レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

凍てつく夏 古の知恵では想定内

2017-04-30 05:00:00 | 日記
四月も今日で終わり、明日からは五月ですね。ゴールデンウィーク真っ只中のことと思います。アイスランドでは、先週はまだ肌寒い日が続き、雪が舞った日もありました。

実は今日から十日前の四月二十日の木曜日はSumardagurinn fyrsti スーマルダーグリン フィルスティ「夏の第一日」という祝日でした。毎年四月の19日から25日の間に来る木曜日がこの「夏の第一日」の祝日となります。

もっともこの「四月の19日から25日の間に来る木曜日」というのは、後からわかりやすく解説したもので、元々は十七世紀に遡るアイスランドの古い暦に由縁を持つもののようです。

なんでもその古い呼称では夏の初めの六ヶ月間をHarpaハルパという女性の名称で呼んでいたそうで、これはアイスランドだけではなく、スカンジナビア全般の暦の呼称に拠るもののようです。(ウィキペディアからの受け売りで、底の浅い知識です。そのつもりで読んでおいて下さい)

で、実際に今年もそうだったのですが、この「夏の第一日」、雨は降るわ風は吹くわで、およそ夏など感じられない日でした。大体、毎年そんな感じです。その前日には雪も散らついていましたし、みんなが自嘲的に「夏、おめでとう!」と言っていたのですが、実は古来の精神からいうとそれでいいようなのです。




さもありなん 「夏」前日に舞う雪


というのは、アイスランドの昔からの迷信というか、言い伝えによると「冬と夏が一緒に凍りつくと、その夏は良い夏になる」と言うものがあったようなのです。

具体的にどう言うことかと言うと、夏の第一日の前夜に、気温が氷点下にまで下がると、それが良い兆し見なされたようです。アイスランド語のウィキによりますと、さらに「そういう夜には(絞った)牛乳の上に溜まるクリーム(状の上積み?)も濃くなって良い、云々くんぬん」と書いてあリますが、正直言ってその方面の知識がない私には理解不能です。すみません。機会を見て、博学な人に正解を尋ねておきます。

さらにTjodminjasafn「国民博物館」のホームページによりますと、この日にはSumargjofスーマルギョーフ「夏の贈り物」をするという習慣があったとのことで、これは十六世紀にはすでに行なわれていた古い伝統だったようです。

この日にはどうしても必要な仕事と「夏の象徴のような」仕事以外は休みになり、子供たちもいろいろな遊びを楽しんだとのことです。「夏の象徴のような」仕事とは何なのか、いまいちはっきりしませんが、まあBayWatchではないでしょう。(スミマセン、つまらないジョークでした)

十八世紀頃までは、メサ(教会での礼拝)もこの祝日の大切な行事でしたが、十九世紀の後半になると、それぞれの村落共同体での集会が次第に組織化されていったようです。

二十世紀になると、それらの集会が子供や若者のイベントと結びついていき、マーチングや野外イベントが楽しまれるようになりました。レイキャビクでは、1921年にこの「夏の第一日」が初めて「子供の日」ともされて祝われました。以来、この日は「子供の祭日」として祝われたようです。

とはいえ、今では「夏の第一日」が「子供の祭日」だ、というような雰囲気はあまりありません。時の流れとともに、やはりそういう「祭日の意味付け」も移り変わっていくのでしょうね。

いずれにせよ、この「夏の第一日」が雪の舞う寒い日であり得ることは、当初より「想定内」であったもののようで、あまり皮肉ってバカにしたような顔をするものの方が恥ずかしい無知をさらしてしまっていることになりそうです。(^-^;

そういう伝統的な解釈とはまったく異なりますが、私は以前に自分なりの「夏の解釈」に至っていました。エラそうに。(*^^*)

それは「アイスランドの夏は気温で測るものではない。明るさによって測るものだ」ということでした。気温は上がらなくとも、日の長さは確実に増していきます。まさしく「例外なし」「裏切りなし」です。

