レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

「どこでもドア」が欲しくなる夏

2022-06-25 00:30:09 | 日記
こんにちは/こんばんは。




くつろぎ感アップ用ピック1
Myndin er eftir Sasu_Tikkanen@unsplash.com


21日に夏至を迎え、これから「闇」に向かうアイスランドです。まあ夏至は世界共通だから、アイスランドだけではないか?ですが、フと気がつきました。南半球では夏至ではなく冬至なんですよね。

北半球と南半球では季節が逆、というのは理屈としては知っているのですが、まったくピンときません。多分、一生ピンとくることはないでしょう。(^-^;

そして、今これを書いているのが24日の金曜日なのですが、この日はこちらでは Jonsmessa ヨウンスメサと呼ばれ、クリスマスの対極にあります。正確には両者とも冬至、夏至からはちょっとずれているのですが、クリスマスが「これから明るくなっていく世」のシンボルであるのに対し、ヨウンスメサは「これから暗くなっていく世」を現しています。

ヨウンスメサの「ヨウン」とは新約聖書に登場する洗礼者ヨハネスのことを指します。ヨハネスはキリストの到来に先立ち、露払いのような役割を持っていたのですが、「あの方(イエス)は栄え、わたしは衰えねばならない」という言葉が残しています。つまり夏至以降の日々の描写のようでもあり、この言葉がヨウンスメサの土台のようになっているのです。

ヨウンスメサについてはこちらも:ヨウンスメサ 夏至の祭り




くつろぎ感アップ用ピック2
Myndin er eftir Kristina_Delp@unsplash.com


さて今週の月曜日(20日)からは特別な週となっています。ワタシ限定ですが。夏休み! 27日まで丸一週間のお休み中です。

こちらでは夏休みは一ヶ月取れるのが基本です。お休みの少ない日本の皆さんに言うと嫌味に聞こえるかもしれませんが、そういう気持ちはまったくないですから、念のため。m(_ _)m

そして、この一ヶ月というのは土曜日、日曜日そしてその他の旗日(はたび)を抜かして勘定されます。ですから、例えば今月(6月)いっぱい夏休みを取った人がいたとしましょう。

今年の6月の場合、土、日が8日間、独立記念日の祝日が1日ありますので、30-(8+1)=21日分の休みとなります。ですから、あと九日間の休みが残っています。

これを7月へ続いて持ち越したとすると、平日九日分を休みとすると、7月13日まで休むことができることになります。

というわけで、基本的には実質およそ六週間弱の夏休みを取ることができるわけです。最近ちょっと書きましたが、これはアイスランド人の勤労意欲が低いということではなく(高いとも言いませんが)、むしろ過酷な冬の後で夏を楽しむ、という「文化」の背景があると考えます。

ですが、私の今の夏休みは土日を含んでの一週間のみ。なんで、そんな中途半端な夏休みの取り方をするのか?というと、つまり休まざるを得ないからです。

三月初めから五月末まで、丸三ヶ月間での休みの日はたった二日間でした。ウクライナ難民という大きな課題が突如現れたためです。さすがに疲れが溜まってしいました。疲れてるのによく眠れない、心にゆとりがなく、すぐイライラする、というような状況になってきたので、六月には少し休まなきゃ、と考えていました。




くつろぎ感アップ用ピック3
Myndin er eftir Luke_Hodde@unsplash.com


幸いなことに、ウクライナ難民に関する仕事が、六月に入るとかなり負担軽減となってくれました。

状況は決して好転してはいないのですが、当初のように皆が皆「アイスランド初めて」「なんにもわからない」という風ではなくなってきており、早くに来た人たちがいろいろとこちらでの生活やシステムに慣れてきてくれ、最近来た人たちにあれこれ教えたり、サポートしてくれるようになってきたのです。

これは、かなりありがたいことで、私や同僚のアニー牧師の負担もかなり軽減されてきました。

というような状況になったので、「ここで一週間休もう」と決めたわけです。もう、ちょっと限界。アニー牧師はその間はシフトみたいな形で私の不在を埋めてくれます。Takk fyrir. 

