レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

訣別 グッドバイ緑の党

2020-11-29 00:00:00 | 日記
十一月も末となり、アイスランドでは昨晩よりAdventaアズヴェンタと呼ばれる時期に入りました。クリスマス前の約四週に渡る期間で「待降節」とも呼ばれます。英語だとAdvent。




良いアドベントになりますよう!


このアズヴェンタについては、これまでも毎年のように書いてきましたが、今年はCxxxdの影響で、多少例年と異なる面がありますので、また来週にでも書いてみます。

今回は、とにかくこれまでエンチョーの連続で続いてしまった「緑の党」の思い出話しにケリをつけます。

これまで書いてきましたことは、私は十六、七年前に緑の党に入り、短い期間だったが積極的に活動した。が、ここ十年以上は単なる一般のサポーターでしかない。一方、万年小党だった緑の党は、経済危機以降支持を広げ政権にも参加、2017年にはついに党首のカトリーンさんが首相の座についた。

カトリーンさんは清廉さと庶民派のイメージを持ち、個人的人気は抜群。しかし、三党連立の政権の中で、緑の党は最大与党ではない。カトリーン首相も持ち味をなかなか出せずにいたのだが、コロナ危機を境にして、徐々に自分の個性を発揮し始めた、というようなことでした。

私が緑の党のサポーターでいるのは、環境問題、ジェンダー間格差の是正、一般的な人権問題などの基本的な考え方に賛同しているからです。それに、党の人たちが、まあ好ましい人物が多い、ということもありました。

その反面、私自身が関わりの強い移民政策や難民政策では、とりたててすぐれているとも考えていません。

過去十年間くらいのうちに、個別の難民(庇護申請者)のケースで、何度か緑の党の国会議員の助力を求めたことがあります。結果はたいした助けは得られなかったですね。

私が「一般のサポーターでいるのはいいけど、それ以上に何か党のために活動するのはゴメンだ」と、ベッタリから距離を取り続けたのは、そういうことも影響したのかもしれません。




気がつけば「清涼感アップ」は「寒さ倍増」の季節に
Myndin er eftir Jonas_Mendes@Unsplash


ところが、今年に入り、そういう「着かず離れず」さえ疎ましくなるようなことが出てきたのです。

それは「外国人法改悪案」。

もともと私が「政治参加も必要だ」と思い立ったのは、2004年の「外国人法改悪案」でした。やはり、私自身の仕事に直結する分野ですので、影響は大きいのです。

今年になって、二回、改悪案が国会(アルシンキ)に提出されました。二回ともほぼ同じ内容の法案で、提出したのは法務大臣です。

改悪案の中心は難民申請の分野に関するもので、特に「すでに第三国で『保護』を受けている場合は、申請そのものを無効とする」という点が含まれていました。まあ、それだけではないですが、それが「改悪の目玉」でした。

ご存知と思いますが、難民問題はヨーロッパでは大きな問題です。ギリシャやイタリア、ハンガリーなどには対処能力を超える数の難民が押し寄せており、難民の処遇は劣悪になっています。加えて当該国民の難民に対する悪感情も増加。

そういう中で、ギリシャやイタリアなどは「実質的な意味のない保護」を与えまくるようになりました。形式的に難民を保護している(ことになっている)統計をつくることでEUから援助金が得られるからです。

ですから、そういった国で「すでに保護を受けた」ことになっている人でも、事実として生き残るためには、さらに他の国へ助けを求めて出ていかなければならないことが多々あるのです。

アイスランドでは、過去数年間の間に、そのような背景を持つ難民申請者 –特に子供を含む家族の場合– が、強制送還の通告を受けるところまでいっていながら、一般市民のプロテストの故に滞在を認められる事例がいくつも生じました。

そういう事態が発生する場合、国として考えるべきことは、「なるほど、国民はそのように無下に難民を追い出すことを望んでいないのか。では、そのような事情を持つ難民申請について、もう少し公正かつ人道的に対処できるようにシステムを改善しよう」ということであるはずです。っていうか、「あるべき」です。

ところが法務大臣から出てきたのは「門前払い」案。この改革案が通過してしまうと、これまでのような「市民のプロテスト」による救済そのものが法的根拠を失い、「誰も何もできない」「してはいけない」ことが法律の中に入り込んでしまうのです。




なぜかホッとする苔
Myndin er eftir Kai_Gradert@Unsplash


アイスランド赤十字は、普段から国と仲良くするポリシーを持っており、なかなか歯切れの良い政策批判をしない組織です。(しんちゃんの声で:「オラ、赤十字に言いたいことは山ほどあるぞ」)

