レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

レイキャビクの明治村 アルバイヤーサブン

2015-06-28 05:00:00 | 日記
アイスランドでの庇護申請者の人たちについてはこれまでも何度も書いてきました。庇護申請者とは難民なのですが、個々人で第三国に渡り、そこで難民申請をする人のことです。

申請は当局によって審査されなければなりませんが、その回答がされるまでの「待ち期間」というのが時には一年以上になることもまれではありません。その間、することがなくて拷問に等しくなることがあります。

その問題を解消するためにいろいろなことが工夫されてきたのですが、昨年初めよりレイキャビク市が難民の人たちの滞在を受け入れ始め、昨夏頃よりレイキャビクが難民の人の主たる滞在先になってきました。(それまでは国際空港の周辺のレイキャネスバイルという町でした)

難民の人たちに対しての、というよりは難民の人たちと「共にする」活動のためにはレイキャビクの方が色々な意味で企画運営しやすくなりました。そして昨秋から赤十字が毎週水曜日にオープンハウスを開いて集うようになっています。

私は難民の活動に関しては、赤十字のボランティアをもう十年近くしてきています。まあ、自分の仕事にかぶる部分が大きいので、純粋なボラとはいえないでしょうが。で、このオープンハウスにももちろん参加しています。

今は夏ですので、皆で外へ出て行くような企画も多くあり、先週は市の郊外にあるArbaejarsafnアルバイヤーサブンという博物館へ出かけました。このアルバイヤーサブンは十九世紀末から戦後あたりまでの建造物を移動したり再建したりして、当時のレイキャビクの生活を再現しているところです。

ですから明治村のように、テーマパークのように広い敷地の中の「村」になっています。多くの古い建物があり、昔風のお店やカフェもあります。(カフェはそんなに昔風ではありませんが) 牛や羊のいるミニ牧場もついています。
スタッフの人たちも皆、伝統的な衣装を着ていて雰囲気を盛り上げています。

今回私たちは英語によるガイドツアーを予約していたので、いくつかの建物の由来やエピソードを聞きながら巡回することができました。もちろんガイドさんも、それらしい服装をしています。

男性ガイドバルドゥルさんの話しでは、このレイキャビク版明治村は1957年にオープンしました。市が郊外の何もない場所に土地を買い(土地はそんなに高いものではありません、日本と違い)、歴史的な価値のある建造物を集め始めました。もちろん建物の中に収容されるべきものもです。

今でこそこのアルバイル(アルバイヤーサブンというのは、アルバイルの博物館という意味で、アルバイルというのは「川のファーム」を意味します)の地は、居住区の中に位置していますが、当時は町からはずれたド田舎だったそうです。町から歩いて半日の距離にあったので、人が休息する旅籠のようなゲストハウスもあったそうで、そのゲストハウスも展示されています。

現在のダウンタウンの真ん中にあった、結構大きめの建造物もありますが、これは壊さずにそのままをトレーラーに乗せて移動したのだそうです。ところが運転手がノーテンキで道路の凹凸におかまいなしで突っ込んだため、建物が滑り落ちバラバラになってしまったとか。現在のものはそれをまた再築したものだそうです。

普通の民家もありました。居間兼寝室のようなところには、そうですね八畳くらいの横長の部屋に小さめのベッドが六つ。「六人ここで寝たの?」という質問にバルドゥルさんが答えるには「いいえ、十人程度です。ひとつのベッドにふたりが背中合わせに寝たんです」。

「今世紀初頭は暖房というものがまったくありませんでした。だから寒さは尋常ではなく、人々はなるべく固まって家の中でじっとしていたのです」

なんでも階下の台所へ行かなくてもすむように、なるべく食事も同じものを取り続けたとか。確かに山小屋と同程度の家屋で暖炉さえなかったら、冬はどうしたのだろうか?と想像するのも難しくなります。




アルバイヤーサブンの中にある教会


教会もあります。この教会は屋根が芝吹きで四十人ほどが入れるような、かわいらしいものです。柱と梁がいっぱいあるので、会衆席に座ると牧師さんの顔が見えなくなります。この教会は1842年に北部地方で建造されたものだそうですが、足りない材料を補って再築されました。

お世辞にも居心地がいいとは言えない教会ですが、実は今でも外国からのカップルの結婚式などで使われています。私も三回くらいここで挙式を担当したことがあります。雰囲気があってロマンチック、に思えるのだそうです。

