レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

オンナは強...くなった...

2012-10-31 05:00:00 | 日記
先日発表された世界経済フォーラム(WEF)の2012年度世界男女平等ランキングでは、一位がアイスランド、二位フィンランド、三位ノルウェー、四位スウェーデンと北欧勢が上位を独占しました。これはなんでも政治、経済、教育、健康の四つの分野での男女の平等性を検証して決めるのだそうです。

ちなみに日本は101位だったそうですが、「女性の議員や企業幹部の少なさを指摘。政治の項目では110位と最低水準だった。女性の教育レベルが高いにもかかわらず、労働市場でうまく活用されていないため、教育投資に見合う利益が出ていないと指摘」されたそうです。

アイスランドでは確かにフェミニズムは盛んなのですが、それでも10年前くらいには、政治経済の要所要所はしっかりオトコどもが握っていた、というのが現実だったと思います。大統領、首相や影響力の強い経済団体の長は男性が占めていました。国民教会の監督も三人いるのですが全て男性。「フェミニズム強し」と下々に言わせておいて、しっかりと社会の力はオトコのもとに、という図式でした。

それが今では大統領こそ男性ですが、首相は女性、国会議長も女性、閣僚八人中(財政破綻のアイスランドは閣僚数を過激に減らしています)四人は女性、教会の監督も三人中二人が女性になりました。閣僚に関して補足すると、今の政府は左寄りで男女平等を強く主張してきたので、閣僚数も同数配分する、という原則を持っています。

これらはトップのポジションなのでしょうが、それを支える中間層もしっかりしてきました。国会議員63人中25人が女性で約40%が女性ということになります。私の同僚である牧師さん方を見回しても、この10年の間に続々と女性牧師が増えてきました。牧師職というのは長居することが多く、新陳代謝が難しいので、それでも率にすればまだ30%に届くかどうか位ではあると思いますが。

女性が目に見えて台頭してきたのは、ひとつには「男女平等法」という具体的な法律が2000年に出来たことがあるでしょう。これは簡単に言うと、同じポジションに能力(教育程度と経験)が同等の男性と女性が応募した場合、そのポジションは、周囲の同様のポジションを見回して少数派であるジェンダーに与えなければならない、とするものです。

これまでは長年の間に堆積した事実の故に男性がどこでも(「どこでも」と言ってはいけませんね。社会福祉のケースワーカーや幼稚園のスタッフは圧倒的に女性社会でした。給料悪いし。)多数派だったので、この法律によって益を得たのは女性たちでした。これから先では、むしろ男性が益を得る、ということも当然あり得るでしょう。

ただし、ここでも男女の給与格差というものはあります。今年のレポートでは女性の給与は同等の職に就いている男性よりも平均して21%も低いということで、この格差はここ数年むしろ大きくなっているのだそうです。なかなかそう簡単には全ては改善されないようですね。

「リーダー層の中での女性の進出は結構なことだが、仕事の質はどうなんだ?」という問いかけもおじさん達からは出ることでしょう。次回、そういう点にも触れてみたいと思います。




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結婚か同棲か?

2012-10-29 05:00:00 | 日記
今回はアイスランドでの結婚事情を紹介しましょう。言わずもがなですが、日本とは大分事情が異なっていると思います。前にも書きましたが、結婚とは社会のシステムやそれまでの習慣に深く関わっているので、「結婚」というトピックだけを取り上げて論じることの意義には限りがあると思います。あくまでもその枠の中での参考にしてください。

ここ二、三年の統計をグーグルしてみたのですが、2009年に婚姻届けを出したペアは1.480組。これは例年より大分少なく(経済恐慌の影響?)、年平均は大体1.600組くらいのようです。

逆に2009年に離婚届を出したペアは550組。離婚率の年平均は大体36%くらいとのことです。この数字は高いように見えますが、実は日本と変わらないようです。日本の統計を見ると例えば2008年の離婚率は0.2%とかなっていますが、これは全人口に対しての離婚人口ということで、あまり意味がありません。ある年の離婚件数を婚姻件数で割ると(先のアイスランド統計もこの方式)三割台に乗るとのことです(要検証)。これはちょっと、私の方がビックリです。