ですが、さすがにその赤十字さえこの改悪案に関しては、新聞やネットに批判するオピニオンを流したり、国会に意見書を送ったりしました。

改悪案の提出はコロナ前の二月が一回目。この時は早々に法案撤回。法務大臣にスキャンダルがあったのが影響したと思われます。ここで大臣交代。

二度目の提出はこの夏でした。Cちゃんの影響で社会はまだまだ混乱していましたし、国会運営そのものが、Cちゃん対策の臨時法案の山のために遅れに遅れていました。

そういうドサクサに紛れての改悪案再提出。提出者は前回とは別の法務大臣。スキャンダルで大臣を離れた前任者からは、ひとり代理大臣を挟んでの新大臣です。若い女性なのですが、これが、まあ前々任者に輪をかけたようなビxx。

ついでにはっきりさせておきますが、連立政権内で、これらの法務大臣は独立党の裁量下にあります。

私はちょうど、教会の中での難民問題に関する方針を作るために、五人の同僚牧師さんたちとワークチームを作っていました。この法案を見逃すわけにはいかないと、私たちも赤十字へ出向いて担当者と話し合い。

「まだ国会への意見書が間に合うわよ」と情報をもらい、教会のワークチームでも意見書を作成して国会へ送ることにしました。間に合うとはいえ、締め切りが迫っていたので、かなり集中してかかる必要がありましたね。

なんとか期限内でクリアし、せっかくだからその意見書を元にして、新聞(ネット版)にもオピニオンとして送ろう、ということになりました。長いので三分割にして、オピニオン三回分。

これはチームワークでしたが、私は私でもっと別な言い方をしたい、と思う点がいくつかありましたので、個人でもふたつのオピニオンを投稿しました。




難民問題に取り組む教会内でのワークチームの面々
Myndin er eftir sr. Solveig Lara Gudmundsdottir


こういうのはかなり消耗するプロセスです。教会の中でチームとして何かできるのは、まことにありがたい進歩です。が、一方でそのチームの最終責任を持つのはワタシ。

ここでは、意見書のことだけを書きましたが、実際は他の個人のケース等に際してのアシストやアピール –いずれも当局に対峙する内容になります– も、断続的に続いていました。「わたーしだって、わたーしだって... ツカレルわ」

で、ふと思ってしまったのです。「なんで、オラはオラの所属している政党の政権にこうも楯突かなくてはならないのだ?」

しばらく考えましたが、結論が出ました。やーめた! こんなに自分を疲れさせる緑の党は意味がない。出ていく時が来たようでした。

あー、また終わらなかった。話しの決着は、今週中に「臨時増刊」でつけたいと思います。


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


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カトリーン首相とフツーの庶民のアパート

2020-11-22 00:00:00 | 日記
こんにちは。レイキャビクでは先週は気温がグッと下がりました。二日ほどマイナス6-7˚Cの日が続きましたし、雪で一面が真っ白にもなりました。私はアイスランドに住んでいながら寒いのは嫌いなのですが、どこか「フツーになって良かった」というような気もしています。




本文とは無関係 ヴィークの町の教会
Myndin er eftir Jon_Flobrant@Unsplash


さて、前回まで何回かに渡って、私の緑の党に対する関わりについて ウダウダと書いてきました。もうここらでひと段落つけたいと思います。

「緑の党に対する関わり」と大層なことを書きましたが、実はもう十年以上前に、短い時期積極的に参加しただけのことで、それ以降は単なるいちサポーター以上のものではありません。

選挙の際などに、乞われれば党のキャンペーンに協力することはありましたが、普段の党の集会とかに参加することはありません。全般的に見て緑の党の考え方に賛同し、支持していますが、別にコアなサポーターでもなく、それなりにフォローしているだけとなっています。

私が積極的に党に参加した当時は、緑の党はまだマイナー政党で政権を担ったことはありませんでした。経済危機を転機として、ひとまわり支持を幅広く得て成長してきたことは前回書いた通りです。

そして2017年の秋以降、緑の党の党首カトリーン・ヤコブスドティールさんが首相の座に就いています。もっともこれは 連立政権で、 11議席の 緑の党が、16議席の独立党と、8議席の進歩党(という名前の保守党)と政策協定を結んだものです。

なぜ、多数派の独立党から首相が出なかったのか?というと、前回書きましたように、この突如の解散総選挙のきっかけが独立党のビャルトゥニ党首と関わりのあることだったため、世論がビャルトゥニ首相の続投に否定的だったことがあります。

解散のきっかけを作っていたのに、なぜ独立党は政権に生き残っているのか?日本の自民党と同じです。批判糾弾の最中(さなか)にあっても、考えを変えない(思考停止を)する固定支持者がいるのです。




庶民派カトリーン首相 アングルによってはちょいベッキー似?
Myndin er ur Wikimedia.org


カトリーンさんは清廉潔白で庶民寄りのイメージがあったため、個人的な人気度では圧倒的な支持を得ていました。ただ、保守党との連立だったため、当初よりその連立そのものに対する批判は、緑の党の内部からもかなりありました。