「それではアニー牧師が疲れ切ってしまうだろうが!」とお思いの方もありましょうが、現代的な女性の彼女は、私よりもずっとスマートにそここで息抜きをしてきたのでした。

当然のことながら、私の夏休みは「な〜〜〜んもしない一週間」となっています。「ヒルナンデス」をYoutubeで観て、多少の料理をして、そして夜はXXX経由で日本のバラエティ番組。天国です。(*^^*)

残りの夏休み、希望としては、八月以降に三年ぶりで日本に帰省したいのですが、叶うかどうか。

この間、ネットでのフライト予約を覗いてみたのですが、ビックリしました。ヘルシンキから成田への直行便。以前は九時間だけだったのですが、現在は十四時間超! 言わずもがなですが、ロシア上空を飛べないので迂回せざるを得ないからです。

ロンドン– 成田/羽田間が十五時間以上。これもフツーは十二時間の距離。フランクフルトからでさえ十二時間かかります。

しかも、これはコロナの後遺症だと思うのですが、キャンセルされたまま復活していないルートがいくつもあるようです。

例えば、SAS(スカンジナビア航空)は、今現在はアジアへは飛んでいないように見受けます。ネットの案内に出てきませんから。ちなみにSASは経営状態にレッドフラッグと噂に聞いています。

あと、JALの成田ー千歳の便も今はありません。ANAは減便して運行しています。成田ー千歳というのは、私の常便だったのですが、乗客の八割強は中国からのツーリストのようでしたので、コロナ下では無用になってしまったのでしょう。




くつろぎ感アップ用ピック4
Myndin er eftir David_Benes@unsplash.com


さらに、運賃は、燃料費を支えるためにサーチャージが復活したため跳ね上がっています。まさに踏んだり蹴ったり殴ったりの感。

とどめの一撃はフライト・スケジュールの激変です。これは、アイスランドからロンドンとかボストンとか、ロシアの航空域に関わらない線は大丈夫らしいのですが、日本とかが目的地の場合は影響大です。

フライト時間の延長、つまりは到着時間が変わってしまいますので、乗り継ぎ便とかの出発時刻や、乗り継ぎのための待ち時間等も影響を受けます。

コロナの真っ最中に「ニュー・リアリティ」とかいう言葉が盛んに言われましたが、加えてこのようなフライト事情もニュー・リアリティですね。

考えてみれば、航空会社も大変ですよね。やっとコロナが鎮まり始めて、普通に飛び始めた矢先にこれですから...

ウクライナでの戦火が一刻も早く鎮まることを願いますが、たとえそうなっても、フライト事情はすぐには元へは戻らないでしょう。まさしくNew reality として、当分の間はこれを受け入れるしかなさそうです。トホッ... 

昔の昔は、ヨーロッパへのフライトの多くはアンカレジ経由だったのですから、そこから考えれば事態が悪くなったわけではないですよね。私自身、アンカレジは何度も経験しています。お若い世代の方は「なに、ソレ?」でしょうが、かつてはヨーロッパへ飛ぶには、途中でアラスカのアンカレジに立ち寄り、そこから北極の上を飛んでいたのです。

だから、あの時代からしたらフツーの状態なわけです。ただ、人間とは進歩して一度楽を経験してしまうと、また「不便」に逆戻りするのを苦痛に考えてしまう。「昔はこれやがな」これもまた罪の現れでしょうか?

最後の質問。ドラえもんの道具、どれかひとつだけ貰えるとしたら何がいいですか?

マイ・アンサー: 「どこでもドア」


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。

藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

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17. juni の由来とポテトサラダ

2022-06-18 21:41:39 | 日記
こんにちは/こんばんは。

「夏日」が続いていたレイキャビクですが、ここ一週間は気温が下がり目で、涼しい日々となってしまいました。毎日のように会うウクライナ難民の男性は「もう夏は終わり?」と寂しそうな質問。いや、まだ大丈夫だ(と思う)から。(^-^;

ニュースによると、フランスやイタリアでは「熱波」中で、今これを書いている土曜日には気温が40℃を超える予想なのだそうです。パリでは外での集会や、エアコンのない室内での集会も禁止されたとか。

ヨーロッパには毎年のように熱波がやってきますが、六月のような早い時期での到来は珍しいとのことです。やっぱり、アイスランドでの夏日も、周囲と繋がっているんですねえ...