この「日の明るさ」こそ、アイスランドの夏の真骨頂であり、Gledilegt sumar!グレージレクト スーマル!「喜ばしい夏を!」という挨拶の心だと、私は考えています。

もちろん、気温が上がってくれて、Tシャツにサンダルで気軽に外へ出られる日も真夏にはあってくれることを願いますが、それよりもまず「明るい夏」「明るい一日」に心が軽くなります。

なんででしょうかねー?夜でも明るくなってくると、トクした気がしてしまうんですよね、いまだに。Gledilegt sumar! です。

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復活ありやなしや? 趣味の「詩人見習い」

2017-04-23 05:00:00 | 日記
あっという間に四月も終盤となりました。聖週間前の掃除、車のスパイクタイヤの交換、イースター前のあれやこれやをしていて気がつけば五月目前です。

ちなみにスパイクタイヤは四月十四日まで許されていて、それ以降は罰金ものです。ただし雪が降っている、とかの事情がある場合は考慮してくれます。今年はたまたま聖週間と重なっていて、休日だらけの合間に四月十四日が入ってしまいました。

「こういう日程なんだから交換は難しい。猶予期間はないのか?」と警察に問い合わせたのですが「ない」とつれない返事。仕方なく、イースター前日の土曜日にスタンドのメンテに予約を取り、替えてもらいました。

ところで、日本ではゴールデンウィーク突入が間近ですねえ。皆さんはどのようなご予定があるのでしょうか?旅行、温泉巡り、グルメ探訪、写真撮影、ツーリング、登山、競馬、競艇等々いろいろな計画があるものと想像します。

多趣味な方には、こういう連休とかは天の恵みのようなものなのでしょうが、私なんぞは「退屈男」の見本のような無趣味人間なので、休みがあるとかえって考え込んでしまったりします。

そんな私でも、仕事に関係なく、かつ多少の「創造性」がある?と言えるような趣味があり、それが詩作です。詩については以前もいつか書いたことがあるかと思いますが、若い頃から好きで、中学の頃から、邦訳されたワーズワースやアポリネールを結構読んでたりしました。

日本でなら、俳句、川柳、短歌の類が好きで、口語自由詩は苦手です。あの「暗〜い」「理屈っぽくて」「よくわかんな〜い」感が嫌なのでした。すみません。

で、詩や俳句は好きだったものの、自分で一句詠んだり、詩作したことはありませんでした。

それがこちらに移ってきてから、アイスランドの詩に触れる機会を持つようになり、詩集なども買い始めるようになりました。もう十五年以上も前のことになりますが。この点では、アイスランドの「アイスランド語=国の魂」的な環境に、良い影響を受けたのかもしれません。

そのうちに、自分でも詩を書くようになっていったわけですが、詩を書くのはなかなか難しいものです。「余計な言葉を削って」というのがある種の原則だと思うのですが(ラップなどはそうではないのかもしれません。ラップの知識がないので悪しからず)、アイスランド語のような外国語ですと、どれだけ削っても理解可能か?という判断が自分ではつけかねるのです。

ということもあり、文法的な正誤、連想させるイメージの良し悪しなどもあるので、詩が好きな周囲のアイスランド人の人たちの助力を得てのヨチヨチ詩作でした。




詩を読んで理解するのも一苦労あります


2002年くらいから、2010年頃までは結構熱を入れてやった時期もあります。一年を平均して同じように気合いが入るわけではなく、やはり波があるもののようです。

私が作る詩にはそれなりの特徴というかキャラがあります。まず第一に「思想や哲学はない」理由は簡単で、私のアイスランド語のレベルではそんな高尚な内容を盛り込むことは不可能だったからです。単純明快。裏の意味なし。

キャラの第二。「短い」内容的な発想は俳句や短歌のようなものでしたので、写実的に何かに焦点を当てて、感情的な表現を避けて表す、というような形態になりました。アイスランド語で俳句や短歌をたしなむ人もありますが、私はそれはしたくなく、自由律の方を選びました。

キャラの第三。「新聞への投稿やエッセイ、教会での説教などで言えることは題材にしない」エッセイや説教で言えることであれば、それで済んでしまいますからね。わざわざ詩なんかに託さなくてもいいでしょ?