実際に、政権がスタートすると、実験を持っているのはビャルトゥニ財務相という感が強く、カトリーン色はあまり出ない時期が続きました。まあ、一般的に言って、野党時代は理想論をぶち上げていても、いざ政権につくとそうはいかない、とうのが政治の法則です。

コロナ危機に際して、カトリーンさんはようやく自分自身らしいリーダーシップを示し始め、世界からも高い評価を得ていることはいつか書いたことがあります。

カトリーンさんはイメージだけではなく、実際に庶民的で、首相になった現在も家族と共にフツーのアパートに住んでいます。私のかつての居候先のネス教会のすぐ前。まったく庶民のアパートで「よくあれで、プライバシーが保てるな?」と不思議になる感じさえします。

ネス教会に、同僚の女性牧師がいるのですが(ジュネーブ旅行仲間)、彼女によると「息子さんが十四歳で献信礼のクラスにいるから、よく一緒に日曜礼拝に来てるわよ」とのこと。なるほど。でも、よくそれでプライバシーが保てるな。

これまでも書いてきましたように、アイスランドは小国なので、政治家も普通の人々から近い距離にいます。全員とは言いませんが。それなりにVIPをきどって、下々から距離を取る政治家ももちろん多くいます。ただ、それでも日本の政治家よりはずっと近いところにあると思います。

ですから、なんというか世間の常識として「個人としてのプライバシーは尊重する」「やたらめったにVIP扱いしない」というのがあると見受けられます。

それでも「プライバシーが保てる?」と私が危惧するのは、やはり自分の窮状を訴えたり、ある政策に対する不満をぶちまけたい人は常にありますので、そういう人が群がってこないのかな?ということです。多分、なんとかなっているのでしょう。




カトリーン首相が住んでいるタイプのアパート (このアパートではありません)


また話しがちょっと脱線してきてしまった。まあ、いいや。勘弁してください。

で、私はかつて、短い時期でも緑の党の内部に入っていましたので、その頃からカトリーンさんには何度か会ったことがあります。彼女が政治家になる前に、あるカンファレンスのスピーカーとして同席したこともありますし、議員になってから難民問題の陳情に行ったこともあります。 教育大臣の頃には、私が企画した母国語教育のカンファレンスに来てもらったこともあります。

ただ、それでも個人的な友だちではありません。顔見知りではありますが、個人的な話しをしたりしたことはないですね。これは、まあ、私の性格的なものもあるのでしょうが、有名人とかに「お友だちになりましょう」みたいに擦り寄っていくの嫌なんですよね。

またまたウソウソ。嫌なんじゃなくて「できない」のでした。時折、なにかの機会で大統領とかが列席している集まりに参加することがあります。そういう時に、スルスルと近寄って行ってツーショットのセルフィーとか撮らせてもらう連中が、周囲にもいるのですが、よくああいうことできるなあ?

そういう写真を自宅に飾ったり、もっと多いのはFacebookとかでアップしているヤツ。平気でそういうことができる輩の面の皮の厚さを、私は軽蔑しています ... 軽蔑するフリをしながら妬んでいます。

脱線の度合いが増加してしまいました。

とにかくですねえ、「好きか?嫌いか?」と問われれば、私はカトリーンさんのことは好きなのです。恋愛感情とかではないですよ、もちろん。政治家としての基本姿勢、庶民生活を保っていること、頭は抜群に優れているし、美人じゃないけどカワユイ。最近はさすがに首相として険しい表情が多いですが。




これも「庶民派」?  アーダーン・ニュージーランド首相


一国の首相としては、かなり好かれる要因を持っている人だと思います。単純なイメージに過ぎませんが、ニュージーランドのアーダーン首相なんかも同じようなオーラを持っているのではないでしょうか?

ここまではいいこと。問題はこれからです。

首相着任以来、ベテランのビャルトゥニ財務相の陰から抜けられず、独自性を出せないでいたカトリーン首相。それはそれで仕方ないです。私もコロナ直前の時期にはガッカリし始めていましたが、今はその点では持ち直しています。

別の問題がありました。それは難民に対する政府の方策。これは私の仕事に関する分野の問題です。そこでいろいろと困ったことというか、私が納得できない事象が生じてきて、この夏でしたがいよいよ「もう緑の党、やーめた!」というところまできてしまったのでした。

その顛末を書きたくて、この緑の党の話しをし始めたのですが、非常な廻り道と脱線を繰り返しています。コロナ以外に話題の少ない時期ですし、多めに見てあげてください。m(_ _)m

あと十日もしないうちに師走ですね。くれぐれも健康に気をつけてお過ごしください。


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キッチングッズ革命と緑の党

2020-11-15 00:00:00 | 日記
きれいな薄い青空とやや慎ましい陽光が輝くレイキャビク西街より、おはようございます。今は昨日の土曜日の午前10時半です。

「水色の空」と書こうとしたのですが、「水色」って今は使わないのか?とちょっと引っかかったので「薄い青空」としました。うっかりすると「古人(むかしびと)」の馬脚を現してしまう。古人は古人なりにストレスがあります。