ちなみに、皆さんの中で「挙式はアイスランドで」とお考えの方があったとしても、ここは止めたほうがいいと思いますよ。理由は、先ほどちょっと触れましたが、見通しが悪いので写真とか撮るのが難しいですし、オルガンは時代ものだし(昔の日本の小学校で使っていたようなもの)、トイレも遠いですからね。

ただし、もちろん「ふたりだけで、こじんまりと式を満喫したい」という向きであれば、ここはピッタリとくるかもしれませんが。ああ、あと「いにしえ風に」も加えとかないと。

とにかく、このアルバイヤーサブンは観光に来られた方には必見の場所だと思います。アイスランドがついこの間までどんなところだったかを知るためには、貴重な知識を与えてくれますから。

六七八の三ヶ月はハイシーズンでいろいろなお店やイベントもあります。それ以外はローシーズンでお店とかは閉まってしまいますが、毎日午後一時にはガイド付きツアーがるとのこと。詳しいことはホームページでお確かめください。

アルバイヤー野外博物館が含まれるレイキャビク市の博物館ホームページはこちら


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Connelly World & Harry Bosch

2015-06-21 05:00:00 | 日記
二週間余りの日本滞在を終えての帰路、飛行機の中で日本で調達したマイクル·コナリーの文庫「真鍮の判決」と「判決破棄」を読みました。正確には前者の下巻と後者の上巻ですが。

マイクル·コナリーは世界的な人気作家ですので改めて書く必要もないでしょうが、私のお気に入りの作家のひとりです。

大学一年の頃から好きだった作家にロバート·B·パーカーという人がいて、そのスペンサーシリーズは二十年以上に渡ってフォローしていましたが、パーカー氏は近年亡くなってしまい残念な限りです。

スペンサーシリーズについてはこちらも


私は一度はまるとかなり執拗にフォローしまくるタイプの人間で(ストーカー気質?)、気に入ったシリーズはかなり多数あるのですが、最近では断然このコナリー本が私的ランク一位を保っています。

コナリー本のメインはLAPDのハリー·ボッシュ刑事シリーズなのですが、実は複数のシリーズがあります。うーん、「シリーズ」と言ってしまうと語弊があるかもしれません。何作か、他の主人公ものがあるのです。もとFBIプロファイラーのテリー·マッケイレブや新聞記者ジャック·マカヴォイ、謎の女性キャシー·ブラックなどがそれらのキャラクターです。

さらに最近コナリーがボッシュ刑事ものに代えてメインにしようとしている気配のあるのが弁護士ミッキー·ハラーシリーズです。成田からの機内で読んでいたのがこのハラーものでした。

私はこれらのすべて(キャシーもの以外ですが。キャシーものは絶版で手に入らない...)の作品が好きで読んでいます。前述のパーカー本では、私はスペンサーシリーズ以外のJ·ストーンものやS·ランドルものはほとんど興味がないのですが、この点コナリー本は平均して面白いのです。

それ故に可能なことだと思うのですが、コナリー本では各主人公たちが越境して他のシリーズに登場することがよくあります。先に述べた「真鍮の判決」も「判決破棄」もハラー弁護士とボッシュ刑事のコラボです。逆に言えばそれだから面白さが平均してくるのかもしれないですね。ちょっと辛口で言えば、主人公が変わっても作風に変化がない?(^-^; 気に入っている私としてはNo Problemです。

さて、そういう呉越同舟的なコナリー本ですが、私が最高に入れ込んでいるのがやはりメインのハリー·ボッシュものです。この刑事さん、メチャ格好いいのです。容姿とかそういうことではないですよ。生き方というか、仕事に対する姿勢というか、「オトコはこうありたい」と思わせるようなキャラクターなのです。

ハリーはヒエロニムスHieronymusという変わった名前の略。ベトナム戦争帰還兵。警察組織の中で働くが(一時期私立探偵になりますが、そこでバッジの価値を見直す)官僚嫌い。上司と喧嘩しても自分の信念は曲げないし、時々ルールを破っても結果を求めます。身の回りは構わないが、仕事では几帳面で空白を作らない。結構名を知られているが流されない。そして事件の被害者には心を込めて接する、たとえすでに死んでいても、等々。