道端のなごり雪の合間から蕾が顔を出しているような光景は、詩の題材にはなりますよね。なんで自分の心にそれがアピールしてくるのかを、説明することなく他者にも伝えようとするのが、私に取っての「詩作」なのですが、逆に言うと「道端の雪の合間の蕾が可愛い」なんていうことは、新聞の投稿にも、説教の題材にもならないわけです。

「口語自由詩」のような、社会に問いかけるようなメッセージ性もありません。つまり、何かの役に立つわけではないのです。あくまで自分と、欲を言えば詩が好きな人たちとの間だけのものです。だから趣味としては、かなり良いものだったのではないかと思います。

もう十年前になろうとしているのですが、2007年の十一月には自費出版で初めての(そして今のところは最後の)詩集を出すこともできました。これは詩が好きな若い世代の人たちのサークルのような出版会を通してだったのですが、その発起者は「ドリームランド」等の人気作家、アンドリ·スナイルさんで、これは多少自慢げな話しです。




右の詩集は一番好きな詩人スノリ·ヒャルタソンのもの


数少ない趣味の中の、しかもかなり良い趣味だった詩作なのですが、ここ数年はまったくご無沙汰してしまっています。なぜかというと、うーん、プロファイラー的に自己分析すると、それなりの理由はあるのですが、つまらないでしょうから割愛します。

ところがです。おとといの金曜日、職場へ出向くとオルガニストのグビューズニーさんに「トシキ!」と声をかけられました。「新しい讃美歌を頼まれて創るのだけど、詩もオリジナルでないと駄目なの。

社会の様々な人の視点からの讃美歌集を編むプロジェクトで、例えばツーリストの人の心情や、難民の人たちの視点からとかもあると内容が豊かになると思って。ひとつ詩を書いてくれない?」

手一杯なので断ろうと思ったのですが「待てよ。讃美歌集に名前が載る。作品が世に残る。ムフフ...悪くない」と私の中の「悪い方のトシキ」がほくそ笑んだのでした。

「そういう魂胆で詩を書こうとしたって、いいものができるわけないじゃん」と「良い方のトシキ」が正論で反駁していますが、その「良い方のトシキ」でさえ「でも、きっかけは何であれ、これでまた詩作が趣味として復活するなら、長期的にはいいことかも」などと腰砕けになりつつあります。

どうなりますことやら。


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チョー個人的 日常的職場環境

2017-04-16 05:00:00 | 日記
まずはGleidilega paska! グレージィレーガ パウスカ、復活祭おめでとう、という意味の挨拶です。今日の日曜日、復活祭の日曜日になりこちらでは単なる休日ではない祝日です。

日本の方にはあまり復活祭(英語ではEaster)は馴染みがないものだと思いますが、毎年この時期になにがしかのことを復活祭について書いてきましたので、今回はパスしたいと思います。

その代わり、今日はどういう職場環境で私が日々を過ごしているのかを、少しご紹介してみたいと思います。私は牧師ですので、教会にオフィスがあるのですが、考えてみたら日本の大多数の方には教会そのものがそう馴染みのあるものではないだろうと想像します。教会堂の中には入ったことがない、という人も多いのではないでしょうか?

もちろんヨーロッパ観光などで、名所の由緒ある教会を訪ねる方は多いでしょうが、そういう歴史ある教会と、日々の活動をシコシコとやっている教会とはまたずいぶん違うところがありますので。

始めにお断りしますが、今回は写真を多用します。目で見た方が早い、という部分が相当ありますので。

現在私がオフィスを間借りしているのは、レイキャビクの隣り町のコーパヴォーグルというところにあるHjallakirkjaヒャットラ教会です。閑静な住宅街の真ん中に建っています。

