レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

復活祭の「お茶会」の顛末

2022-04-30 21:12:09 | 日記
こんにちは/こんばんは。

五月になりますね。もう一年の三分の一を消費したわけですか?はやっ! というよりもコワッ! になりつつあります。




清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Joe_Yates@unsplash.com


多少、前回書きましたことに結論を付ける必要があると思います。前回は、西方教会(カトリックや多くのプロテスタント教会)の復活祭よりも一週遅れでやってくる東方教会(ロシアやウクライナを含む正教会)の復活祭に関連することを書きました。

先の24日の日曜日がその復活祭だったのですが、アイスランドにやってきているウクライナ難民の人たちが、多少なりとも復活祭を祝えるようにと、私たちアイスランドの国民教会もお手伝いしていたのです。

私たちがお手伝いした集会は、正式のミサではなく、伝統的なイースター・ブレッドと呼ばれる手焼きのパンと、装飾されたタマゴを分け合って共に時を過ごすための、なんというか、大き目のティーパーティー?のようなものでした。

場所はネス教会という教会の集会棟。お茶会とはいえ復活祭なので、国民教会のアグネス監督が復活祭の短いお話しをしに来てくれました。

会場の準備等は私とアニー牧師が責任者となって進めたのですが、参加者がどれほどになるのか皆目見当がつかず。多分「六十人から百人の間だろう」ということで、ガラス張りの明るいホールにセッティング。百人くらいなら大丈夫のはず。




毎日曜日、これくらい来てくれれば嬉しいもの


ウクライナ難民の人たちは、レイキャビクだけではなく、空港の町ケフラビクや港町ハフナフョルズル等にも分散して滞在しています。そのため、何台かのマイクロバスがそれぞれの町へお迎えのために出向くように手配されました。

開始は午後二時だったのですが、一時過ぎにはぼちぼちと参加者が現れ始め、一時半過ぎには相当数の人々が参集していました。

この時点で百人越え。「これ、まだ一つのグループだから。もっと席がないと」と支援のボランティアグループから注釈。慌てて、隣接する大ホールにも席を用意しました。

もともとセッティングをしていたホールと大ホールは可動式の壁で遮られていますが、この壁は収納してひとつのMaxホールにすることは可能です。ですが、収納には多少のノウハウが必要で、そのノウハウを持っている教会スタッフはすでに帰宅済み。

「始めっから開けときゃ良かった」とは後悔先に立たずの典型。でもめげてる時間はない。






予想を超えた数の参加者


結果、二百人以上が集まっていたため(ニュースでは「三百人が参加」と報道。ホンマでっか?)、アグネス監督の挨拶も教会堂ですることに急遽変更。皆さんには集会棟と隣接する教会堂へ移動してもらいました。

ミサや礼拝式の場合は、オルガンが前奏を始めると、それが「始まるよー!」の合図となって静まるものなのですが、今回は「ティーパーティー」なので、オルガンはなし。コレも計算違いや。

仕方なく、私とアニー牧師がキャンドルを手にしてしずしずと行進して聖壇のキャンドルに点灯。始まりの雰囲気を作ろうとしました。ですが、あちこちで私語がまだ聞かれ、なんとなく締まりがない。

それがアグネス監督が話しを始め、ウクライナ青年アレックさんが通訳を始めると水を打ったような静寂に包まれました。約十分のお話しの締めくくりにアグネス監督が「キリストは蘇りたもう。真実に蘇りたもう」という復活祭の挨拶言葉のようになっているフレーズを用いました。

それをアレックさんが「フリストール ボスクレス」と訳し始めると、その場のウクライナ人全員で「ボイーストゥヌ ボスクレス」とすかさず返答の唱和。この辺は身に染み付いている伝統を感じさせ面白かったです。

そして、アグネス監督に大拍手。再び集会棟へ移る際、わざわざアグネス監督に「ありがとうございました。娘は感動して泣いていました」と言ってくるお母さんもいたほど。

??そんなに感動する内容だったか?そういえば、事前に原稿を見せた際にアレックさんも「こんな興味深いスピーチはみたことない」とか言ってたなあ... ?

