レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

「徳川埋蔵金の行方」的DNAとJosh Gates

2019-07-28 00:00:00 | 日記
嬉しいことにまだ「夏」が続いています。今、これを書いているのは26日金曜日のお昼ですが、気温は公式には17度。体感温度はもっと高く、部屋でTシャツ一枚でいて心地良いくらいです。

予報ではこれから先一週間もこの調子が続いてくれそう。iPhoneのWeatherを覗くと「毎日、雨ではないか!?」と思われるでしょうが、最近の経験ではこれは「雨粒が落ちてくることがある」程度のものでしかないようです。




レイキャビクの天気の実際はIPhoneよりもポジティブ!


実際、今現在も予報は「曇り」ですが、窓の外には日が差しています。予報の方が二割り増しくらいで悲観的な気がします。これも経験的学習。

もっとも「経験的学習」が必ずしも正しいわけではないようです。経験的には、アイスランドで荒天の時は大陸では悪天候。そしてまたその逆もしかり。ですが、アイスランドが「夏」のこのところ、大陸では「スーパー『夏』」のようで、フランスやドイツでは42度を記録しているとか。

今年の日本は梅雨が長かったようですが、これからは一気に夏日になることでしょう。熱中症対策、怠られませんよう。m(_ _)m

実は、今ウキウキしています。というのは今日からの十日間「夏休みー!!」のつもりなのです。休みが取れない日本の皆様には嫌みたらしく思われてしまうかもしれませんが、ここは「ガッツリ一ヶ月の夏休み」が揺いでいない風土ですのでご容赦あれ。

と言いながら、実は私はバカンスに行く予定はなく、ある意味仕事を続けるつもりです。人の相談にのったり、集会を持ったり、ということは一週間強の間お休みにします。そしてその間に、前回まで書いていました「ビデオ作り」のノウハウを習得しようと考えているのです。

ちょこちょこ編集用のプログラムFinal Cut Proの使い方等を見てきたのですが、ぜーんぜん先へ進まず。これは相当集中して取り組む必要あり。ということで、この夏休みです。

それでも責任がない、というか、気が楽なことは確かでウキウキしてきます。ナイス!! (*^^*)

前置きで一枚書いてしまいました。スミマセン(いつもA4で三枚くらい書きます)。

さて、今回はこのところはまっているテレビについてです。まったく聞いたこともない番組だったのですが、iTunesで偶然行き当たり、面白いかな?という「当たれば見っけもの的」な感じで購入したものです。

アメリカのTVシリーズでExpedition unknown といいます。2015年から始まりまだ続いているようです。今年の分はシリーズ6ということ。

内容はというと、私が愛好する「ポリスもの」ではありません。ドラマですらない。簡単にいうと「宝探し」もののドキュメンタリーです。よく日本のバラエティで「徳川埋蔵金はどこに?」みたいな企画があるじゃないですか。あれと同じです。

もっとも番組では宝探しだけではなく、ヒマラヤの雪男を探したり、ジンギスカンのお墓を見つけようとしたりもします。シリーズ化して初の番組はアメリア・イアハートAmelia Earhart (アメリカの女性飛行探検家)の消息を追うものでしたが、これがかなり面白く、番組を見続ける結果となりました。

ちなみにイアハートは大西洋横断単独飛行を女性として初めて成し遂げた人で、その後1937年に世界一周飛行計画中に南太平洋で行方がわからなくなりました。ベン・シラーの「博物館の夜」の第二作にも出てきました。アメリカではとても人気のあった人のようです。

で、番組のホストはJosh Gatesという青年男性。インディ・ジョーンズが大好きなことを自認しているようですが、まさにその格好で世界のあちこちへ、自分のチームを率いて乗り込んでいきます。




インディ・ジョーンズの実際版 ジョシュ?
Myndin er ur IMDb.com


人相風体はアイスランドの元首相シグムンドゥル・ダヴィに似ています。ワタシ的には嫌悪感が走るタイプなのですが、あっけらかんとしている性格なようなので、かろうじてセーフ。

「考古学で学位がある」ということですが、それよりも感心させられるのは、乗馬、ロッククライミング、海底へのダイビング、カヌー、ボートの操縦とかアウトドア系の達人だということです。

隠された財宝や、歴史に埋もれる謎を追っていくのですから、当然、ユカタンやアマゾンのジャングルの中、アフリカの荒野、カリブ海の海底、ネパールの山奥等々へ出かけて行くことになります。

「ロケ班も大変だろうな」と感じされるのは、大雨にさらされてもテントしかなかったり、寒い中、暑い中を一日中歩き続けたり、特急からは程遠い粗末な列車で十時間移動とかいうのが、稀ではなく普通らしいいということでした。

よほど体力のある人たちでないと務まらないでしょう。やっぱり熾烈なアメリカのショービジネス界ですねえ...