アイスランド国旗
Myndin er eftir Olivier_Toussaint@Dreamstime.com


さて今回は、短いトピックをいくつかご紹介していきます。

まず日本のニュースから。

前回のブログは「『こんな奴らはそれでいい』ってか?」という題で、アイスランドの政治家・司法行政当局の中にある難民蔑視の差別思想に文句を言わせていただきました。

その延長になります。スリランカ人女性のウィシュマさんが、名古屋の入管施設で「体調不良」で亡くなる事故/事件がありました。昨年の三月のことでした。ウィシュマさんは食事を通常に摂れない状態が続いていたにもかかわらず、きちんとした診察や医療措置が怠られていた事実が発覚し問題化しました。

ウィシュマさんの件についてはこちらも:「目を覗き込む」ということ 


当時の入管局長ら13人が訴追の対象になっていましたが、名古屋地検は不起訴処分を決定したとのニュースが昨日ありました。「死因を特定できず、施設内での扱いと死亡の因果関係が確かでない」とかいう理由です。

呆れたものです。これだけの弱い者いじめを集団でやっておきながら、裁判にすらならないとは。こうなると、名古屋入管だけの問題ではなく、日本の公権全般が内に抱え持っている蔑視思想に関わるものだ、と考えざるを得ないですね、私としては。

次はもうちょっとホッコリする話題。




アイスランドに関係する短い記事
写真提供 Ms.HTさん


私の故郷である八王子にお住まいの、古くからの知り合いの女性の方がある新聞記事を今朝送ってくれました。

地方欄の記事だと思うのですが「アイスランドの伝統料理 給食に」という見出しです。多摩市内の私立校を含む17の小中学校で16、17日の両日、アイスランドの伝統料理が提供されたのだそうです。

「友好協力関係を結ぶアイスランド」と記事中にあるのですが、結んでいるのが多摩市なのか小中学校であるのかはちょっと不明。前後関係から察して、おそらく多摩市でしょう。

「友好関係」とかいうと、議員さんの訪問とかが多いのですが、こういう学生さんや子供たちを巻き込んでのイベントは良いですね。みんな、少なくとも「アイスランドという国があるんだ」「こういうものを食べて生活しているんだ」くらいのことは考えてくれるでしょう。

大学生レベルでは、アイスランドからも、日本からも15人くらいの交換留学生が毎年行き来していたのですが、コロナでストップしてしまっていました。ようやくボツボツと復活し始めている、とこちらの大学の日本語の先生から伺っています。




アイスランドのキョートスーパ(ミートスープ)
Myndin er ur Veislulist.is



こちらはプロックフィスクル(「裂かれた魚」の意)
Myndin er ur Eldhussogur.com


若い世代の人たちの交流というのは、特定の利益に縛られていませんし、どういう方向にも発展する可能性があります。

アイスランドのキョートスーパを食べた学生さんの中に「なかなか旨い。どういう国なんだろうか?」と興味を持ってさらに調べてくれる人があるかもしれません。その過程で、このマイナーブログにも行き当たってくれたりして。(*^^*) 

多摩市に一点!

さて、最後のトピックはアイスランドの独立記念日です。先の金曜日、6月17日がこの祝日でした。独立記念日なのですが、こちらではそういう言い方をすることはまずありません。

フツーに17. juni ソイチャンダ・ユニと呼びます。ちょっと改まった記載ではThjodhatidardagurinn Islendinga ショーズハウティーザーダーグリン・イースレンディンガ「アイスランド人の国民の祭日」とも呼ばれます。

Sjalfstaedisdagurinn シャウルフスタイディスダーグリン「独立記念日」という言葉は、まあアメリカの7月4日とかに使うことはあるとしても、自分達については用いないですね。




アイスランド独立の祖 ヨウン・シーグルズスソンの像
Myndin er ur Jonsigurdsson.is


この6月17日に何があったか?というと、別に直接的に独立に関するイベントがあったわけではありません。ただヨウン・シーグルズスソンという人の誕生日なのです。

このヨウンさんは19世紀の政治家で、1811年に生まれ、1879年に亡くなっています。アイスランドは中世の頃よりデンマーク王国の主権の下にありました。つまり属国。

外交・防衛を除く分野での主権を回復したのが1918年の12月1日。そして完全独立が1944年ですから、ヨウンさんは、これらが実現するかなり前に他界していたことになります。では、なぜ彼の誕生日が独立記念日に?

