画があることをシュヴァルツコップは知る 様々な経緯から、実際の公演には当時シュトラウス・プリマとして人気を二分していたリーザ・デラ・カーザが出演したが、カラヤンはシュヴァルツコップのこの役に賭ける思いに応え、映画化に当たってはデラ・カーザではなく彼女を起用し、元帥夫人=シュヴァルツコップのイメージは永遠に映像として残されることになった」

この説明が正しいとすれば、この公演のフライアー(上の2枚目の写真)に書かれている「伝説的なザルツブルク祝祭大劇場のこけら落とし公演を完全映画化!」という謳い文句は間違いだということになります 同じ1960年のシーズンに行われた別の日の公演の録画であることになります もっとも、「こけら落とし公演は1度に限らない」ということであれば正しいことになりますが、さてどうなんでしょうか

この日の上映は、前半(第1、2幕)=2時間3分、休憩15分、後半(第3幕)=1時間2分、上映時間合計185分でした 100人位の人たちが鑑賞しました

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エルサレム弦楽四重奏団でベートーヴェン「弦楽四重奏曲第5番、第6番、第11番、第16番」を聴く / 飯守泰次郎 ✕ 読売日響、ストラディヴァリウス・コンサートのチケットを取る

2021年06月12日 07時18分29秒 | 日記

12日(土)。わが家に来てから今日で2345日目を迎え、フランスのマクロン大統領が8日、地方視察中に地元の男に平手打ちされた事件で、仏南東部バランスの裁判所は10日、被告の男に禁固4か月の実刑判決を言い渡した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     フランスには裁判を迅速に進める方式があるというが  2日後の判決は速すぎね?!

     

         

 

昨日、夕食に私の定番料理「チキンステーキ」を作りました 醤油、砂糖、日本酒、オイスターソースによるソースが 良くなじんで美味しかったです

 

     

 

         

 

チケットを3枚取りました 1枚目は7月21日(水)19時からサントリーホールで開かれる読売日響「第610回定期演奏会」です プログラムは①モーツアルト「交響曲第35番”ハフナー”」、②ブルックナー「交響曲第4番”ロマンティック”」で、指揮は飯守泰次郎です 飯守氏はコルネリウス・マイスターの代演ですが、読響定期には46年ぶりの登場とのことです

 

     

 

残り2枚は9月9日(木)と10日(金)19時からサントリーホール「ブルーローズ」で開かれる「ストラディヴァリウス・コンサート  2021」です プログラムは9日のAプロが①ハイドン「弦楽四重奏曲第67番ニ長調”ひばり”」、②ショスタコーヴィチ「弦楽四重奏曲第8番ハ短調」、③シューベルト「弦楽四重奏曲第14番ニ短調”死と乙女”」、10日のBプロが①ウェーベルン「弦楽四重奏のための緩徐楽章」、②メンデルスゾーン「弦楽四重奏曲第4番」、③プッチーニ「弦楽四重奏曲”菊”」、④ベートーヴェン「弦楽四重奏曲第6番」です 演奏は2010年に結成された若手の四重奏団、ゴルトムント・クァルテットです 2016年のミュンヘン国際音楽コンクールでバイエルン若手アーティスト賞とカール・クリングラー賞を受賞、2018年のウィグモアホール国際弦楽四重奏コンクールで第2位入賞を果たしています 4人が演奏する弦楽器は日本音楽財団が所有するストラディヴァリウス「パガニーニ・クァルテット」で、パガニーニが自らの四重奏団で演奏していた貴重なセットです

 

     

     

 

         

 

昨夜、サントリーホール「ブルーローズ」で「サントリーホール  チェンバーミュージック・ガーデン」参加公演、エルサレム弦楽四重奏団「ベートーヴェン・サイクルⅤ」を聴きました 今回がシリーズ最終回、C4列8番の席ともお別れです プログラムはベートーヴェン①「弦楽四重奏曲 第5番 イ長調 作品18-5」,②「同 第6番 変ロ長調 作品18-6」,③「同 第11番 ヘ短調 作品95『セリオーソ』」、④「同 第16番 ヘ長調 作品135」です

 

     

 

1曲目は「弦楽四重奏曲 第5番 イ長調 作品18-5」です この曲はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770‐1827)が後援者フランツ・ヨーゼフ・フォン・ロブコヴィッツ侯爵の依頼により1798年から1800年まで作曲した6つの弦楽四重奏曲(作品18ー1~6)のうちの1曲で、実質的に4番目に作曲されました 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「メヌエット」、第3楽章「アンダンテ・カンタービレ」、第4楽章「アレグロ」の4楽章から成ります

4人の演奏で第1楽章に入りますが、軽快な冒頭はモーツアルトを感じさせます 実際、ベートーヴェンはモーツアルトの「弦楽四重奏曲第18番K.464」のパート譜からスコアに書き写して勉強していたそうです 全体的にモーツアルトを感じさせる曲想です 第3楽章「アンダンテ・カンタービレ」はベートーヴェン得意の変奏曲ですが、どこかで聴いたことがあるメロディーが流れてきたので、懸命に思い出しましたが、同じころベートーヴェンが作曲した「七重奏曲」の変奏曲の一節ではないかと思い当たりました 私は「七重奏曲」は大好きですが、ベートーヴェンの初期の作品には肩の力を抜いた素晴らしい曲が多いと思います