ヒャットラ教会の外観、及び歴史等に関してはこちらも



教会は上階と下階の二階建てです。なぜ「一階、二階」と言わないかというと、丘の斜面に建っているため、教会正面から来た人には教会堂のある上階が「一階」、事務所のある下階側から来た人にはそちらが「一階」になるからです。こういう建築は、アイスランドでは一般住宅などでも頻繁に見られます。




教会堂


上階は教会堂部分と、大きなホール(食事等ができます)がメインで、ホール裏には営業用と言ってもいいくらいの大きさのキッチンが付いています。また教会堂の側には、これもかなり大きな待合室と、もともとは事務室だった着替え用の牧師控え室があります。




エントランスホール


大ホール部分

エントランスホールにトイレふたつ。教会堂聖壇裏には、秘密の部屋のような備品室があり、そこにもトイレがありますが、これは牧師さん専用です。なかなかの妙案です、あそこにトイレがあるというのは。

下階はオフィス部分と集会室部分に大別されます。オフィス部分はハウスキーパー、オルガニストの他、牧師三人のそれぞれのオフィスが並んでいます。面談用の部屋もひとつ。さらにコピー機などのある備品室、記録保管室、トイレ四箇所も。




オフィス部分の廊下


面談室


マイオフィス


オフィス部分と集会室部分の繋ぎ目に、スタッフ用の小さなキッチンがあります。小さいのですが居心地がいいので、いつも誰かしらがへたりこんでいるようです。




居心地の良いキッチン オルガニストさん(左)と新任女性牧師さん


その隣りに上階よりは小ぶりのホールがあり、その先にはさらに小ぶりの教室のような部屋があります。このホールと教室は、若者たちの集いのような日常的な活動に多用されています。上階の大ホールは、もっとフォーマルというか、結婚式やお葬式の後の食事会やお茶会などで使われます。




下階の小ホール

このヒャットラ教会、写真でご覧いただけるようにかなり「ニート」な教会です。ゴミが散乱していたり、トイレが汚かったり、使用した物品が出しっ放しになっていたり、ということはまず絶対にありません。

その理由は簡単至極で、ハウスキーパーのおばちゃんが厳しいのです。なんでも、今いるうら若い女性オルガニストが着任したての頃、キッチンで食べた後食器とかをそのままにしておいてひどく叱られ、涙を流したとか。

私自身最近移ってきましたので、最初はうろんな目で見られましたが、そこは日本人? 使ったものはきちんと返すし、きれいに整理整頓するタチなので、今ではすっかり「お気に入り」に収まっています。(*^^*)

事務用品が保管してある備品室なども特筆もんです。まるでデパートの文具売り場のよう。ほとんどなんでもあります。すごいのは鉛筆が収納してある引き出しを開けると、すべての鉛筆がきちんと削られてお休みされているのです! ちょっとコワイかも...

その割にはコピー機は安物で、コピーされた紙が少し丸まって出てきます。オルガニストさんは「演奏の時に楽譜が見づらい」と文句を言っていますし、私もカラーコピー機がいいなあ、と思っているので、ふたりで結託して上等なカラーコピー機を要求しよう、ということになっています。


間借り人の身としてはかなり以後地の良い教会です。ちょっと上階のキッチンにある冷凍庫が小さいかも。もう少し大きい方が私の私物を保管する上でありがたいのですが...(^-^; (自宅の冷蔵庫の冷凍室が小さいので)

下階の方が日常の使用部分なのですが、私には変な癖があり、自分の家(教会は実際はそうではないのですが)は隅から隅まで活用したいのです。そのため、トイレはいつも上階のトイレを使います。特に車イスの方が利用できるトイレは広くて落ち着きますので。

というのが、私の日常的な職場環境です。もっとも私はあっちの教会、こっちの教会を定期的に使う性格の職務に着いていますので、毎日このヒャットラ教会にいるわけではありません。

教会には外観とは別に「使い勝手」というものがあります。車と同じですね。いいように見えて、実際は使いにくい教会もあります。ですがこのヒャットラ教会は使い勝手がいいです。この先しばらくはここでお世話になるでしょう。