そして思い当たりました。正教会のミサは司祭中心で、一般の信徒は決まりきったフレーズを時折唱えたり、教会の周りを歩いたり、と私たちの礼拝とは相当異なったしきたりです。

司祭(牧師)が、信徒の人が理解できるような「お話し」をする、ということ自体が新鮮な体験だったのではなかろうか?と。

日本のお寺での供養とかでも、お坊さんがお経を唱える部分では、私たちはなにもわからないじゃないですか。時折、その後で「講話」をしてくださるお坊さんもあり、ホッとさせられたりしますよね。それと同じようなものではないかと。

私たちのルーテル教会では「説教」という聖書からの教えのお話しが礼拝式の中心にありますので、司祭(牧師)がお話しをしてくれるのがフツー。今回は、我々にとっての「当たり前」がみんなにとっての「当たり前」ではないことの見本かも。

その後、集会棟でお茶会の開始。「コーヒーカップ足りない!」「砂糖はどこ?」「椅子をもっと」「ゴミ用の大袋をもうひとつ」「飲み残しのコーヒーやジュースを空けるバケツみたいなもの必要!」








すべてホームメイドのパン 各家庭に秘伝のレシピーがあるとか


まあ、忙しかった。ニュースの報道クルーもふたつくらい入ってたりして、芋を洗うような... (失礼) と言うのかな? 一瞬でしたが、私は後楽園ホールでのプロレスが終った後の出口のごった返しを思い起こしましたよ。

それに後から気がついたのですが、ああいうごった返しの中に身を投じたのは、なんと三年ぶりのことじゃありませんか! 久しぶりのことだったんですねー。

さて、たくさんの綺麗な手焼きのパンが並べられていたのですが、私は最後の最後まで一切れも口にする機会が持てませんでした。最後に一切れ口にしてみました。... 正直言って、別に美味しくはなかった... です (^-^;  パンだ、これ。ケーキじゃない。

後片付けは、支援グループの人たちや、参加した難民の人たちの幾人かが積極的にしてくれ、私とアニー牧師は楽をすることができました。ありがたや。

意外と短い時間ですべてが終了。二時から始まったティーパーティー。五時にはすべての片付けも終わり、お疲れ様ー。




イースター・ブレッドと並ぶ復活祭のマストアイテム 装飾タマゴ


本来なら喜びの溢れる復活祭なのですが、現在のウクライナ難民の人たちにとっては苦難と悲しみの中での復活祭。アグネス監督のお話しを通訳してくれたアレック青年の妹は、いまだにあのマリウポリにいるとのこと。胸中を察することは難しいです。

それでも、例えばこの集いで、多少なりともの笑顔と笑い声の中に「復活」への希望が見えた思いがします。きちんとした考えを持つ、ロシア人の人たちが手伝ってくれ共にいてくれたことにも「復活」への希望が見えた思いがします。

私にとっては、今年二回目の復活祭の日曜日のようでもあり、またかなりデフォルメされた復活祭の集会でもあったような気がするのですが、それでも復活祭の深い意義は、自分の教会でのイースター礼拝でよりも、むしろ今回の「ティーパーティー」の方でより強く感じられた思いがしてしまうワタシなのでした。


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。

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捨てる神あれば...  意外な「お宝」?