宝探しは大好きでも、そういう過酷なアウトドアライフや、暑すぎたり寒すぎたりするのが大嫌いなワタシは、そういう様をテレビ(PC)のスクリーン越しに見るだけで十分ですし、かつ謎を追いかけるワクワクは満喫できますので、こういう番組はありがたいのでした。

このシリーズを見終えた後で、実はそれに先行して2007年から5シーズン作られていたDestination truthという番組も見てみました。これもJosh Gatesグループの制作。

こちらの方はもっぱら幽霊、怪物、超常現象を追いかけるのがテーマ。中には面白い回もありましたが、なんせいるわけがない?ものを追いかけるだけなので(「ツチノコを追え!」もそうですが (^-^;)、パターンが同じ回が続いてしまい、多少飽きました。

“What’s that!?” “Something is there, right there!” “What? I cannot see anything!” これを真面目な顔で毎回繰り返すのですから、やるほうも大変でしょうね。

しかも、夜中の撮影が多いため、画面も暗視ゴーグルを通したような、薄緑色のモノトーンになってしまい、こちらも飽きる原因。




マンネリパターンを感じるのはワタシだけではないようで...
Myndin er ur Funnyjunk.com


対してExpedition unknown の方は、たとえ宝が見つからなくとも、なんというか歴史の勉強になるというか、「ああ、そういう人がいて、そういう事件があったのか」ということに触れる満足感は残ります。

先に触れたアメリア・イアハートの回など、まさにそれです。「博物館の夜2」でその人の存在は知っていましたが、どういう人だったのかまったく存じあげませんでしたので、「なるほど」感に満たされました。

さらにトラベル関係のビジネスがスポンサーらしく、旅先ではきちんと現地のご馳走を賞味したり、観光スポットに立ち寄るようなこともします。これを見て、旅に出かける人もありましょう。ワタシのように「行かずして行った気分になる」無精者もありましょう。

ともあれ「徳川埋蔵金はどこに?」「ツチノコを追え!」というようなことへの興味は、どうも私たちのDNAに組み込まれているようですね。結果がない、とわかっていてもやめられない。

Josh Gatesさんの番組、手を変え品を変えても続いてくれますよう。


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三十万御礼とYoutuberへの路 の続き

2019-07-21 00:00:00 | 日記
「夏」が続くレイキャビクです。先々週の週末から先週始めにかけては少し曇りがちで雨も降りました。七月中旬を超えると、毎年、なんか大気が不安定になるような印象を持っています。ですが週の後半は持ち直して「暑い」とさえ感じる時がありました。せめてあと二週間、七月いっぱいはこの調子が続いてくれますよう。

本題に入る前にお知らせがあります。先週の水曜日、ついにこのブログを覗いてくれた訪問者の方々の総数が、延べで三十万に達しました。(⌒▽⌒)




訪問者IPS延べ数三十万 感謝でございます 


ブログ開始が2012年の夏でしたから、苦節七年?なんの取り柄もないようなマイナーのブログで、一日あたりのお客さんの数もそう大きなものではありません。ブログ開始から昨日で2520日なのだそうです、ブログのくれる情報によると。それで延べ数300282人ですから、一日あたり百二十人弱。(^-^;

それでも三十万に到達したというのは、まさしくチリも積もれば...じゃなくて、飽きずに覗いてくださる皆々様のおかげです。

ありがとうございます。m(_ _)m
これからもマイナーのままでポツポツと歩いていきたいと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。

さて前回は、冒頭で「この夏にやりたいことがある。それはYoutuberになることだ! なんのビデオ?キリスト教をアピールするためのもの」というようなことを話し始めたのですが、途中で終わってしまいました。その続きです。

