レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

アイスランドの葬儀 別れと出発

2015-04-26 05:00:00 | 日記
今回はアイスランドの平均的なお葬式についてです。「縁起でもない」と思われる方もあるかもしれませんが、アイスランドでは、というかキリスト教会での葬儀は必ずしも沈痛で暗いものではありません。

アイスランド語では葬儀のことをUtfor「ウートファール」といいます。Utは「外で、へ」Forは「行くこと」です。で辞書で一番の意味を調べてみたら「外国へ行くこと」となっていました。

つまり「葬儀」に際してのUtforは「別の国へ行くこと」要するに「天国へ行くこと」を意味して使われるわけです。

葬儀を表す別の言葉はJardarforです。Jardarは「地の」を意味しますので、こちらは「地中へ行くこと」になります。埋葬されるということですね。

どちらも同程度の頻度で使われる言葉ですが、Utforは魂に注目して?天国行き、Jardarforは肉体に注目してお墓行き、ということなのでしょうか?どうせなら天国行きの方が好ましい気がします。実際、葬儀屋さんの名称などは必ずUtforを使っています。

さてアイスランドの葬儀は、100%ではありませんが圧倒的多数が教会で行われます。普段教会通いに熱心でない人の場合でも、葬儀は教会で行われることが多いようです。

「長いものには巻かれろ」ではないでしょうが、キリスト教が伝統的に浸透している環境では、何か別の仕方で葬儀をする、というのはなかなか面倒臭いもので、よほどその気がある人でないと実現しません。逆に教会で葬儀をすれば慣れた人たちが手早くきちんとした仕事をしてくれるわけで、遺族にとっては負担が少なくなります。

レイキャビクにはFossvogurという大きな墓地の中に葬儀専用のチャペルがあり、一日三、四回くらい葬儀があることがあります。これは言わば「全国用」の葬儀会場なわけです。



お葬式専用のフォスヴォーグス教会
−Myndin er ur Kirkjan.net−


それとは別に個別の教会も葬儀によく使われます。アイスランドの教会で面白いのは、結婚式とお葬式に関しては牧師さんたちが自由に教会間を行き来することです。これは日本の教会とはかなり異なっているのではないでしょうか?

例えば私が居候しているのはレイキャビク市西部のネス教会というところですが、この地区は教区民の多い地区でよく葬儀があります。時には週三回くらいあることがあります。

で、ネス教会にはふたりの教区牧師さんがいるのですが、必ずしも彼らがネス教会での葬儀を担当するわけではありません。故人にゆかりの深かった牧師さんが、例えば出身地方からやってきたり、亡くなる前に入居していた老人施設の牧師さんが担当したりと、いろいろな牧師さんが葬儀の担当者になり得るわけです。

ネス教会居候歴十年目になる私は、かなり多数の葬儀を横目で見てきたのですが(私自身は葬儀の担当には滅多になりません)、かなり葬儀の「読み方」には習熟してきました。「読み方」というのはどのくらいの規模の葬儀になるか、という点に関してです。

これは実際的な意味があり、非常に多数の参列者があるお葬式ですと、駐車場がすべて埋まってしまい、うかつに外出しようものなら自分の車を止められなくなってしまうことがあるのです。(ネス教会は「スタッフ専用」のスペースを作らない主義です)

さて参列者が多くなる葬儀というのは、例えば亡くなった方が学校の先生だった場合です。これは教え子というのは無数に拡散?していますので、相当高齢の方の葬儀でも多数が参集します。

また、仕事に在職中の方が亡くなった場合も大きな葬儀になります。まだそれほどの歳ではなかった人が多いわけですが、やはり社会のネットワークにまだ組み込まれていた方は惜しんでくれる人も多いわけです。

時にまだ学生だった人の葬儀もありますが、これも大人数が集まります。若い人の場合は難しい病気もしくは事故が亡くなった原因であることが多いです。突然の交通事故だった場合などは、人が多いだけではなく、空気がズーンと重くなってしまいます。

ところで、葬儀の後には参列してくれた方々にお茶や軽食を出してもてなすのが普通です。Erfidrykkjaエルビドゥリッキャというのですが、このお茶会は、葬儀の大小ではなくて、どういう性格?の葬儀だったかを測るバロメーターになります。

