こんにちは/こんばんは。
五月になりますね。もう一年の三分の一を消費したわけですか?はやっ! というよりもコワッ! になりつつあります。
清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Joe_Yates@unsplash.com
多少、前回書きましたことに結論を付ける必要があると思います。前回は、西方教会(カトリックや多くのプロテスタント教会)の復活祭よりも一週遅れでやってくる東方教会(ロシアやウクライナを含む正教会)の復活祭に関連することを書きました。
先の24日の日曜日がその復活祭だったのですが、アイスランドにやってきているウクライナ難民の人たちが、多少なりとも復活祭を祝えるようにと、私たちアイスランドの国民教会もお手伝いしていたのです。
私たちがお手伝いした集会は、正式のミサではなく、伝統的なイースター・ブレッドと呼ばれる手焼きのパンと、装飾されたタマゴを分け合って共に時を過ごすための、なんというか、大き目のティーパーティー?のようなものでした。
場所はネス教会という教会の集会棟。お茶会とはいえ復活祭なので、国民教会のアグネス監督が復活祭の短いお話しをしに来てくれました。
会場の準備等は私とアニー牧師が責任者となって進めたのですが、参加者がどれほどになるのか皆目見当がつかず。多分「六十人から百人の間だろう」ということで、ガラス張りの明るいホールにセッティング。百人くらいなら大丈夫のはず。
毎日曜日、これくらい来てくれれば嬉しいもの
ウクライナ難民の人たちは、レイキャビクだけではなく、空港の町ケフラビクや港町ハフナフョルズル等にも分散して滞在しています。そのため、何台かのマイクロバスがそれぞれの町へお迎えのために出向くように手配されました。
開始は午後二時だったのですが、一時過ぎにはぼちぼちと参加者が現れ始め、一時半過ぎには相当数の人々が参集していました。
この時点で百人越え。「これ、まだ一つのグループだから。もっと席がないと」と支援のボランティアグループから注釈。慌てて、隣接する大ホールにも席を用意しました。
もともとセッティングをしていたホールと大ホールは可動式の壁で遮られていますが、この壁は収納してひとつのMaxホールにすることは可能です。ですが、収納には多少のノウハウが必要で、そのノウハウを持っている教会スタッフはすでに帰宅済み。
「始めっから開けときゃ良かった」とは後悔先に立たずの典型。でもめげてる時間はない。
予想を超えた数の参加者
結果、二百人以上が集まっていたため(ニュースでは「三百人が参加」と報道。ホンマでっか?)、アグネス監督の挨拶も教会堂ですることに急遽変更。皆さんには集会棟と隣接する教会堂へ移動してもらいました。
ミサや礼拝式の場合は、オルガンが前奏を始めると、それが「始まるよー!」の合図となって静まるものなのですが、今回は「ティーパーティー」なので、オルガンはなし。コレも計算違いや。
仕方なく、私とアニー牧師がキャンドルを手にしてしずしずと行進して聖壇のキャンドルに点灯。始まりの雰囲気を作ろうとしました。ですが、あちこちで私語がまだ聞かれ、なんとなく締まりがない。
それがアグネス監督が話しを始め、ウクライナ青年アレックさんが通訳を始めると水を打ったような静寂に包まれました。約十分のお話しの締めくくりにアグネス監督が「キリストは蘇りたもう。真実に蘇りたもう」という復活祭の挨拶言葉のようになっているフレーズを用いました。
それをアレックさんが「フリストール ボスクレス」と訳し始めると、その場のウクライナ人全員で「ボイーストゥヌ ボスクレス」とすかさず返答の唱和。この辺は身に染み付いている伝統を感じさせ面白かったです。
そして、アグネス監督に大拍手。再び集会棟へ移る際、わざわざアグネス監督に「ありがとうございました。娘は感動して泣いていました」と言ってくるお母さんもいたほど。
??そんなに感動する内容だったか?そういえば、事前に原稿を見せた際にアレックさんも「こんな興味深いスピーチはみたことない」とか言ってたなあ... ?