2022-04-23 20:15:49 | 日記
こんにちは/こんばんは。

先の木曜日から、アイスランドはオフィシャルに「夏」となりました。四月の第四週の木曜日がSumardagurinn fyrsti スーマルダーグリン・フィルスティ「夏の第一日」として定められており、国民の祝日になっています。

凍てつく夏 古の知恵では想定内


だいたいこの「夏開き」の日は雨が降ったり、寒かったりと「夏?」感が震えることが多いのですが、今年はまあ、そんなに鳥肌が立つこともありませんでした。

そういえば、復活祭にも雪は降らなかったですね。「復活祭には雪が降る」という都市伝説があるのですが、今年はそれも一休みのようでした。




くつろぎ感アップ用ピック Vikの風景
Myndin er eftir saikrishna-saketh-yellapragada@unsplash.com


前回は、Paskarパースカー(復活祭)関連のことを、特にウクライナの人たちの多数派が属する正教会との関係で書いてみました。

その中で、正教会の復活祭は、(今年は)カトリックやプロテスタントらの西方教会の一週間後、4月24日であることもお伝えしました。そして、私らアイスランド国民教会のスタッフも、「どのようにしてウクライナ難民の人たちが復活祭を祝えるか」という点で、いろいろ協力していることにも触れました。

事前の話し合いの中で、「ヨーロッパのどこかからウクライナ正教会の司祭を招いてミサを守る」という案が出されたものの、これはうまくいかなかったことも前回書いた通りです。

ただ、前回触れられなかったのですが、その案と並んで「ウクライナかあるいは他の国からのライブ・フィードを見ることでミサに参加する」という案も出されていました。パブリック・ビューですね。

この案を出したのは私自身です。コロナ開けということもあり、この状況の中ではそういうのも次善の策ではないかと。

協議に参加していた人たちの中には賛同する向きもありましたが、ミサの宗教的価値を重んじる人の中には「ミサの後で食べるイースターブレッドは、司祭によって『聖別』されなくてはならない。オンラインで聖別することはできない」という意見もあり、「待った」がかけられてしまいました。

「聖別」というのは、教会の中で特に大切なものを特別に「聖なるもの」となるように神からの祝福を受けることです。









イースターエッグのカラーリング作業 玉ねぎは茶色、赤ラディッシュは赤色用


という流れで、つまり 1)司祭を招いてミサを持つ=ボツ 2)パブリック・ビューイング形式のミサ=ボツ となり、最後の代替案 3)ミサとは切り離して、イースターブレッドとタマゴの装飾を「文化的イベント」として楽しむ が残ったわけなのです。

実はこのみっつの案、最後の最後までウダウダと結論が出ないまま持ち越され、最終的に「三番目の案で行こう!」となったのは、「冬の最後の日」つまり今月20日のことでした。(今土曜日ですので)三日前。フー...

それでも月曜日には、「イースターのパンを焼きたい」と申し出てくれていたロシアの婦人たちと会い、準備には入っていました。それでも僅か一週間足らず。

婦人たちはパン焼きに関してはベテラン揃いなので、そちらは心配ないとしても、会場の設定や、隣り町からのチャーターバスの手配、子供たちのプログラムの準備等々、短期間になさねばならないことは山のようにあります。








こっちはパン焼きの準備 完成品は「乞う次回!」


まあ、それでも教会というのは、そういうことには慣れているものですが。

というわけで、今週(4月23日までの週)は、ワタシもかなりキリキリマイさせられた週となりました。

前々回触れましたネス教会が会場となり、正式のミサではないとしても、復活祭の意義と「共にあること」を確かめるために、アグネス監督が国民教会を代表して挨拶してくれることが決定。

私や同僚のアニー牧師は、現場の責任者ではあるのですが、実際のイベント遂行者はウクライナ難民を支えるボランティア・センターの人たちです。こちらに住んでいるウクライナ人、その人たちに関係するアイスランド人、支援しているロシア人等々がその中心。

我々、国民協会サイドはあくまで「サポーター」です。実際、今、土曜日。にもかかわらず、一体どのくらいの人数が集まるのか、大雑把な数もこちらは把握できていません。大丈夫かな?