レイキャビクではようやく冬の気配が定着してきたよいうです。そうですよね、もう十一月も中旬。今月の最後の日曜日からアドベント(待降節)に入るのですが、今年の場合は「もうアドベントの飾り付けを始める」という人が、周囲にかなりいます。Cちゃんの影響で自宅長い時間を過ごす人が多いので、その影響のようです。




Hveradalir 「清涼感アップ用」ピック もう「清涼感」は必要ないか?
Myndin er eftir Alexander_milo@Unsplash


ところで、先の水曜日に「ブログを開始してから3000日」となったそうです。律儀なブログの管理ページが数えていてくれたのでした。その間にアップした記事が601とか。平均すると五日に一回の更新となります。

ここ数年は週一の更新としているのですが、始めた当初は毎日更新していたりしたので、その影響で平均値では現状より二日短いサイクルとなっています。

さてさて、「緑の党」の続きです。一時は積極的に党の集会とかに顔を出していた私ですが、2008年秋の経済崩壊と、それに続く社会の混乱と自分自身の仕事の維持や路線修正のために政治活動のゆとりはなくなりました。

「社会が混乱している時こそ、政治が必要だろう」という正論もありましょう。実際、混乱の中、アルシンキ(国会)前で連日行われた抗議デモには多数の市民が参加していました。皆が鍋やしゃもじ – は、ないか?大きなスプーンとかを手にして、打ち鳴らしながら集まりました。

これは、経済崩壊の分析が進むにつれて、いかに政府やオソリティーが経済活動の監督をおろそかにしてきたか、いかに銀行等の金融の大御所が利益最優先で、危険を顧みない投資を続けていたのかが明らかになったためでした。

一般市民が怒るのは当然でしょう。彼らは一生懸命働いてコツコツ貯めた貯金の全部あるいは相当の部分が、一夜にして消えてしまったりしたのですから。仕事を失った人もわんさかわんさ。

鍋やスプーンを手にして集まったのは、「俺たちは今や食べることさえ難しいんだぞ! お前らが自分の懐に何百万、何千万を入れようと欲の皮をつっぱったおかげで!」ということの象徴。




鍋やさまざまな調理器具を持参するデモの参加者
Myndin er ur Visir.is/GVA


この連日の抗議デモはBusahaldabylting ブースアウハルダビルティングと後に呼ばれるようになりました。Busahald(a)は「調理器・台所用品」のこと。Byltingは「革命」です。「キッチングッズ(による)革命」ですね。

この抗議デモにより、国会選挙が2009年の四月に行われることになりました。2007年に選挙は持たれていたので、任期半ばでの解散総選挙です。アイスランドでは稀なことです。日本などで一般化している「自党への利」を図っての国会解散というのは、アイスランドでは馴染みがありません。

え〜と、自分のことに戻りますが、先ほど書きましたように「社会混乱の時こそ政治は大切」という正論にもかかわらず、私は政治から距離を取るようになりました。

混乱の中で自分の職務を通して貢献するには?ということが第一だったのと、財政難の中でその職務自体を守る必要もありましたし、金融・財政問題という、問題の中心点が私の「おヨビでない」ことであったこともあります。ワタシは自分の給与明細ですら、何が書いてあるのかわからない人なのでした。

私がしたことといえば、髪の毛を金髪に染めた(脱色した)ことくらい。(*^^*) 暗い世相だったので、多少でも周囲を明るくしようと思い立ったのでした。それはそれで効果はありましたよ。けっこう「うけ」ましたから。




アルシンキ(国会)前でのキッチングッズ革命の講義集会
Myndin er ur Kjarninn.is


さて、そのような社会混乱の中で行われたアルシンキ総選挙。大きな変化がもたらされました。当然。

ゲール首相を筆頭に40%弱の支持率と26人の議員を有していた独立党は、大負けして議員10人へ減少。それでも得票率は23%もあったのですが。

代わって第一党になったのはSamfylkingサムフィルキング(「みんなで共に行こう」みたいな意味です)という社会民主党。30%弱の得票率で20の議席を得ました。

我が緑の党は21%余りの得票で議席は14。それまでよりも5議席増加しましたから、これは躍進でした。

この頃はまだ、私は時折党の集会に顔を出していたのですが、面白いですよね。それまで「万年野党」というか「万年小党」で、「政権」について語っても誰もマジには口にしていなかったのが、突然?目の前の手に届くところに転がってきました。

そういう時の、集会場の熱気というか、緊張感というか、雰囲気がガラッと変わったのですよ。その時の緑の党の党首はステイングリームルというおじさんでした。会場の誰かが発言した際に、彼に向かって「さてさて、『大臣』」と語りかけると会場は歓声と大喝采。