決してオレオレ的な乗りの牧師ではないワタシが、なぜキリスト教PRのビデオ作りを思いついたかというと、それは難民の人たちとの定期的な集会をお世話するようになってから、「もっとキリスト教について、教会について知りたい」というリクエストが増えてきたのです。

これまで四年間で五十人以上が洗礼を受けました。圧倒的多数はイラン、アフガニスタン、あるいはイラクにいたクルド人の人たちです。

この人たちと教会生活を共にするうちに、「誰かが誘えば教会に来るのに」とか「教会に行きたいんだけど、周囲の目がちょっと...」という事例をいくつも知ったのです。

「周囲の目」というのは、例えばアフガンからの人は基本的にイスラム教徒ですので、教会に出入りしているのが他に知られたりすると、いろいろ人間関係が難しくなるようなことがあることを指しています。

(角が立たないように、婉曲に表現していますが、実際はもっとえげつないものがあります。誤解を避けるために強調しておきますが、人間関係を難しくするような人は「一部の人であって、皆ではない」ということです)

そこで、思いついたのが「じゃあ、動画はどうだろう?」ということでした。動画というのは、基本的に自分で見たいものを見るわけですから、興味がない人には迷惑がかからないし、かつ継続性があるので、なにがしかの「関係」をつくることができるかも、というのが気に入った点でした。




教会自体は良い画になると思うのですが 私のいるブレイズホルトゥス教会


これらは、私自身の実体験から出てきたことです。去年の夏はダイエットと筋トレに夢中でしたが、その過程で、それらの方面のYoutubeの世界へ入っていったわけです。見る側として。

五十代最後の夏の密やかな楽しみ

「梅雨」の夏 W杯 そしてサイヤマン


Youtube界にはそれまでまったく「ゼロ」の興味しかありませんで、昔懐かしい歌を聴きたい時、スマフォとかを買う際の口コミチェックに見る程度。多少まとめてみたのはかっこいいマツダのCX3を買う前の情報集めの時くらいです。

それがYoutube界に触れるようになり約一年。今度は「自分でやってみようか?」という天啓、インスピレーション、血の迷いを授かってしまったわけです。

ところがおなじYoutubeでも、見る側と提供する側ではまったく別の世界。だいたいビデオカメラなんて、子供たちがそれなりに幼少の頃以来まったく触ってもいません。iPhoneは別ですが。

加えて、動画制作にはどのような準備をする必要があるのか?器材は何が必要なのか?手順は?編集はどうやってする?等々、様々な情報や知識が必要になります。

それでまずは、春先にAmazon Japanから「Youtube活用方」とか「簡単な動画作り」に関する本を何冊か調達。下調べを始めました。同時にYoutubeでも同じようなテーマのものをいくつか見始めました。

Youtubeとはいっても、私の場合はものすごい数のviewを得るとか、そういうことが目的ではないので、巷の「活用法」がそのまま役に立つわけではありません。それでも「なるほど」と気付かされることは多々あります。

例えばYoutubeの場合、ひとつの動画の質の高さは問題ではない。継続して流すこと。それで人の通う「プラットーフォーム」作りを目指すのだ、というようなこと。なるほどー。これは私の場合にもピッタシかんかんです。古くてスミマセン。




勉強することは山とあります


ついで六月始めに日本へ帰省した際、ビデオカメラ等々の「器材」の下見にも行きました。ヨドバシカメラとかビックカメラは、私にとってはアミューズメントパークのようなもので、これは楽しい訪問です。

子供たちがビデオで撮るほど可愛くなくなって以来のビデオですから(^-^; 、当然様変わりしています。

まず感じたことは、やはり携帯のビデオ機能がものすごく発展したからなのか、製品の種類がそんなに多くないですね。パナソニック、SONY、JVC 、それぞれ一二種しかないような。

それに、カメラにもビデオ機能が付いてるのが普通のようだし。カメラの方がいいのかな?