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床屋さんでのサプライズギフト

2017-04-09 05:00:00 | 日記
さて、今週はキリスト教会では大切な一週間で、Holy Week「聖週間」と呼ばれます。 次の日曜日が復活祭の日曜日になリますので、アイスランド語だとPaskavikaパスカヴィーカと言うのが普通です。これはマンマで「復活祭の週」という意味になります。

アイスランドの聖週間についてはこちらも


この聖週間は、牧師も含めて教会での役割を持つ人たちにはなんやかんやとすることがあり、落ち着くよりむしろ慌ただしい週になってしまう可能性があります。あまり慌ただしくなるのは嫌でしたので、できることは先週中に済ませてしまおうと思ったのですが、結果先週が慌ただしい週となりました。下手をすると、慌ただしさを単に二週間に拡大しただけになるかも...(^-^;

木曜日の午前中に半端な時間ができたので、よしっ!床屋だ、と思い立ち近所のマイバーバーへとことこ歩いて行きました。復活祭前にはフェルミング(献信式)も多くあるので、子供達が散髪に行く可能性も高くなります。学校が休みになる「聖週間」前に、と思ったわけです。

幸い首尾よくすぐに床屋さんの椅子に座ることができました。ですが(あまり散髪の必要がない頭をしている)マスターがやけに愛想良く、ニコニコしているのに気がつきました。別に普段愛想が悪いわけではないのですが、格別に嬉しそうにしています。

一通りの挨拶が終わると、「ヤイヤ、難民の人とちょっとした冒険があってね...」と話し始めました。アーハッ、これを話すのを楽しみに待ってたんだ。マスターはもちろん、私が難民の人たちと関係の深い仕事に携わっていることを知っていますから。

「この間、イラクからの難民申請者の男性が店に来てね、自分も床屋だと言うんだな。まだ三十歳前後の若い壮年。だから、ちょっと気心の知れてるお客さんの髪をやらせてみたんだ。

で、すぐにきちんとしたスキルのある、まともな理髪師とわかったんだな。今、理髪師の数が足りないので、どこかの店で働いたらいいと思って、話しをしてみたんですよ。それから何回か遊びに来てね。

でも、労働許可がないことが分かり、それを得るにはずいぶんいろいろと手続きを経なければいけないみたいでね。残念だが...と話したんだけど、彼は『いや、仕事じゃなくても、時々手伝ったりできればいいんです』ということでさ。お金じゃないらしい、とわかったんだ」

何というか、床屋さんでの不思議な習慣で、会話は鏡の中のお互いを見ながらのものになります。そうですね。難民申請者の人たちが一様に欲することはお金ではなくて、自分が目の前の社会に繋がっている、その一部になっているという実感です。誰かの役に立てる、ということ自体がそのことの証明になるのです。

「写真も見せてもらったんだけどさ」とマスターは続けます。「自分のお店をふたつも持ってたんだって。それが立派な店でさ!」

どうやら、マスターは「難民」と区分される人たちは、すべからず貧困と苦しい生活環境から逃れて来たのだ、と思い込んでいたようです。それが、たまたま知り合った「難民」青年が、海を超えた自分の同業者、しかもかなりレベルの高い繁盛していた仲間とわかり、かなり嬉しくなったようです。

この「難民=哀れ、貧しい、ずっと悲惨な生活」という思い込みは、いまだにかなり広範にアイスランド人の胸中に浸み込んでしまっています。実際は弁護士、医者、とかの例も新聞等で紹介されることはあるのですが、それは特殊な例として別枠に入れられてしまうようですね。

私自身は、周りにケーキ職人、パン屋さん、エンジニア、博士課程学生、大学教授や、あるいは変わった職業では原子力潜水艦の士官などの人がいますので、かなり慣れてはいると思うのですが、それでも時々足をすくわれるような思いをすることがあります。

この間、教会に来始めた青年を我が新車マツダのCX3で送ってあげた時のこと、彼曰く:「僕はBMVとメルセデス、それにボートも持っていました」ギョッ! 金持ちか? 相当な? そういえばIT関係だって言ってたな...