選挙の結果を受けて、実際にステイングリームルさんは財務大臣となりました。新政権はサムフィルキングと緑の党の連立政権。首相はサムフィルキングのヨハンナ・シーグルザードティールさんで、アイスランド史初の女性首相でした。

ついでにヨハンナさんは同性愛者で女性のパートナーと生活していました。首相就任時にはまだ公になっていませんでしたが。

良いことはほとんど何もせず、経済破綻を国民に知らせる臨時テレビ会見を「Gud blessi Island (神よ、アイスランドを祝したまえ)」という年間流行語大賞になった一言で結んだゲール前首相に対して、ヨハンナ新首相は続く難しい四年間を、かなり良い業績でまっとうした、とされています。




混乱の中で、初の女性首相となったヨハンナさん
Myndin er ur Visir.is


この時期は確かに緑の党にとってのターニングポイントだったといって良いと思います。先に書きましたように、万年与党だったものが、「政権を担えるんだ」という認知を得た政党に成長したということです。

以降、十年間に渡り、今日に至るまで緑の党はいつも「政権レーダー」の範疇に留まっているのです。

その後、2013年の総選挙では緑の党は振るわず、支持率半減して野党に戻りました。業績が悪かったから?実際には2013年くらいからは、アイスランド経済は観光業を中心として急速に復興に向かっていたのです。

これは、要するにそれまでの政権が頑張ったということなのですが、一旦経済がノーマルになり、かつ追い風を得るようになると、世の人々の「貪欲」にまた火が付くのでした。そうなるとまた、政治に求めるものも変わってきます。

混乱の間で舵取りを任されたサムフィルキングと緑の党は、外貨がジャラジャラと流れ込む機会を押さえるためには、良識がありすぎたのでしょう。

ヨハンナ首相を継いだ進歩党(という名前の保守党)のシグムンドゥ・ダヴィ首相、ひとりおいて独立党のビャルトゥニ首相(現財務大臣)らは、あたかも経済危機以前にタイムスリップしたかのような「金、富、また金」路線に舵を取り直しました。

正直言って、それを後押しする勢力が社会の中にしっかりと存在するのです。

そして、2016年の総選挙。これも任期満了を待たずしての総選挙。主な理由はあの「パナマ文書」スキャンダルによる政治不信でした。ここでは緑の党は善戦し、支持率は16%まで回復しましたが、政権は保守勢力が維持しました。ところが僅か一年の後、この連立政権は思わぬことから一夜にして崩壊。一年間のうちに二度目の総選挙となりました。

この連立崩壊の過程は、以前書いたことがありますので、そちらも参照していただければ幸いです。

政権を一夜で崩壊させた「手紙」


とにかく、2017年の秋の選挙で、緑の党は11議席。党首のカトリーン・ヤコブスドティールさんが、連立交渉の任に当たり、8議席の進歩等(という名前の保守等)と16議席の独立党との交渉をまとめ、首相の座に就きました。アイスランド史上ふたり目の女性首相誕生です。

私が書こうと思っていたエピソードは、また一回持ち越しです。それほど大した話しではありませんので、まあ、期待せず、忘れて待ってください。


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ある時 サマーメモリーとグリーンパーティー

2020-11-08 00:00:00 | 日記
十一月の八日となりました。と言いながら、実はいつものことながら実際にこれを書いているのは昨日?土曜日の午前中です。このブログは、古式ゆかしいタイプのブログで、ツイッターではありませんのでご容赦を。




清涼感アップ用ピック1 個人的にはあまり思い入れがないオーロラ
Myndin er eftir Matthia_tillen@Unsplash


レイキャビクでは金曜日、土曜日と気温が2˚Cくらいにまで落ち込み、雪一歩手前のみぞれで一面が白くなったりしました。考えてみれば、もう十一月ですから、これくらいは普通なはずなのですが、今年は九月初めの冷え込み以降は、だらだらと「暖秋」が続いてきていました。

Cちゃんによる季節的なルーチンが消えていることもあり、季節感喪失度が増している感があります。

前置その二。アメリカ大統領選ですが、今の時点では(こちらの時間で土曜日の午前 十時半)、まだ結果が確定していません。我慢して待つしかないですね。アメリカ人ではありませんが、やはり「アメリカ」。その影響は世界中が受けますし、関心は持たざるを得ません。

私的なことと断って一言付け加えますが、私は「ブルー組」です、もちろん。世界の他の大勢と同じく、とりわけバイデン氏の支持者ではありませんが、トランプはもういい加減にしてほしいです。

あの人物がとにかくアメリカ合衆国の有権者のほぼ半数の支持を得るということ、これはよくよく分析し吟味してもらいたいとことです。昔からある「民主主義に内在する弱点」の気がします。

(*土曜日の午後5時過ぎ、やっと待っていたニュースが入ってきました! 良かった! アメリカにはもっとステイブルな国に戻ってもらいたいです。)