アイスランドでは19世紀中頃から、独立に対する気運が高まりました。ヨウンさんも独立のために積極的に動くグループの中にいました。そして1845年にアイスランドの国会であるアルシンキの建物が再建されると、デンマーク国王は自身の「完全統治権」を放棄。

これを機にヨウンさんは二十四ページに渡る論説を発表し、アイスランド人に独立に取り組む激励をしました。これを受け、デンマーク国王はヨウンさんを対話の相手として認めることになります。




ウクライナ旗も多く散見
Myndin er ur Facebook


こうして、ヨウンさんは事実上のアイスランド独立運動の旗手となったわけです。その名誉を讃えるために、独立記念日は彼の生誕の日である6月17日と定められたのです。

現在のアイスランド国会アルシンキの正面のAusturvollurオイストゥルヴァットゥル「東広場」には彼のブロンズの彫像が建立されています。この広場では無数の抗議集会が毎年開かれるのですが、そのすべてを独立の祖が見守っている、ということになります。それに関連して、面白い逸話があるのですが、それはまたの機会に。

ついでに、アイスランドの独立運動。一滴の血も流されずに完遂されました。このこともアイスランド人が密かに誇っていることのひとつです。

さて、17. juniにアイスランドの国旗がいたるところに掲げられるのは当然ですが、今年の場合は、無数のウクライナ国旗がその合間合間に見られました。それはそれで嬉しいことなのですが、その理由を考えてしまうと悲しいものがあります。もっと平和でハッピーな状況の下で見たい光景です。

ちなみにワタシは例年通り、お祭りには行きませんでした。自宅でのんびりとコロッケとポテトサラダを作って過ごしました。インスタント使わずに、ちゃんとじゃがいもから。やっと料理をする時間が帰ってきたなあ。ありがたいことです。




おまけ ワタシのコロッケとポテサラ



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「こんな奴らはそれでいい」ってか?

2022-06-11 22:32:16 | 日記
こんにちは/こんばんは。

引き続き結構良い夏を迎えているレイキャビクです。今、これを書いているのは土曜日の昼前なのですが、朝から暖かくショートパンツで過ごしています。これって結構珍しいことなのです。




清涼感アップ用ピック1
Myndin er eftir Roan_Lavery@unsplash.com


昨日も暑いくらいの天気でした。居候している息子は、夜に友達と飲みに出かけたのですが、出かけてすぐに戻ってきて「外は暑いや」と言って、着替えて出直して行きました。

地球温暖化の表れのひとつと思うのですが、過去十年ちょっとの間に、夏の気温は確実に上がってきていると思います。それでも、普段は気温が上がるのはむしろ七月に入ってからのはずなのですが(多分、そのくらいから地面が温まってくる?)、今年はまだ六月の上旬から「暑い」くらいの日が出始めています。

地球温暖化はストップしないといけないのでしょうが、ここでのこのくらいの「夏日」は残って欲しい、というのはワタシの勝手な思いです。

さて、先の木曜日に小さなニュースが流れました。Utlendingafrumvarpinu frestad til haustins. RUV(国営放送)のネット版ニュースでの見出しですが、「外国人法案、秋まで(審議を)延期」という意味です。

これは私や、私と同じ側にいる人にとっては一応の朗報なのです。つまりは法案に断固反対、という側にとっては、とりあえずの「戦果」なのです。




外国人法改悪法案の審議の延期を伝えるニュース 絵中の写真は抗議集会の模様
Myndin er ur Ruv.is


もうちょっときちんと言いますと、「法案」とは現行の外国人法を部分的に変えたり、付け足したり、削ったりすることを提案しているわけですが、総じてこれらが「改正」よりも「改悪」であると私(たち)は考えています。