二年ほど前にはもっとすごい人がいました。その人はカナダに住んでいた初老の東欧人だったので、かなり特殊な事情であったことは確かなのですが、「私の家」と言って見せてくれたのはハリウッドで映画スターが住んでいるような豪邸でした。

私が知り合ったのは、いつもジャージのパンツと古びたセーターを着て、糖尿病の薬を飲んでいたようなおじさんだったので、このギャップは想像を超えるものがありました。この格差は辛いだろうな...と感じさせられました。

ですが、これが「難民になる」ということなのだろうと思います。東日本大震災で自宅や財産を失い、着の身着のままで避難せざるを得なかった人々のような例では、「誰も彼も」「生活のいい人も、困窮した人も」避難民になるということを理解するのは難しくはないでしょう。ここ数年のシリアのような戦地も同じことでしょう。

ところが北アフリカ、一部を除くイラク、イランやアフガニスタンのような、必ずしも「戦地」ではない国の人たちが、今までは頑張っていたものの、ついに危険が度し難くなってすべてを投げ打って逃げてくる、ということはなかなか心にその現実を描くのが難しいもののようです。

始めから思い込みも先入観もなく、といけばそれに越したことはありませんが、我々凡人の寄り集まるこの社会ではそうは問屋が卸しません。

となれば、ともかく出会う機会を作り、素直に目の前にその人と知り合うように努め、結果が今まで心に思っていたことと合わない場合は、その心の中のものの方を現実に合わせて置き換える、ということが次善の策でしょう。

誰かが漏らしたのをメディアが聞きつけたらしく、後日新聞やテレビまでが「難民のいる床屋さん」として取材させてくれ、と店へやってきたそうです。

「だけど、労働許可がないのに仕事させた、とか間違って伝わるとこちらの手が後ろに回るからね、それは断ったけど」とマスター。確かに。

今回は時間を惜しみながら床屋さんへ行って、嬉しいサプライズギフトをもらっちゃった感じ。得した! (*^^*)


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凡庸人の、結構面白かった二十五年

2017-04-02 06:00:00 | 日記
四月になりましたね。日本では新学年の始まりから、社会人としての新しい生活の始まり、はたまたプロ野球開幕等々、様々な「新しさ」を感じる時期です。ですから四月をなんとなく迎えることはなかなか難しいでしょう。

こちらでは毎年日付けが変わる「復活祭」がこの時期であるおかげで、そちらの方に頭がいってしまって知らぬ間に四月になっていることがよくありました。

しかし、今年は違いました。きちんと待ち構えて?この四月を迎えました。なぜかというと、今日の四月二日で私がアイスランドへ移ってきてから二十五周年になるからです。

実際の年齢の誕生日の方が、だんだんと「終着点」へ着くカウントダウンのようになってきたのをヒシヒシと感じていますので、むしろこの「二十五周年」の方がマダマダ感があってより嬉しくさえ感じられるのです。

二十五年のアイスランド暮らしといっても、歳がいってから移ってきた私にとてっては、まだまだ人生の半分をここで過ごしたというほどではありません。そうなるにはまだ相当かかり、八年ほど待つことになります。そこまで息をしていられるかどうかが、多少心配になります。(^-^;

ところが周囲の日本の方を見ると、結構いるんですよ「生涯の半分を日本外で過ごしてきた」というような人が。

例えば先日お茶(ワタシはビールでしたが。それも女性ウェイターに「Happy Hourだから二杯目はタダよ」とそそのかされて二杯)した、邦人の妹的シングルマザーの美女は「今年で日本を出てから、人生の半分を過ごしたことになります」と言っていました。

そう、彼女は二十歳くらいで日本を離れたので、「なるほど。言われてみればタシカニー」という感じでした。

また、別の懇意にしていただいている邦人のきれいな奥様も、やはり人生の半分以上をすでに日本外で過ごされているはずです。今まで気がつかなかったのですが、先ほど考えてみて思い当たりました。