前置その三。これもまた、プライベートなことで、皆さんにはなんの益もないことですが、今日は私の誕生日です。まったく自覚のない六十二歳となりました。いよいよ高齢となってきましたので、「ああ、これは高齢者のブログなんだ」という優しい心で読んであげてください。

さて、今回もそういう老人の昔話しにお付き合いくださいますよう。私の「緑の党」に関わるあれこれの思い出話しです。

もともと先日体験した個人的、かついかにもアイスランド的なエピソードを紹介したかったのですが、そのことを誤解なくわかっていただくには、「前説」が必要と考えて「緑の党」の話しをしはじめたところ、ズルズルとはまり込んで、とんでもなく長くなってしまっている次第です。




清涼感アップ用ピック2 ここはまだ行ったことない! レイキャビクのどこか
Myndin er eftir Robin_benzrihem@Unsplash


2007年の党の全国大会のことまで前回お話ししました。

教会の牧師として、またアジア人の移民として、ちょうど2000年あたりから新聞の投稿欄とかに、せっせと自分の意見を送り続けていた私は、2004年の外国人法案改悪の議論を経て、「にわか著名人」化しました。

そういう流れで「緑の党」に加わりましたので、2007年の党の全国大会に向けて、移民関係の政策要項を作る部会に参加することとなりました。その年は国政選挙がありましたので、いわゆる「選挙綱領」の一部となるものです。

その当時は、国会議員にはまだ移民がひとりもあらず、いつ初の移民議員が誕生するか?というようなお茶談義はあちこちで聞かれました。当時、野心ギラギラだったワタシも、当然そのようなことは考えたことはあったのですが、悲しいかな、私は日本人であってアイスランドの市民権は持っていなかったのです。

この国で選びたい! 選挙権と国籍


というわけで、アルシンキ(国会)は「そもそも」蚊帳の外。ですが、同じ頃に党に参加したジャーナリストのアンディ君という友人がおり、彼は党内の予備選挙に参加する決心をしました。

アンディ君は私より十五歳くらい年下で、アメリカ人。あわてて国籍取得の申請をしたりして準備(アメリカは二重国籍を容認しています)。

こちらの選挙はすべて比例代表制で、党内の予備選挙の結果に従って、候補順を決めるリストが作成されます。リストは全国ではなく、六つの選挙区ごとに作成されます。

緑の党はその時はまだまだ小さい党だったので(今でも小さいですが)、当選者は九人でした。ですから、それぞれの選挙区でだいたいひとりかふたりの当選者だったことになります。

アンディ君はレイキャビク北の選挙区で三位の席を獲得することができました。こちらでは選出議員が長期で国会活動を欠席するようなことになった場合、同じ等の補欠議員が代理で正議席に着きます。アンディ君は半年後くらいに、国会デビューを果たしました。

ちなみにこのアンディ君、次回の選挙には出馬せずジャーナリストに戻りました。しばらく音信がなかったのですが、気がつくと「彼女」に変身していました。しかも同じ境遇の女性と結婚。「トランス-トランス婚」のみならずの同性婚だー! It’s complicated です。




清涼感アップ用ピック3 ペルトラン前のミュージシャンたち
Myndin er eftir Rafael_garcin@Unsplash


私の緑の党への積極的な参加は、結果として短いものとなりました。選挙の翌年2008年にやってきた未曾有の経済危機。アイスランドの国家財政はあっという間に破綻し、すべての政治、社会の関心は金融財政へ移りました。

私はまったくの門外漢ですし、それよりも何よりも、自分の本来の教会での仕事の維持と牧師としての社会への参与が緊急事になりました。政治とかに費やす時間もエネルギーもなくなってしまったわけです。

以来、私は緑の党のメンバーではあり続けていますが、直接の活動にはほとんど関与していません。普通にひとりの支持者、というわけですが、それで満足しています。政治にドップリ浸かりたいならば、関心のあることばかりではなく、関心のないことにまで関わらざるを得なくなります。

そこまでの努力を続けるほど、私の政治への関心は強くなかった、ということは認めざるを得ないですね。でもそれより根本的には、日本にいた時と同じで才能が足りなかったのだと思います。

ところで、私が短い期間とはいえ、なぜ政治に関わったか?ということについてはお話しをしてきましたが、なぜ緑の党に参加したのか?ということにまったく触れていなかったことに、今気が付きました。

特定の政党の支持を決める、というのはそう簡単なことではありませんね。とりわけ、いやおうなしの条件(特定政党や特定議員に自分の権益が密接に関連付けられているような場合)からフリーな人にとっては。

自分自身の権益の擁護ということはあって当たり前のことですし、これを無視することは現実を無視するようなものでしょう。ですが、常識人としては、ここに社会的な公正さというようなものを加えて政治的なポジションが定めるのではないかと考えます。

私自身について言えば、まず国民教会についての考え方、姿勢というものを考えなくてはなりません。これは私自身の「日ごとの糧」に関わるものです。ついで、私の職務上の関心事である、移民政策や難民政策についての考え方を吟味します。