この法案は、 –もう過去五年越しにくらいになるのではないかな?– 代々の法務大臣によって国会に提出されてきました。その間法務大臣職は、ずーと独立党の下にあります。

多少の変化はあるものの、基本的には同じ法案が四、五回繰り返して出されてきたわけです。ということは、当然のことですがその度に可決されずにきたことになります。

とうはいうものの、じゃあ国会の議決で否決されてきたのか?というと、そういうわけでもないのです。毎回議決を取るところまで行かずに、国会の開会期間が終わってしまったりして「お蔵入り」となってきたのでした。

もちろん「お蔵入り」も政治的な駆け引きの道具です。政府としては勝つ見込みのない法案は、むしろ曖昧にお蔵入りさせた方が得、というわけです。

「政府としては」と書きましたが、外国人法改悪のイニシアティブは独立党が持っていますが、政権は独立党、進歩党(という名前の実は保守党)と緑の党の三党連立です。

緑の党のメンバーである私が、いい加減辟易して「オラ、緑の党やめる」となった顛末は以前ご紹介したことがあります。

訣別 グッドバイ緑の党

やめるの「ヤーメタ!」の巻き


お蔵入りを続けてきた改悪案ですが、いくつかのポイントがありました。つまり改悪の目玉です。そのひとつは、「すでに他の国で『名目ばかりの保護』を受けた難民の再申請を締め出す」ということです。

この点に関しては、上に貼り付けましたリンクの回「訣別 グッドバイ緑の党」で書きましたので、よかったらそちらを参照してみてください。




清涼感アップ プラス 頭冷やし用ピック2
Myndin er eftir Freysteinn_G_Jonsson@unsplash.com


今回は、加えてもうひとつの目玉が付け加えられました。それは「難民申請者が、行政的に最終の否決を受けた後(移民局と、アピール委員会での二回の拒否を指します)、三十日を経過した際には、難民申請者としてしての権利を失い、よって国はいっさいのサービスの提供を終了する」という内容のものです。

難民申請者は、国際協定もあり、申請期間中は衣食住の基本的な必要のサービスを受けることができます。先に「『名目ばかりの保護』を受けた難民」と書きましたが、実際にはギリシャなどいくつかの国では、これらの基本的な必要すら提供されていません。だから「名目ばかり」とされるのです。

ギリシャなどは「提供したくともできない」という台所事情があり、それが、まあ言い訳にもなっています。難民が多過ぎるのです。

ところが、そういう台所事情がないアイスランドでも、同じような状況を「意図的に」作ろうとしていることになります。つまり、申請拒否後三十日を経過した際には、申請者を通りに放り出して良い、としたいわけです。

ここで、当事者は難民申請者であることに注目してください。預金も旅券もある外国人が、退去勧告を受けて三十日後たったらもうサービスを受けられない、というのならわかります。

ですが、難民申請者の圧倒的多数は、お金もないし旅券もない。公権による送還が実施されなければ、三十日経っても同じところにいざるを得ないのです。これを通りへ放り出すことを合法にする、ということが新たな改悪の目玉であるわけです。

私に言わせれば、なんというか、アイスランドのみならず、現代福祉国家が目的として、実現しようとしていることの原則に、真っ向から反するものです。

政治家にしろ、役所にしろ、ソーシャルワーカーにしろ、教会関係者にしろ、みんなが合意して向かっている先というのは、「路上生活者を出さないようにしよう」「飢えて苦しむ人がいないようにしよう」「生きるために犯罪にはしる人がなくなるようにしよう」というようなことでしょう。

そういう原則を実現しようとして、多くの人々が日夜、それぞれの分野で、それぞれの努力をしているのです。

そういう基本的な社会の方針の真向かいから「拒否された難民申請者を、食べ物もなくお金もない状態で通りへ放り出す」ことにしようということなのです。

この意図の背後にあるのは「拒否された難民申請者なんか、それでいいじゃないか」という蔑視です。この蔑視は、そこここで偉い政治家たちの口から漏れ聞こえてきました。ここ数年は特に。