そこで、お邪魔したビックカメラの有楽町駅前店では、Yさんという女性の店員さんにいろいろお尋ねしました。「カメラのビデオ機能は、30分以上の連続撮影にはむかない」「音声、特に話者の声をきちんと取るには、マイクロフォンを外付けした方が良い」等々を教えていただきました。ありがとうございました。m(_ _)m

ちなみにお尋ねする前に、「仕事でPR用の動画を作らねばならないのだが、その動画とはレクチャーとインタビューの中間のようなもので...」と説明。Youtubeなんて一言も言いませんでした。

「おじいちゃんがいまさら?」とか内心で思われたくなかったですから。それに「キリスト教の布教用」とかいうのも一言もなし。そんなこと宣うのなら一発ケリを受ける覚悟がいるかも。

とにかく、Yさんに丁寧に説明を受けましたし、納得できましたのでパナソニックの4Kビデオカメラ一器お買い上げ。ついでに外付けのマイクロフォン、LEDのライト、SDカード、予備のバッテリーパックもお買い上げ。

結構いい出費になりましたが、これらは全部自腹です。そんなもの全部予算に計上していたら、何年も待つ羽目になります、教会では。それに部分的には「オラの趣味」的な気分は自分でも持っているので、始めからある程度の出費は覚悟していました。

趣味的に「静〜〜〜か」に始めたいのです、このプロジェクト。誰にも気付かれないように。って、それじゃやる意味がないだろ。

さらに本屋さんで、編集に関わるガイドブックも何冊か購入しました。編集用のプログラムもいろいろあるようですが、これは現在もまだ検討中です。始めのうちはマックに付いているiMovieで十分のようですから、まだ時間があります。

なんて言っているうちに、もう七月も十日余りのみ。そろそろ実際に試作品を作らないと...

試作品ができたあたりに、また皆さんに初老男のYuotube挑戦の顛末をお伝えしたいと思います。


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夏の挑戦 Youtuber!?

2019-07-14 00:00:00 | 日記
毎日の気温が15度前後という、まことに快適な「夏らしい夏」のレイキャビクです。七月も中旬になってしまったというのが残念な気がしています。毎日、日が短くなっていくという事実に目を向けるも嫌ですし、加えて今年の場合は「どうかこの『暑い日』が続きますように」という願望が強いので。

その反面、七月中旬は相変わらずアイスランド人のヴァケーション季節の真っ只中ですので、職場というか、街中にも緊張感がないというか、「今は夏休み」的なムードが漂っています。

私の場合は、七月八月はそんなに暇ではなく、かなりするべきことはたくさんあるのが普通です。周囲が夏休みに行ってしまう分、その部分を私がカバーするようなことがすることが出てきたりするのです。




ブログ内容とは関係ありませんが、このユーモア大好き


それでも去年の夏は -あれを「夏」と呼べるのだとしたらですが。日照時間最小の記録を作ったと記憶しています- 非常に静かでゆとりがありました。今年は去年ほどゆとりはなく、定期的な集会、個別の問題の相談等々間断なくやってきます。

この一週間は特に「親権のトラブル」とかの相談が続いてしまったのですが、私よりは弁護士のところにいく必要があります。それでも「話しを聞く」ということが大切なことですので、ちゃんと応対します。

当たり前の話しですが、親権のトラブルに限らず、問題を抱えている人は普通「鬱(ウツ)的」になります。私は結構耐久力がある方だと思うのですが、それでも時々こちらまでウツになりそうなことがあります。

今回気が付いたのですが、今のように周りに人が少ない時の方が、ウツに対する抵抗力が落ちるような気がします。周囲の人たちとの会話とかで発散できないからからかな? …? 今後の考察事項です。

というわけで、やることはそれなりにある夏なのですが、それでも「夏の非繁忙期にやってみたい」と思っていたことが今年はあります。それは「ビデオ作り」です。それもYouTube用のビデオです。

そうです。Youtuberになることを目論んでいるのです!

「いい歳をして、なんじゃ!」と思われるでしょうが、これは趣味ではなく仕事の上でのことです。つまりキリスト教、教会を紹介するビデオを作って流すことを考えているのです。

これは、実は私としてはかなりコペルニクス的な転換なのです。 牧師のくせに根性のないワタシは、あまり直接的な「伝道」が得意ではありません。「伝道」というのは例えば通りで路行く人に「アナタハ カミヲ シンジマスカ?」というような、アレです。人々を教会へ「導く」のが伝道ということです。まあ、私としては「いざなう」という言い方の方が好きですが。