このふたつが私にとってのメジャーな関心事です。たったふたつなのですが、これがなかなかマッチしないのです。国民教会を支持するのは保守系の政党に多いのですが、これらは移民政策とかには無関心。

逆に移民をサポートする政党は、国民教会とか宗教一般に強い偏見を持っていたりします。昔からあるジレンマです。




レイキャビク アルシンキフース(国会議事堂)
Myndin er ur Frettabladid.is/Sigtryggur_Ari


では、緑の党がこのふたつの私の要求を満たしているのか?というとそういうわけでもありません。教会に関しては、随分批判的なグループも党内にありますし、移民政策がすぐれているかというと、それほどでもありません。強いて言えば、「耐え難くはないし、より良くなる素地がある」というところでしょうか?

それでも、もう少し視野を広げて、環境問題や、外交問題 –とりわけNatoとの協力問題– あるいは男女平等の問題等を考えた場合、私の手元のチェックリストでは、合計点で緑の党がトップになるのです。

加えて「どんな人がいるか?」という要素も、支持政党を決める際には大きいですね。長くなりますので、くどくどとは書きませんが、私の目には緑の党のリーダーたちはきわめて常識のある良い人々に映りました。

政策がいくら良くても、実際にそれを実行する立場の人たちが「エイリアン」のようであったら到底信頼するには及びません。人々に対する信頼– それが私が緑の党参加を決める大きな要素となったのでした。これは大切なことで、この点を書いて初めて、もともと私が書きたかったエピソードに入れるのです。

次回はやっと本来書きたかったエピソードでーす。。長くなってしまいスミマセン。m(_ _)m



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自分史の中の「倍返しじゃ!」

2020-11-01 00:00:00 | 日記
十一月一日を迎えたレイキャビクよりこんにちは。もっとも日付は世界のどこでも同じですから、日本も十一月と思いますが。(*^^*)




清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Garrett_Sears@Unsplash


始めにこの一週間のこちらの出来事をお伝えしますと、相変わらずCxxxx 関連がトップニュースです。この十日ほどでふたつの集団感染(クラスター)が発生してしまいました。

そのうちのひとつはLandspitaliランドスピータリというアイスランドでメインの大きな病院でです。高齢者の方々の治療をしている病棟 -「高齢者病棟」みたいな呼び方をしていますが- そこでクラスターが発生し、患者さん、医療関係者、家族等を含めて百四十人が感染しました。

数も多いのですが、さらに深刻なのは、被感染者に八十代、九十代のご高齢の方が多いことです。きちんと確認してはいませんが、直近で亡くなったふたりの方はここで感染したように見受けられます。

もうひとつのクラスターはレイキャビク市の南東の地区にある小学校。こちらではアメリカのように「十学年制」ですので、実際は「小中学校」です。ここで生徒を中心に四十四人が感染。全体で三百人余りが「隔離」に入っています。

また、これまで平静だった田舎の東部でも、お葬式が原因でクラスターが起こっています。

こういう事態を受けて、政府は昨日土曜日の真夜中を起点として、コXX対策を強化しました。二十人Maxだった集会は十人Maxとなりました。これまでは特例として五十人まで許されていた葬儀参列も三十人まで減少。

葬儀後のお茶会は恒例なのですが、これは十人限度。つまり、ごくごく近親者のみ、となります。

美容院、マッサージ等の濃厚接触を基本とするお店は営業禁止。バーやナイトクラブ、ゲームセンター等の娯楽施設もクローズ。フィットネスやプールも同様。普通のレストランは夜九時まで営業が許されます。

ニュースでご覧になっていると思いますが、スペイン、フランス、イギリス、ドイツ等、ヨーロッパでは軒並みコXXの第二波、第三波がすさまじくなっています。スペインではしばらく前から「夜間外出禁止令」を発令していますし、フランスはつい先日、再び「外出禁止令」を発令。イギリスも今週、同じ道に入ります。

アイスランドでは「今のところ、外出禁止令まで出す必要はないと考えています」とのカトリーン首相の弁。そう願いますよ、本当に。




清涼感というよりはのんびり感アップ用 ブルーラグーン
Myndin er eftir Jeff_Sheldon@Unsplash


さてさて、Cxxxxの話はここまで。ここのところ続けています私と「緑の党」の関係についての昔話しの続きに移ります。

皆さんにとっては、何の益にもならない話しであることは承知しています。ですがもともとこのブログは「日本からやってきた中年のおじさん(注:今は初老のおじいさんなりかけ)が、アイスランドで何を考えて、どんな暮らしをしているか」をご紹介することが主たる目的ですので、まあ、そういうものなのです。m(_ _)m