自分の企画だったらこういうことはないです。小心者のワタシは、いつも準備万端、万一に備えていつもプランB、果てはプランCくらいまで準備してかかるタチです。




くつろぎ感アップ用ピック2 Flateyの風景
Myndin er eftir Einar_H_Reynis@unsplash com

そういう意味では、こういう状況での活動 – つまり、突発的で流動的な状況の中で、いろいろなことを至急に、かつ見込みのみで計画して実施する – というのは、非常に貴重な経験というか、新しい世界に踏み込んだ気がします。

「捨てる神あれば拾う神あり」っていう諺ありますよね。これって、チョー日本的な諺だと思うのですが、実は結構気に入っていて?ちょくちょく心に浮かびます。

本来的には「嫌なことをする人もあれば、優しくしてくれる人もある」「辛く当たってくる人もあれば、助けてくれる人もある」という風に、対人関係について使われるものなのでしょうが、私は勝手に意味を拡張しています。

つまり、何かが上手くいかない、思い通りに進まない時でも、そこになにかしら思いがけないようなプラスの宝が埋まってたりする、みたいな。

「みたいな」というよりは、これはかなり私にとっての、生活上の確信です。実際にそういうことの連続でしたから、ワタシ自身の生活は。

今回も、思い通りに行かない面だけに囚われてしまうことを避けるようにし、意外な「お宝」を探っていこうと思っています。


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パウスカー来たー! パウスカー来るぞ!

2022-04-17 00:00:00 | 日記
Fridsaela paska! フリーズサイラ・パウスカ!

平和なイースターを! ということで復活祭のご挨拶です。今日、4月17日は西方教会(ローマンカトリックやプロテスタント教会)の復活祭の日曜日です。




今年はあえて「平和な復活祭を」とご挨拶
Myndin er eftir Easter©stockcreations | Dreamstime.com


普通の挨拶言葉はGledilega paskaグレージィレーガ・パウスカ「喜びのある復活祭を」なのですが、私個人は今年はFridsaela paskaに変えています。理由は言わずもがな。

ところで、ウクライナ正教会を含む東方教会(ロシア正教会やギリシャ正教会、その他)では、復活祭は今日ではなく、来週24日の日曜日となります。

日付がずれるのは、もともと復活祭は大陰暦を用いて決められていたので、毎年日付が移動する祭日、ということが基本にありました。その後、両教会がグレゴリウス暦を用い始めても、計算法とかで違いが生じるようです。

何度も調べたことがあるのですが、その度に忘れます。グーグればいつだかすぐわかるので、自分で調べる必要もないですしね。(退化!)

だいたいのところを言っておきますと、東方教会の復活祭は西方教会の一週間後になることが多いです。ただし、昨年は西方教会の4月4日に対して東方教会は5月2日でしたし、再来年の2024年は西方教会3月31日、東方は5月5日となり、かなりの「ズレ」が生じることもあります。

突っ込みたい方はウィキペディアでどうぞ。

計算方法については「コンプトゥス」を参照




ウクライナ正教会の復活祭ミサ
Myndin er ur Ukrinform.jp


私が現在居候しているブレイズホルトゥス教会では、毎年復活祭の日曜日は朝の8時からアイスランド語の礼拝があり、礼拝後に皆さんで朝食を摂ります。

その後、午後2時からは私と相棒のアニー牧師が担当する英語礼拝があります。一般的に復活祭の礼拝は朝早く持たれるものです。聖書のキリストの復活に関する記述が、早朝のものだからです。

私たちの英語礼拝が午後なのは、私が朝に弱いからです。というのはウソウソ。参加者の多くがバスを利用する人たちなので、朝早いと教会に来られないからです。復活祭には、バスの運行も遅く始まるのです。

さて、何度か書いてきていますように、私もアニーさんも、自分達の集会とは別に、ウクライナからの難民の人たちへのサポートを続けています。多のサポートは、教会の垣根を超えて、一般人たちとの共同作業です。現在の状況では「教会の独自性」とかは二の次で良く、いかに協力してサポートを進めるかの方が大切なのです。