キリスト教のメッセージを伝えることはもちろん大切
Myndin er ur Bible-jp.org



私がアイスランドへ来て二十七年になります。始めの五年間くらいは、ある意味「準備期間」みたいなものでしたし、それ以降の二十年くらいは移民牧師としての職務を確立するのに費やしました。

「移民」という社会現象はアイスランドでは歴史が浅く、私が移ってきた1990年以降くらいから顕著になってきたものです。1992年にはアイスランドに住む外国人は五千人程度でしたから。今は三万五千人、しかもアイスランド国籍を取得した一万人あまりは勘定しないで。

そういう中で始まった私の仕事なのですが、まずしなければならないことは「移民」というものを、アイスランドの社会がきちんと受け入れる下地作りに参加することでした。

そこでは実際に移民の人たちのトラブルの解決を探すような実生活的な事柄から、マルチカルチュラル社会とはどういうもので、それを目指すにはどのような社会的施策が必要なのか?というような政治にも関連するようなレベルの事柄まで含まれていました。

そういう環境で始まった私の職務のメインにあったのは、例えば「移民の相談に乗る公共の窓口の設置」「移民に対する偏見の指摘」「移民に対する差別の是正」「移民の子供たちの母国語教育の必要性のアピールと実際の母国語教育の母体作り」「キリスト教会と他の宗教団体との対話のプラットフォーム作り」等々でした。

これらの課題に、私は「教会代表」のような感じで参加していたのですが、お分かりかと思いますが実際は「教会の外で」働くことが多かったのです。

「外で」働く際に必要なことは「空気を読むこと」で、要するにキリスト教を振り回すだけではダメなのです。「他者に尊敬を払い」「基本的人権を掲げる」ことができない人は、たとえ敬虔なクリスチャンでも -というか敬虔であればあるほど- 「教会の外で」働くことは難しいでしょう。

というわけで、これまで私は移民牧師としても「アナタハ カミヲ シンジマスカ?」からはかなり遠いところで過ごしてきたわけです。

しかしながら「伝道」「宣教」ということは、真面目な話し、教会にとってはとても重要なことです。その熱意を失ってしまっては教会としての生命をも失うようなことになります。

私が多少揶揄したくなるのは「アナタハ カミヲ....」のような、見ず知らずの人の内面の問題にズカズカと土足で入り込んでいくような振る舞いというかマナー(のなさ)です。人にキリスト教を伝えるにしても、ちゃんとその人への敬意を持って、またその人の権利を尊重する仕方でしなければなりません。

さて、いずれにしても私は長らく教会の「伝道」とか「宣教」とかということにはあまり直接関わらないで過ごしてきたわけです。




Seekers「難民の人たちとする祈りの会」の初期の頃


それがここ五年ほど、「移民牧師」からほぼ専属の「難民牧師」となってしまいました。一番大きな変化は、難民の中にはイランからの人たちのように「キリスト教に関心があるから」国を逃れざるを得なかった人たちがいることでした。

イランでは聖書を持っているだけで逮捕されます。キリスト教へ改宗した場合は -正確にはイスラム教を捨てた場合には- 男性は極刑、女性は終身刑となるそうです。イランは極端な例ですが、イスラム諸国ではどこでもキリスト教への改宗は問題をもたらすと聞いています。

そういうところから難を逃れてやってきた人たちと接すると、当然その人たちのためのキリスト教的な集会を持ってあげることが必要となります。そこから出てきたのが「難民の人たちとする祈りの会」でした。

この会を総計五つの教会で続けるうちに、ひとりまたひとりとクリスチャンになる洗礼式を希望する人が出てきました。これまでのところ約四年間で五十二人の人が受洗(洗礼を受けること)しています。未成年者は四人だけで、あとはすべて成人です。

ちょっと脇道に逸れますが、アイスランドのような伝統的な「キリスト教国」では、みんな洗礼は赤ちゃんの時に受けてしまいます。ですから成人洗礼式は非常に珍しいものになります。私は日本で牧師になりましたので、成人洗礼には慣れています。日本では成人洗礼の方が多いだろうと思います。

で、この「難民の人たちとする祈りの会」からビデオ作りの考えが生まれてきたのですが、今回は前説で終わってしまいました。次回、もう少し私のYoutuberへの夢?を語りたいと思います。


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夏の日 人の手を通した奇跡は...?