2004年の外国人法改悪の出来事の後、私は「政治も大切だなあ」という思いを持っていました。私は教会の牧師で、移民に対するサービスが主たる専門分野です。

その頃は、移民に対する確固たる国や地方自治体の考えがなかったため、そういう基本政策の構築に参与することも仕事の一部、というよりかなり大きな部分を占めていました。

権利の拡充と保証、偏見と差別に対する活動、あるべき社会システムの提言等々などです。ですから牧師とはいえ、職務はもともと政治っぽいような性格が強かったのです。

つまり、「政治にももっと参加しようかな」という思いは、職務遂行への熱い思いの必然的な産物だったわけです。... と、いうのは、ウソです。まあ、三割くらいはホントですが、あとの七割はもっと個人的な「ギラギラの野心」でした。

移民担当の牧師の私ですが、いうまでもなく私自身移民です。しかも「非白人」の。その当時のアイスランド国民教会というのは、まだまだ前世紀の遺物のような性格を有していて、「え?日本人の牧師?キリスト教のこと、ちゃんと知ってるのかな?」みたいな空気がありました。

ですから、私の方もキリスト教についてではなく、この「国民教会」と「その牧師たち」には辟易していて、ほとんど忠誠心のようなものは持っていなかかったです。持てるわけがない。

良い仕事をしても、良き意見を言っても、無視されるのが日常でした。そういう体験をしている中で、「アジアからの移民でもきちんとした仕事をできることを、必ず証明してやる」という思いは強くなってきたわけです。

前にも書きましたように、当時の私は新聞の投稿欄に頻繁にオピニオンを書いていたのですが、これも実をいうと「オラが教会の中で発言しても、誰も聞こうとしない。だったら、直で社会にものをいうぞ」という背景があったのです。

良い仕事をしたい、というのは当然ありますが、それはまだまだ、なんというか、かなり「きれいな」部分です。その下には「自分を証明してやる」というような、かなりドロドロしたマグマ、情念みたいなものがありましたね。

「お前ら、いつかオレの靴を舐めろ」... とまではいきませんでしたが。「半沢直樹」は観たことがないのですが、多分「倍返しじゃ!」に似たものでしょうか?




去年の緑の党全国大会での党首カトリーンさん
Myndin er ur Fretabladid/Valli


2004年の外国人法改悪に反対する中で、新聞に投稿したり、ラジオで意見を言う機会が何度もあったのですが、その過程でかなり私も知名度を上げました。「アジア人のくせに一丁前の口を叩く」というのもありましたが、一方で私の意見に賛同してくれる人も多くあったのです。

そういう風にして「緑の党」に入ったので、始めは結構チヤホヤされて、緑の党のレイキャビク市の組織のボードメンバーに招かれたりしました。

結果は散々で、しばらくして「自主的に」抜けさせていただきました。市政というのは、問題がものすごく具体的で、「どの会社の誰々と話しができる」「このグループのリーダーは誰で、どこの誰とどう繋がっている」とかいう基本知識がないと、話しが始まらないのです。

市政は私にはお門違い、ということを学びました。私がもう少し得意だったのは、人権とか、差別対策とか、大義名分に関わるようなことで、これはどちらかというと国政の課題なのでした。

で、今度は2007年でしたが、アルシンキ(国会)選挙を前にして、その選挙の政策要項を作るための作業部会に加わりました。これは結構大変な作業で、休日返上のうえに夜も結構遅くまで自宅でシコシコと作業を続けた覚えがあります。

その政策要項を提出して、協議し賛否を決めるのが年に一度の全国大会です。これは日本でも同じでしょう。その全国大会では、いろいろな政策要項案の協議の他に、いくつかの役員選挙があります。

そのうちのひとつがFlokksradフロックスラウズというもので、これは全体で二十人くらいかな?党全体の役員会みたいなものです。これは党の上に行こうとする人の登竜門で、議員を目指す人が「私をフロックラウズに選んで!」と党内選挙を展開するのでした。




全国党大会での様子
Myndin er ur Liverstream.com


党大会は三日間の日程。私にとっては初めての経験。移民政策の要項の協議が主たる課題でした。

三日目は日曜日なので、午前中は教会。午後からヒョコヒョコ会場に着いてみると「トシキ、おめでとう。フロックスラウズに選ばれたよ」だって。「ハッ?オイラ、立候補してないんだけど... ?」

何でもフロックスラウズは他薦で十分で、立候補は必要事項ではないとか。だけど、せめて推薦されたとか、言ってくれないの?

結果を聞いて驚いたのですが、ワタシ、二位で選ばれていたのです。トップは党結成当時から中心にいた高齢の女性で、これはもう名誉職を捧げる的なものだったようです。

これは正直言って悩みました。ありがたいことですが、党活動にそこまで身を捧げる覚悟はできていなかったのと、「他に有識な適任者が大勢いるではないか?」という正直な思いがあったからです。

というところで、長くなりましたので続きは次回に。

引き続き、Cxxxxにはくれぐれも気を付けてお過ごしください。


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。

藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is

コメント (2)
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