ボッシュ刑事登場のコナリーワールド



ボッシュ「なぜ娼婦のことを気にかけたか、ということかい?気にかけていなかった。ほかの犠牲者と同様だ。だけど、殺人事件では、それが自分の担当する事件になったとき、心がけているルールがひとつある」
セラピスト「そのルールはどんなもの?」
ボッシュ「どんな人間でも価値がある。さもなければ、だれも価値がない」
セラピスト「説明して」
ボッシュ「いったとおりのことさ。...
おれは被害者が娼婦であろうが、市長夫人であろうが、必死で解決をはかるということだ。それがおれのルールなんだ」(「ラスト·コヨーテ」扶桑社ミステリー、古澤嘉通訳)

そしてかなり孤独な人間という設定なんですね。母親は娼婦でハリーが幼少の頃殺されてしまいます。父親は不明。FBIのエージェントと深い中になりますが... というハリーのプライベートな事項がすべてシリーズ中の諸事件に関わっていき、謎が明かされていくことになります。

ある意味、シリーズはハリー·ボッシュの自己探求と自己確立の物語とも読めるでしょうね。1992年(私がアイスランドに移った年です)に始まったこのシリーズ。どうやらハリーは正直に歳を重ねていっているようで、今年は六十三歳のはずです。

まだ邦訳されていない最新作の案内とかをチラ見してみると、どうもボッシュ刑事は引退して、今度はハラー弁護士の調査員として働き始めるようです。未確認ですが。

私は仕事で疲れている時やモチベーションが下がってしまっている時に、このシリーズを読むととても癒され励まされます。ボッシュシリーズはこれまで三回くらい通読してきましたが、今四巡目に入ったところです。

ボッシュ刑事には老け込まないで、まだまだMy Heroでい続けて欲しいものです。


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サッポロ北街ひとり日誌(15−3) 新宿編

2015-06-14 05:00:00 | 日記
今回は日本帰国の後半を東京滞在に費やしました。私はもともと東京都民(「八王子の人が『東京』だというのを聞くと『何よ、それ〜』って思うけど」とマツコさんは言ってましたけどね、東京ですよ、八王子は)ですので、これこそ「帰省」の感があります。

そこで札幌滞在と東京滞在では個人的には大きな違いがあります。私は札幌には家族以外ほとんど知り合いがありませんが、東京にはワンサカいます。それがかえってビミョーな問題になりえます。

久しぶりに東京に滞在するので会って近況を語り合いたい相手は大勢あるのですが、皆に会うということはほとんど不可能です。特に今回のように息子や娘が一緒の旅の場合は、彼らの関心ごともありますし、親としてはむしろそちらの方を優先せざるを得ません。

今は子供達が成人しましたので、融通はつけやすくなりましたが、それでも「誰と会える」はビミョーな問題であり続けています。下手をすると「帰ってきてるのに挨拶にも来ない」と受け取られれてしまいますから。そういう訳ではないんですけどね...

で、東京に来る際には気を遣うこともあるのですが、今回はそれでも行ってみようと思うところがありました。それは市ヶ谷にあるルーテル教会の礼拝です。

というのは、その教会の現職の牧師先生が私の神学校時代の同級生のA牧師さんであり、A牧師とはもうかれこれ十八年余りも会っていなかったからです。

日曜日は週に一回なので、たとえ三週間日本に滞在したとしても三回しか回ってきません。帰省中はいろいろと予定が詰まりますので、実際に日曜日の礼拝に出席するのはなかなか難しいものなのです。(もっともこれは重要度の問題なので、どうしても日曜礼拝は守る、という熱血クリスチャンの人はそんな言い訳はしないでしょう)

さて、息子同伴で礼拝に行ったのですが、「週報」というその日のプログラムのようなものを見ると、なんと当日の礼拝のお手伝いにかつて若かりし青年の頃、共に活動していた友人のKさんの名前が載っています。Kさんとはもう二十年も会っていません。