先ほど言ったような若い人の突然の事故死の場合などは、お茶会も当然沈痛な雰囲気に包まれます。あまり経験したくはない雰囲気ですね、あれは。

逆に相当のご高齢だった方が、誰が見ても「大往生」をとげたような場合にはお茶会もそれなりに和やかで落ち着いたものになります。久しぶりに再開した親戚同士があちこちで笑いながら談笑するのも普通です。

これは実は葬儀の最中でも同じことで、牧師さんが亡くなったかたの略歴と思い出を紹介する際に、面白い逸話を紹介したりして参列者の笑いを誘うようなことはよくあります。

そういうお葬式は、いわば「天国への送り」の集まりとしての性格がはっきりと出てきているのだ、といっていいでしょう。

ところが数ヶ月前に実に不思議な葬儀を体験しました。いや、別に葬儀に参列したわけではなく、ネス教会で横目でお茶会を見ていただけです。お茶会が和やかで、当初より大笑いも聞かれたので「これはご高齢の方の葬儀だな」と思い、キッチンに置いてあったプログラムを見てみました。

するとまだ五十代の女性の式だったのです。「変だな」と思い新聞の葬儀欄を開きました。葬儀当日の新聞には、故人の思い出を家族、友人が記したものが掲載されるのが普通です。ところが一通もなし。葬儀があるというアナウンスさえなし。

「五十代で亡くなって、誰も悲しんでない。思い出も語られない。一体どんな人だったんだろうか...?」不思議に思い、教会のスタッフにも尋ねてみましたが、皆、同じように不思議がっていました。

... いまだに「謎」です。


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小国と小さな社会

2015-04-19 05:00:00 | 日記
アイスランドは小国です。そしてその国民生活の舞台は小さな社会です。この「小さな社会」という言葉は「小国」とはすこし異なった意味合いを持っています。

「小国」というのは国の規模や経済能力、軍事能力を比較して使う言葉だと思いますが、「小さな社会」というのはそのような数字で表せるもの以外を含んでいます。

それは例えば人口三十二万強という、日本なら小さめの地方都市ぐらいの社会が「全国」であるということからくる関係の密加減や、そこから生じる都合の良さと逆に「疲れるー」というような生活感を表してもいるのです。

先週の火曜日にある事故があったのですが、その顛末をご紹介しましょう。

レイキャビク近郊にハフナフョルズルという古い港町があります。以前ブログにも書いたことがあります。

隣り街の話し


この町の中心に綺麗な大きな池があります。そこから水を導くための、日本でなら用水路と呼ぶかもしれないようなものが出て、途中水をせき止め流れを変える小さなダムのようなところがあります。ちょうど雪解けなどで水量が増えていて、今は高低差二メートルほどの滝のようになっています。

滝の下には多少の水深のあるたまりができており、小さいながらも渦を巻いています。これらの情報はニュースで得たもので、私自身はそこへ行ったことはありません。毎度のことで悪しからず。(^-^;

さて川の近くの広場で十二歳と九歳の兄弟がサッカー遊びをしていました。そしてご想像の通りボールがミニダムの下のたまりに落ちてしまいました。九歳の弟が一生懸命ボールを引き寄せようとしたのですがうまくいきません。

そしてついに弟は誤った判断をしてボールを取ろうと水に入ってしまったのです。「この年齢では水の恐ろしさを過小評価したことはあり得ることと言える」と警察発表にありました。弟はあっという間にたまりにはまってしまいました。兄は弟を助けようと必死になりましたが、手を握ったところでこれも逆に水の中へ引き込まれてしまったのです。

小さいとはいえ渦を巻いているくらいですから、自分で抜け出ることはできません。事故に気がついた兄弟の十六歳の姉が母親に電話。そこから警察へ通報が行きました。

警察は四分後に到着しましたが、それより先に通りすがりの三十代の男性が水にはまった兄弟を救出しようとしましたが、この人も逆に水に落ちてしまいました。

警察官六人が到着し兄と男性を救出。なにしろ氷のような水の冷たさですから、ふたりとも危険な状態でした。兄は呼吸困難になっていましたが、人口呼吸で一応息を吹き返しました。