ですが、ウクライナ難民の人たちの多くが、東方教会のバックグラウンドを持っていることはわかっていましたし、「復活祭をどう祝いたいですか?」ということは、かなり前から話題になっていました。

復活祭の礼拝を祝えるようにしてあげること、これはかなり「教会だからできること」に分類される事柄になります。




これはロシアの復活祭のパン- クリーチ
Myndin er ur e-food.jp


ですが、きちんとした東方教会のミサを持つには、どうしても東方教会の司祭が必要になります。レイキャビクにはロシア正教会があり、ロシア人の司祭がいます。ですが、今回はその司祭を呼ぶことは選択肢にはありませんでした。これも理由は言わずもがな。

ヨーロッパのウクライナ正教会から、誰か来てもらえないだろうか?というアイデアがあり、私たちの監督を通して打診がなされました。が、うまく進まず。

私たち下々の者は、ただ難しい状況の中にある難民の人たちが復活祭を自身の仕方で祝い、多少なりとも慰めを見出せれば、という単純な思いを持っているのですが、教会の上の方へ話しが上がっていくと、どうしてもくだらない教会政治や官僚的「忖度」が支配的になってしまうのです。

ということで、今年はきちんとした復活祭のミサは無理という見通しになりました。では、せめてウクライナ正教会のしきたりのようになっている、復活祭のパンを焼き、たまごを装飾してイースターエッグを作ることは可能か?ということになりました。

イースターブレッドやイースターエッグは、なんというか日本人が正月にお雑煮を食べておせちをつつくのと共通する部分があります。まったく同じではないですけど。






いずれもブルガリアでのイースターエッグ
Myndin er ur Wine-what.jp



このアイデアも一度は沈没しかけていたのですが、ロシア人の婦人たち数人が「私たちは復活祭のパンは毎年焼いているし、ウクライナの人たちにも食べてもらいたい」と申し出てくれて「復活」したのでした。

ちなみに、これらの婦人たちのように、「侵略には反対。ウクライナ人の人たちをサポートしたい」というロシア人も多くいます。この点「ロシア人はみんな人でなしだ!」などという感情論には決して流されませぬよう。

私は個人的には、戦争犯罪者のプーチンが一番恐れているのは自国の市民だと考えています。あの野郎の足元を直に揺することができるのは、ロシアの市民に他ならないからです。

それはさておいて、来週の日曜日、ウクライナ正教会の復活祭をどのように祝うことができるのかは、現在まだ協議中です。

もっとも祝うことができたとしても、それはレイキャビクとかの地域限定になってしまいます。全国漏れ無く、というのは今年の場合は時間的にも無理なことでした。

ですので、今年は復活祭来たー! 復活祭来るぞ! みたいな感じになっています。忙しくて、多少イライラも感じることがありますが、そういう時こそ「主の平安」が必要です。

ウクライナの平和、世界の平和を祈りますが、まずもっての一歩は自分自身の中に平和を創っておかないと...

皆さんにも良い復活祭の週となりますよう。


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「さっさと消えろ!」 と言いたくなる時

2022-04-08 20:49:59 | 日記
こんにちは/こんばんは。

MLB(メジャーリーグ)も開幕し、春度が加速しています。今シーズンはエンジェルスのオータニさんが開幕投手を務めかつリアル二刀流、パドレスのダルビッシュが二年連続の開幕投手、ということでかなりワクワクの始まりとなりました。

結果は残念ながら、両チームとも黒星発進となりましたが、投手としてのオータニさんとダルビッシュの内容は、かなり良かったようで、まあ、これからも期待できます。

とにかく、これだけ暗いニュースに満ち満ちた毎日の中で、毎日楽しみにできるものが戻ってきてくれたことはありがたいことです。




美しい夜景 キーウのPecherskyi 地区
Myndin er eftir Eugeen@unsplash.com


ところで、日本のニュースをフォローしていると、例えばコロナとかで同じような状況が並走することがあり、アイスランドにいながら、時折日本にいるような錯覚に陥ることがありました。