というわけで、この日曜日の昼時はA牧師と奥様(全然お変わりになっていないのでびっくり)、旧友のKさん、加えて旧知の婦人方などと再会し嬉しいひと時となりました。

しかしです。それだけではないのです。




きれいなルーテル市ヶ谷教会の礼拝堂


この日、幾人かのお客さんが礼拝に参加されていました。その中に三人組のグループがいらっしゃいました。礼拝の後で、新来の方を簡単に紹介するのが慣例なのですが、聞いてみるとアメリカのプリンストン神学校という名門学校の教授のKA教授という方が中心のようで、そのお迎えに日本の学校のまだお若いY先生と奥様が付き添っていらっしゃったようです。もちろん、このお三方は私にとってはまったく未知の方々でした。

私と息子についても同様に簡単な紹介がなされました。そしてその後の歓談お時間に意外な情報をいただくことになりました。

まずKA教授ですが、教授のヨーロッパ教会史に関する著書が最近日本語に訳されて出版されました。訳者は私も教わった日本の神学校の先生なのですが、翻訳の過程でアイスランドに関する部分の地名人名のカナ表記のチェックを私に頼んでくれていたのです。私は教授は初対面でしたが、教授の著書には二年ほど前に関わっていたわけです。この時までまったく気が付きませんでした。ビックリその一。

次に日本のY先生ですが、この方は現在立教大学のある先生のサバチカル休暇中の代行をされているそうです。そしてその休暇中の先生と私は知り合いで、以前私の古アパートで一献傾けたこともあるのです。Y先生はその先生から私のことを聞き知ってくださっていました。ビックリその二。

さらにビックリその三。昨年の年末、イギリスに留学していた日本の青年の方がアイスランドに遊びに来ました。私のブログを読んでくれていた奇特な方で「お話ししたい」ということだったので喜んでお茶をし、いろいろとお話をした次第です。ところが、このY先生の奥様がなんとその時の青年の方の妹さんだというのです!

つまり、この日曜日に新しく出会った三人の方々のそれぞれと、まったく横のつながりのない「独立した」関係があったことがわかったわけです。それだけでもビックリの三重奏なのですが、私が「すごい!」と感じ入ってしまったのは、そのお三方がひとつのグループとして共にいらっしゃったことです。

百人弱が集まる教会の礼拝で、偶然つながりのあった人三人と個別に巡り合ったわけではなく、ひとつのグループとしていらした三人の方々と、それぞれに個別のつながりがあったわけですので、これは相当に「有り難い」ことではないかと思います。

この日曜日に先立つ三日前、札幌から新宿に移って来た日に、新宿南口の交差点の大雑踏の中で「トーマさん」と声をかけられました。びっくりして振り向くと、なんとかつてアイスランド大学に一年間留学していたTさんであることがわかりました。

レイキャビクでならめずらしくもありませんが、新宿のあの雑踏の中での行き合いは「有り得ない」という次元に屬するもののように思えましたが、あるんですねえ、そういうことが。

というわけで、短い新宿滞在中は旧交を温めたり、意外なつながりがカミングアウトしたり、偶然の一致を突きつけられたりと退屈することのない日々となりました。

どんな形であれ、ポジティブな人とのつながりを確かめられるのは嬉しいことです。そういうつながりを大切にしたいと思います。


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サッポロ北街ひとり日誌(15−2) サッポロビール誕生

2015-06-07 05:00:00 | 日記
先日は札幌滞在中にあってもとりわけ「夏日」の一日となりました。北海道の何箇所かでは30度を超えたそうで、札幌でも29,6度を記録しました。もちろんワタシ的には今年随一の気温です。(成田で瞬間的に同程度の気温を体験しましたが、それはたかだか十分程度でしたので)

この日私と息子は朝からまずモエレ沼公園というところへバスで出かけました。市内からバスで約二十分ほどで公園前に着きますが、ここは総面積189ヘクラールというかなり広い土地(緑地)の中に人口の山、岡、森、ビーチなどが芸術家イサム•ノグチさんのコンセプトに従って展開しています。

大きなガラスのピラミッドもありますが、ノグチさんの考えには「トライアングル」と「円」があったのではないかと思いました。あちこちに「三角」と「円」が見られましたから。

また、これはノグチ氏のポリシーなのかどうか知りませんが、エコにも自己主張が見られ、園内のどこにも「ゴミ箱」がなく「ゴミはお持ち帰りを」を無言で訴えていました。トイレにも手を拭く紙はありませんでした。

さて、どこぞやの幼稚園の園児、それも複数の園?と思われる園児とその父兄が遠足に来ていたのですが、さすが北海道。その程度ではまったく「混雑感」を与えるに至らなく、非常にのびのびとしたのんびり感を楽しむことができました。