個人的な思いですが、この蔑視はロシア兵が後ろ手に縛ったウクライナ一般市民を後ろから撃ち殺した行為と同じ根っこを持つものです。「こんな奴らは、それでいいじゃないか」

...ふざけんじゃねえよ! と言いたい。

実際に、昨年の夏には、二十人ほどの難民申請者が着のみ着のままの状態で放り出されたことがあります。その時には、周囲の人々が協力し合い、なんとかその場を凌ぐことができ、さらにアピール委員会が「この措置は法的根拠がない」と判断したことで、皆がもとへ戻ることができました。

「だったら、『法的根拠』を作ろうじゃないか」というのが、今回の改悪法案のベースにあることは間違いありません。




私とアニー牧師の批判を取り上げてくてたニュース
Myndin er ur Visir.is


ですが、さすがにこのような改悪には反対の大合唱が湧き上がります。難民支援や人権擁護の団体、赤十字やユニセフ、アムネスティ、さらには多くの個人が、積極的に反対と批判の意見を表明しました。

前回ちょっと書きましたように、私と同僚のアニー牧師も、改悪法案に反対する旨の意見書を国会の委員会に提出しました。Visirというネットニュースも持つメディアが、わざわざその件を取り上げ、私たちの批判のポイントを説明してくれました。

このマイナーブログでは、しがない孤独で初老のおじ(い)さんのワタシですが、きちんと仕事をすることもあるのです。

とういうわけで、法務大臣は「法案審議は秋までお預け」としましたが、秋に蒸し返してくるか、あるいはうやむやにお蔵入りさせるかは、今の時点ではわかりません。

わかることは、まあ、夏休みの間は休戦になるということです。ウクライナ難民の課題でお疲れ中のワタシにとっては、それはそれで、 –その限りで– ありがたいことです。


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やっと来た、「ホッとする」日。

2022-06-07 01:23:55 | 日記
こんにちは/こんばんは。

五月の末から六月の初め、こちらでは素晴らしい青空と太陽がきらめく「夏日」と、しとしと雨の降る「梅雨日」?が二、三日おきに繰り返しているような感じです。アイスランドには梅雨はありませんので、念のため。




清涼感アップ用ピック1
Myndin er eftir Mateusz_Klein@unsplash.com


陽が出ると出ないとでは、これほどに気温が違うか?と改めて驚かされます。気象局の記録を見ると、実際の気温はそんなに変わっていないので、多分これは「体感温度」の部類なのでしょう。

それでも気分の問題ではなく、「その場その時」で気温が異なっているのは確かです。

そういえば東京も梅雨入りしたとか。今日(月曜日)は気温も下がり長袖を羽織う人が多かった、とニュースで見ました。

さて、これを書いているのはその月曜日の昼なのですが、なぜそんな時間にのんびりとブログなどを書いていられるか?というと、今日は祝日なのです。

昨日の日曜日がメインの祝日で「聖霊降臨日」あるいはペンテコステと呼ばれるキリスト教の三大祝祭のひとつです。「三大」の他のふたつはもちろん、クリスマスと復活祭です。これらの祝祭では、こちらではその当日に加えて、翌日も祝日となります。

復活祭と聖霊降臨日は必ず日曜日なので、日、月の連休となります。私たち牧師族はお休みではありませんが。

聖霊降臨日は必ず復活祭の五十日後になるのですが、復活祭そのものが「移動祭日」なので、このふたつは毎年ペアで移動します。復活祭はだいたい三月中旬から四月下旬になりますので、聖霊降臨日の方は五月中旬から六月中旬にやってきます。

ところが、五月下旬頃からのアイスランドというのは、気候が安定し始めて、暦の上ではない、実際の夏の到来の時期にあたります。

となると、毎年この聖霊降臨日の二連休というのは、皆がサマーハウスや国内小旅行に出かける絶好の機会なのであり、キリスト教の三大祭日であるにもかかわらず、教会はガラガラ、「みーんなバケーション」というような現実になっているのでした。




清涼感アップ用ピック2
Myndin er eftir Danny_Jongerius@unsplash.com


まあ、もうひとつ加えると、こちらでは六月、七月はバケーションの季節なんですね、もともと。これは長い冬を持つアイスランドの自然環境から生まれてきた文化だと思うのですが、ようするに「夏は楽しめるうちに楽しもう」ということ。