さて救助の警察官六人のうちひとりは、まだ水の中に取り残されている弟を助けようといてもたってもいられず無理をし、これもまたたまりに落ち込んでしまいました。

残った全員が必死になって救出の試みを続け、ついに弟と警察官を引き上げました。弟はすでに相当危険な状態にあったらしく、搬送された病院でも人口呼吸器をつけられたまま意識不明の状態が続きました。兄の方は同日中に自分を取り戻し退院できました。

事故から三日目の金曜日。弟は意識を回復し、人工呼吸器も必要なくなりました。助けようとして水難に会った男性と警察官も回復したようです。

この事故はいわば四重事故となってしまったわけで(弟–兄–男性–警察官)、世間の関心を引きましたし、多くの人が事故の犠牲者の回復を願い祈りました。そういう状況の中で警察は事故の子細を報告する形で発表を出したのです。

発表はこのように締めくくられています。「警察と子供達の家族は、非常に難しい状況の事故現場で、救出のために信じられないような尽力と勇気を示してくれた方々に感謝します。また警察は兄弟とその家族に回復を願う挨拶を送ります」

この事故の顛末をご紹介したのは、ここにこの小さな社会の良い面が感じられるからです。恐ろしい事故で、生命が失われなかったことは本当に幸いなことでした。そしてこのような事故にも社会全体が注目して成り行きを見守るのです。

もう十五年も前のことですが、グリンダビクという南西部の町で六歳のネパールの女の子がプールの事故で亡くなりました。その葬儀のお手伝いをしたのですが、町の家々がそれぞれに半旗を掲げて喪に服していました。

痛ましい事故でしたが、その様子に別の灯を見た思いがしました。「ひとりの個人がひとりの個人としての価値を保っている」
私がアイスランドを気に入っている一番の理由です。


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Reykjavik 101 Black Job 

2015-04-12 05:00:00 | 日記
これまでも何度かアイスランドの観光ビジネスについては書いてきました。2008年秋の経済恐慌以後、貨幣価値が下落したことによって思わぬ強みが与えられたのが観光業界でした。

アイスランドの観光は圧倒的に「自然」が主役ですので、観光のオブジェクトそのものはすでにそこにあるわけです。観光業を営んでいる側はそれに対しては何のコストもかからないわけです。

そしてそのオブジェクトを廻るに際しての必需サービス、交通、宿泊、飲食、おみやげ(必需ではないかも?)等の価格がアイスランド通貨の価値の下落によって、外国の皆さんにとってはとても「お安い」ものになったわけです。
物価全般はアイスランドクローネで収入を得ている私たちにとっては、非常に高いものなのですが...

というわけでまさしく「官民一体」という感じでアイスランド観光興しが行なわれ、これは成功しました。ホテルなどの宿泊費の課税も優遇されましたし、Inspired by Iceland! が一時期国のスローガンのようになりましたからね。

天も憐れんでくれたと見えて、恐慌後も黒点活動の盛んな年が続きオーロラツアーが人気になったり、毎年のように火山を噴火させてくれてこれもお客さんを呼びました。2010年にはお客さんを足止めもしましたが...

恐慌後の社会にあってはこれはまさにサバイバル作戦だったと言っていいでしょうし、観光業は国内交通や飲食、建築などにも幅広いポジティブな影響を与えました。

ただその半面であまりに観光客数が急速に伸びすぎたために、迎える側のサービス態勢が整わない面もあったわけです。ホテルの数はもとより、十分な観光案内、観光地でのトイレ等の設備、はたまた自然そのものの維持管理体制、等々。

このひずみは恐慌後七年を経た現在でも解消されきってはいません。先の木曜日のフリェッタブラージズ紙にレイキャビクのダウンタウン地区でのSvort vinna(シュヴォルトヴィンナ)に関してのリサーチの結果が出ていました。

Svort vinnaというのは英語にするとBlack jobということで、要するに闇仕事のことです。もちろんタックスフリー。

リサーチはレイキャビクのダウンタウン地区を対象に行われたのですが、実際にどの範囲であったのかは説明されていません。普通に考えて市の中心の郵便番号101地区と東側の旧市街105地区程度であろうかと思います。