さて、アイスランドが日本と大きく違うのは「同棲」というものがきちんと社会のシステムの中に組み込まれていることです。同棲にも二種類あり、ひとつは何となくというか、勝手に一緒に住んでいる場合。もうひとつはちゃんと「同棲ペア」として届け出をするものです。後者の場合は、法的な権利の面では結婚している夫婦と何ら変わるところがありません。

先と同じく2009年を例に取りますと、1.735組が同棲の届け出を出しています。反面破局した同棲は703組。統計資料ではわざわざ注釈がついていて、「(届け出した)同棲は三年以内に解消する率が51%と、結婚より早く終わる率が高い」とのことです。

その理由のひとつはおそらく同棲を始める年齢が結婚よりは早いということにあるでしょう。つまり多くの若者が結婚に先立って届け出同棲を始めます。その中の半数は「この人ではなかった」という結論に達し、あとの半数はそのまま同棲で突っ走るか、しばらくしてから「結婚しようか?」ということになるわけです。夫婦となったペアの83%が、この「届け出同棲」から共同生活を始めたとのことです。

結婚する場合に提出する公的な書式があるのですが、そこでも「同棲期間XX年」と記入すべき欄があります。ある意味で言えば、同棲は共同生活の試験運転ということもできるでしょう。他者と(たとえ愛する人であっても)一緒に暮らすとはどういうことなのか?自分はどう変わるべきなのか?等々のことを学ぶ時期でもあるようです。

ちなみに届け出同棲を始める平均年齢ですが、男性は29.5歳、女性は27.3歳。結婚の平均年齢(初婚のみ)は男性34.5歳、女性が31.8歳ということです。

アイスランドでは夫婦同一姓ではありません。(ちなみに親子同一姓でもありません。なぜかというと、ここではいわゆる「名字」がないのです。男の子が生まれると名字の代りに「誰々の息子」、女の子が生まれれば「誰々の娘」という名字もどきがつけられます。例えばJónというファーストネームの人の息子はJónsson,娘ならJónsdóttirとなります。例外的に名字を持っている人もいます。大体いいお家柄の人たちです。外国人も例外になり得ます。私の子供たちはTomaという名字を得ています。)

話しが脱線しました。夫婦同一姓ではないため、傍からあるペアが結婚しているか、同棲しているカップルなのかは分かりません。何年一緒にいるとか、子供がいるかいないかも全く関係ありません。結婚式で自分たちの子供を三人も四人もぞろぞろ連れて入場してくる新郎新婦も珍しくはないです。

私自身がこの春に挙式を担当したカップルももう二十年以上も同棲していると言っていました。二人とも再婚で六十代前半でした。「今、結婚するのは何か特別な理由があるのですか?」と尋ねると御主人の方が「そろそろ身の回りのことをきちんとひとつひとつ整理していく時期になったからね」という返事。
なんか深~いものを感じました。



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結婚しない

2012-10-27 05:00:00 | 日記
今月から新しく始まったフジテレビ系列の「結婚しない」を見ています。きちんと見るのは洋の東西を問わず刑事ものかサスペンスものと決まっている私が、普通のドラマを見るのは何年か前の阿部寛さんの「結婚できない男」以来です。

そういえばその当時の阿部さんはプライベートでも四十越してまだひとりでしたね。今回の主役の天海祐希さんにしても、菅野美穂さんにしてもやはりまだ独身。プライベートまで追跡して配役を決めるのでしょうか?ちなみに私、天海さん、相当好きです。

物語りは「結婚したいけどできない」「結婚する必要がない」「結婚は自分には無理だ」という三様の考え方をする男女を巡るものです。菅野美穂が「したいけどできない」天海さんが「必要ない」そして「自分には無理だ」が玉木宏ということになります。玉木さん以外は何故か納得してしまう配役。

まだ3回目の放映が終わったばかりなので、この後どのように展開するのか分かりませんし、楽しみにしています。それでも3回を見ただけで「ああ、そうなんだろうな、日本は」と感じさせられる点は多々あります。

例えば結婚適齢期的な考え。日本もずいぶん変わってきているのでしょうが、それでも女性はこの時期までに嫁入りしないと、という考えは強く残っているようですね。もっとも最近では女性の方が開き直って?ある時期を過ぎると「結婚なんて必要ない」と反転攻勢に出るようで、むしろ婚期を逃した男性陣の方が居場所がなくなっていくような....??