ですが、今現在は、コロナに関してはちょっとギャップが広がってきました。日本では、コロナの感染者数が下がりそうでまた上がったりと、先を心配する声も多いようですね。隣りの上海とかがロックダウンしている影響もあるのでしょう。大阪の吉村知事とか、かなりシリアスな表情で会見しているのをニュースで見ました。

アイスランドでは、このところはコロナはほとんどニュースにならなくなりました。一日の感染者数は、直近の数を見てみると270人となっています(木曜日の数)。

これは、実際の感染者が270人ということではなくて、感染が判明したのがこれだけいる、ということです。どういうことかというと、こちらでは「症状があれば検査に行くことを勧めます。濃厚接触者でも、症状がなければ検査に行く義務はありません」ということになっています。

それで、多少調子が悪くても検査に行かず、それで終わってしまう人も多いことが考えられるのです。

その裏付け?となるのが病院の入院者数で、金曜日の数字では37人が入院加療中で、うちひとりがICUに入っています。

入院37人というのは、かなり高い数字で、一日あたりの新規感染者数が800人とか1000人とか言っていた時期と同じくらいでしょう。

ですから、病院にとっては、コロナ故の負担はまったく軽減されたわけではなく、相変わらずかなりしんどいシフトが敷かれているそうです。そしてこの点が、最近でもコロナがニュースになる唯一のトピックのように見受けられます。




老舗の高級ホテル used to be ホテル・サガ
Myndin er ur bbl.is


日本ももうコロナは終わって欲しいです。入国時の規制はかなり緩和されましたが、市中の様々な施設 -例えば高齢者の施設等- では依然としてきつめの訪問制限とかがあります。まあ、当然ですが。

帰省したいのですが、そういう制限が不必要になってくれないと、高齢の家族に会えなかったりして、帰省の意味がなくなってしまいます。この夏で、丸三年帰省していないことになりますからね。

コロナ、消えろ、さっさと。

さて、メジャーリーグ開幕で多少の気分転換はできたものの、やはり気分は重いですね。私は職業的な意味でも、ウクライナがいつも顔の前にぶらさがっているような気がします。

現在までに、アイスランドには600–700人くらいのウクライナ難民がやってきました。正確な数字はわかりません。おとといの時点では620人とか報道されていましたが、昨日の夜、レイキャビクから少し離れたビフロストという大学町に「40人余りが到着した」と知り合いが教えてくれました。

この知り合いは、ビフロスト地域での難民受け入れのプロジェクトの責任者になったばかり。三日前にはゼロだったのですが、昨日緊急の知らせが入り、40余人の難民の人たちが、国際空港から直にビフロストに到着したとのことです。




十年間居候していたネス教会


ここで、受け入れた難民に関してひとつ思うことがあります。

例えば、日本が、仮に6000人の難民を受け入れたとしましょう。それでも、その難民の人たちに、普通の市民生活をされている方々が、直接に接触する機会はそうはないでしょう。

難民の人たちに接触する機会があるのは、そういう関係のボランティアをしている人とかに限られてくるのではないか?と想像します。大きな社会ですからね、6000人くらいでは、紛れ込んでしまうことでしょう。

それが、アイスランドは、特にレイキャビク界隈は小さな社会ですので、そこに600人の難民の人たちが入ってくると、別に難民のためのボラをしている人でなくても、直接に触れ合う機会が多くあります。

私が毎週集会を持っている、ハウテイグス教会という教会があるのですが、そこから五分ダウンタウン方面へ歩くと、300人ほどの難民が宿泊しているホテルがあります。

また、以前私が十年間居候をしていた西街のネス教会。ロータリーを挟んでの、この教会の真向かいにはホテル・サガという老舗のホテルがあります– ありました。ホテルは閉鎖となり、現在は大学の施設に移行中です。