そして思い当たりました。正教会のミサは司祭中心で、一般の信徒は決まりきったフレーズを時折唱えたり、教会の周りを歩いたり、と私たちの礼拝とは相当異なったしきたりです。
司祭(牧師)が、信徒の人が理解できるような「お話し」をする、ということ自体が新鮮な体験だったのではなかろうか?と。
日本のお寺での供養とかでも、お坊さんがお経を唱える部分では、私たちはなにもわからないじゃないですか。時折、その後で「講話」をしてくださるお坊さんもあり、ホッとさせられたりしますよね。それと同じようなものではないかと。
私たちのルーテル教会では「説教」という聖書からの教えのお話しが礼拝式の中心にありますので、司祭(牧師)がお話しをしてくれるのがフツー。今回は、我々にとっての「当たり前」がみんなにとっての「当たり前」ではないことの見本かも。
その後、集会棟でお茶会の開始。「コーヒーカップ足りない!」「砂糖はどこ?」「椅子をもっと」「ゴミ用の大袋をもうひとつ」「飲み残しのコーヒーやジュースを空けるバケツみたいなもの必要!」
すべてホームメイドのパン 各家庭に秘伝のレシピーがあるとか
まあ、忙しかった。ニュースの報道クルーもふたつくらい入ってたりして、芋を洗うような... (失礼) と言うのかな? 一瞬でしたが、私は後楽園ホールでのプロレスが終った後の出口のごった返しを思い起こしましたよ。
それに後から気がついたのですが、ああいうごった返しの中に身を投じたのは、なんと三年ぶりのことじゃありませんか! 久しぶりのことだったんですねー。
さて、たくさんの綺麗な手焼きのパンが並べられていたのですが、私は最後の最後まで一切れも口にする機会が持てませんでした。最後に一切れ口にしてみました。... 正直言って、別に美味しくはなかった... です (^-^; パンだ、これ。ケーキじゃない。
後片付けは、支援グループの人たちや、参加した難民の人たちの幾人かが積極的にしてくれ、私とアニー牧師は楽をすることができました。ありがたや。
意外と短い時間ですべてが終了。二時から始まったティーパーティー。五時にはすべての片付けも終わり、お疲れ様ー。
イースター・ブレッドと並ぶ復活祭のマストアイテム 装飾タマゴ
本来なら喜びの溢れる復活祭なのですが、現在のウクライナ難民の人たちにとっては苦難と悲しみの中での復活祭。アグネス監督のお話しを通訳してくれたアレック青年の妹は、いまだにあのマリウポリにいるとのこと。胸中を察することは難しいです。
それでも、例えばこの集いで、多少なりともの笑顔と笑い声の中に「復活」への希望が見えた思いがします。きちんとした考えを持つ、ロシア人の人たちが手伝ってくれ共にいてくれたことにも「復活」への希望が見えた思いがします。
私にとっては、今年二回目の復活祭の日曜日のようでもあり、またかなりデフォルメされた復活祭の集会でもあったような気がするのですが、それでも復活祭の深い意義は、自分の教会でのイースター礼拝でよりも、むしろ今回の「ティーパーティー」の方でより強く感じられた思いがしてしまうワタシなのでした。
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
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多少、前回書きましたことに結論を付ける必要があると思います。前回は、西方教会(カトリックや多くのプロテスタント教会)の復活祭よりも一週遅れでやってくる東方教会(ロシアやウクライナを含む正教会)の復活祭に関連することを書きました。
先の24日の日曜日がその復活祭だったのですが、アイスランドにやってきているウクライナ難民の人たちが、多少なりとも復活祭を祝えるようにと、私たちアイスランドの国民教会もお手伝いしていたのです。
私たちがお手伝いした集会は、正式のミサではなく、伝統的なイースター・ブレッドと呼ばれる手焼きのパンと、装飾されたタマゴを分け合って共に時を過ごすための、なんというか、大き目のティーパーティー?のようなものでした。
場所はネス教会という教会の集会棟。お茶会とはいえ復活祭なので、国民教会のアグネス監督が復活祭の短いお話しをしに来てくれました。
会場の準備等は私とアニー牧師が責任者となって進めたのですが、参加者がどれほどになるのか皆目見当がつかず。多分「六十人から百人の間だろう」ということで、ガラス張りの明るいホールにセッティング。百人くらいなら大丈夫のはず。
毎日曜日、これくらい来てくれれば嬉しいもの
ウクライナ難民の人たちは、レイキャビクだけではなく、空港の町ケフラビクや港町ハフナフョルズル等にも分散して滞在しています。そのため、何台かのマイクロバスがそれぞれの町へお迎えのために出向くように手配されました。
開始は午後二時だったのですが、一時過ぎにはぼちぼちと参加者が現れ始め、一時半過ぎには相当数の人々が参集していました。
この時点で百人越え。「これ、まだ一つのグループだから。もっと席がないと」と支援のボランティアグループから注釈。慌てて、隣接する大ホールにも席を用意しました。