この結婚適齢期についての考え方というのは、一般の男性女性の間ではどんな具合なのでしょうか?きっとそういうリサーチはあるのでしょうが、覚えていません。その反面で天海さんのような強烈な個性のある方が「積極的に結婚したいとは思わない」とテレビで言われると、「おお、みんなできる女性はそう思ってるんだ」のように誤解をしてしまいそうです。

実は天海さんは番宣を兼ねて「ホンマでっかTV」に出演した際、プライベートな自分についてそのように言われていました(何で天海さんには敬語を使ってしまうのだろうか?(*^^*))。こうも言われてましたね、「隣りのマンションに住んでて‟ご飯作ったけど食べるー?” ‟ああ、今食べてきちゃったからいい”っていうような感じでいいのなら、結婚してもいいかなあ」

そこで環境及び原子力評論家の武田邦彦さんが言いました。「ドイツなんかでは男女の共同生活の形態が色々ある。全く普通の夫婦のようでいて結婚していないとか。今まで日本では強い女というのは褒め言葉にもならなかったけど、是非天海さんは新しいタイプの女性の先陣を切って欲しい」ごもっとも。確かに独身を通していても天海さんと以前の土井たか子さんでは随分イメージが違いますからねぇ(いや、別に土井さんが落ちるというわけではないですよ)。

結婚はそれだけ独立しているわけではなくて、仕事とか、家族関係とか、男女を巡る社会のシステムや習慣とも深く関わっていますから、それだけ論じてもラチがあかなかったり、変化するにしても時間がかかったりするのでしょう。

と、これを書いている矢先に朝日新聞のニュースが入ってきました。世界経済フォーラム(WEF)の今年の世界男女平等ランキングが発表され、一位がアイスランド!で、二位がフィンランド、三位ノルウェー、四位スウェーデンの北欧勢が上位を占め、日本は昨年から三つ順位を落として101位だそうです。

確かにアイスランド、女性が強いからなあ。そのことは次回に書きます。

最後になりましたが、私も再婚したい。m(_ _)m


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「自分色」の美しさ

2012-10-25 05:00:00 | 日記
先日ネットで見た「有吉君の正直さんぽ」でオーラを撮る写真屋さんが出ていました。ある人の写真を撮ると色付きでその人のオーラも写るんだそうです。信じますか?へへ)

オーラかどうかは知りませんが、その人が自分自身であり自分を大切にすることができている時には、「自分色」の美しさが出ているんだろうと感じます。これは私自身の体験からそう思えるのです。

前回、私の仕事のことを書きましたが、移民牧師としての私のところに相談に来る人は、七割方がトラブルの故の相談です。残ったうちの二割が文化関係の相談、一割が結婚などハッピーなお話しです。

トラブルにも色々あるのですが、人間の弱さというか個人の力ではどうにもならないような局面にさらされているのが庇護申請者と呼ばれる人々です。実質難民なのですが、事情により故国を命からがら抜け出して、安全な国まで密航を続けて庇護(アサイラム)申請をする人たちです。家族連れもありますが、大半は個人です。

このアサイラム申請者は1997年頃のNATOの旧ユーゴ空爆以降からアイスランドにも来始めました。当時はどのように対処をするかというシステムができておらず、私などもずいぶんと時間を彼らと共に費やしました(今でもシステムは十分、というにはほど遠いですが)。

その頃知り合った人にコソボからの若者A君がいました。これは実は三人組の男性たちのひとりだったのですが、A君は一番若くおとなしく、英語もしゃべれなかったのであまり存在感があるとは言えませんでした。うなだれてすごすごあとの二人について行く、という感じでした。

当時の政府は保守政権で、なぜかアサイラム申請者は皆嘘つきで犯罪者だ、というような偏見を強く持っていました。当然、申請拒否を前提にして処遇されます。時間はかかる、することがない、情報をもらえない、と言うようなみじめさを味あわせるためにあるのではないか、と思えるようなプロセスの中で、A君は一度、貨物船での国外脱出を図りさえしました。

何ヶ月もかかった後で、ようやくしぶしぶの滞在許可が出ました。ただ、始めから自活しなくてはなりません。公式に難民認定されると、国際協定に準じた色々な権利が与えられます。しかし、A君を始め多くのアサイラム申請者は「難民ではないが、人道上の観点からここにいさせてやる」というような結論を得ることが多いのです。