まあ、今では滞在先が一応の先進国エリアであるならば、日本を離れるとしても、ひと昔前のような「日本を取るか?移る先を取るか?」というような二者択一的な感覚はないと思いますよね。コミュニケーションが絶えることはなくなってきましたから。

私の経験した範囲でさえ、移った当初からの十年間以上は、日本からの情報は本当に限られたものしかありませんでした。まだその頃は「二者択一」的な面が残っていたように思います。その例がZardですよ。Zardがデビューしたのが1991年、私がこちらへ来たのが翌年の1992年。Zardが昨年デビュー二十五周年を迎えたのはファンの方ならご承知のこと。

ですが、私はZardの存在も坂井泉水さんという素晴らしいミュージシャンさんのこともまったく知りませんでした。知ったのは坂井さんが亡くなった時から。日本−アイスランド間のライフギャップに消えてしまった事柄の中での、残念に思われるもののひとつです。

ただ逆を言えば、こちらにきたからこそ経験できたこと、知り合えてありがたかった人々もあるわけで、私が日本を離れて逸したことばかり挙げたのでは自分勝手というものでしょう。





私は凡庸な人間ですので、やはり自分の生きられる世界は限られた範囲にあるように思われます。世の中には世界を股にかけて飛び回っている人も多くいますし、旅をして回ることが生活の基盤になっているような職業 −例えば大リーグの選手− もありますよね。

ただ私が言うのは、日本とか、アイスランドとか必ずしも土地に縛られたものではなくて、なんというか「自分の度量にふさわしいレンジ」「自分が勝手を知っていて安心できるエリア」あるいはさらに「自分が心地よく感じられる生活環境」というようなもののことです。

それは必ずしも向こうから自動的にやってきてくれるものではないでしょうし、求めて探さなくてはならないことの方が普通でしょう。そして「求めて探す」ことのうちには、それなりの努力をして「それを創り出す」ことも含まれています。

あるいはそれ以前に、自分がどんな環境のどんな生活を求めていいのかわからない、とうことも実際には頻繁にある状況でしょうね。人って、案外自分のことがわかっていない部分もありますからね。

こちらへ移って一年後に、田舎の村に引っ越して暮さねばならない時期がありました。小さな山の麓の酪農地の一画で、隣りの農家まで歩いて十分。反対側の隣りには人家はおろか建造物は皆無というようなところでした。

一応東京都出身の私には当初「生活不能地」に思われたのですが、居着いてみると意外にこれが快適。「周りに人がいない」「何をしても自由」というのが相当な快感であることを学びました。(^-^;

ともあれ今は、地理的にはレイキャビクの西街に落ち着いていますし、「生活のエリア」という点では、アイスランドの社会と教会の職務、さらに日本人としての背景が重なるようなところに(地理的なものだけではなく)、「心地良〜く」納まっています。

もちろん、自分の生活、生涯である以上、そこでずーっと納まってしまうのか?何か新しいエリアを開拓するのか?というような問いかけは、機をみてなされるべきだと思います。というか、経験から言わせてもらうと、何事もいつまでも同じ状態ではなく変化していきますから、「次はどう進むか?」という問いに答えるのは必然のことになりますね。

ここまでのアイスランドでの二十五年間は、決して良いこと楽しいことばかりではなく、相当な辛抱、フラストレーション、どタマにくる経験も数多くありました。それでも総じてみれば「結構面白かった二十五年」、あるいはもうちょっと正直言うと「実にオモシロイ」ものとなりました。神と周囲の皆さんに感謝。

私のマイナーなこのブログに目を通してくださるような奇特な皆さんは、おそらくギラギラのビジネス志向ではなく、ご自分の生活の質や満足度を考えるタイプではないかと想像します。

そのような皆さんに、凡庸な私の経験からなにかお役に立つことを見つけてくだされば「これ幸い」と感じ入ります。皆さんが「心地良〜く」感じられる生活空間を見出して、生活の基盤を置いていらっしゃることを、あるいはそうなることを願っています。


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