レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

旧年と新年の間の狭間から ラヴメッセージ

2019-01-01 00:00:00 | 日記
新年明けましておめでとうございます。旧年中のお付き合いとご厚情を感謝いたします。そして本年もよろしくお願いいたします。

と、言いながら、実はこちらアイスランドではまだ2018年をやっています。大晦日です。毎年のことですが、この日には日本とアイスランドの時差九時間の存在をいやおうなく意識させられます。

「明けましておめでとう」を、一体どのタイミングで言えば良いのやら。ネットでのコミュニケーションが日常化している今現在の中で、ワタシは九時間の「新年のような、旧年のような」という時間のひずみの中を泳いでいるような気にさせられます。

というわけで、今回は2019年を喜びながらも、2018年を振り返る回としたいと思います。

まったく個人的なことになり恐縮なのですが、2018年は非常にポジティブで良い年であった、と満足しています。

仕事の面では、九月にブレイズホルトゥス教会というところの新しいオフィスに移りましたし、そこで今までの仕事を継続しながらも、さらに発展させる「波」に乗りつつあります。

波から落っこちる危険はいつでもありますが、それはどのような仕事でも同じでしょうし、落ちてから考えることにしています。いつか必ず落ちることはわかっていますし、それはそういうものです。

私生活では十一月に四十歳の二十周年を迎えました。これも時間は経ち、年月は巡って来るものですから、それ自体は「そういうものだ」ということなのですが、それに先立ち夏からダイエットと筋力トレーニングを始め、これをうまく継続することができたのは、嬉しいことです。

なんというか、朝起きて鏡に向かった時、おなかがポコンなのと、平らでちゃんと腹筋がみえているのとでは、やはり同じではないと実感しています。念のためにお断りしておきますが、これはワタシ限定のことであって、万人に当てはめることではありませんので... (*^^*)




新年明けましておめでとうございます


他にも、日本に二回帰省でき、特に二十年ぶり以上で名古屋に行き、お世話になった教会でお話しできたことなども、今年の良い思い出となっています。この辺のことはブログでもご紹介した通りです。

そういう諸々の中で2018年一番思い出に残ったことは?と考えて、心に浮かぶものがあります。実際は一番か二番かわかりませんが、とにかく心に強く残っているものです。

五月の上旬、Facebookのフレンドであるラッギさん(仮名です)から「急な話しだが、18日に自宅での結婚式をしてもらえないか?」とメッセージをもらいました。ラッギさんとは実際の面識はなく、Facebook上のみでのお付き合いでした。それも決してパーソナルなものではなく、良くLikeをつけてくれる程度のこと。

奥さんになる人もアイスランド人だし、加えてラッギさんは「自分の意見として、今は国民教会には属していない」とのことだったので、「別に私でなくてもいいではないか...?」と、邦人の方々等三組の挙式を終えたばかりの私は渋りました。

「そうか... 」とラッギさんは理解してくれたのですが、「実はお嫁さんになる女性、アンは末期の癌で、先が長くない。二十年以上一緒に暮らしているのだが、どうしても自分の『妻』と呼んでみたいんだ。

でも、自分はこれまでのいろいろな経緯で国民教会の牧師に式をしてもらう点で、アンと意見が一致しない。『二人ともが納得できる人』というのが、トシキ、あなただ」

病気とか、そういう特別な事情があるのなら話しは変わってきます。それに「あなたしかいない」とか言われて悪い気のするものではありません。「やります」とコロリと態度を変えて引き受けたのでした。

その時点ではなぜ「18日」、と日を指定してきたのかわからなかったのですが「きっと、アンさんは入院加療中で、外出許可とかの関係だろう」と思いました。

日が近くなってからの依頼だったので、準備を急いで進めました。事情を聞いたからには、やはりいつもと同じ祝福だけの勧めのお話しをすることは気が進まず、もう少しシリアスな状況にも通じるように手を加えました。

必要な書類の確認とかもあったので、式前日に一度訪問してリハーサルもしておくことにしました。

そして、式の前々日に書類の確認の関連で連絡を入れたのです。するとラッギさん、「ありがとう。アンは昨晩、ベッドの僕の傍らで息を引き取りました... 」

えっ!? ...... 沈黙 ......ウソ ...


こうして、この挙式は永遠に延期されてしまいました。

結婚式と異なり、お葬式は遺族の多くの人たちとの連絡や手配が必要になります。で、私ではなくラッギさんとアンさんの自宅の近所の牧師さんが担当してくれることになりました。

その翌々日。式を挙げる予定だった18日。ラッギさんは自分のFacebookのページに書きました。

「二十年以上連れ添ったアンと私は、私の五十六歳の誕生日である今日、式を挙げる予定だった。しかし、その直前になってアンの日は尽きてしまった」

18日。誕生日だったんだ。

そこまで待たずに、できる限り早くに式を予定しておけば...

どれだけの後悔がラッギさんの胸中にあったことか、察するに余りありました。

ラッギさんは、その後も何度もアンさんのことを追悼する文や写真をFacebookに掲載してきました。昔の写真と思い出。最近のエピソード。墓前に添えられたお花。

ある時、彼はこのようなことを述べていました。「親愛なる皆さん。今、あなたが希望していることが何かあるでしょう?きっと、『いつか、それをしよう』と思っているかもしれない。

僕もアンも二十年以上共に暮らしてきて、いつか結婚しよう、と決めていた。でも、そうしようとした時、日が足りなかった。

だから、『いつか』ではなくて、今すぐそうすることを僕は勧めたい。遅れてしまったら、取り戻すことのできないものもある。それが人の生だということを忘れないで欲しい」

私は、ラッギさんにもアンさんにも、まったく面識なく過ごしてきたのですが、思いました。「アンさんは、どれだけ愛されていたのだろう。どれだけ幸運な女性だったのだろう。これだけ思ってくれる男性と二十年以上も一緒に暮らせて」と。

亡くなった知らせを受けた直後は、私自身「悔しく残念なことだろう」ということにだけ、思いが走ってしまったのですが、今では「二十年以上も一緒に時を過ごしてきたんだ」という事実の有り難さの方に心が留まります。

もちろん、18日に挙式できていれば... という思いは残りますが、そういうのも含めて人生なのでしょうね。

クリスマスの後、ラッギさんに私がそう思っている旨をメイルで伝えました。幸いなことに、かれも悲嘆に耽溺しているわけではなく、立ち直っています。ただ... 本当にアンさんのことを愛し、大切に思っていたのでしょう。その思いが返信のメイルに溢れていました。

私にとっての2018年のMan of the year のタイトルは、文句なしでラッギさんとアンさんに捧げます。




恒例の大晦日の花火


2018年にしても、2019年にしても、そこに含まれている一日一日は私たちの人生にとって大きな意味を持つものなのだろうと考えます。もちろん、特別な記念日とか、思い出の日とかいうものはあり得るでしょうが、その間に無言で横たわる普通の日がなければ、そういう記念日もないわけですからね。

そのことを忘れないで、2019年に向かいたいと思います。
皆さんにとっても、この新年が幸せに希望に満ちたものになりますように。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is
コメント (2)
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