その後音信は途切れました。三年くらいしてスウェーデンのTVがアイスランドでの難民をテーマに取材に来て、その案内をしながらA君を尋ねました。驚きました。A君はすでに自分のアパートを買っていたのです。英語もものすごく上手になっていました。「Mr.トーマ、毎日12時間以上働いています。休みはありません。床木材を貼る仕事です。おかげで収入も順調に増えてきてます」

このA君に街で行き会っても気がつかなかったと思います。全くの別人でした、いい意味で。

こういう体験は何度もします。家族で逃げて来たルーマニアの女性もそうでした。小ちゃな女の子に加えて、お腹に赤ちゃんがいて、これからどこで暮らせるのかも分からずに、鬱のようになっていました。すったもんだの後で許可をもらいましたが、生活はしんどかったはずです。

これも三、四年ぐらいしてから大学できれいな女の人に声をかけられました。「こんな美人の知り合い、いたっけ?」と思いましたがくだんのルーマニア女性でした。日を改めて食事に呼んでもらいました。借り家でしたが子供たちも大きくなっていて暖かい家庭でした。その時はまた「自分色」を感じましたね。「家庭色」と言ってもいいのかな?

人が自分色を取り戻すプロセスに参加できるのはうれしいことです。それぞれに「自分色」を大切にしてもらいたいと感じます。

それにしても、私にも「自分色」はあるのでしょうか?あったとしても、もはや色褪せてるのかも...?


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自分自身であること、あれること

2012-10-23 05:00:00 | 日記
私は牧師ですが普通牧師ということばでイメージされるようなものとは随分異なった職務についています。私の牧師としての職務はアイスランドにやって来た移民の人達のサポートをすることにあります。

外国への移住というのは、普通の人にとってはそう簡単に乗り越えられる変化ではありません。言葉が違う、というたったひとつのことをとっても相当なプレッシャーとハンディになります。

そこに加えて、習慣やさらにその根底にある文化的価値観の違いもあります。食べ物の違いもばかにはできませんし、子供がいる場合には子供の教育やしつけの問題もあります。こういう問題が積み重なると自分自身への信頼を失ってしまい、ホスト国への怒りさえ覚えるようになることも少なくありません。

私の仕事の中心に位置するものは、このような移住のプロセスに関わって、その人の移住が不必要な問題に捕われずにスムースに行われることを助けることです。別の言い方をするならば「その人自身を失わないようにアシストすること」あるいは「自分自身であることを取り戻す手伝いをすること」ということになりましょうか。

と言ってもそんなにかっこのいいお助けマンではありません。何しろ自分自身がその移住のプロセスで自分に失望し、怒りまくる時期を過ごしましたから。その結果としての離婚も経験しました。決して良い経験ではありませんでしたが、幸いなことは、その体験を他の移民の人達のために使えることです。

自分自身であることを支えるのが目的であるとするならば、当然、仏教徒なら仏教徒、イスラム教徒ならイスラム教徒、無神論者なら無神論者であり続けることをサポートすることになります。ですから、私の仕事の目的は他の人々をキリスト教化することではありません。これが普通の場合の牧師の職務と異なる点です。

もちろんそれでも根っこではキリスト教と無関係ではないですよ。本当の自己とは何か?という問題に繋がって行きますからね。本当の自己、とは決して今ある自分と同じであるとはかぎりませんから。酒や賭博にうつつを抜かしている人があるとして、その人が「これが本当の俺なんだ」といっても、それは受け入れられません。

私の職務はアイスランド国民教会という大きな器の中であるからこそ有意義に機能することができるのですが(皆が私のような牧師だったら教会は困ります)、教会の中の人達がみんな私のやろうとしていることを理解してくれたわけでもないですし、賛成してくれたわけでもありません。今でも。

「ベトナム人は大体仏教徒だろ?教会が何で彼らと関わりがあるんだ?」というような態度でした。20年前は。今は大分変わってきました。人が困っている時に知らんぷりをして、その後都合の良い時だけ「教会へどうぞ」と言うことのばかばかしさが理解されてきたのだと思います。

もちろん、そういうマイナス思考からの演繹だけではなく、人がその人自身であることを支援することが、教会の本質から導きだされるべき考えであることも認められてきたのだと思います。

「自分であることの大切さ」これは相当重いことです。私の仕事の中では、教会の教義的なもの含めても「(各人が)自分自身であること」はその核の部分にあります。


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