もともとセッティングをしていたホールと大ホールは可動式の壁で遮られていますが、この壁は収納してひとつのMaxホールにすることは可能です。ですが、収納には多少のノウハウが必要で、そのノウハウを持っている教会スタッフはすでに帰宅済み。
「始めっから開けときゃ良かった」とは後悔先に立たずの典型。でもめげてる時間はない。
予想を超えた数の参加者
結果、二百人以上が集まっていたため(ニュースでは「三百人が参加」と報道。ホンマでっか?)、アグネス監督の挨拶も教会堂ですることに急遽変更。皆さんには集会棟と隣接する教会堂へ移動してもらいました。
ミサや礼拝式の場合は、オルガンが前奏を始めると、それが「始まるよー!」の合図となって静まるものなのですが、今回は「ティーパーティー」なので、オルガンはなし。コレも計算違いや。
仕方なく、私とアニー牧師がキャンドルを手にしてしずしずと行進して聖壇のキャンドルに点灯。始まりの雰囲気を作ろうとしました。ですが、あちこちで私語がまだ聞かれ、なんとなく締まりがない。
それがアグネス監督が話しを始め、ウクライナ青年アレックさんが通訳を始めると水を打ったような静寂に包まれました。約十分のお話しの締めくくりにアグネス監督が「キリストは蘇りたもう。真実に蘇りたもう」という復活祭の挨拶言葉のようになっているフレーズを用いました。
それをアレックさんが「フリストール ボスクレス」と訳し始めると、その場のウクライナ人全員で「ボイーストゥヌ ボスクレス」とすかさず返答の唱和。この辺は身に染み付いている伝統を感じさせ面白かったです。
そして、アグネス監督に大拍手。再び集会棟へ移る際、わざわざアグネス監督に「ありがとうございました。娘は感動して泣いていました」と言ってくるお母さんもいたほど。
??そんなに感動する内容だったか?そういえば、事前に原稿を見せた際にアレックさんも「こんな興味深いスピーチはみたことない」とか言ってたなあ... ?
そして思い当たりました。正教会のミサは司祭中心で、一般の信徒は決まりきったフレーズを時折唱えたり、教会の周りを歩いたり、と私たちの礼拝とは相当異なったしきたりです。
司祭(牧師)が、信徒の人が理解できるような「お話し」をする、ということ自体が新鮮な体験だったのではなかろうか?と。
日本のお寺での供養とかでも、お坊さんがお経を唱える部分では、私たちはなにもわからないじゃないですか。時折、その後で「講話」をしてくださるお坊さんもあり、ホッとさせられたりしますよね。それと同じようなものではないかと。
私たちのルーテル教会では「説教」という聖書からの教えのお話しが礼拝式の中心にありますので、司祭(牧師)がお話しをしてくれるのがフツー。今回は、我々にとっての「当たり前」がみんなにとっての「当たり前」ではないことの見本かも。
その後、集会棟でお茶会の開始。「コーヒーカップ足りない!」「砂糖はどこ?」「椅子をもっと」「ゴミ用の大袋をもうひとつ」「飲み残しのコーヒーやジュースを空けるバケツみたいなもの必要!」
すべてホームメイドのパン 各家庭に秘伝のレシピーがあるとか
まあ、忙しかった。ニュースの報道クルーもふたつくらい入ってたりして、芋を洗うような... (失礼) と言うのかな? 一瞬でしたが、私は後楽園ホールでのプロレスが終った後の出口のごった返しを思い起こしましたよ。
それに後から気がついたのですが、ああいうごった返しの中に身を投じたのは、なんと三年ぶりのことじゃありませんか! 久しぶりのことだったんですねー。
さて、たくさんの綺麗な手焼きのパンが並べられていたのですが、私は最後の最後まで一切れも口にする機会が持てませんでした。最後に一切れ口にしてみました。... 正直言って、別に美味しくはなかった... です (^-^; パンだ、これ。ケーキじゃない。
後片付けは、支援グループの人たちや、参加した難民の人たちの幾人かが積極的にしてくれ、私とアニー牧師は楽をすることができました。ありがたや。
意外と短い時間ですべてが終了。二時から始まったティーパーティー。五時にはすべての片付けも終わり、お疲れ様ー。
イースター・ブレッドと並ぶ復活祭のマストアイテム 装飾タマゴ
本来なら喜びの溢れる復活祭なのですが、現在のウクライナ難民の人たちにとっては苦難と悲しみの中での復活祭。アグネス監督のお話しを通訳してくれたアレック青年の妹は、いまだにあのマリウポリにいるとのこと。胸中を察することは難しいです。
それでも、例えばこの集いで、多少なりともの笑顔と笑い声の中に「復活」への希望が見えた思いがします。きちんとした考えを持つ、ロシア人の人たちが手伝ってくれ共にいてくれたことにも「復活」への希望が見えた思いがします。
私にとっては、今年二回目の復活祭の日曜日のようでもあり、またかなりデフォルメされた復活祭の集会でもあったような気がするのですが、それでも復活祭の深い意義は、自分の教会でのイースター礼拝でよりも、むしろ今回の「ティーパーティー」の方でより強く感じられた思いがしてしまうワタシなのでした。
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
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