ですが、ここにも100人余りのウクライナ難民が生活しています。まだ、ホテルの部屋が多くそのまま残っていますから。住居が足りないので、居住可能な施設はすべて用いられているのです。

それで、近隣の住民の人たちが「ホテル・サガの隣人たち」というボランティアグループを組織し、いろいろなサポート活動を始めました。








ネス教会施設を利用しての「ホテル・サガの隣人たち」グループの活動


始めはネス教会は、直接関係していなかったので、私がしゃしゃり出て教会にこのグループの参加者になってもらいました。先の月曜日には、教会の施設を利用して、ホットドッグを焼いて食べたり、子どもたちのための屋外遊具や顔にペイントする遊びなどを用意したりしました。

こういう活動は、そこここで自然発生的に始まっています。つまり、難民の人たちが宿泊している周囲の地域で、ということですが。

ですから、難民の人たちは、私たちの日常生活の枠の中に入っています。それは、とても大切で良いことだと思うのですが、同時に、ウクライナの状況が人ごとではなくなってしまうことも事実です。

だって、そこで起こっている事柄の故にここへきた人たちが目の前にいるのですし、それらの人たちの家族 -夫、父親、息子- が、まだそこにいるのですから。

「コロナ、消えろ、さっさと」と先ほど書きましたが、その100万倍、1000万倍強い気持ちで言いたいです:

ロシア兵、ウクライナから消えろ、さっさと!


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「在アイスランド30周年でーす! 」の巻

2022-04-02 19:08:48 | 日記
こんにちは/こんばんは。

この一週間は、めっきり春となり気温も七、八度まで上がっています。暖かく、ユニクロのダウンを着ていると暑くさえ感じられます。ウルトラ・ライト・ダウンですが真冬用のやつで、春用のものはまだスタンバイ状態です。

このまま春になると良いのですが、週間予報では次の水曜から木曜日にかけてはまたマイナスに戻り、雪が降るとのこと。

まあいいや。いずれにしても「パースカ(イースター)には雪が降る」という都市伝説があるので、もう一降りはあることでしょう。




キーウ 聖アンドレア教会
Myndin er eftir Iurie_Ciala@unsplash.com


さて四月となり、日本では新年度の始まりですね。この時期、私個人はどうしても教会のビッグ・イベントである「復活祭」の方に気を取られてしまい、なんとなく四月入りしてしまうこともあります。ズレッ!

それでも、今年は十分に意識しながらこの時期を迎えました。というのは、この三月末から四月始めには、結構色々な変化が身近であったからなんです。

あらかじめ意識していたのですから、「変化」というのも、突然不意にやってきたものではなく、すでに承知されていた変化、つまり退職とか何かの記念日という方での変化です。

まずは三月末日。この日にはおふたりの身近にいた方々が「引退・退職」されました。ひとりは、私の居候する教会にオフィスを持つ、「レイキャビク東」という地区の長を務める牧師さんです。その地区の牧師さんらをまとめる牧師さん、という感じでしょうか?

ゲオルグさんといいますが、この方はこの「長」を約三十年の長きに渡って勤めてきました。三月の最後の土曜日に七十歳の誕生日を迎えたのですが、ここの教会の規則で七十歳定年が定められており、その月の末で引退となったのです。




清涼感アップ用ピック レイキャビク ランドゥス病院からハットゥルグリムス教会方面を展望
Myndin er eftir Einar_H_Reynis@unsplash.com


悪性の癌で、奥様が五年前に五十代の若さで亡くなってしまったり、近年自身もMNDという神経システムを壊してしまう難病に見舞われており、決して楽とはいえない生活でした。

「ジュラシック・パーク」のジョン・ハモンドさんによく似た風貌だと私は思っているのですが、色々な意味で私の仕事をサポートしてくれいました。

なんだかんだいっても、私のような外国人は組織の中では疎んじられたり、ないがしろにされることがよくあります。そういう中で、ゲオルグさんのような長老的な人が後ろ盾になってくれたことは、実質的にも、精神的にもありがたいことです。