2019-07-07 00:00:00 | 日記
「夏」が続くレイキャビクです。先週は多少雲が多くなり、水曜日と木曜日には一時的に雨も相当降りました。それでも一日中、というわけではなく、非常に限られた時間でした。

しかも、アイスランドでは普通の「右から左へ」降る雨ではなく、日本のように「上から下へ」「ざあざあ」と降る雨でした。珍しや!

木曜日は夕方から外へ出る用事があったので、雨には上がってもらいたかったのですが、昼前後にはかなり降っていたものの、幸い五時くらいには雨が止み、その後日も差してくれました。

その夕方からの「用事」というのは、例のごとく難民の強制送還に反対する抗議集会に参加することでした。木曜日の集会には、人数は見当がつかないのですが相当数の人々が集まりました。今まで経験した中でも、最大級に人が集まったもののひとつでした。

これには前史があり、ちょっと不思議な?経験でもあったので、今回はこのことについてお話ししてみたいと思います。




先週木曜日 ハットゥルグリムス教会前に集まった人々
Myndin er ur Visir.is/Eigill


中心にあるのはふたつのアフガニスタンからの難民の家族です。家族Aはファタマさんというお母さんと十四歳の娘マルヤちゃん、そして八歳の男の子の三人。家族Bはアドラさんという父親と十歳と九歳の男の子がふたりいる三人家族です。

この二家族は、別に知り合いではなく別々にアイスランドへやってきました。昨年の冬前でした。それでも共通点もあります。

まずアフガニスタンの「ハザラ」という民族であること。アフガニスタンはタジク民族、パシュトゥーン民族ら七つ、八つの民族を持つ多民族国家なのですが、その中でハザラ族への差別と迫害が激しく、特にタリバンの下でハザラは虐殺の標的にされてきています。

当然ヨーロッパ中に広がるアフガン難民の相当数がこのハザラ民族となります。ちなみにこのハザラの人たちは、顔立ちがモンゴル系で日本人にとても似ている人が多いと感じます。

ファタマさん、アドラさんの家族に共通するもうひとつのことは、共にギリシャに逃れ、そこで難民申請をして難民認定を受けていることです。実はこれが問題なのです。

ギリシャという国は、イタリアやハンガリーと並んで難民がもっとも押し寄せる国のひとつです。地理的に、アフリカや中近東からヨーロッパへの入り口となっているからです。難民数でさえ相当なのに加えて、自身の経済がうまくいっていません。

当然のことながら難民は疎んじられ、たとえ難民認定を受けた難民であっても家を借りたり、仕事を得たりするのが非常に困難な状況になっています。

で、早い話しが、ギリシャで難民認定を受けてしまうと、むしろ状況がますます悪くなってしまう、ということが日常化してしまっているのです。

難民申請中は、まだ国連関係の団体から援助を受ける可能性があります。しかし認定されてしまうと、そのような援助は打ち切り。かといって、家はなし、仕事はなし、言葉はわからない。どうやって生きていけば良いのか?

生活できない「認定難民」はさらに他国へ逃れざるを得ません。しかし一度「認定」されてしまっていると、他のヨーロッパの国ではもはや「難民」としては受け取ってもらえないのです。

というわけで、ファタマさん家族も、アドラさん家族も、アイスランドでは「経済的理由による移住希望者」として扱われ、「難民認定拒否」の通告を受けてしまいました。

二家族が、別々に私のところへ連絡してきたのは今年の三月中頃くらいでした。移民局から拒否回答を受けた後でした。私の教会グループにいるアフガン人(ほぼ全員ハザラ族)の紹介できたものです。

両家族とも、別に教会に関心があるわけではなく、なにかしらの援助を求めてきたケースなので、私にもできることは限りがあります。双方にメディアを紹介しました。別の新聞社が、それぞれにファタマさん、アドラさんの経緯を紹介する記事を掲載しました。

ファタマさんの長女のマルヤさんは、日本の中学に相当する学校に行っていたのですが、良い教師と学友に恵まれたようです。同じ三月に学校中の生徒六百人が難民申請の再審査を受け持つ、アピール委員会のオフィスまで市内を行進し、アドラさん一家への滞在許可を求めました。