気候は人為では操れませんので、この「夏を楽しむ」ということは、かなりアイスランド人の生活の中では高いプライオリティを持ってきたようです。

当然のことながら、すべての社会活動が夏期にはスローダウンすることになります。夏はオフシーズンなのです。

ただ、これも現在変わりつつある面があり、例えば観光業はオフどころかハイシーズン化しています。アイスランド北部では、ホテル等この夏を通してすでに「満杯」の予約が入っているそうで。

コロナの後ですからね、ここはアイスランド人もさすがに「稼ぐ」ことを考えるでしょう。加えて、このハイシーズン化を支えてくれるのが、別に「夏」にそんなに執着を持たない外国人労働者の存在です。

もともと暖かい国から来ている人も多いですし、夏期は絶好の稼ぎシーズンとなっているのでした。

それでも、やはり社会全体の、なんというか「基本スケジュール」みたいなものは変わっておらず、六月から七月はローシーズンです。これは教会も同じ。

教会の活動は八月から準備期間に入り、九月からが本番。復活祭が終わる頃から、「まとめ」の時期に入り、五月は年次報告だの総会だのの時期になります。そしてそれが終わると、ほとんどすべての活動が「夏休み」化します。

クヴィータスンナの過ごし方

教会の夏休み




これは先日体験した稀な自然現象 海上一面が黒い霧に...


しばらく前までは、私は教会のこういうあり方にかなり批判的だったのですが、最近では考えが変わってきました。近隣の教会ときちんとローテーションを組んでいれば、その方が合理的でしょうし、ご当地文化というものも確かにありますから。

さて、今回のペンテコステの連休  –というか、昨日の日曜日は礼拝がありましたので、今日の月曜日がメインですが– 私も十分にエンジョイしました。

前回末尾にチョコっと書きました通り、五月末までとてもきついスケジュールだったのです。

五月末日の午前零時までに、こちらのアルシンキ(国会)に、外国人法の改正(実は改悪)に関する意見書を提出しなければならなかったのですが、ウクライナ難民の人たちとの活動とかもあって、十分に準備できていなかったのでした。

それで五月末の三日間くらいで、相棒のアニー牧師と集中的にこの意見書のまとめにかかりました。そして無事に期限内に提出。私たちの意見書、ニュースでも扱ってくれました。詳しい経緯はまたの機会に。




本文とは無関係 ウクライナの子供たちの遊び様 全部ブチまけ型!

そして、翌日の6月1日は休養日としました。三月からのマル三ヶ月間で二日の休養日しか取っていなかったのですが、六月はなんとお休みから始まるという贅沢さ!

週の後半はいろいろと細々した用事があったのですが、昨日、日曜日の礼拝を終えて帰宅して気が付きました。「向こうしばらくの間は、何も気に掛かることがない!」そして、久々に味わったのです、気楽さというか解放感!

とにかく、三月始めにウクライナからの難民の課題が舞い込んで以来、ずーっと「次はどうなるか?」「これでうまくいくだろうか?」「これで十分だろうか?」などという先行き不安というか、Ovissiオウビッシ「不確かさ」を抱えてきました。

それが、ようやくある程度落ち着いてきたというか、形が見えるようになってくれたのです。形が見えてくると、自分の居場所がわかってきますし、また、自分の役割もはっきりとしてきます。つまり振り回されないで済むようになるのです。

もちろん、ウクライナに平和が来たわけではありませんので、いつまた状況が急変するかはわかりません。あくまでも「暫定的」とか「つかのまの」という条件付きの落ち着きではありますが、それでも「ホッとできる」というのはありがたいことです。

というわけで、今回は(今回も)中身の薄い回になってしまいましたが、そういう背景がありますので、御容赦いただければ幸いと存じます。

でもですねえ、「ホッとできる」って、ホントウに、相当嬉しいことですよ。私にとっては、また新しい発見のようでもあり、忘れていたことを思い出した体験のようでもあり、ということになりました。

皆様も「ホッとすること」「ホッとできる日」を大切になさってくださいますよう。


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