「相棒」のシリーズ前半で、右京さんたちが小野田官房長に守られていたじゃないですか?ちょっとあんな感じ。

そういうわけなので、私としては喪失感もあり、最後は涙してしまいました。これからも生きがいを見失わずに元気で過ごしていただきたいものです。

引退されたもうひと方は、Iさんという日本人男性。この方は、在アイスランド日本大使館の現地スタッフとして勤務されていたのですが、三月末をもって定年退職されました。




清涼感アップ用ピック2 ハルパ・コンサートホール
Laila_Gebhard_@unsplash.com


Iさんはもともと柔道の先生で、七段だか八段の高段者です。息子さんが最後の最後まで、アイスランドのオリンピック代表をかけて活躍し、その関係で日本のメディアでも「父子鷹」として紹介されていたので、ご存知の方もあるかもしれません。

Iさん、2001年の大使館の運営開始当初より、ローカルスタッフとして大使館勤務を始められました。だから、勤続二十年以上ですね。

アイスランドは小国ですので、普通の在留邦人の皆さんと大使館の距離もそんなに遠くはありません。それでも、自然に距離が縮まるというものでもありません。Iさんは「橋渡し」役を上手に受け持ってくださり、私たち庶民邦人はずいぶんと恩恵をいただきました。

まだまだお若いので、これからも活躍していただきたいのですが、Iさんの場合は柔道がありますので、急に老け込むような心配は無用なのでしょう。きっと、ますます活躍されるはずです。ちなみに、国際大会での審判役とかで、年中世界を駆け回ってこられています。

Iさん、長い間の大使館勤務、お疲れ様、そしてありがとうございました。これからもお世話になりますので、よろしく。m(_ _)m

そして新年度(アイスランドでは別に新年度ではありあませぬ)の4月1日。

私の仲の良い同僚牧師さんが、引退したゲオルグ牧師の後任として地区長に就任しました。「昇格」というシステムがほとんどない教会の中での数少ない「昇格」です。おめでとう、がんばって!

そして、その翌日。4月2日。実は、今、これを書いているのが2日なのですが、この日はなんでしょうか?

なんでもありません、私以外には。実は今日は私がアイスランドへ移住した三十周年の記念日なのでーす!! ワーイ!! (⌒▽⌒)




30周年です
Myndin er ur Freepik.com


だからなんだ?とお思いでしょうが、さすがに三十年となると、個人的には感慨深いものがあります。いや、「感慨」ではないかな?辞書で見ると「感慨」とは「物事に感じてしみじみとした気持になること。身にしみて感ずること」だそうで。

そこまで「しみじみ」ではないのですが、変なことを覚えていたりします。こちらへ移る日の前日は、成田のレストハウスに宿泊したのですが、それが4月1日。ニュースで新入社員の式典の様子を流していました。それをよく覚えています。

で、その後の十数年ほどは、当時の通信事情とかもあり、日本の様子は私の生活史の中では「ブラックアウト」となりました。野球の優勝チーム知らず。ヒット曲知らず。人気アイドル知らず。この点は、いまだに後遺症があります。

今は三十周年ですが、あと三年すると、今度は「人生の半分は日本、半分はアイスランドで!」記念日を迎えます。六十六歳にして、三十三年間の日本での生活と、三十三年間のアイスランドでの生活、ということになるわけです。予定ですが。

それまでこのブログが続いているか?まあ、そうあって欲しいですけどね。でもこれから先は「未来がある」ことを当たり前とせず、現在手にできるものを、まずもって大切にしていかないといけないですね。

もちろん、予定とか計画は必要なのですが、プランBとかプランCも懐に入れておかないと...

で、本日のプランA。のんびりして、美味しいものを食べます。

やれやれ。自分史が伸びるほど、創造性は困窮化していくようです。


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。

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