にもかかわらず、二家族とも再審査でも「拒否」の回答。これが四月上旬か中旬だったと記憶しています。




この春、マルヤさんのために行進する中学生たち
Myndin er ur Stundin.is/DavidThor


それ以降、あまり接触はなかったのですが、先々週の木曜日になって、アドラさんが教会に訪ねてきました。「来週の月曜日の朝に送還される。なんとかしてください」

「三日後に送還?なんとかしろったって、できるわけないだろ?」と思いました。別に私は政府にコネがあるわけでも、権力があるわけでもないのです。「諦めるしかないだろ」と内心思っていたのですが、「もう一回、ジャーナリストに話したい」と言うアドラさん。

無駄だとは思ったのですが、以前アドラさん家族について記事を書いたジャーナリストに連絡してみると、即刻インタビューしてくれるとのこと。そして、翌々日の土曜日にはその記事がネットに流れました。

するとその記事を読んだひとりの女性が連絡をしてきました。難民援助の非常な活動家で、特に難民の子供たちを守ることに情熱を持っている人です。彼女はアドラさんの家族とは面識がなかったのですが「連絡して訪ねてみる」と申し出てくれました。ありがたや。

で、送還の前夜、日曜日の夜なのですが、アドラさんの長男十歳が、送還への不安から神経症のようになってしまい病院へ運ばれました。ドクターストップで送還は「取り敢えず」延期。

私の想像ですが、これらにはその活動家の女性の助言や援助があったものと思います。また、これらの事情が難民支援団体のNo BordersのFacebookページにも掲載されました。

すると「子供を神経症になるまで脅かして送還するとは、子供の権利をなんと思っているのか?」というような声があちらでもこちらでも上がってきたのです。

すると、それがまた次を触発します。別の新聞の「ファタマさん一家も、翌週の送還を通告されている」というニュースが覆いかぶさって流れました。すると国中のメディアがこのトピックを「難民の子供の権利」という「くくり」で取り上げ始めました。

「アイスランドは国連の『子供の権利条約』に加盟しているではないか?約束している義務を果たせ!」という怒りと要求がまさに巷に溢れた感がありました。

No Bordersはすかさず木曜日の集会を企画。彼らの行動力にはまったく感心させられます。わずか二日間の前置きでしたが、いざ蓋を開けてみると「よくまあ、これだけ集まった」という感じの群衆が参集したのでした。




UNICEFアイスランド支局も、難民の子供について声明を発表
Myndin er ur Unicef.is


今現在、これでファタマさん一家と、アドラさん一家の運命に変化がもたらされるかどうかはわかりません。移民局は強弁姿勢を変えませんが、法務省内には妥協を見出そうとする動きがあるとも聞いています。

「無関心」を決め込む緑の党のカトリーン首相にも批判が向き始めています。当然でしょうね。私もかなり失望しています。

今回の一連の出来事で感じたことがあります。先々週の木曜日にアドラさんが会いにきた時、私は正直「無理。諦めな」と思いました。それでも「害はない」くらいの気持ちでジャーナリストに連絡したのですが、それもまだまだ「細〜い糸」だったと思います。

それがある活動家の一個人に繋がり、そこからまたどんどんコンタクトが増えていきました。

結果から言うと、私は間違っていたのです。諦めるべきではなかった。

その間違いを考えてみると、「自分だけでなんとかしよう」という気持ちは私にはあったのだろうと思います。「自分では、どうしようもないから諦めたほうがいい」。自分ではできなくとも、何かできる人が周りにいるかもしれない、ということを私は考慮しませんでした。

自分とは異なった能力、才覚、エネルギーを持った人が多く周囲にはいるのでした。「自分だけでことをなそうとするな。助力を求めることを忘れるな」というのが今回の私自身への教訓です。

「神は奇跡を起こせるかもしれないが、それよりも神は人の手を通してものごとを変えられる」というのが私がいつも集会で言っていることなのですけどね。まずは自分自身がこの言葉を忘れないようにしないといけないですね。自戒。

ファタマさん、アドラさん家族に人の手を通して奇跡がもたらされますように。

PS.
このブログを書き終わった直後の金曜日の夜、法務大臣が外国人法の規則を変更し、この二家族のケースがアイスランドでもう一度難民申請のケースとして扱われるということが保障された、というニュースが入りました。

今回は人道主義の熱意が、冷たい規則の壁を破ることに成功したようです。人々の熱意に、そしてその上に働く神に感謝。


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