そこに住む住民の21,8%の人が「Black jobが非常に多々行われているのを知っている」と答えています。さらに20,9%の人が「ある程度行われているのを知っている」と答えています。つまり合わせて42,7%が「Balck jobが日常化している」ことの証人となっていることになります。

アイスランドは小さな国ですし、個々人の情報がセキュリティーナンバーで管理されていることもあり、「闇」で何かするということが容易くはない社会です。

ですから、麻薬取引のようにまったくの犯罪とかは別にして、日常のサービスが許可なし、資格なし、届出なし、所得申告なしで行われており、しかもそのこと自体が日常化しているというのはあっぱれな?ことといえるでしょう。

国税局のスクーリ・エッゲルト・ソルザールソンさんは「別に意外な結果ではないですね。国税局はこの問題には過去三四年注意を払ってきています」とコメントしていますが、国税局の関心はもっぱら脱税を取り締まりたいということにあるのでは...??

「Black jobは観光業の繁盛にくっついてきています。それらは主に観光客への住居の賃貸、飲食関係そして交通の支給(白タク)などのサービスに関連しているのです」

なるほど、当然利用者も24%のサービス利用税を払わなくていいから、安くあがって得をするわけです。

「ですが、利用者が外国人観光客ということで、短い期間のうちにこの国を離れてしまうわけで、それも実態の把握を難しくしています」とスクーリさん。

観光サービス業連合の会長グリームル・サイムンドセンさんは「この問題に対処すべきは政府です。我々はもう何度も監督を強化するよう申し入れてきているんです」と述べています。

さらに「私たちにできる範囲でのことはもうやってきていますし、すべての仕事が公明正大に行われることが一般の利益にもなることですから」

当たり前ですよね。結局、みんな自分には非がないということをおっしゃいたいようで。ですが、観光業の急な伸びが根底にあることは確かですし、社会全体がその「伸び」の恩恵を被ってきているわけですからねえ。自分の正当性を主張し合うよりは、お互いに自分の責任として認め合うことの方が必要だと思えるのですが。

この観光関連のブラックマーケット。唯一幸いなのは偽医者や売春斡旋のような強度のBlackにはまだ至っていないように見えることです(いや、売春斡旋はもうはびこってるかも)。ですがこの辺で襟を正しておかないと、というではないでしょうか?


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聖週間と天の采配

2015-04-05 05:00:00 | 日記
今これを書いているのは四月三日の金曜日の昼前です。日本では新年度が始まってワクワクウキウキの時季と思いますが、アイスランドではパウスカ、復活祭前の週末となっています。

今日(四月五日)のこの日曜日が復活祭の日曜日なのですが、そこから遡る一週間はキリスト教では聖週間とか受難週とか呼ばれ、キリストの十字架への道程をしのぶ時とされています。

その中でも、この金曜日はキリストが十字架上で息を引き取った日として、聖週間のピークのように扱われ、以前はほとんどの商活動も休みとなっていました。

今では観光客の人も大勢いますし、かなりのお店やサービスが休むことなく営業していますが、それでも全体として街は静かです。今、自宅の寝室兼仕事部屋にいるのですが、実際外はまったく静かな気配です。(と思っていたら飛行機が一機通過しました。無粋なやつだ)

こういう静けさもいいですね。ホッとします。

実は聖週間は教会ではそれなりにイベントの多い週で、特にフェルミングと呼ばれる堅信式があちこちでおこなわれます。で、牧師さんたちは一般にクリスマス以上に超多忙な時期になります。牧師だけではなく、オルガニストやクワイア、ハウスキーパーの皆さんもです、公平を期して。

フェルミングについてはこちらも(2013)

さらにこちらも(2014)


私は特別職の牧師のため、そういうイベントごとには縁がなく、こういうイベント時期にはひがみっぽくなるのが常です。ところが今回に限ってはそういうことがありませんでした。なぜかというとしなければならないことが十分過ぎるほどあったから(いまでも引き続きありますが)です。