そんなだだっ広いところを歩き回ったわりには早く見終わってしまい、昼には私と息子は帰路に付いていました。バス停に着くと、やってきたバスがたまたま「サッポロビール園行き」。サッポロビール園にはジンギスカンがあります。お腹を空かせていた私たちはこれ幸いとバスに乗ってビール園を目指したのでした。




レトロ調赤煉瓦のビール博物館


サッポロビール園は札幌駅からそう遠くはないところに設けられれていますが、ここもテーマーパーク的にビール博物館やガーデングリル館、その他のレストラン館などで構成されています。

ジンギスカンの昼食でお腹を満たした後、私たち父子はビール博物館を見学してみることにしました。

ビール博物館は明治時代風の赤煉瓦の建物で、実際の昔のサッポロビール工場を模したものと思われます。中に入ると受付の若くて綺麗な女性が丁寧に歓迎してくれます。無料なのにいいサービス!

「よろしければガイド付きでご案内できますが?」そらきた! そっちは有料でぼったくる気か?と思いきや、ガイドも完全無料。すさんだ心のワタシはハズかし。(^-^; というわけで、若く聡明でかなりかわいいMさんのガイドで館内を廻ることになりました。ちなみにMさんは「ビール大好き」と本人の弁です。

サッポロでのビール醸造は黒田清隆が北海道開拓庁長官であった時代の1876年頃に始まったそうです。開拓事業の一環であり、そのため「開拓使」のシンボルである北極星(五稜星)がビール瓶にもあしらわれました。現在は金の星ですが、もともとは赤い色でした。ちなみにこの「赤星」は開拓使に関係のある時計台や道庁舎等の建物にもついています。

ビール作りの直接の指揮者は中川清兵衛というドイツで学んだ醸造技師の人でした。 この人のビール作りの簡潔な説明が博物館前に積まれたビール樽に残されています(レプリカですが)。「麦とホップを製すればビイルと謂う酒になる」

当時のビールは「生」が基本で沈殿物も濾過されず、従って賞味期限も三四日だったとか。またビールはやはりヨーロッパに所縁のある文化知識人の嗜好品で、値段も高く中川さんの給料も相当なものだったそうです。




「麦とホップを製すればビイルと謂う酒になる」


1890年台になると、東京では「日本麦酒醸造会社」が恵比寿ビールを発売して人気を得ました。それ以降ビール人気がみるみるうちに上昇し、ビール作りは資本家の投資の的となったそうです。

そして1906年、ついに札幌(サッポロ)、東京(恵比寿と麒麟)、そして大阪に興っていた「旭ビール」が大合同して「日本麦酒株式会社」となり市場の七割を占拠しました。

もともとサッポロビールの前身である「札幌麦酒会社」は現在サッポロビール博物館がある土地に本格的な醸造工場を建てる計画でしたが、こういう成り行きで工場は現在アサヒビールのあの「金団雲」のようなオブジェのある浅草は吾妻橋近くに建つことになりました。

戦後、後の独占禁止法の故に日本麦酒株式会社が分割された折に、アサヒビールは工場を受け継ぎ、サッポロビールは「サッポロ」「ヱビス」の商標を受け継ぎました。サッポロは当初この商標を使わず「ニッポンビール」という新銘柄を発売しましたが、愛飲者の要望により「サッポロビール」が復活したそうです。

可愛らしいMさんのガイドですが、私はメモを取っていたわけではないので、うろ覚えにウィキで補足しての説明です。細かい点で間違いがありましたら、ご指摘願います。

さて、ガイド付きツアーではこの後、美味しいビールの注ぎ方の実演講習やごく初期のサッポロビールの再現版の試飲などもあり結構楽しい時間となりました。Mさん、ありがとうございました。m(_ _)m

サッポロビール、一時期はアイスランドのレストランでも置いていたんですけどね、バブル崩壊後は撤退してしまいました。復活してほしいものです。アサヒもそうですが、日本のビールはアイスランドの人の間でも人気があるようですし。

ところでアイスランドでは、売買をしなければ個人がビールやワインを作ることは許されています。実はワタシもビールは醸造していたことがあります。「聖トーマ印」ビールについては、いずれ機会をみて書いてみたいと思います。(*^^*)


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