レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

アウラモウタヘイティ 新年の誓い

2019-01-06 03:00:00 | 日記
昨年のクリスマスは -というか、「この」クリスマスは(教会では新年は十二月から始まっていますので)- 雪なし、で終わったレイキャビクでした。ロイズ・クリスマス、つまり「赤いクリスマス」となりました。

その後も暖かい天気が続き、大晦日だけは零下に冷え込みましたが、あとはかなり暖かい気温を保っています。正月など8度、9度とかいう日もありましたから。今週の途中からまた冷えるようです。

今日、1月6日は教会では「顕現日」Epiphanyと呼ばれる日です。聖書の中にある、東方の国からの三人の博士が、贈り物を携えて幼子イエスを拝しに来た、という物語を記念する日です。

アイスランドではこの日を持って十三日間のクリスマスの祭りが終了します。 アイスランド語ではなぜか「顕現」と言う言葉を使わずThrettandiスレッタンディと呼びます。「十三日目」という単純な意味です。(*^^*)

明日の1月7日が東方オーソドックス教会のクリスマスなので、アイスランドでもセルビアからの人たち等が多く住む町では、「クリスマスを一日延長して、1月7日までにする」と宣言したりしたこともありました。今ではどうなのでしょうか?去年はそのニュースを再び聞いた覚えがありますが。

一月七日のクリスマス




これも大晦日の名物ブレンヌル 大きな焚き火
Myndin er ur Visir.is


さて、皆さんの新年の誓いはどんなものでしょうか?アイスランドにも日本と同じように新年の誓いがあることは以前書いたことがあります。Aramotaheitiアウラモウタヘイティといい「年越しの約束」が直の意味になります。

アイスランドでのお正月アレコレ


昨年もいくつか、アイスランド人の新年の誓いをネットから拾ってご紹介しましたが、今年も懲りずにそのような特集がネット新聞にありますので、いくつか集めてみました。

まずはインディアナさん女性:「新年の誓いでルックスに触れる必要はないのよ」
これは誓いというよりは「誓いへの諭し」ですが、あまりに「痩せる」だの「美容」だのの誓いが多いことにご立腹の様子。


マグヌスさん男性: 「娘と過ごす時間を絶対に守る」
大切なことです。うまくいきますよう。

ティンナさん女性:「スレイクルに頻繁に行くようにする。両方、Exとも『今の』とも」これはちょっと要説明。スレイクルというのは「舐めまわすようなキス」のことで、挨拶でのスレイクルの故に告発された牧師さんがおり、昨年の話題になったのです。ティンナさん、ちょっとアブナイかも...

エイイットゥルさん男性:「片割れをなくした靴下を集める。古くなってきたタッパウェアーで、蓋がしっかり閉まらないものがあるのだが、これをしっかり抑えるのに靴下が役立つのを発見した。片方しかない靴下の生命の復活だ」なるほど。でも自分用のタッパに限ってほしいと思います。

あといくつかあるのですが、こちらでの世相を皮肉ったりしているのが多く、説明に時間がかかるのでこれにて紹介終了。

私自身ですが、無理やり何かをひねり出していたここ数年と違い、今年はすんなりと心に浮かんでいいたことがありました。

きっかけは十二月の始め、アドヴェントの集いが私のホーム教会であった時のこと。その集いでは、牧師さんではなく日曜学校の先生をしている女性の方がお話しを担当しました。

その女性、ステイナさんは、本職は体育の先生だそうですが、もう何年も日曜学校の面倒を見ています。個人的にはそれほど親しい方ではありません。

お話しの中で彼女は、自分が子供の頃も日曜学校に来ていたこと、それから学生時代を通じてキリスト教学生連盟のようなグループで活動してきたこと等を冒頭に語りました。

ついで成人してからは日曜学校を担当し、子供たちにお話ししたり、歌を指導したりすることはもう何百回としてきたことも。

「そういう自分を振り返って見て、そろそろ新しい一歩を踏み出す時期が来ている気がします。だから今夜、こうしてあなた方大人の皆さんにお話しすることをお受けしたのです」

それからステイナさんは、本題である教会の教える「光」について話し始めました。良い話しで、私はあとで彼女に原稿をもらい、それを自分の祈りの会で紹介したくらいです。




ハットゥルグリムス教会の塔の上から見た新年の花火
Myndin er ur Visir.is


ですが私の「新年の誓い」に関わるのは、本題の方ではなくて「新しい一歩を踏み出す時だと思う」という点の方です。

教会のレギュラーの方が、このようにして自発的に「次の一歩」を踏み出してくれるのは、牧師としては相当嬉しいことなのです。別の私はその教会の「本牧師」ではないのですが、それでも嬉しく感じました。

私自身、十一月に四十歳の二十周年を迎えてから、先のことをよく考えるようになり、「何をしたいか?」ということを頻繁に自問しています。当然のことながら、それは私自身の「新しい一歩」「次の一歩」とも関連してきます。「最後の一歩」かもしれませんが。(^-^;

牧師の仕事には、いくつかのトラップが付きまとうのですが、その中の一つは「同じ状況で同じことをすることにドップリはまり込んでしまう」ということです。

同じ行事を毎年こなし、同じ人々と会い、同じ話しをする。変化がなくても、そこに慣れてしまうのです。これはかなり恐ろしいもので、なにしろ気がつかないうちにそうなってしまっている、ということが結構多いのです。

これを防ぐには、将来のビジョンを持ち、それに沿って具体的な目標とか、プランを持つことが必要になります。それを一回決めればいい、というものではなくて、絶えず調整し、再設定していく必要があります。

何かが進んでいれば、自ずと再調整の必要が生まれます。再調整しなくていい、ということは、実際には何も進行していない、ということの証左と思っていいでしょう。




ホーム教会のニュースレター 中央の女性がステイナさん


具体的に考えていることをひとつだけ挙げておきますが、それはクリスマスイブに教会でオープンハウスをして過ごす、というものです。クリスマスに行き場がなく、ひとりで過ごす人も多いのです。

そういう人たちが、その気になれば寄って来れるような場です。

残念ながら、現在の国民教会はそのような場を設けていません。アイスランドではクリスマスは「家族の祭り」の性格が強く、皆、それぞれの家族の集いへ馳せ参じてしまうことの影響だろうと想像します。でも、これからもそのままでいいのか?という質問をするのはごく自然なことです。

病院関連のスタッフ等、クリスマスでも務める義務がある人々は多くいます。教会は家族の大切さを訴えることもあり、できるなら牧師さんたちも自らの家族とイブを過ごすことを重んじます。それで、なかなか「イブのシフト」は成り難かったのです。

そういう点で、今の私は子供たちも大きくなり、別にクリスマスイブに一緒にいなくても、どうということはなくなってきました。家族と一緒にいる必要度は昔と比べて低くなった、とも言えましょう。だったら、そのチャンスをプラスに生かして、「一歩」進んでみようかと。

これは一例ですが、そんなわけで私の2019年の新年の誓いは「一歩踏み出す」ということです。

願わくは踏み出す先が正しい道にあり、落とし穴ではありませんように。まあ、穴に落ちても、また這い出てきますが... (^-^; でも疲れるな。「転ばぬ先の杖」をしっかり持っていた方がいいかも。

皆さんも、何か良いクリエイティブな新年の誓いを携えていられることを願います。念のため杖もお忘れなく!


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is

コメント
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