2曲目は「弦楽四重奏曲 第6番 変ロ長調 作品18-6」です この曲は第5番と同様に作曲された6つの弦楽四重奏曲(作品18ー1~6)の1曲で実質的に5番目に作曲されました 第1楽章「アレグロ・コン・ブリオ」、第2楽章「アダージョ・マ・ノン・トロッポ」、第3楽章「スケルツォ:アレグロ」、第4楽章「ラ・マリンコニア:アダージョ」の4楽章から成ります

ビックリしたのは、思ったよりも速いテンポで第1楽章が開始されたことです しかし、それが作品に推進力を与えます この曲も初期の作品の中では親しみやすい曲で大好きです

 

     

 

プログラム後半の1曲目は「弦楽四重奏曲 第11番 ヘ短調 作品95『セリオーソ』」です この曲は1810年に完成、1814年5月、ウィーンでシュパンツィヒ四重奏団によって初演されました 第1楽章「アレグロ・コン・ブリオ」、第2楽章「アレグレット・マ・ノン・トロッポ」、第3楽章「アレグロ・アッサイ・ヴィヴァーチェ・マ・セリオーソ」、第4楽章「ラルゲット・エスプレッシーヴォ」の4楽章から成ります 愛称の「セリオーソ」というのは、「厳粛な、真面目な」という意味で、ベートーヴェンが自筆スコアに「クァルテット・セリオーソ」と書き込んだことに由来します たしかベートーヴェンの弦楽四重奏曲の中で一番演奏時間の短い作品です

冒頭の衝撃的な開始には惹きつけられます ベートーヴェンは最初の数小節で聴衆を掴んで離さない技巧を知っています 第2楽章はチェロの独奏から入りますが、演奏を聴くとなぜか安心感を覚えます 第3楽章は一転、緊張感に満ちた曲想が展開します この曲を聴いて、いつも疑問に思うのは第4楽章のフィナーレ=アレグロです。どこか、取ってつけたような印象が否めません

最後の曲は「弦楽四重奏曲 第16番 ヘ長調 作品135」です この曲は1826年10月に完成し、ベートーヴェン死後の1828年3月23日にウィーンでシュパンツィヒ四重奏団によって初演されました 第1楽章「アレグレット」、第2楽章「ヴィヴァーチェ」、第3楽章「レント・アッサイ、カンタンテ・エ・トランクィッロ」、第4楽章「クラ―ヴェ、マ・ノン・トロッポ・トラット」の4楽章から成ります 

第4楽章冒頭には「ようやくついた決心」というタイトルと、序奏とアレグロのモティーフの譜例、「そうでなければならないのか?」という重苦しい問いと、「そうでなければならない!」という明るい答えが書き込まれています これが何を意味するのかについては、深淵な哲理を示すという説と、軽い問答に過ぎないとする2つの説があります 「軽い問答」の説の根拠にされているのは、ベートーヴェンがアマチュア・チェロ奏者デンプシャーのために1826年夏に書いたカノン「そうあらねばならぬ、もちろん、もちろん、そうあらねばならぬ!さっさと財布を出しなさい!」です このカノンは、デンプシャーがベートーヴェンの「弦楽四重奏曲作品130」を私邸サロンで演奏したいので、パート譜を借りたいという申し出に、パート譜を所持しているシュパンツィヒや、ベートーヴェンの秘書カール・ホルツが絡んで、楽譜の借用代金を巡って展開した「楽譜を借りたいのなら借用代金を払うべきだ」というユーモアあふれるエピソードを歌ったものです この頃やっと「著作権」の概念が芽生えてきたのだと思われます このエピソードが「第16番作品135」に反映しているとすれば、そう深刻な内容ではないことになります 私は、その箇所の後に続く明るく楽観的な曲想から判断すると、このエピソードの通りだったのではないかと思います しかし、本当のところは「ベートーヴェンのみぞ知る」です

この曲の最大の魅力は第3楽章「レント・アッサイ、カンタンテ・エ・トランクィッロ」です この音楽は、弦楽四重奏曲第13番の「カヴァティーナ」、同第15番の「モルト・アダージョ ~ アンダンテ」と並ぶ至高の緩徐楽章です ベートーヴェンの緩徐楽章がいかに素晴らしいか、エルサレム弦楽四重奏団の4人はしっかりと伝えてくれました

熱狂的なスタンディング・オベーションで終演後、コロナ感染防止のため時間差退場により会場を後にしたのは、午後9時20分でした

これをもって、6日(日)から5回連続で演奏されてきた「ベートーヴェン・サイクル」(全16曲)が終了しました 正直言って疲れました 連日、夜のコンサートを聴いて、翌日朝にブログをアップするのは体力的に相当キツイものがあります しかし、自分で選んだコンサートなので、聴いたからにはブログにアップしていきます

 

     

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