今年に入ってから国際空港があるレイキャネスバイルという町と、レイキャビク市の双方が「これ以上の難民(個人として保護を求めて渡来する人たち)の受け入れはできない」と宣言してしまいました。

どういうことかというと、市町と国がある一定の人数を設定して契約をしていて、難民の人たちの住居や日常生活の必要(電話、交通費、食事等)の面倒を見てきていたのですが、これ以上はできない、と言いだしたわけです。

詳しい経緯は公表されていないのでまた調べる必要があります。とにかくそのような事情で移民局が自ら難民の人たちの日常生活までサポートすることになってしまったのです。
結果は一時期大混乱となって現れました。なにしろ移民局は本来そういうケア集団ではありません。無理もないことなのです。

私は赤十字の難民支援のボランティアもしているのですが、ある集まりで最近来た難民の人たちが「食事を買うお金を支給されていない」「バスのチケットをもらってない」「どこへ相談にいけばいいかも教えてもらってない」状態であることがわかりました。

思いもよらないニードとはあるもので −というか普段私たちが気にもしていないことだからなのですが- 「髭剃りがないのだけれど」「髭剃り??」髭剃りを買うにはポケットマネーが必要なのですが、それが滞っている。ヒゲは滞らないで伸びる。どうしよう?

また、知り合った何人かのアフリカからの人たちは、普通のツーリスト用のホステルをあてがわれていました。訪ねていくときれいでしゃれたホステルだったのですが、「洗濯するのに二千クローネ払う必要があるのだけれど、現金などまったく持ってません」「じゃあ、洗濯してないの?」「一週間以上同じ服」

「人間らしい生活はどこへ行ったんだ?アイスランド」という気になった私は、三人の人 −カップルと男性- を私のいるネス教会へ連れて行きました。教会にはちゃんと洗濯機と乾燥機があります。許可をもらったうえで彼らに洗濯物を洗ってもらいました。女性がいるので彼ら自身にやってもらわざるを得なかったわけです。

二回に分ける必要がある量だったので、終わったのが夜の八時になっていました。まあ、今夜はきれいな服で寝てもらえるのならありがたい限りで。

そんなこんなで難民の人たちがどんな状態かをしっかりモニターする必要が続きました。赤十字のボラの皆さんと協力する部分も多くありますが、私自身は牧師なので、ある線を越えると自分の職務として難民の人たちと接します。

赤十字のボラは各個人がなぜ難民になってしまったのかとか、難民申請がどのような扱いになっているかなどには、原則関知できません。が、牧師はできます。実際に十分に話しを聞いてあげることは、私たちが普通に考えるよりずっと大切なことです。しかし相当に時間とエネルギーを必要ともします。ある程度のカウンセリングの技能も不可欠です。

ある青年は、自分の先行きに絶望的になってしまいうつ的になって入院してしまいました。彼のところにも毎日出かけていかねばなりません。幸いこちらの社会は伝統的に牧師はある意味での信頼を受けていますので、病院でも普通には教えてくれない患者の様子などを話してくれますので、こちらも当人と話しをする際に注意すべきことがよくわかります。

そういうような毎日が続いてきています。私は普段はあまり牧師のシャツ –皆さんが「神父さん」で思い浮かべるようなシャツです− を着用しないタイプの牧師なのですが、最近は毎日着用しています。

スーツにネクタイではどうしても難民の人たちとの間に距離ができてしまいます。牧師シャツは首のカラーを取ってしまえばオープンシャツのようにラフな感じになりますし、カラーを戻せば病院のようにフォーマルな方が都合のいい場合にも適用できます。

というわけで、最近のワタシは毎日牧師服に身を包み、難民の人たちを訪問したり、あちこちへ連れて行ったりという生活です。私の勝手な個人的なイメージにある「伝統的神父さん」そのままのような感じです。そういうタイプじゃないんだけどなあ...おいらは。

でも、こういう日々の過ごし方は少しも嫌ではないですね。むしろ楽しい?です。楽しいというのは難民の方に失礼かな。「やりがいがある」と言った方がいいでしょうね。「フェルミングの担当か難民の人たちとのエスコートか、どちらか選べ」とイエスに問われたらエスコートを選ぶでしょう。

適材適所、天の采配かも?(*^^*)


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